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江戸時代にお百姓さんが牛をどこかから安く買ってくるとしていくらのお金がかかったのでしょうか?

A 回答 (2件)

江戸時代は長崎などの一部の地域を除いては四足は食べませんでしたので、牛の主用途は農耕用であり、糞尿は堆肥に利用しました。


牛の価格は牛一頭米10俵といわれてかなり高価な財産で、一般の農家ではなかなか牛などもてず、家族だけの労働力で農業生産をおこなうのが普通でした。
農耕牛ではありませんが、1700年代の新見地方では繁殖用の雌牛は1頭500匁したということです。
また、牛馬が死ぬと自分で勝手に処理はできず、専門の処理業者(ふつう被差別民)に処理をまかせなければならず、しかも処理費用を払うことも必要であることもあり、裕福でない農民がせっかく買った牛馬がすぐに死んだりすると難渋したということです。
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この回答へのお礼

米10俵で後の始末もお金がかかったのですか、参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/17 20:38

まず、江戸時代といっても長いため、いくらと言われても一概に金額はだせません。


日本人は意外と、古くから獣肉を食してきましたが、
牛肉を食す習慣が伝わったのが安土桃山時代、本格的に食するようになったのは明治になってからです。
江戸時代後期に、牛を食することを勧める人たちが現れ始めたものの、ほんの一部の人しか食べませんでした。
牛は荷車を引くためにあるのであって、当時の人は牛を食べることを嫌がった為もあります。
牛を食する人たちの中に福沢諭吉がおり、かなりの牛肉好きだったようです。
また、新撰組の近藤勇もすき焼きが好物でした。
(土方歳三は、牛の匂いが臭くて嫌いだったとか)
そういった人たちが、だいたいいくらくらいで牛を手に入れていたかが、福沢諭吉の著書にかかれています。
それによれば、1人前がおおよそ20匁だったそうです。
(※江戸で購入したもの。1人前がどれくらいかはわかりません)
当時の20匁を現在の紙幣価値に単純に置き換えることは難しいですが、大工の給料が月2両として、現在に変えて25万円とします。そうすると20匁はおよそ、0.35両、単純計算で4万円といったところでしょうか。
高いか、安いか、判断はお任せします。
彦根藩では幕府から牛のと殺が許されていたそうです。
ある程度の規模で牛肉を供給していたらもっと安いかもしれません。(幕府への献上品用であって庶民向けではないかもしれません)

牛肉は当初、クスリとして利用していました。
体力が落ちた病人に与えると元気になったとか。
そう考えると安いでしょうかね。
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この回答へのお礼

新撰組幹部の牛肉へのこだわりなどありがとうございます。

お礼日時:2005/08/17 20:37

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