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6歳か7歳の頃、朝起きるともうすでに楽しくて、今日はどんな1日になるだろうと ワクワクワクワクして、けだるそうに起きてくる兄弟たちをなんでだろうなと思ってました。
どんな出会いがあるだろう だとか、今日は学校に行って何しようだとか、どんな発見があるだろう だとか、とにかく その1日に起きる 未来の出来事にものすごい可能性を感じていて、早く起きて早く今日1日を始めたいという気持ちでいっぱいでした。


しかし だんだんだんだん 年をとってくるにつれ、小学校高学年になった頃はすでに、どこか日々の生活に絶望して、朝起きても気分が優れなかったり、ドーンと重い気持ちになったり、6歳 7歳の頃に感じていたあの未来への可能性が失われてきました。

詳しくは書きませんが、家庭の環境が大きく変化したことのあったと思います。

中学 ぐらいは、ニュートラルに感じていて、未来への大きな可能性も感じませんでしたが、現実と折り合いをつけて、非常に大きな 絶望も感じませんでした。

高校はすごく楽しい日々を過ごしていて、思春期特有の箸が転んでも笑ってしまうというような日々だったと思います。

大学に入り、学校から解放され、ようやく自由になったなと実感するようになりました。


ここまではなんとなく 希望に満ちた日々だったんですが、

社会人になってからは嫌なことも多くて、現実に可能性や未来に希望を持てなくなってきて、6歳 7歳の頃に感じていた わくわくするような1日を楽しみに思う気持ちなんてとっくに 失われてしまいました。

どうやってお金を稼いで、どうやって 衣食住をたらしめて、簡単にまとめると どう生活していくか ということを考える あるいは 行動することに精一杯で、幼少期に感じていた今日はどんな1日なんだろう、今日は何が起きるんだろう、今日はどんな素敵なことが待ってるんだろうというような期待や希望で胸がときめくようなことがなくなりました。


子供達って見ていると、ただ歩いてるだけでも楽しそうで、大いに笑って、駆け回ったり、スキップしたり、僕に限らず 子供達 っていうのは 幼少期 っていうのは胸にいっぱいいい輝きを抱いて過ごしているのかな とも思います。

おじいさんおばあさんたちと話していると、海千山千で、現実を色々 対処してきた人たちでまあ 老獪でもあるんですけど、子供のような 無邪気な この世界に対する期待 みたいなものはとっくに 失われてるのを感じ取ることがあります。

政治活動 なんかしているお年寄りは、もう社会に対する不満を抱えまくって生きていて、という話はいいにして。

僕はもう結構いい中年になっていますが、子供の頃のあのわくわくした気持ちは 思い出すことはできますが、日々の中で新たにそれを感じることはほとんどありません。

毎日 淡々と生きていて、それでも与えられる新たな出会いや、小さな発見に感謝しています。

子供ってのは まだ世界のことをなーんにも知らないので、見るもの全てに可能性を感じるんじゃないかと思います。

長く生きてくると世界のことを少しずつ 知っていくし、現実の厳しさも分かってくるし、そして自分の人生の先が見えてきます。

あー憧れていたような夢 描いていたような人生じゃないんだな ということに気づいたり、ほんの一握りの人だけが、社会全体からものすごく 賞賛を受けるような脚光を浴びるんだな だとか、まあ 自分の実力も痛いほど分かってきて、あるいは 脚光の向こう側にいる立場になったこともあって、あー 脚光を浴びる方の気持ちも少しわかってきただとか、子供達がいまだ見ぬ世界というものを通り過ぎてきて、それが過去になってきて、そうすれば自然とワクワクする気持ちが失われてしまっても当たり前のことなのかと思います。


これを読んでる人たちには人生のステージ それぞれ 立っていると思うんですけど、日々始まる世界に対して大きな希望や期待を持っていますか?

現実に押しつぶされてしまいそうな時ありますか?

大人になってからでも子供の頃 抱いたような世界に対するワクワクした気持ち持つことはできますか?

皆さんの感じるところを教えてください。

A 回答 (7件)

私はワクワクしてます。



ワクワクというのは、やったことのないことをやるときや、できなかったことができるようになったときに発生すると思います。
これを挑戦と呼びましょうか。

小さい頃というのは、常に成長し続けているため、今日できなくても明日できるという体験を毎日しています。
だからこそ、限界というものは感じず、常に挑戦の毎日です。
だから楽しかったのです。

しかし、成長すると、自分で自分の限界を作ってしまい、その外側に出なくなります。
要するに、挑戦しなくなります。
挑戦しないということは、何も成長しないということであり、何なら老化や運動不足により衰退しているということです。
毎日やる仕事については、成長しているのかもしれませんが、実感できなければ成長しないのと同じです。
これではワクワクするのは無理です。

なので、自分が好きなことや得意なことで良いので、なにかに挑戦することが重要だと思います。

私は自分の成長が目で見えるものが好きです。
なので、時間を測るとか、ものを作るといったことでワクワクします。
成長が目で見えるということなので、もしかすると、資格取得もハマるかもしれません。
そのようなこだわりがない人であれば、料理や絵画、習字や裁縫といったものでも良いと思います。

しかし、大人は様々な理由をつけて挑戦を避けようとします。
この言い訳が自分で作った限界です。
多いのは「時間がないから」とか「お金がないから」です。
時間がなければ作りましょう。
お金がないならお金がかからない方法でやりましょう。

子供の頃にあって、大人になってなくなったのは時間だけです。
その時間ですらも、子どもとは違い自由に自分で管理できるのです。
できない言い訳は必要ありません。
やる方法を考えましょう。




植松努というおじさんがいます。
私は、この人の考え方を知り、知る前よりもワクワクすることが増えました。
https://www.musikerkreis.com/blog/1650
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なかなかな


長文ですね。

もしかしたら一番かも。
私が今まで読んだ質問の中で。 (まだ読んでませんが。
どのくらいの
長さか確認しただけです。)
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>日々始まる世界に対して大きな希望や期待を持っていますか?


✡はい、大きな希望ではなく小さな希望は有ります、今日も健康に
過ごせればいいというものです

>現実に押しつぶされてしまいそうな時ありますか?
✡それは無い、有ったとしても直に受けとめる。

>ワクワクした気持ち持つことはできますか?
✡わくわくは無いけど、今日も元気に生きたいただそれだけよ。
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仰る通りですね。


私の孫たちもまだ小学低学年ですが、毎日が楽しい時期です。
寝るのも惜しいという位、日々を楽しんでいます。

私は家庭の事情が大きくてか、子供らしい生活を送っては来れませんでした。
これは人間形成に大きく影響していたようですが、
私も今は70になりました。
65で退職して、「子供の頃の夢」「実現できなかった夢」を叶えたくなりました。
子供の頃は「ツリーハウス」や「ログハウス」を持つ事に憧れていたんです。
自宅の真横に高圧鉄塔が建っていたのですが、鉄塔が解体されて空地になっていました。それから工務店の廃業された方から、足場用の檜の丸太を160本頂ける話になり、「この空地にログハウスを建てる」という構想を持ち、敷地を購入しました。
かみさんは「ログハウスなんて建てたことあるの!!」と大反対でしたが、
押し切りました。
ただ、構造計算をしていくと、丸太が細くて「倒壊する」という計算結果になり、ログはあきらめざるを得なくなりました。
ログがダメなら、「ツリーハウス」。ツリーは無いので、「展望デッキ」を建てようと構想を変更しました。

途中は省略しますが、「展望デッキ」建てましたよ。
私は「秘密基地」と呼んでいますが、
私の子供の頃の夢を、65過ぎてから実現できました。
ブログにしていますので、宜しければお立ち寄りください。
https://ogi-3.muragon.com/entry/126.html

現実に社会の中で生きていくためには子供ではいられません。
しかし、チャンスがあれば、子供の頃に戻れるんですね。
孫たちも喜んでくれて、ここで遊んでくれます。

しかし秘密基地は完成してしまったので、今はやる事が有りません。
ここで毎朝モーニングコーヒーを楽しむ程度です。
またチャンスを見つけて、童心に戻って取り組めるような遊びを探しているところです。
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子供の頃は小さい頃ほど、自分がやりたいことの具体性も出来ることの実用性も曖昧で、何にしろ自分の望み通りではない状態でしたので、不安ばかりでしたよ。

朝起きて、こんなに広い世界のちっぽけな自分は無事でいられるのだろうか?死んでしまわないか?ちゃんと大人になれるのかな?と。

歳を経るにつけ、多少は自分が望むことの具体性と実用性が伴ってきたので、小さい頃の自分に「大丈夫だよ、お前なかなかやるからな。頑張れよ。」って感じですよね。

子供の頃の思い出が輝かしい人って、努力ってもの必要とせずに子供時代が過ぎてしまった人なんだろうな、と思ってしまいますのね。

子供と大人を比べたら、大人の方が自由に決まってるじやん?子供と大人を比べたら、大人の方が出来ることが多いに決まってるじゃん?可能性があるに決まってるよね。

何で、子供の頃の方が輝いているんだろ?
人に与えられたものだけを貪るだけの毎日が、そんなに楽しい日々だったの?って思います。
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平均的に感じますよ。


本当に平均。
10年単位のダレる時期はありますよ。
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年を重ねても新しい発見はあると思います。


毎日歩いている道に去年はなかった花が咲いていたり、今年の桜は早く咲いたとか。
能登の復興の雨は妨げになるけれど山火事の雨は恵みになるとか。
初めて行った場所の感動など、年を重ねても知らない事だらけです。
同じ歴史本を10冊読んでみると書く人により違ったり、別の歴史観を教わったり、長い間の知識がなければ政治も批判できないと思うけど。
子供は何も考えていないから無邪気ですよ。
お幸せに。
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