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江戸時代に関する質問です。

一日何食のご飯をたべていたか、ご存知ですか?
どこかで2食ときいた憶えはあるのですが……。

家の作りって、わらぶき屋根とかそういうのですかね??

一般庶民は何の仕事をしていたのでしょうか???


是非是非、教えて下さい。

A 回答 (5件)

一般庶民の仕事は、店を持っている八百屋、魚屋、水菓子(果物)屋、薬種屋、風呂屋、大工、かんざしなどを作る錺職(かざり職)、呉服屋、菓子屋、干鰯(ほしか)問屋、煮炊屋(今で言うオカズ屋さんですね)、髪結い床(店を持たない人を「まわり髪結」と言った)、廻船問屋(今で言う商社でしょうか)、下駄屋・・・もういろいろありますよ。

今とあまり変わらないと思いますが、店を持たない人は棒手(ぼて)ふりといって、天秤棒をかついで野菜や魚、水などを売っていたようです。その他に、屋台の蕎麦屋、いなり寿司屋などもありました。

江戸時代には一生独身で終わる男性が多かったそうです。お店(たな)づとめをしていても、ある程度までは無給。手代や番頭になっても住み込みが多かったからです。

十手持ちや木戸番(昔は夜になると町内に怪しい人が出入りしないように門が閉まった)などは、それだけで食べていけないので、内職もしていたようですよ。

宮部みゆきさんや宇江佐真理さんの時代小説を読んでみると、たくさん出てきます。江戸の人の息遣いまで聞こえてきそうで、すっかり時代小説にハマっています。
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真の江戸っ子は、働かない奴らだったようです(笑)



杉浦日名子先生の江戸学エッセイ
「一日江戸人」
「お江戸風流さんぽ道」
等、お読みになってはいかがでしょう?

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handl …
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江戸時代は既に3食になっていました。


但し吉原と牢屋は2食でした。

労働者はそれでもお腹が空くので間食しましたから屋台の食べ物屋、行商人が流行りました。

家の造りは江戸市内は最初板葺きに石を重りとして置くののが多かったのですが度々の大火が続いたので、幕府は板葺きを禁止、瓦葺きに移行させました。
農村では瓦は高価なので藁葺きのままでしたが財力のある地主などの家は瓦葺きでした。

一般庶民は都会では通常生活に必要なあらゆる職業に就いていました。
勿論娯楽や趣味に属する職業にも(芝居、著述、出版など)就いていました。
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2食から3食になったのが江戸時代という話は聞きますがそれがいつかは地域差もありわかりません。

しかし3食と言っても内容は粗末なものだと想像出来ます。栄養的に満たされているならば有史以来江戸時代の平均身長が最低という事はないはずです。(江戸末期の平均身長は成人男性でも157センチ程です)

屋根は農村部を除けば板葺きが多かったようです。

仕事に関しては東京・大阪などの都市部を除き農業・漁業・林業などの第一次産業従事者が圧倒的に多かったでしょう。
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直接の答えでは無いのですが・・・



三田村鳶魚全集を読んでみることをおすすめします。文庫本でもでてますが、江戸のことがよくわかりますよ。
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