「平成」を感じるもの

現代の日本文化は、外来の文化と従来から培ってきた文化が複雑に絡み合って日本独自の文化として発展したものが多いと思いますが、こういう特徴を持った日本の文化にどういうものがあるか知りたくなって質問しました。

古来の代表的なものとしては仏教伝来による神仏習合、漢字の伝来とひらがなの発明による日本の文字文化、があげられると思いますが、この他にはどんなものがあるでしょうか?

また逆に、外来の文化が日本の文化を駆逐してしまった例もあると思いますので、そういう文化についても、あれば教えてください。

質問者からの補足コメント

  • 日本の文化は、明治維新までと明治維新後で大きく変容していると思います。

    しかも、明治維新までは中国起源の文化が非常に多いのではないかと思います。回答していただいた皆さまにお礼のコメントする中で、そのことを強く感じています。

    一方、明治維新後は中国を捨てて西洋一辺倒になっており、西洋偏重と言っていいのかもしれません。
    だとしたら、№2回答の放浪者さまが気づかせてくれたように、アメリカなどから流入した文化が日本に根付いたものも多いのだろうと思いました。

      補足日時:2024/09/18 06:04
  • 私は神仏習合やかな漢字交じり文のように江戸時代までの日本の文化と新しい文化の融合にこだわっていました。

    しか、№6回答のsukoponさまの回答を見て、江戸時代までを日本独自の文化として考え、明治維新以後の西洋化の中で廃れていった日本独自の文化。
    逆に、和と洋が融合して新たな文化として発展してきたもの・・・こういう視点も大事だな、と思いました。

      補足日時:2024/09/20 00:08

A 回答 (11件中1~10件)

あんパンがそうですね


日本の餡子と海外からのパンの絶妙なコラボレーション

向こうの文化に駆逐されたものは
和服だと思います
茶道とか華道とか特殊な人たちの間にだけは継承されてますが
一般人で普段から着物着ている人は今時いませんから
服の売り場もどこ行っても洋服だらけです
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この回答へのお礼

お礼のコメント遅くなりましたが、回答ありがとうございます。
アンパンマンが子どもに人気があるのは知ってましたが、あんぱんの起源については全くしらず、ネット検索してみると、あんぱんは明治維新ごろに生まれたもので、まさにおっしゃるとおりだとビックリしました。

和服は確かに、普段の生活で着る人はほとんどいなくなったと思います。

NHKの「あの人にあいたい」という番組で 故 市田ひかりさんが、以下のような事を言っておられたのを思い出しました。
「民族衣装もやっぱり文明が運んでくる快適さの前でだんだん消えていこうとしているんですよ。人間って弱いから便利な方がいい楽な方がいいという感じで。」

「着物っていうのは日本人の文化だし、日本人が日本の文化を守らないで誰が守ってくれるのかなと思うんですよね。」

「世界中のロイヤルコスチュームで、1000年間形が変わらないロイヤルコスチューム(十二ひとえ)を持っているのは日本だけなんですよ。」

「民族衣装というのは着物も含めてその民族の固有の文化だと思う。その民族の歴史とか気候風土と関係があって出来上がった形ですからね。だから私は着物を大事にしたい。」

貴重な回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/09/19 23:54

禅と云うものを世界中に広く知らしめた人に、鈴木大拙博士と云う人が居ます。

その禅はインドが発祥の地で、中国に渡ってから大変に発達したとは、鈴木大拙博士の言葉です。

また鈴木大拙博士は、今ではインドでも中国でも絶えてしまって久しいとも云っています。今世界中でも禅が存在している国は日本だけとも云っていた様でした。

そうして精神医学と云った分野に於いての禅の位置を確かなものにした事もあったようですが。博士が亡くなってもう長い年月が過ぎました。

禅は精神衛生には良いものだと云った見解を広めた人が鈴木大拙博士のようですが、いまいち説得力に欠けていたような気が致します。

禅が精神衛生に良いと云う理由は、神経症とかノイローゼを発症する理由と関係があるからです。神経症が発症する原因と、人間が悟りを開いて死によっても覆す事のない精神的な安定とか、絶対の安心を獲得する事が関係しているからです。

恐怖症を例に挙げて説明するなら、神経症になる原因は禅に於いての『もう一つの意識=命の働き』が関係しています。自意識以外のもう一つの意識(機能)が関係しています。

この者との出会いを悟と表現しますが、この者は『人間の心に高いとか狭いとか、或いは恐いとか、恐ろしいとか、或いは強迫観念とか強迫行為とかでさえも、自意識と云う心に湧き上らせている者です。

自意識単体ではこう云った感情とか感覚とか考えは湧き上がりません。恐怖症という場合での怖いと云う風な感覚を、湧き上らせる機能を発揮して自意識に感覚と云ったものや感情と云ったものを沸き上らせる働きをしています。

こう云った者と、この者が送っている信号に恐怖する事が恐怖症と云った現象になっています。

例えば死ぬ事を想定してみて下さい、とてつもない心の闇が襲ってくると思います、その時にはとてつもない苦しみと恐怖さえも感じているかも知れません。

悟りを開く近道が『死を思う事』と云われる所以が此処に在ります。処が大変苦しんだ後で、死期が本当に迫った場合では『死を本当に心の底から受け入れる場合があります。』

つまり死の受容と云う場面です。この場合では死を怖いと思っていた自我意識に対して、恐がらせていた意識が脳梁の中で出会う事があります。

自意識がどんなに願ったとしても命の終わりが来た事を了解して観念した場合です。この場合では死に往く人が笑みを浮かべた状態で、苦しむ事も無く全てに感謝をしながら往く事が可能になります。

この時期が死が迫っていない時に起きる場合があります。それは自意識が観念をして、『自我意識を殺した時』禅で『大死一番』と云った場面です。

人間の自我意識は左脳に存在する機能です・処が右脳にも意識する事が出来る機能があります・言葉にするなら『無意識の意識』です。

命を働かせている機能です。脈拍から呼吸からホルモンの調節からあらゆる生命維持機能を一手に引き受けている機能です。

次の動画に語られている意識です。






この機能は右脳に入っている意識(機能)という訳です。

そうして人間の心(自我意識)の背後から(無意識の底から)自意識に命令を出したり、情報として恐いと云った情報と共に今現在の生きて行くための情報を送っています。

漠然とした不安と云う何処から押し寄せているのかさえも分からない情報を受け取る場合があるかも知れませんが、それが右脳からの情報です。

高いや、狭いや、鋭い刃物を見て尻のあたりががざわつくと云った情報を送っている者が右脳の機能です。

人生の最後と観念した場合では、自意識は死を受け入れますので、心が騒ぐ事が無くなっています。左右の脳にホットラインと云った回路が開通しますので、二つの意識は共に手を取り合って。あの世に旅立ってゆく事を意味します。それもとても晴れ晴れとしてです。右脳の意識は仏性と云うものですので、その姿は永遠そのものの形をしていますので、自意識は大変の喜びをもって手を繋いでいます。

死に対して恐怖に満ちた感情になっていた場合とは、大変に違っています。死を怖いものとしている時は、仏性の救いの手を遮っていた事が分かります。

この死の受容と云った態度を、死ぬとかとは関係ない時に取れた時は、先の例の様に左脳と右脳の脳梁を介した状態でホットラインが開通した事を意味しますので、生とか死に対しての態度は『自由自在になっています。』詰り生死の問題が解決した状態、という意味です。

哲学的な表現をするなら、有限の自我意識が、もう一つの永遠の命である仏性と出会う事によっての化学反応として『絶対矛盾の自己同一』と云った現象になります。

此処に於いて全ての恐怖症が完治した事を意味します。

釈迦に拠る究極的な癒しの心理学が完成した事を意味します。

鈴木大拙博士の云っていた禅を要約するならこう云った効果が全世界に普及しようとしています。
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この回答へのお礼

質問に対する回答ではないようで、質問内容のどこかの部分またはいずれかの回答に触発されて回答されたものと推測しますが、まずは質問に対して回答した後に、ご自分の主張を述べた方が良いと思います。

禅について、サクッとネット検索したところ、
文化庁編纂の宗教年間令和4年版によると、令和3年12月31日現在の仏教系信者数は46,673,793人、
禅系信者数は5,282,749人で、仏教系では浄土系、日蓮系、真言系についで第四位の信者数となっているようです。
一方、禅が身体に与える影響に着目すると、「スポーツにおける禅的思考の有効性」、「スポーツやビジネスにおける禅的思考の有効性」などがヒットします。
更に、ヨガと禅との関係性に着目すると、やはり、禅の起源はヨガのようで、ヨガ人口で検索すると、NIKKEI COMPASSの2023年6月19日版によると、6月21日は国際ヨガデーで、年に1回以上ヨガを実践するヨガ人口は1,100万人以上と記入されていました。

以上から言えることは、仏教の一派として日本に根付いた修行の禅が、現代人の心と身体の健康のために独自の歩みを続けている・・・これは文化の一つとして大きなテーマになるのかもしれないと思いました。

経験的に、死の間際にはステロイドの影響が深く関与していることを知っていますが、ここでの質問内容とは無関係ですので、ノーコメントです。

お礼日時:2024/09/25 08:56

家族でも食事は各人の御膳でしたのに、テーブルちゃぶ台になったのは西洋文化で追い出された文化ですかね。

江戸の長屋より部屋が狭いのが原因とは思えません。あとは刀の根付は工芸品として西洋に残り(作ってないので文化ではないか)評価が高くなっています。残ったのは村請で五人組の中のはたらか(け)ないものへの非難など。源泉徴収も戦時体制で復活した村請制度とも思えます。明治維新は関ケ原の恨みがでてきただけで、むしろ乙巳の変で変わったものは何かを調べるのも面白いかもしれませんね。
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この回答へのお礼

食事は御前だったというのは知りませんでした。
他はチョット難しすぎて内容そのものを理解できませんでした。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/09/23 18:27

食文化で、発祥国の人たちが首をかしげるほど和風になった物も多いですね。


・バームクーヘンなどの焼き菓子。卵サンドや明太子フランスのような調理パン

・ラーメン、焼き餃子、天津飯など中華もどき料理。
https://www.youtube.com/watch?v=0SMyiRA4xKQ

・カレーライス、また、ビーフシチューが原型と言われるものの、調味料の関係で和風になった肉じゃが
https://www.youtube.com/watch?v=AAfDaiAJwwU
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この回答へのお礼

知らないものばかりです。
最も興味を覚えたのは、大好きな肉じゃが和風になったということでした。

追加の回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/09/23 04:12

一度近所の式内式の神社などを巡って、狛犬や常夜灯をご覧ください。


日本文化と神社仏閣の存在と役目などもおぼろげながら見えてきます。

死者を司る仏閣そして生者を管理する神社、実に面白い結果が見えてきます。
また、明治維新以降に、日本の中枢に君臨する朝鮮半島出身者の存在、
世襲では片ずけられない数々、太平洋戦争の軍部との関係、知っていくと次々と興味は湧きますね。

日本の延喜式神社についても、古事記編纂の時代に建立しているので、実に面白いですよ。<http://kamnavi.jp/en/index.htm
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この回答へのお礼

追加の回答ありがとうございます。

実家には仏壇と神棚があり、親父が死んだときに神棚を白布で覆っていたので、生者を管理する神社というのはそのとおりだな、と思います。

大元の仏教は生きる者の悩みや苦しみを取り払うためであり、生者のためだったと思うのですが、仏教が死者を司るようになったのはいつごろからなんだろうと思います。

いずれにしろ大昔から、その国の文化は死者のためではなく生者のために存在したのではないかと思います。

更に詳しくありがとうございました。

お礼日時:2024/09/23 04:19

今の神社なんて、実はむちゃくちゃ混じっています。


鳥居は寺の山門、社は寺の本堂、神主は寺の住職、のまねっこです。もともとは天の岩戸の話のように、臨時に集まって、鳥居は名のとおり鶏を止まらせておくところで、社などはなく、その時だけの神主がしきって祭り事を行っていたのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

由来についても詳しくありがとうございます。

お礼日時:2024/09/19 23:56

#3です。

おれいありがとうございます。

・外国スタジアムのゴミ拾いの件は文化ではないような気がします。
東京都内の繁華街で若者が集まる場所などは、一晩でゴミだらけになりますし、地域のゴミ集積場を管理している人は大変な目にあってますので、ちょっと違うかな・・・と思います。

「文化」ですよ。
外国に行くと「常に綺麗にならない」ところがいくらでもあります。日本は住宅街でカラスがゴミをぶちまけても、必ずきれいになります。日本人は「街をきれいにしたい」という文化的欲求が強いのです。

もちろん繁華街は異なります。でも外国は「繁華街じゃなく、住宅街でも無償できれいになることはない」です



>・労働は美徳ですがボランティアではありませんので、必ず対価を伴います。それがなければ、労働とは言えません。
学校での掃除は教育のひとつと考えた方が良いと思います。

それを「教育」と見做す価値観が日本的です。世界を見ると日本と、日本の旧植民地以外は子供達が掃除することはまずありません。

つまり世界的な教育のスタンダードは「子供が学校内を掃除することを教育とは見做していない」のです。
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この回答へのお礼

追加の回答ありがとうございます。
お礼のコメントに反応するだろうな、と思ったら反応していただき、感謝、感謝です。2006年に登録して、回答一筋3万4千件以上・・・なかなかスゴイ、とビックリしました。

回答の一つについて、検証してみました。
私は世界の国々を知りませんので、学校での掃除が世界的な教育のスタンダードからかけ離れているのかどうかについて、サクッとネット検索してみたら、末尾のurlがヒットしました。

それによると、学校の掃除を専門の業者に任せている国が58.1%、児童・生徒が掃除を行う国が34.3%でした。(これは二極化していると判断するのが一般的です。)
さらに、業者に任せる費用を捻出できないために児童・生徒に実施させている国が多く、日本のように教育という視点で実施している国は少ない・・・と述べています。

また、日本の学校で児童・生徒に掃除をさせるようになった背景には、道場と仏教の影響が大きい、と結論づけています。

やはり、中国から伝来した中国仏教の影響を強く受けている・・・ということがわかりました。
そうなると、やはり文化ですね。

https://eduwell.jp/article/japan-children-cleani …

お礼日時:2024/09/18 06:01

端午の節句、子供の日。


発祥は中国です。
チマキもコイも中国からです。

そもそも暦が中国伝来なので、ひな祭り、七五三、正月、お盆など暦に基づく行事は、中国伝来の可能性があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうなんですよね、日本の伝統文化のほとんどは中国起源なのに、日本独自の文化と勘違いしている人多いと思います。

それが明治維新の時に破壊されて、コロッと西洋文化一色に変わるのも日本文化の特色と言えば特色といえるのかもしれないと思います。

スゴイ、と思ったのは、
太陰暦から太陽暦への変更で、明治5年の12月3日の次の日が明治6年の1月1日になったことでした。この時から、伝統的な日本文化の多くは廃れていく運命が始まったのかもしれないと思います。

お礼日時:2024/09/17 13:18

>外来の文化が日本の文化を駆逐してしまった例



これがほぼ無いのが日本文化の最大の特徴だと思います。なぜ「駆逐されなかったか」というと、外来民族に支配されたことがないからです。

日本に限らず、どこの国・文化でも自分達固有の文化と外来文化が接触します。そしてかなりの民族は戦争に負けて、勝った側に飲み込まれるか消滅します。

その際に民族固有の言語・宗教が駆逐される例が最も一般的で、ごく一部だけ勝った側の言語や宗教の中に痕跡を残すだけになります。

たとえばアメリカ大陸の原住民の言語はほぼ消滅しました。アメリカはネイティブアメリカンの保護区を持っていますが、メキシコから南は、原住民の言語はほぼ完全に消滅しスペイン語(ブラジルはポルトガル語)しか残っていません。

また原住民の文化的・宗教的要素もほぼキリスト教に置き換わり、たとえばメキシコの死者の日のように伝統的要素と習合して残っているだけです。

逆に日本は、日本の古来からの伝統をほぼそのまま残しています。

日本の伝統的な文化として特筆すべきものは
・皇室
日本が伝統文化を残せた最大の理由が、日本建国からの君主をそのまま維持できていることです。つまり異民族支配を受けずに、外来文化を自分達で取捨選択できたことが最大の特徴です。

・雅楽などの宮廷文化
雅楽は元々、大陸の文化ですが今でも伝えられる中国式の雅楽とは異なっています。ベトナムや中国内陸部などの様式を取り入れた独自の音楽が日本の雅楽です。
 ほかにも皇室や一部の神社などに伝えられる古来の装束・古式ほぼそのままの祭、伊勢神宮に代表される古式の建築様式や式年遷宮など、さまざまあります。

・庶民文化
ひな祭りや正月などの伝統行事、お盆などの先祖供養、家紋などの家族文化

・価値観
「ゴミ拾いは尊い」国際試合で、日本人サポーターが外国のスタジアムの観客席のゴミ拾いをしたり、選手がロッカールームを綺麗にしたりするのは、根本的には日本の「穢れ思想」が元になっている「お清め」の価値感

「労働は美徳」日本以外の国は奴隷制、それも征服した異民族を家畜同様に扱う時代が長かったので「対価がない労働は使役で搾取」だが、日本では墾田永年私財法から「自分の労働に対する対価は自分の物」なので、日本だけが「労働は美徳」という価値観をもつ。
 学校で生徒が掃除するのも日本では「美徳」だが、諸外国では「対価がないのに生徒が労働するのは搾取」と見做されることも多い
 また、日本だけやたらにブラック企業が多いのは「労働は美徳→無給で働いても君の経験として有益」という洗脳ができるからで、諸外国だと「無給=搾取」なので成り立たない。

など、日本の文化的要素はかなり根本的な部分から外国と異なっているといえます。
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この回答へのお礼

長文の回答ありがとうございます。

・皇室関連についてはノーコメントです。
・伝統行事、先祖供養などは中国起源ですね。

・外国スタジアムのゴミ拾いの件は文化ではないような気がします。
東京都内の繁華街で若者が集まる場所などは、一晩でゴミだらけになりますし、地域のゴミ集積場を管理している人は大変な目にあってますので、ちょっと違うかな・・・と思います。

・労働は美徳ですがボランティアではありませんので、必ず対価を伴います。それがなければ、労働とは言えません。
学校での掃除は教育のひとつと考えた方が良いと思います。

お礼日時:2024/09/17 13:09

クリスマスやハロウィーンなどは、日本文化じゃ〜有りませんが、浸透してますね。



しかし、柔道などは、日本の武術ですが、いまは世界大会やオリンピックでもありますね。

余談ですが、お月見(中秋の名月)やお花見(4月3日)なども、日本古来の風習ですが、これから、世界で増えるかもしれませんね。

日本人の本質は、異業種文化を軽快に取り入れるスキルの高さです、これは、
700年代に秦一族の渡来によって、日本文化の変革があるのですかね。

神社仏閣は、どこを調べても、700年代後期から建立されていることでも、
彼等が、神社を建てて、日本への異文化の侵入、キリスト教の侵入を防いだ様です。
ゆえに、キリスト教の布教は、韓国の海を少ししか渡れず、鹿児島周辺でとどまったのかな〜、バイブルと同じ役目の古事記と日本書紀は、意味が深いですね。
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この回答へのお礼

宗教行事が由来のものはいろいろとあるかもしれないと思いました。

今日は中秋の名月ですが、中国起源の季節ごとの行事は日本独自というよりも、大昔に外来文化が定着したと言えるかもしれませんね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/09/17 12:49

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