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自分の息子が「大学の友達のお父さんめちゃフレンドリーな人で家族とは何か?
父親としてあるべき姿、家族を大事にできない男は嫌い、フレンドリーになった方が絶対人生楽しい、堅苦しい親になると人生は損、家族には仕事の話をしないのがポリシー、
いい親父でないと他人に顔向け出来ない、
自慢じゃないけど家族に出ていけとか一回も行ったことない、君たちの親は人間的に出来上がってますか?」て言われたって言ってきたらどう思いますか? 息子は「カッコよくて俺の目指す親父像、良い親父の為のノウハウを教わりたい、家族に出てけって言わない
親父理想過ぎる、一生ついていきたい、俺の身体に電気が走った、男前さに痺れた」て言ってるとします!
その友達のお父さんはDENSO勤めで高卒で入って勉強をしてDENSOはエンジニアをしている人です

A 回答 (2件)

家族を大切にするのは大切です。


当たり前。

しかし、フレンドリーな父親
てのは賛同出来ません。

嫌われるのが父親の役目だと
考えています。

子が、社会に出てもやっていけるだけの
モノを与えるのが父親の役目です。

そのためには、嫌われても
仕方が無い。

フレンドリーな父親で
果たして、子供のメンタルは
どう育つか。

タフさに欠けることにならないか。

少しのことで、つまづいて
ニートになったりしないか。


その父親は、子に嫌われることを
怖れているように見えます。
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スタイルに関しては色々あると思いますが、一番注意しないと行けないのは「この父親は弱い」と子供が落胆する時期があるという事ではないでしょうか。

一方で「自分のお父さんは強いのだ」と自慢をする時期があるものです。ですので子供にとって(先ほどの理想像)は、当たり前の事と捉え、何のアピールにもならないと冷静に受け止めるべきです。

以下は長いので、暇つぶし程度にでも読んでください。

子供は父親が強い男なのか否かが気になるんですよ。厳しい父だと不評でも「この父は強い」と子供が確信しているなら、それは成功しているのだと思います。しかし「この父親からは学ぶことが無い」と子供が諦めたのなら、「俺は父親の理想像を頑張ったのに」と言っても笑われるだけですよ。

「厳しい上に弱い俺の親父。単なるDV野郎だ」

「うちの父は優しいんだけど、逃げるんだよね。そういう
 のもイラって来る。無理に父親演じているみたいで偽物
 感がすごい」

「うちの親父は、自分でもできそうな父親像を真似る馬鹿
 な親がいるって、昔から言ってたよ。結局は、自分の強
 さしか意味が無いんだから諦めろって言ってた」

男親と言うのは「子共に侮られる父」にならないようにと心配し、どうすれば「強さを維持できるのか?」具体的なノウハウを教える物じゃないですか? そこに礼儀や優しさが含まれるなら意味も分かります。しかし、子供の機嫌を取って生きるやり方を教えてしまえば「話を聞くだけ無駄な大人」と子供の方から引導を渡されますよ。

「分かったから。父さんは黙ってて。今大事な人の話を聞
 いてるんだから」

「しゅーん」

例えば? ガチの競争をして苦戦をしたとき。逆境に陥った時。逆に上手くいきすぎてイイ気になっている時。そんな時に「どこから逆転を狙うのか?」「どうして今反省すべきなのか?」タイミングを計って印象付けるものです。このタイミングを見逃せば、父親として側にいても意味が無いんです。

「子供と言うのは親が助けられないガチの勝負がいずれ来
 ると知っている。それを闇雲に怖がっており、強がって
 いるのだ。そこを汲み取ってやり方を教えられる事が一
 番重要ではないのか?」

親自体が知らない事は教えられませんけどね。

私たちが大人になって自立できるのは「こんな時、親がこうしてくれた」と言う記憶がよみがえるからです。逆境に陥った時、怖すぎて逃げる人は、親が戦い方を教えていなかったというだけです。

また、本当に苦しい時に父親に甘えられなかった人は「世間に出ても同じように年上に甘えられない」わけです。なので厳しいだけではノウハウの伝授にはなりません。「限界を超えていそうだ」と思ったら「存分に褒めて甘やかす」事も大事でしょう。逆に「いつでも甘えればよいのだ」と間違ったことを覚えない様に「普段は厳しく接する」と言うのもアリです。

「甘えるタイミングをどうやって教えるかだよなあ」

でまあ、普通の父親は「俺の親は・・・」「うちの子供頃の先生が良く言っていたのは・・・」という前置きをして、「お前もそんな大人になるなよ?」みたいな教育論を(相手が子供であるのに)話すもんですよ。

ソウイウのをしていればスタイルはどうでも良いと思います。

「お前らみたいな〇〇が大人になって子供に教えるから、
 お前らみたいな〇〇ばっかりになるんだよなあ。と良く
 うちの先生が言ってたなあ」

この話を年配の人に話すと爆笑されます。つまり、どこのご家庭でもこの話はされていたという事です。笑えますね。

しかし、

「うちの親はそんなこと言ってませんでした」

と言うだけで、子供に欠陥が生じているという事です。そんな人が「父親の理想像を語った」となれば、如何なものか?と私は思います。

ノウハウは大昔から家系の中で伝授されてきたものです。個人が「いまさら考え出すもの」ではないでしょう。そんなナンチャッテを教えたらご先祖様に申し訳ないでしょう。何ために命をつないだのか?と笑われますよ。

やっぱり思い付きで子供を育てるのだけは不味いでしょう。子供は玩具でもペットでもありません。自分の信条は捨てて「これがいいらしい?」と言うのを、親の教えの中から探して受け継ぐものだと思います。

「俺は、確かにお前が危惧しているように、実は弱い大人な
 んだよ。しかし、この教えは、お前の爺さんが教えてくれ
 たものだ。俺は採用しなかったが。爺さんは俺とは違って
 強かったよ。でまあ。だからね。俺のオリジナルの教えと、
 爺さんの教えと両方教えるから、好きな方を選びなさい」

「父さんは好きだけど。爺さんの方でお願いします」

こんなもんでしょう。自分に夢を持ちすぎる人は父親になれないと思います。自分の人生と「子供への教え」は分けて取り扱うのが最低限の話ですよ。なので息子さんが何に夢中になろうとも「教えるべきこと」だけは、伝えておくべきでしょう。後は知らないでOKではないですかね。それだけで立派な親であると思います。

「お前はダメ人間になったが。お前の息子まで巻き込んでは
 行かんだろ。なので、お前が採用しなかった『この教え』
 は最低限伝えておきなさい。お前の我を通してはいけない」

うちの父は弱かったですが、「俺のオリジナルではないが」的な前置きをしながら、爺様の教えを伝授してくれました。それだけでは足りないとして、叔父(父親の兄。長男)に預けて、教えを乞うようにと(幼少の頃。3歳くらいだった気がします)。私を諭しました。数日間であったと思いますが、私は見違えるようになりました。(神経質すぎて線が弱かった。それが叔父と数日間一緒に過ごしただけで治ってしまった)。

自分を殺して、もっとも良さそうな武器を探して与える。これが真の愛です。何が何でも「自分が作ったものを受け取らせようとする」のは親として恥ずかしい行為でしょう。愛情のかけらもない。

そこさえ間違っていなければ立派な親だと思います。殆どの毒親は「自分のオリジナルを子供に刷り込む」ことを生き甲斐にしています。子供は世間で通用する武器が欲しいだけなのに、迷惑ですよね。

他の家の子供が「アリストテレスがアレキサンダー大王に教えていた話」を父親から教わっているのに、自分の父親は「その辺の人から聞いた話」を教えていたとなれば、子供は被害者でしょう。そこまで考えれば「その話をうのみにして、興奮する父親が、理想的な父親像」なのか誰であっても分かるはずです。

以上、ご参考になれば。
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