
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
出展はあいまいですが、確か鹿島茂だったように思います。
聖書の活版印刷が行われるようになって印刷物が量産されはじめたのはグーテンベルグ以後ですが、それ以前は文書とは音読するものだったという説です。
そもそも本が無かった(乏しかった)世界では、手紙レベルならともかく、多量の情報伝達は口承・口伝になりますから、節を付け耳から入れて流れとして取り入れるという手段になります。
外部メモリ(本)が無いのだから内部メモリ(脳)に頼るしか無いわけですね。そのための入力デバイスとしては目よりも耳の方が正確さ、記憶効率、共に上だということでしょう。
そのような世界では、本は脳の記憶のための補助装置になるので、基本デバイスである耳を使うための「楽譜」としての機能が主なものとなるのは自然な流れです。今でこそ「あの本に書いてある」ということだけ覚えていて内容を覚えていないような使い方ができますが、当時は無理だったということですね。
結論として、本は音読されることになります。
特に聖書の場合、それを覚える必要があるのは説教をする仕事の神父ですから、朗々と声を出す練習も兼ねていたはずです。
別に、「できなかった」ではなく、本に接する人が「本とは音読するものだ」という常識を持っていたということでしょう。
「いつごろから」という問いに対しては、グーテンベルク以後、ということになりますね。
印刷物が当たり前の現代とは、全く異なったグーテンベルク以前の知的環境があって、そこでは、読書=音読だったということですね。
ていねいな説明ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
「昔」というのがいつの時代を指すのかわかりませんが、黙読も音読もできたであろうと思われます。
なぜなら手紙や密書など、音読するのははばかられる文章というのが存在しますし、文字の認識や理解は音読の有無に由来しませんから、黙読はできたと考えて差し支えないでしょう。ただし、黙読よりも音読が推奨されていたのは事実です。#1さんのおっしゃる漢詩の影響はもちろんのこと、特に江戸時代は参勤交代で日本全国の武士が江戸に集まるようになります。しかし今のようにメディアが発達していないため、同じ日本でありながら方言が違うと会話が成立しません。そこで書物を音読することで、共通語を身につけるという目的があったようです。当時の文献を読むと、武士の言葉は話し言葉ではなく書き言葉を主体にした特殊な言語だったことがわかります。
この回答への補足
>「昔」というのがいつの時代を指すのかわかりませんが
済みません。私の記憶がはっきりしないのですが、古代と言うような古い時代ではなく、例えば、ゲーテの時代のような比較的新しい時代だったと思います。
おっしゃられるように、理屈で考えると変な気がしますが、まさに、変な気がしたので、記憶に残っているのですが、勘違いであったかも知れません。
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