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いや、違う。縄文人の末裔は今もいるわ
つまり、縄文人が最後に成した国が邪馬台国ってことですか❓
以降は大和国で弥生人ってことですか❓

A 回答 (8件)

邪馬台国と縄文人、弥生人との関係性については、現在でも様々な説があり、


明確な答えが出ていない非常に興味深いテーマです。ご質問の点について、
一つずつ詳しく見ていきましょう。

邪馬台国の卑弥呼が縄文人の最後の末裔か?

 ・直接的な証拠は無い: 卑弥呼が縄文人の末裔であることを示す直接的な
  証拠は、現時点では見つかっていません。魏志倭人伝に記されて
  いる卑弥呼の記述から、縄文人の特徴と符合する部分がある
  という説もありますが、あくまで推測の範囲です。
 ・縄文人の遺伝子が現代人にも: 縄文人の遺伝子は、現代の日本人にも
  受け継がれています。したがって、卑弥呼もその一部の遺伝子
  を持っていた可能性は十分に考えられます。

縄文人の末裔は今もいるのか?

 ・はい、います: 縄文人の遺伝子を持つ人は、現代の日本人の中に多く存在
  します。遺伝子研究が進み、縄文人の遺伝子と弥生人の遺伝子の
  割合が個人ごとに異なることが明らかになっています。
 ・縄文人の特徴を残す地域: 一部の地域では、縄文時代の文化や風習が現代
  まで残っている例もみられます。

邪馬台国が縄文人が最後に成した国か?

 ・断定は難しい: 邪馬台国が縄文人が最後に成した国であると断定すること
  は困難です。
 ・縄文文化と弥生文化の融合: 邪馬台国の時代は、縄文文化と弥生文化が
  融合し、新しい文化が形成されつつあった時期と考えられてい
  ます。卑弥呼自身も、縄文的な要素と弥生的な要素を併せ持って
  いた可能性があります。

以降は大和国で弥生人ってことか?

 ・単純な区分は難しい: 弥生時代以降も、縄文人の遺伝子を持つ人々は存在
  し続けていました。大和国が完全に弥生人の国であったというわけ
  ではありません。
 ・多様な文化の混在: 古代日本は、様々な文化が混在し、複雑な社会構造を
  持っていました。大和国も例外ではなく、縄文文化、弥生文化、
  そして大陸からの影響など、多様な要素が入り混じった文化が
  形成されていました。

まとめ

邪馬台国と縄文人、弥生人の関係性については、まだまだ解明されていない
部分が多く、様々な説が唱えられています。単純に「縄文人」や「弥生人
」といった区分で捉えるのではなく、多様な文化が複雑に絡み合いながら、
古代日本が形成されていったことを理解することが重要です。

今後の研究

DNA解析技術の発展や、新たな考古学的な発見などにより、今後さらに詳しい
ことが明らかになることが期待されます。

関連情報

 ・魏志倭人伝: 邪馬台国に関する最も古い記録の一つです。
 ・縄文時代、弥生時代: 日本の古代史における重要な時代区分です。
 ・遺伝子研究: 現代の日本人と古代人の遺伝子の関係性を解明する上で重要
  な研究分野です。

これらのキーワードを参考に、さらに詳しく調べてみるのも良いでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

よし、「誤読だらけの邪馬台国」を読んでみます
回答ありがとうございました

お礼日時:2024/10/16 09:35

はっきりいいます。

地上最初の人類発祥の地が
アフリカと決めて定説みたいになっていますが、あれは絶対嘘です。
聖書がメソポタミアというのは、そうすれば都合がいいのでしょうね。
まあ、そんなこというと、またご当地ソングというかもしれぬが、
とにかくアフリカは黒人優位のブラックパワーに踊らされている可能性大。
まあ、前にもこういうコーナー開いて反対者が多かったので
多く述べないが、私はアジア、それも日本あたりを人類発祥の聖地と
思っています。これをこの機会についでに述べたいです。
あれは偉い学者が言うからそれでいいという意味での付和雷同と断言しておきます。
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邪馬台国自体、どこにいあるかでいつ果てるともない論争続き。


立てる人は自分の好きな所というか、ああここにあったらいいなあ。
卑弥呼も歴史上の人物で誰誰ならいいなあとあれこれ説を立てて、
無理にそれに当てはめようとする。
様々な書を出して、読み進めで読者を自分の好きな地に勝手に誘導。
まあ勝手な説だらけ。読んでいて100説乱立に呆れて来る。
魏志倭人伝は所詮、魏が滅びて遡って書いた書。
いいように改竄されている可能性もある。
編者も日本に行ったことない。だから字句に惑わされて
読む人が学者なら、それに付和雷同の愚か者も多い。

邪馬台国は大和朝廷以外に答えなどあるわけないことがなぜわからぬか。いつ果てるともない論争に唱える人を馬鹿と叫びたい。

縄文人の末裔とか、弥生人どうのこうのというが、正体分かっても言わぬが花にも見えてくる。

弥生人が大和朝廷で、それに滅ぼされる方が縄文人、いわゆるアイヌ・蝦夷・熊襲とか考えたほうが分かりやすいと思う。

記紀の年数もどうせ加工年数。100歳超える天皇などいるわけない。
みな作偽された捏造歴史小説かもよ。史書のふりして
大和朝廷の陰謀の書という解釈もできる。

質問者さんもご自分で推理してみてはどうでしょうか。
自分なりの邪馬台国と卑弥呼を名推理で挑戦してみてはどうでしょう。
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この回答へのお礼

この件までは手が回りませんが誤読だらけの邪馬台国と言う本は読んで意見は述べたいと思いますね

お礼日時:2024/10/18 09:50

中華王朝の古文書に記載されているだけで、日本での記録は無く、


遺跡も見つかっていませんので、存在すら確認出来てません。

中華王朝の古文書の記載では弥生時代になります。
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この回答へのお礼

なるほど弥生時代ですか。誤読だらけの邪馬台国、本、読みごたえありそうです

お礼日時:2024/10/18 09:46

縄文人とか弥生人とか、覚えたての単語を使ってみたいだけの小学生のような質問ですねw



邪馬台国や卑弥呼が書かれているのは3世紀後半のことで、ほぼ弥生時代の終わりごろです。まずはその辺りの知識を整理したほうがよろしいのではないでしょうか。
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弥生人の末裔です


その後 中国の呉の国から
稲作を持って
三国志の時代の落ちぶれ貴族がやってきてと言われています
それが天皇家の 祖先です
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邪馬台国では稲作と養蚕をしていると魏志倭人伝に記述されているので、ほぼ100%間違いなく弥生人でしょう。


長江中下流域で発達した水田耕作技術を持った民は、稲作とセットで養蚕から絹織物も製造していました。弥生人とは、その長江中下流域を出自とし、日本に渡来した民族と考えられています。
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ちがいます。



縄文人は多数の巨大遺跡をつくっていますが、すくなくとも国家に相当するような組織はつくっていません。当然卑弥呼の時代に多数あったといわれる国家群は弥生時代になってからです。
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