
Webの一つに、江戸時代後期の農村の構成割合が次のように書かれています。
地主 15% 自作農 25% 小作農 60%
司馬遼太郎は講演で次のように言っています。
豊臣秀吉を受け継ぎ江戸幕府時代も、わずかに小作はいたが、多くは自作農であった。自作農でなければ、勤労意欲がわかない。
ところが、明治になって、税金が金納制に変わって、自作農は、現金を持っている人に土地を渡し自分は小作になり、税金を払ってくれ、となった。小作人が多く生まれたのは、明治時代からである。(大規模な小作争議があった新潟県の木崎村の例を出し)
質問は、江戸時代の小作農は、どのくらいの割合だったのでしょうか?
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
時期と地域により大きく違います。
小平市の例だと、https://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/031/03 …。
都道府県史や市町村史の近世篇に、地元の実例などが書いてあるので、ぜひ図書館で調べてください。
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