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戦国最強は今川氏真ではありませんか?今川義元が継がことなく氏真がその時継いでいたら天下は今川のものになっていたと思いませんか?義元は武田と北条と同盟を結びました。しかし氏真なら同盟など結ばず『2人まとめてかかってこい』といい武田北条と同時に戦います。2倍近い軍勢でしたが氏真の天才的戦術はより武田北条は滅亡。その後氏真は半年で関東と信濃を制圧。そのまま東に向かいまとまっていない東北を一年半で制圧。今川は東日本一体を支配下に置く。その後尾張に攻め込む。義元を囮に桶狭間の戦いを起こさせその隙に背後から信長を攻撃し、打ち取り、四日で尾張制覇。今度は斎藤道三。斎藤道三は知恵あるマムシを指揮して戦うが、氏真の天才的戦術の前に敗退。二日で美濃を支配下に置く。その後に火は西へと攻め、足利将軍を攻める。その時謀神毛利元就、鬼若子長宗我部元親、大友、龍造寺、島津と合流。毛利元就は天才的謀略で敵の戦力を半減。長宗我部元親は鬼を雇い鬼の軍勢で闘う。そして今川軍150000対反今川軍30000の戦いになるが、戦争の天才今川氏真は2年かけてこれを見事に撃破。1540年、これにより今川氏真は天下を取ったのであった

質問者からの補足コメント

  • みなさんどう思いますか?

      補足日時:2025/03/30 09:40

A 回答 (5件)

今川義元が家督争いで勝って相続した時には迄氏真は産まれてないので不可能です…。


氏真が生まれたのが1538年なので2歳で天下統一になっちゃいますね…
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この回答へのお礼

子、これは素晴らしいツッコミです\(//∇//)\

お礼日時:2025/03/31 08:58

氏真の父義元が(その兄)氏照の急死によって、今川家の家督を継いだのが天文5年、氏真が生まれたのは天文7年


つまり、義元が当主になった後に氏真は誕生したのですから、氏真が父義元を飛び越えて家督を相続することはできませんでした…

そして、氏真は桶狭間で義元が討たれたことにより家督相続後、武田信玄と徳川家康の連合軍に同時に攻め込まれて所領を全て奪われてしまいます
この点を見ても、氏真の力量では
おっしゃるような2つの大名、武田と北条を同時に敵にまわしてそれを破ると言う事はちょっと想像し難い事だと思われます…

しかしながら、そこから、徳川に対する恨みは捨てて、徳川の天下となった江戸時代には「高家」と言う待遇で今川家は復活・生き残りましたから
戦国の世で家を絶やさず後世に繋いだと言う点を見れば、氏真公は相当偉い人物であったんだなと思ってしまいます
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ただ、戦国最強と言うのは個人であれば可能性はないとも言えません。


塚原卜伝から皆伝を受けてますし、かなり強かったと思われます。
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この回答へのお礼

確かに。忘れてました。物凄い強い男かもしれません

お礼日時:2025/03/31 09:03

「継がことなく」とは?

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この回答へのお礼

あー、間違えたー(ToT)がお

お礼日時:2025/03/30 22:10

でも、そうなっていなかったんだから


その答えは歴史が出しています。
どんな「たられば」を持ち込んでも歴史は変わりません。
せいぜい歴史小説や時代小説で活躍してもらいましょう。
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この回答へのお礼

お、面白い・・・

お礼日時:2025/03/30 10:01

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