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司馬遼太郎が、対談で次のように語っています。

<確かに江戸時代では、庶民がやるお蔭まいりというのは伊勢までであって京都ははずしてあるし、大名も京都を通過してはいけないといわれていましたね。だから京都というのは何か触れてはいけないような一面もあった。>

質問は、江戸時代、京都では触れてはいけないものは、何だったのでしょうか?
(今は観光で賑わっていますが)

A 回答 (3件)

天皇です。



伊勢参りが庶民の娯楽で、それはお伊勢さんが「日本の一番偉い神様である天照大神の本宮」だからです。
 しかし天皇は「生きている人物」であり、日本の国家元首・君主です。
庶民がそれを認識すると、相対的に幕府の威厳が減っていくわけです。
だからあまり触れなかった。

大名はもっと切実で、参勤交代は軍行ですから、本気で武具を用意して京都に上り天皇を篭絡して「幕府を倒せ」という勅許をもらえば、倒幕できたわけです。

江戸時代も5代・6代ぐらいになると幕府の権力が安定してきましたが、幕府の神経を逆なでしないようにするには、京都を通って「謀反の意思があるかもしれない」と思われることを避けたわけです。

実際、幕末になると倒幕派が京都に集まったわけですから、疑われないように大名が京都ルートを避けることで江戸時代が長く続いた、と言えなくもないです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
庶民は、生きている神様に遠慮し、
大名は、「謀反の意思」と勘ぐられないように配慮したのですね。

お礼日時:2022/05/24 14:59

素人ですが


御所だったからでは。

恐れ多いと思っていたのでは。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<恐れ多い>のですね。

お礼日時:2022/05/24 15:01

大名については当然ながら「朝廷(天皇)」でしょうね。


遠方の外様大名にとっては、謀反を疑われるわけには行かなかったので、
敢えて伏見から大津へ抜けたと言われています。

お蔭参りに関しては、司馬さんの見解に疑問があります。
そもそも伊勢神宮参拝が目的ですから、京都を「外した」というのは違う気が。
江戸時代の京都には多くの旅行客が訪れていますし、経済も発達しました。
武家からすると朝廷があるので触れづらいというのはあるかと思いますが、
庶民にとってはそういう事はなかったんじゃないですかね。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<「朝廷(天皇)>ですね。
<京都を「外した」>については、私は、次のように考えています。伊勢まで来たんだから、(一生に一回の旅なのであるから)ついでに大阪も京都も回りたいが、京都は避けた、と。

お礼日時:2022/05/24 14:50

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