
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
戦後、連合国軍占領下での極東国際軍事裁判(東京裁判)において、昭和天皇は法的責任を問われる可能性がありました。
彼は大日本帝国憲法によって国家元首であり、陸軍・海軍の最高指揮官であったため、「侵略戦争」を指導した国際法違反を犯したとの指摘がありました。一方、日本国内では敗戦責任や戦争による犠牲に対する道徳的責任も議論されました。 昭和天皇は退位することで責任を取る意思があったとされますが、実現しませんでした。
結局天皇の戦争責任は告発されることはありませんでしたが、その理由は、最高権力者のマッカーサーが天皇を訴追しないと決めたから、といわれています。
マッカーサー自身がその回顧録で証言しているように、当時のマッカーサーは日本国民に対して事実上無制限の権限を持っていました。 マッカーサーがイエスといえば決定されるし、ノーといえば否決されたということです。
ではなぜマッカーサーは天皇を訴追しなかったのでしょうか。
その理由の一つは、天皇を処罰すれば日本国民が一斉蜂起し、手が付けられなくなり、GHQの日本占領政策の遂行に大きな障害となる、と考えられていたからです。 また、戦争終結直後、海外には数百万人の武装した日本兵が残っており、速やかに彼らの武装を解いて、帰国させる必要がありました。 英国のチャーチル首相はマッカーサーに対して、その為にも天皇の絶対的権威を利用すべき、すなわち天皇の名前で、海外に残っている武装日本兵に対して、直ちに武装解除して帰国すべしと命令を出すべきだとアドヴァイスしました。 結局、そのおかげで、奇跡的にほとんど抵抗も無く、数百万の日本兵の武装を解除して、日本に帰すことができたのです。
しかし、マッカーサーが天皇を訴追しなかった理由はそれだけではなかったのです。
マッカーサーが天皇と接し、その存在性や人柄に心動かされたことも大きな理由の一つだと考えられています。
西洋の君主制国家では、戦争に負けると国王の権威が失墜し、国民が蜂起、国王は亡命し、王朝が滅亡して新たな国ができる、ということが多々ありました。 第一次世界大戦時にはドイツ皇帝だったヴィルヘルム2世がオランダに亡命しています。 昭和天皇も、敗戦によって命の危険があったため、一部の人たちが昭和天皇の亡命を画策したともいわれれています。
しかし、天皇は西洋の国王とは違ったのです。
昭和天皇はマッカーサーに会ったとき、次のようなことをいったそうです。
「自分はどうなってもよい。 そのかわり、いま苦しんでいる国民をなんとかしてほしい」
昭和天皇は自分のことよりも民のことを心配したのです。 天皇のこの言葉をきいて、マッカーサーは、自分の知る西洋の国王たちのように、己の地位や命の心配をすることなく、また自分の権力にしがみつくこともないと感銘を受けました。 マッカーサーは昭和天皇の姿に、真の帝王の姿を見たのでしょう。
すぐれた帝王学はすぐれた支配者を生み出します。 支配者は本来、悪ではありません。 民を導き、世界を平和に保つ存在なはずです。 欲に溺れ、権力にしがみつく者を生み出すために帝王学があるわけではありません。
日本の天皇は西洋の国王とはまったく違う存在です。 天皇は罪やわざわいを祓い、浄めるシャーマンでもあるのです。
マッカーサーが、天皇にも戦争責任を負わせるという意見を押しのけ、天皇という存在を残したのは、西洋の王とは性格の違う天皇という特殊な存在性に気づいたからなのでしょう。
GHQの影響下で作成された日本国憲法で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定められました。
当時は天皇と日本国民の精神的結びつきがとても強くありました。この強い結びつきは簡単に切り離せるものではありませんでした。 無理矢理切り離してしまうと、日本国民が暴走する可能性をGHQは危惧していたのです。
そこでマッカーサーはじめGHQは考えたのかもしれません。 天皇の戦争責任は問わず、戦後も日本国民の精神的支柱にする。 それも、あくまで平和的な象徴としての支柱に……。そして戦争責任は軍部におしつける。
戦争を起こした責任は軍部の首脳陣に押しつけられるかたちになりました。そして彼らはA級戦犯として裁かれたのです。
天皇は東京裁判で裁かれず、法的に罪を償うことはありませんでした。 しかし世界中の全ての人々によって赦されたわけではありません。
つまり、天皇は法的に罪を償わなかったかわりに、永遠に罪を背負い続けることになったともいえます。
天皇という存在は、あのときの罪を今も背負い、裁かれ続けているのです。それでもまだ、天皇を批判する声は消えることがありません。
いっそ東京裁判で裁かれていたほうが、どれほど楽だったでしょう。
天皇とは祭祀をし、民のために祈る存在でもあります。
戦争という穢れ、処罰されざる戦争責任者という罪……天皇は昭和から平成、令和と時代が変わってもこの罪咎を背負い続けています。
天皇陛下は今年も全国戦没者追悼式で「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と、今年も「深い反省」の意を述べられました。
日本国、そして日本国民の象徴として過去の罪をも一身に背負いつづける。
これも西洋の王とは違う天皇という存在のシャーマニックな役割といえるのでしょう。
No.6
- 回答日時:
その様にしようとは思っていました。
色々な回答が出ていますが、ここで活躍したのが後の首相になる吉田茂の腹心である白洲次郎さんです。
連合国司令長官マッカーサー元帥の腹心で知日派のジョセフ・クラーク・グルーに説得させられ、昭和天皇の戦争責任回避と天皇制(天皇は象徴)認めたのです。
当時、資本主義国家の盟主であるアメリカとしては、同じ戦勝国になるロシア(ソビエト連邦)や中国の共産主義国家が次なる脅威と考えていました。
その台頭を抑える為にも、日本に楔を打って友好国にしようと考えていたのです。
昭和天皇を処刑し天皇制を廃止すれば、日本国民の深い恨みをかうと考えたのです。
そうなれば日本はロシアや中国の手先となって、アメリカ(資本主義国家)に対して反乱を起こす可能性を恐れたのです。
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