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医療関係者や知識のある方に質問したいです。

父親を昨日看取りました。

父親は50という若さでした。肝硬変になり、偶然難病にもかかってしまい、歩くことも喋ることもままならなくなりました。筋肉の病気で、腕も動かせないとの事でした。そこから肝性脳症などにもかかり、感染症にかかりで亡くなってしまいました。

下顎呼吸が始まると1〜2時間で亡くなる事が多いが、家族や、父親の方の親族が揃うまで耐えてくれ、20時間以上下顎呼吸で生き延びてくれ、医師からも奇跡に近い状態で、相当頑張ってくれていると言われ、私の父親は強いんだなと思いました。

呼吸濃度も下がり、血圧低下、心拍数もどんどん落ちていって瀕死の時に、まだ逝って欲しくないよ、もっとそばに居て欲しい。おうち帰って来て。と耳元で伝えたところ、苦しさなのか悲しさなのか、口をぎゅっと閉じ、目も閉じながら眉間に皺を寄せて涙を流しました。

大体は下顎呼吸なので、あくびのような口の動きをしながらいびきをかくように呼吸していて、その一瞬だけその顔になり、顔も穏やかになり始め、その後数分で呼吸も止まり心臓も止まりました。

他の皆からの呼びかけによって、悲しい。悔いが残ってる。という感情も少なからずあったのでしょうか。

それともただ酸素が薄れていて、心臓も止まりそうで苦しかっただけでしょうか。

意識混濁の最中は脳がほぼ機能していないので、はっきりとは分からないと言われましたが、下顎呼吸が続いていた時に、面白い思い出話を話したりすると、みんながわかるくらい少し微笑んだり表情を変えてくれました。

大声で呼びかけると目が開いて、大好きだったペットの写真や思い出の写真を見せると目で追っていたりもしていました。


医師に亡くなる前にこの状態でのことを色々聞いたのですが、脳の機能が無いので苦しいということもほぼ分からない。目も開けることがあるけど恐らく見えていないと言われましたが、私は見えていたし私たち家族が話していたことも、ぼんやりではあるが聞いていてわかっていたと思います。

担当医には恐らく分かっていない、見えていない。と言われましたが、こちらの呼び掛けなど伝わっていたと思いますか?

20歳そこらで親を亡くし、まだ気持ちの整理が着いていないため、すごく落ち込んでいます。

あの時ああしておけばよかった。あんなこと言わなければよかった。という後悔が多くて辛いです。

わだかまりがあり、もう6年以上も話してませんでしたが
入院して、6年ぶりくらいに会話をしました。

会話をしたと言ってもぎこちなく、きたよー…とだけ。
そこから家族につきそうばかりで、照れくさいのと何を話せばいいか分からず、同じ空間にいるだけでした。

最初意思混濁が始まった時は、ごめんしか出てきませんでしたが、ごめんより最後の最後はありがとうを言いたくて、ずっとありがとね…ありがとう。と沢山耳元で伝えました。

少しでもいいから伝わっていたらいいなと思います。

来週本当は在宅で介護する予定で、色々揃えていました。腹水が溜まっていたので水も禁止されて、喉も乾いていて辛いと喋れる時に話していました。

喉が渇いた。コーヒーゼリー食べたい。グミが食べたい。甘いものが欲しいとたくさん言われましたが、病院が止めているので危ないからダメだよと母が言い、時々こっそり少量のゼリーを与えていましたが、ほぼ与えませんでした。

最後くらい沢山食べたいもの、飲みたいもの飲ませてあげたかったです。

家にも返してあげたかった。ペットにも合わせてあげたかったです。ずっとお家に帰りたいと言っていたので…

本人の辛さに比べれば、私の辛さなんて大したことは無いのでしょうが、ただただ辛いです。最後伝わっていたと思いますか……。家族全員父に対してわだかまりがありましたが、最後の最後でひとつになれていたでしょうか。家族であった証を見せれたのか、どうなのか、その事がずっと心残りです。

昨日の夜からずっと涙が止まりません。

A 回答 (6件)

通夜、告別式を済まされてまだ落ち着いていない大変な時ですが、あなたや他ご家族の体調はいかがでしょうか?



大変辛い時に淡々としたコメントで失礼します。
私もあなた方ご家族の呼びかけにはある程度の理解を得て聴こえていたと読み受けてます。
私も多数の終末期の患者さんの最期に立ち会わせて頂き、病室内で遺産の話しをする家族、患者さんは亡くなってないのに亡くなった話しを堂々とする家族、患者さんの兄弟姉妹、若しくは子供たちが骨肉の争いをする光景も幾度となくありました

人間は呼吸停止直前まで意識混濁し、理解力はないと考えられているものの、耳は最後まで聴こえています。
聴力にも理解力にも個人差あるので、お父さんがどこまで理解を得て聴いていらっしゃったかは不明ですが、表情変化や流涙されていらっしゃった面から察するに、かなりはっきり伝わっていたのではないでしょうか

話しが脱線し、恐縮ですが人間は死の直前や1度心停止をして回復された人は、私達が理解できないような不思議な現象を味わう人もいます。
あなたのお父さんは亡くなる直前、どのような世界であったか不明ですが、
私が若手時代、高齢の女性患者さんが天井を指し、お花畑が見える。と言ったのです。明らかな認知症ではなかったですが、明確なコミュニケーションがとれない方だったので私たち医療スタッフは笑顔で聞き流してましたが、その2日後、その患者さんの状態が急変して本当に亡くなってしまいました
少し驚く不思議な話でした

ほとんどの人がお元気でいらっしゃるご家族やまだ若い身内にあと何回会えて、いつまで話しができるか?なんて深く考えないですよね
あなたはお父さんがこれからもまだ長生きして、いつでも会えると当たり前の存在に思っていた結果が現在に繋がったのでしょうか?

人は最期に居たい場所は選べる場合はありますが、亡くなる理由や時期を選べません。
できる事と言えば、亡くなる前は最大限に苦痛を除去して、その人らしい安楽な最期の生活を目いっぱい援助する事でしょう。

人生で1、2の辛い経験になったと思うのですが、身近な人を亡くされたお気持ちはもず野さんが1番よく理解できるお立場になりましたね。
ネガティブな経験ですが、立派な経験値アップです。今後はより一層大切な人達をたいせつにできるのではないですか

お父さんも最後にご自宅で過ごす事は叶わなかったものの、あなたのお気持ちが聞けた分、満足されてあちらの世界へ逝かれたでしょう。
産まれてからずっとお父さんに育てて来てもらった分、成長して生きている姿を見せて安心させてあげて下さい。お父さんはあなたが産まれて本当に嬉しかったし、楽しかったはずです。これからは供養できちんとお父さんのお世話ができますよね。
夢の中ならいつでも会えますよ

今すぐお気持ちを切り替えて下さいとは言えませんが、泣きたいだけ泣いたらまた新しい生活が始まります。
お父さんとの生活が思い出に変わったら、気持ちを前向きに新たなスタートを切って下さい
お父さんはきっとご家族がこれからも元気に幸せで生きてくれることを願っているでしょう。いつかまた会えたら、親子の談話、晩酌、ドライブでも共にして下さい
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人間の身体は実に不思議なところが有り、医学的には説明が出来無


いような事も、現実に起きる事も間々あります。

臨床医学的には、人間は意識が無い状況でも、死ぬ直前までは聴力
は残存しており、家族の話し掛けに答える事は出来なくても、ちゃ
んと聞こえていると言います。

例え、脳死状態でも、死戦期呼吸で脳の一部しか機能していなくて
も、患者は、家族の呼びかけに何らかのアクションを返す事も珍し
くありません。

私は、幾度と無く看取りを行って来ましたが、もう反応出来る状態
では無い患者さんが、家族の呼びかけには眼球が動いたり、唇が動
いたりする場面を幾度と無く見て来ました。

それは医師曰わく、身体の無意識下の筋肉反応だから呼びかけに答
えてる訳ではないと言いますが、私は、そうでは無いと思っていま
す。

なぜなら、私達、医療従事者の呼び掛けには全く無反応だったにも
関わらず、ご家族の呼び掛けのみに反応をするのですから、、。

そう言う経験から、お父さんもきっと、貴方の言うことはちゃんと
聞こえていたと思います。

それで、何とかその声に反応しようと、残った脳の機能で、答えて
いたのだと思います。

お父さんは、亡くなる直前に貴方をはじめご家族に、感謝の気持ち
を伝える事が出来た事で、もう何も思い残す事なく、幸せな気持ち
で旅立つ事が出来たと思います。
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私とほとんど年齢が変わんないんですが、それまでの50年間でまぁいままで大量に食べてきたものだからいいのかなとは思いますよ。


向こうの世界で食べるでしょう。
あと、亡くなったら実際の話、いろんなところに出没するのでそれは心配はいりません。>家・勤務先など
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50という年令はわしが仕事で政治活動をしている時です


突然脳出血で全日本脳膜炎を発症して寝た切りになり
政治家の夢も絶たれてしまいストレッチャー移動の生活を
余技なくされました
今や飯を食うのも不自由な始末はまったくザマー無く耐えられません
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働き過ぎの心筋梗塞。

7歳で、母子家庭になった、俺より数段、まし。
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そんな悲しむと父は悲しむよ。

俺はステージⅣの時に家族に遺書を書いたが、「葬式の次の日には笑え」と書いたわ。空で見てるで、その後の君達。俺のせいで子どもが何もしなくなったら、あの世で死んだ事自体を後悔するだろうな。その時に考えうるできることはしたんだ。自信持て。
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