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この質問があまりにも漠然とし過ぎて、答えようもないということは分かっているのですが、それでもなにかむりやり平均化するとあきらかに昔と今は違うと言えることがあるのではないかという気がします。私には気がするだけでそれが具体的にどうなのかはわからないから質問してます。

聞きたいのは、文化的社会的背景が違って育ったからその影響による知識や性格の違いでなく、もっと基本的に気質的な差のことです。しかしこれも、そんなのは地域によってもあるいは小学校から受験して私立に行った子と普通小学校に入った子の違いがもともとあるのは分かっています。それらを無理やり平均化すると、今と昔ではどういう性質の差があるのでしょうか?

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A 回答 (14件中1~10件)

平然と体罰を行う馬鹿教師がいた。


あの時代に来て損をした感じである。


いじめも多きあり、教師の影響も大きい。

いじめっ子は努めて不幸に生きる義務を有すると思いたい。
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体罰ありましたね。

自分が小学生だったのは40年ほど前ですが、朝礼時ふざけていたら、後でサッカー部の顧問(当時自分はサッカー部に所属していた)に呼び出されて、「先生は情けないよ」と、張り手でぶん殴られたのを覚えています。
別の先生ですが、兄の担任だった先生は子供をバンバン殴っていました。酷いときには子供の顔を蹴って目を怪我した子供もいました。全国クラスのサッカークラブのコーチだった先生で、数十年後にお会いした時に当時の思い出を話したら「いやー、今だったら許されないよな」と苦笑いしておられました。
いつからか、体罰は暴力になりましたね。

自分は親からも、兄ほどではないものの、げんこつ喰らってましたが、自分の子供に手を上げることは一度もなかったですね。その必要もなかったというか、最近のこどもは悪いことしないんですよ。
親の金を盗まないし、中高生でタバコ酒麻雀をやらないし、喧嘩もしない。女子更衣室をのぞいたりもしないし。ゲーセンでカツアゲされたりもしない。

とはいえ、経験することの違いこそあれ、本質的には大して違わないと思います。同じですよ。今の子だって川行って遊べば楽しい。保護者同伴じゃないと川遊びもできないんですけどね。
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#8です。

お礼ありがとうございます。

>あなたは親として体罰を行う権利がある。またその方がより躾の行き届いた子供になると思う

質問者様は「そもそもなぜ親(保護者)に体罰を与える権限があるのか?」をご存じないように思います。

それは「監督権限」があるからで、ほとんどの国で「保護者として被保護者(場合によっては妻や奴隷も含む)に対して全面的な監護義務を持つ者は同時、被保護者に対して刑罰を与える権限を有する」とされていました。

だから西洋でもアジアのほとんどの地域でも「子供や妻が悪いことをしたら、処刑しても罪に問われなかった」のです。

その代わり、保護者は「被保護者が社会的に悪いことをした時にきちんと処罰しないなら、その代わりに保護者が処罰を受ける」ものでした。
権利と義務は常に一体です。

教師は、特にサラリーマン教師は保護者にはなりえません。かれらは単に「学校で教育を行う講師」にすぎないからです。教師には《子供が社会的に悪いことをしたときに罰を与える義務》はないし、もちろん権利もありません。

ただし昔は「学校自治」という自治権が学校にあったと考えられていました。法律で明文化はされていませんでしたが《学校は未熟な子供たちを大人に導く施設だから、社会的な問題を起こしても、学校が引き取り指導する前提で社会的な責任を負う》というものです。

だから体罰を与えるのは「学校」であって、個々人の教師ではありません。
ここを勘違いしている人が多いのが、体罰問題の理解を妨げています。

学校自治が認められる場合、たとえば刑法犯罪を犯した未成年者が警察に補導されても、教師が「学校で教育します」と釈放させることができました。これはむしろ保護者よりも学校だからできたのです。

この議論は校内暴力が社会問題になった1980年代初頭に議論され、結果的に「手に負えない生徒が校内暴力を行う場合、警察権を導入する」ということになりました。これにより《学校自治》という概念は崩壊したのです。

したがって、今のサラリーマン教師が体罰を行うのは(学校自治がない以上)法律違反であり刑法犯です。
 
教師がサラリーマン化した現在と、まだうっすらと《学校自治》の概念が残っていた50年前では、子供達よりも「子供に対応する大人たちの意識」が違っていました。
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文明のずれ。

携帯電話・パソコン・インターネットのない時代。
ダイレクトメールの時代。もう死んだ人もいる。

過去にタイムマシンで過去に行って携帯電話の番号聞けという人居たが、そんな物は発明されていない時代ですね。
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この回答へのお礼

ダイレクトメールはまだ来ますよ。

お礼日時:2025/06/07 21:07

聞きたいね。

神武天皇は架空にされたなあ。
まじめに信じる人は馬鹿だと歴史家教師が叫んでいた。
でも外れていたのだろうね。
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この回答へのお礼

古事記を信じるかどうかですよね。

お礼日時:2025/06/07 21:06

私が小学生だったのは、昭和20年代の終わりの頃から昭和30年代の半ばあたりまでですが…。



放課後は遊び回っていました。宿題はあったかも知れませんが、やったという記憶はありません。

塾なんてなかったし、白黒TVも家に入って来たのは昭和30年代半ばでしたので、それを見るということもほとんどありませんでした。お好みの放送時間になると、真空管ラジオの前にへばりついて、「お父さんはお人好し」や「赤胴鈴之助」を妹と熱心に聞いていました。

遊び道具など何もない代わりに遊ぶ方法は幾らでも見つけて、糸巻でタンクを作ったり、竹トンボを作ったり、木に登ってグミの実を食べたり…。高学年になると、女の子のスカートめくりが流行りました。
それと陳とか崔とか李とかの華僑の子がまだ残っていましたが、何のわだかまりもなく差別もなく仲よく遊んでいました。

体罰は…廊下に立たされることはあっても、記憶に残ることやトラウマになることはありませんでしたねぇ。

まあ、のびのびとやっていた、という感じです。
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この回答へのお礼

そうですね。要は子供大人がいなかったということですな。

お礼日時:2025/06/06 23:44

#4です。

お礼ありがとうございます。

>体罰は教育の不可欠な要素だったのですよ。
その部分は賛成します。でも「だから教師は体罰を行ってよい」というのは別の話です。

親が体罰を行うのは「虐待」との線引きが非常に難しいですが許されると思います。
 しかし教師がおこなう「体罰」は教育なのか?虐待なのか?それとも教師の嗜好を満足させるプレイなのか?全く判別がつきません。
 
これは旧日本軍での体罰問題も同じですし、なんなら刑罰としての体罰も同じです。

日本は憲法で体罰を禁止している以上、公的な関係性で体罰を行うのは許容してはいけないです。

しかしだからこそ「教師は聖職だった」と記載しました。学校という「自治の社会、教師が保護者同様に生徒に対して無限責任を負う環境」なら体罰も(監視と検証は必要ですが)許容されると思います。

その代わり、教師はドラマ金八先生のように生徒のために昼夜なく活動を続けてこそ聖職なのです。

今のサラリーマン教師に体罰を許容することはありえないです。
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この回答へのお礼

それは違いますね。あなたは親として体罰を行う権利がある。またその方がより躾の行き届いた子供になると思う。では教師は何か?第2の親ですよ。サラリーマンだろうとなんだろうと。極論すれば体罰を行うサラリーマンです。昔からそうだけどね(教師がサラリーマンでなかった時代はなかった)

ロシアンルーレットって本当にあったらしいですよ。独ソ戦のモスクワ攻防戦の時など、ロシアの上官は分隊を集合させて明日の攻撃についての説明を終わった後、「ではそこに並べ」と言って兵卒を一列に並べ、拳銃に1発だけ弾丸を入れて、次々に兵卒に額に当てて撃つらしい。当然6発に1発は発射されるから1/6そこで死ぬわけです。
そこで。敵前でなく。
つまりこれは何をやっているかと言うと、

「お前らの命などこれくらいのもんだ。ここでこうやってゲームで死のうと、明日の戦闘で死のうと同じことだ。敵前逃亡でもしてみろ、ただちに処刑するぞ!」

という極限の教育法だったわけです。そのせいか、あるいは意味がなかったかはわかりませんが、ソ連兵は勇敢に戦いモスクワは守られたというようなことです。

お礼日時:2025/06/06 23:52

両方とも経験する事はできないので、一部の関節要因しかわかりませんな。


身体が違う。
50年前小学生・・一般的に肉食が増えた世代。
彼らの親の世代は未だなので遺伝子的には未完成だけど、
彼らの子供の世代、それが井上尚弥とか大谷翔平とか・・
一方で、外の遊び場は少なくて屋内のゲームがはやるから、肉体的にはストレス感じるんじゃないかと。

塾に行くのは進学校を通って、一流大学、医者など・・・にさせようとする家庭だけ。ほとんどの子供は夕方の3時間、兄弟や友達と一緒に自分の好きなように使ってたはず。
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この回答へのお礼

確かに体格の向上はありましたね。またおっしゃるように大人子供というのがいなかった。やれスケジュールだやれソシアルゲームだなんだというような。

お礼日時:2025/06/06 23:56

もちろん例外はあるでしょうが、私がいの一番に上げたいのは今のお子様方(会社に入る新人)で言えるのは「スタイルの良さ。

」だと思います。私も含めた50年前のお子様と、現代のお子様が並んで朝礼をしている姿を後ろから見ると毎回笑ってしまいます。
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この回答へのお礼

なるほど。

お礼日時:2025/06/06 12:43

一番の違いは、ちゃんとマイナス事象も教えていたこと。

具体的には解剖と写生会。解剖は生きたまま麻酔をかけ、だんだん心臓が止まっていくさまを見た。先生が、「君たちの勉強のために命をいただいたから、ありがたくちゃんと埋葬しよう」と池のそばに埋めた記憶がある。「そうだよなむと思った。けっしてひどいとは思わなかった。昆虫やカエルも分解したり爆竹で爆破したり殺しまくった。ある時から「こんなことはもうやめよう」と思ったね。今は触らないよね。していないものは、死ぬさまを見たがるから、「人を殺してみたかった」になると思う。
写生会は毎年行ってた。1日中画板と弁当持って絵を描く。だから、物の構造が「描けない」ことを知る。今は、「教えることはやめて隙に描かせて個性を伸ばそう」なんてネグレクトな教育をしている。今の小学生は黄色と青を混ぜて緑になることを知らないものは半数くらいいる。すでに絵の具セットに入っているから。カッターは折れることを知らない。100円で買い直せるから。

便利って、調べるなどの生み出す努力、人格を低下させていると思う。スマホで加速した感がある。
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この回答へのお礼

すばらしい分析力です。生きた教育がなくなったのですね。それはもはや教育ではない。体罰も然りです。罰に値することは体の痛みで知る。これらは基本的なことです。

お礼日時:2025/06/06 12:25

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