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なぜ日本は、満州鉄道を作ったのに北京・朝鮮と日本を結ぶ鉄道は作らなかったのですか?対馬海峡は浅いので、海底トンネルの建設は可能だったと思いますが?
釜山から対馬までは海底トンネルで
対馬と壱岐は橋で福岡まで行けたと思いますが?、もしこれが完成してたら東京発の新幹線が北京行になってたのに

質問者からの補足コメント

  • 不可能ということはないでしょう、たった200キロしか離れてなく、途中に大きい島が二つもあるのに?
    国が、国家戦略として莫大な資金をつぎ込めばできてたはずです。

      補足日時:2025/01/29 23:24
  • 1930〜40年では既に技術的に可能だと思いますよ。実際そういう計画があったのだから

      補足日時:2025/01/29 23:30
  • そもそも1964年に新幹線ができた理由は戦
    前に大陸と繋げる計画があってできたのですよ。

      補足日時:2025/01/29 23:41
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A 回答 (5件)

日本と朝鮮半島を結ぶ、日朝海底トンネルの構想は確かに戦前からありました。

 九州と朝鮮半島を結ぶトンネルを掘る構想の原点は、1930年代に立てられた「大東亜縦貫鉄道構想」でした。 これは当時日本領であった朝鮮半島の南端の釜山府(現・釜山)を起点とし、京城府(現・ソウル)を経て安東(現・丹東)から当時の満洲国領内へ入り、奉天(現・瀋陽)を経由して中華民国領内に入り、北京、南京、桂林を経て、ハノイ、サイゴン(現・ホーチミン)、プノンペン、バンコク、マレー半島を通りシンガポールに至る約10,000 kmの路線を建設する構想でした。

さらに1940年代に東京 - 下関間を結ぶ弾丸列車計画(新幹線計画の前身)が立てられた後、1942年には「東亜交通学会」が設立され、日本本土(内地)から壱岐、対馬を経て釜山へ至る海底トンネルを建設し、上記の大東亜縦貫鉄道と結んで東京 - 昭南(シンガポール)間を弾丸列車で結ぶ構想が立てられました。 当然、日本には日朝海底トンネルを作る技術があることが前提でした。

日本本土側の起点は下関、博多、呼子(現・唐津市)などが考えられていました。 なお、1942年4月に満鉄東京支社調査室が作成した報告書「大東亜縦貫鉄道ニ就テ」では、日本側の起点を下関としています。

実現に向けて対馬や壱岐でボーリング調査などが実施されましたが、これらの計画は第二次世界大戦の終戦によりすべて頓挫しました。 言うまでもなく、敗戦により日本の経済は破綻するとともに、国自体がGHQに支配され、独自に日朝海底トンネルを建設するどころじゃなくなってしまったからです。 

ところが、1980年代に入ってから、統一教会が日韓海底トンネルの建設計画をぶち上げるとともに、日韓両国政府も度々日韓海底トンネル建設についての協議を重ねました。 1980年に大林組が発表したユーラシア・ドライブウェイ構想では、東松浦半島から壱岐まではこの海域に点在する加部島、加唐島、名島を結ぶ吊り橋と斜張橋を連続して建設し、総延長32 kmの橋で渡り、壱岐から対馬までは青函トンネルと同様に60 kmの海底トンネルを掘削して対馬の南端に上陸する。対馬島内は地上を縦断するというものでした。 
 対馬から釜山までの朝鮮海峡(対馬海峡西水道)は最大水深が220 mの対馬トラフと呼ばれる海底断層帯が存在する上に地盤が軟弱であるため、海底に支持架を建設して円筒形のトンネルユニットを据え付ける海中トンネルを構想していました。 なお、このトンネルは水深50 mに設置するとしていました。 

しかし、最終的には、2011年1月、韓国国土海洋部が日韓海底トンネルの利便性とコストを比較(B/C比)し、その妥当性に関する韓国交通研究院の調査を受けて、経済性がないとの結果を明らかにして、日韓海底トンネル構想は幕を閉じたのです。 

因みに、日本は日露戦争の勝利でロシアから譲り受けた鉄道を運営する満州鉄道(正しくは「南満洲鉄道株式会社」)を作っただけで、鉄道自体はロシアが作りました。

日露戦争の勝利後、1905年(明治38年)9月に締結されたポーツマス条約によって、ロシア帝国から大日本帝国に譲渡された東清鉄道(中東鉄道)南満洲支線(長春・旅順間鉄道)約764キロメートルとそれを含む鉄道事業(当初の総延長約1,100キロメートル)および付属事業を経営する目的で作られたのが、南満州鉄道株式会社です。
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それは計画というよりは構想でしょうね。



構想だけなら日本の高層ビルは世界一ですよ。東京バベルタワーとかは高さ一万メートル。
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画像もあったので。

「なぜ日本は、満州鉄道を作ったのに北京・朝」の回答画像3
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奉天から北京までの鉄道はすでに清が建設していましたので、満鉄はハルピンから奉天を経て大連まで繋げば良かったのです。

また、朝鮮にも繋がっています。
当時の物資運搬は船が主力ですから、最短の大きな港湾都市である大連の方が主要幹線になったのです。
対馬海峡トンネルは、当時の技術ではほぼ不可能です。
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戦時中にようやく開通したのが関門トンネルだよ。


トンネル長はたかだか3.6㎞。
その程度の技術力しかなかった時代、しかも戦時中という
時代に、どうやって青函トンネルよりも長いトンネルを
掘れる技術とお金があったとお考え???
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