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宗教によって考え方が違うのかな?
日本の文化では、上手く行かなかった場合は、努力が足りなかった。
しかし、欧米では、運命だった。
神道や仏教では、努力によって運命は変えられる。
キリスト教では、人の運命は予め決まっている。
と考えるのかな?

A 回答 (5件)

違うと言われています。



キリスト教最大派閥である
カルバン派によれば
人生は決っていると考えます。

人生が決っているのですから
それは本人の責任ではありません。
だからダメでもあまり気にしません。
のほほん、としています。

こう考える傾向があります。


これに対し、儒教の影響が強い
アジアでは
努力が足りなかった、と考える
傾向が強くなります。

特に、向上心が強い日本人はその傾向が強い、と
言われています。
だからダメだったら落ち込みます。
自殺も多くなります。


以上、放送大学 社会学入門
の説明でした。
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「運が無かった」ってありますので


日本の文化は、関係ないでしょう
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必ずしもそうではないでしょう。


神のとらえ方の差があるように思います。

日本の神は信仰すれば何らかのご利益や功徳が与えられるというものです。
神道だけではありません、日本仏教もそうですね。

阿弥陀仏を唱えれば極楽にいける、法華経を大事にすれば功徳が得られる、
密教では護摩を焚いて真言を唱えれば願いがかなうというものです。

むしろキリスト教などは内面の信仰であってキリストを信じれば現世において功徳が得られるというものではありません。むしろ神は我々を見守ってくれているという発想です。

ですのでむしろキリスト教なんかでは努力を重視しています。

「叩け さらば開かれん、求めよ さらば与えられん」(聖書マタイ伝)
「天は自ら助くる者を助く」(西洋のことわざ)
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/06/30 16:13

そんな説は聞いたことがないです。



人の運命は予め決まっているのなら、何の努力もせず、ボーっと生きていれば運命によってなるようになるはずです。
キリストはそんなこと言っていません。

一神教も神の教えに適うように懸命に努力しろ、と言っています。
その努力が神の教えに適っていたかは、最後の審判の日に神が決定します。
よかったか悪かったかを人間が決めることはできない、というのが一神教です。
人間はひたすら努力して生きろ、といっています。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/06/30 16:14

仏教は福運が大事といいますね

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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/06/30 16:14

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