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 食べ物に好き嫌いがあるように味覚や臭覚、触覚、視覚、聴覚などで人間に好き嫌いはあります。
 
 そこで、この世にあなた一人しかいないと仮定した場合。自分が感じる「好きと嫌い」や「快(快感)と不快(苦痛)」の感覚を、「善と悪」とに分けて判断しますか?

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A 回答 (7件)

この世にあなた一人しかいないと仮定した場合。

仮定(1)
論理矛盾です。この世に自分一人しかいないと仮定した時点で
善悪の定義が意味を成さないと思います。
善悪というのは、主観が第三者の価値観との対比のなかで得られる相対的位置です。

すなわち、絶対的悪絶対的善というものが、もともと自分の外的存在としてあって、それとの
対比において、自らの行為や他者の影響の度合いを両極から距離として測ろうとするもの
です。
自分が、無人島ににいて、虫けらを殺して捨てた。
これは、虫けらが存在する時点で、仮定(1)に反します。
この世に私ひとりしかいないと仮定した時点で、私が行う行為の影響を受ける対象が
いなくなる。その結果すべての行為には評価がなくなります。

おそらく、そういう状況は、自分自身が意識の根源、生命の根本のような共通無意識に
同化して、世界のはじまりの時点までさかのぼった感覚なのでしょうね。
主観が一つであれば、快不快の差異は、なにを尺度に感得するのでしょうね。

客体があってはじめて主観が生じるのです。

ですから、認識する主体が自分一人という状態自体が、静寂と死という感じがします。

客体が生じるときそこに偶然性や規則性が感得できて、それを主観の区分で良い悪い
に分けていくのかもしれませんが、それって仮定(1)に反する。
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この回答へのお礼

「この世」に「一人」だけですので、客体は「この世」ということになります。ですが「この世」に「一人」だけとすると、存在しないに等しいと考えてしまうのですね。確かに厳密に捉えるとそうなるかもしれません。回答をありがとうございます。

お礼日時:2005/06/28 01:15

殺人を例にあげると、僕の判断では殺人は基本的に快・不快によってなされるが、それに対する善悪はあくまで自分以外の人間が善悪の観念を持っているからこそ本人は善悪の識別をするのだと考えます。

その理由から、この世に自分しかいない(自分以外の存在が善悪の観念を持っていない)のであれば、好き嫌い・快不快の感覚を善悪として識別はしないと考えます。
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この回答へのお礼

とても参考になる回答でしたが、ちょうど私が回答を締めている時に書き込んで下さっていたので、評価ができませんでした。ですが貴重な回答です。ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/28 07:14

感覚と「善と悪」は全く別物だと考えます。


好き嫌いや快感などはあくまで感情や本能で感じ取るものであり善悪は理性で自ら判断するものだと考えるからです。

例えば2種類のキノコを食べたいが一つは普通のキノコでまずい、もう一つは毒キノコでおいしい。普通のキノコを善として毒キノコを悪とするとこれを判断できるのは善悪を判断できる理性だからでおいしいなどの快感で判断し食べてしまうと死にます。

そうなればマリオやルイージはゲームクリアできません(爆)。
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この回答へのお礼

善悪を判断するのは理性であるということですね。回答をありがとうございます。

お礼日時:2005/06/28 01:04

> 「好きと嫌い」や「快(快感)と不快(苦痛)」の感覚を、「善と悪」として考えるわけですか?



好き嫌いでも善悪という概念に転化するものと好き嫌い以上ではないものがあります。
ご質問の中で示唆されているような、単純に見た目や匂いや音だけの好き嫌いというものは、この世にぼく一人しかいないかどうかに関わらず、善悪というべきものでは無いと思います。
善悪という観念で捉えられるものの典型は、刑法第二章に掲げられる罪です。
人を殺してはならないという罪は、人を殺しても良いという社会的コンセンサスが、好ましくないと、ぼくが考え、また、社会の多数もそのように考えるだろうということから、善悪で言う悪という観念に転化することができます。悪であり、且つ、好き嫌いで言うと嫌いという感覚です。二つの観念が並立します。対立する場合もあるかもしれません。

この回答への補足

戦時において戦闘中の善悪の場合などが、対立する問題になりやすいですね。

補足日時:2005/06/28 06:53
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。善悪には罪の問題と、好きか嫌いかの問題がありますね。私が問題としているのは罪としての善悪です。ですので、人殺しを善と考えることは問題外です。

お礼日時:2005/06/28 00:58

この世に「人間が」ぼく一人しかいないと仮定する場合、ですね?


ほかに人間がいなくても、自分の自由にならない外部世界(自分以外の主体)が存在する世界では、善悪という認識は持つと思います。
善悪という認識は、自分を含めた複数の主体にとっての、「好きと嫌い」や「快(快感)と不快(苦痛)」の感覚を、特定の主体に於いてイメージした価値評価だと思います。

主体が自分単独であるときには、善悪という概念は生じないと思います。
しかしそのような世界では、好き嫌いを選択する対象や、快不快が生じる余地が、存在しないかもしれない。イメージが困難ですが。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。「好きと嫌い」や「快(快感)と不快(苦痛)」の感覚を、「善と悪」として考えるわけですか?

お礼日時:2005/06/27 13:43

この世に自分しかいなかったらそもそも


自分の意思を他人に伝える必要が無いので
言葉自体不要です。
そこには善、悪の観念も生まれないと思います。
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この回答へのお礼

回答してくださり、ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/27 13:37

善悪ではわけません。



もし二元論で分離するのなら要か不要かによって分けられると思います。
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この回答へのお礼

早速の返事をありがとうございます。

お礼日時:2005/06/27 13:35

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