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江戸時代の治安は今に比べるとどうだったのでしょうかよろしくお願いしますm(_ _)m

A 回答 (7件)

今と比べるとと言うのは、とても難しいです。

江戸時代では犯罪であっても現代では犯罪ではないこともありますし、その逆もあります。ギャンブルなどは、禁止されていたものの「寺」や「旗本の邸宅」で公然の秘密として行われていました。地方ではその地を治める武士や藩主はその地を実質的に支配しチェいる「顔役」をうまく利用して支配していました。村々にはある程度自治が認められ「年貢」さえ払えばあまり取締は行われませんでした。江戸などの大都市では長屋ごとに木戸があり夕方には閉められることが普通でした。夜返ってきた人は木戸番に開けてもらっていたようです。強盗や殺人事件などは少なかったようですが「ゆすり」や「たかり」と言った行為は、ある程度黙認されており、むしろ武士がそれに近いことで生活を支えていたと言ったことも資料には載っています。また、掏られた財布の中の大切な書付などは、こうした人たちに頼むと返ってきたようです。家康自体「悪人をもって悪人を制す」のような意識もみられます。ただ、庭での女性の行水なども普通に行われていたところを見ると、今より安全であったと思います。ただし、「自廻りのやくざ」と言った人たちに頼った安全であったので、それを安全だったと言えるかで考え方が変わります。
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いろいろ条件が違うからね。


一概に比べることはできない。

たとえば長屋の大家は店子の協同責任者だった。
店子が罪を犯すと大家も連座刑の対象となる。
必然、素性の知れない者や素行の悪い者を入居させるわけにはいかなくなる。
お上への密告も行われていた。

このような官民協力があったから、数少ない奉行所の人数でもなんとか取り締まることができた。

しかし、目の届かないところは当然ある。
「宵越しの金は持たない」は江戸っ子気風の表現として有名だが、実はもう一つの深刻な理由があった。
江戸には火事が多く、せっかく金を貯めても灰になってしまう危険があった。
病気になれば、当時はほぼ確実に死に至る。
そして追いはぎ強盗。
暗闇の中でちょいと、ということは当時も頻発した。
だから、せっかく稼いだ金が無になる前に使った方がましだったのである。

こういうことを考えなければならないほどの治安だった、ということである。
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あーそれから、江戸時代は現在と違って微罪は犯罪と認識されずに受けつけてさえ貰えないことも普通。

治安維持機関が脆弱でしたから、いちいち微罪まで取り上げたらすぐにパンクしました。
スリなんてほぼ野放し。江戸じゃスリはスリ集団ごとに髪型と着物が決まっていたので、ジモティの江戸っ子はスリの餌食には絶対ならない。スリの獲物はお上りさん。
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今より悪いですよ。


厳罰主義で些細なことで死罪でしたが全く犯罪は減りません。
博打も死罪でしてが全く減らないどころか増える一方。武士でも博打で斬罪になる者続出でした。さらに博打が地下に潜って非合法組織のシノギとなったので、罰金刑に軽くして取り締まりやすくしました。
江戸後期になると関東は犯罪組織が跋扈して治安が急速に悪化。そこで関東取締出役(八州周り)が設置されて治安回復にあたりましたがあまり効果がありませんでした。
江戸時代、武士や足軽の人数は少ないので、実際の治安維持活動の末端は、任侠組織や被差別身分の人たちに丸投げされていましたが、幕府は度々それを禁止する通達を出しています。しかし、その通達が守られたのは江戸の町だけで、それ以外では従来どおり任侠組織と被差別民が担い続けていました。
治安が悪かった関東では、村々が被差別民に謝金を出して日頃の巡回を依頼するのが当たり前でした。
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切り捨て御免などと言って


武士が町人などを簡単に斬っているように見えますが
後で必ず報告しなければなりません

そう簡単には人は斬れません

町々に番所と言って
今でいう交番のようなものがあり
何かあると報告したりしていました

普段は暇なので雑貨屋のようなお店を
開いて
通行人などを監視していました

町民も
長屋には大屋さんがいて
この人が住んでいる人の身元などの
保証人の役目もしていましたから
これも何かあれば
お上に報告しなければなりません

長屋も
時間になれば門を閉めていましたから
そうそう勝手に人の出入りができたわけではありません

今の時代と比べると
昔の江戸時代の方が
治安は良かったかもしれません
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きわめて良かったようですね。



江戸時代の時期によって人数はかわりますが、警察官に相当する与力・同心は300人余りでしたからね。江戸時代は大名屋敷は与力・同心の権力の及ぶところではなかったにせよ、江戸人口の半分の50万の町人の治安を守っていたのですから。ちなみに現在警視庁の警察官は4万3千人です。

刑罰が非常に厳しく「10両盗めば死罪」「船で事故を起こせば船頭は死罪」でしたので、このことも犯罪の抑制につながっていた面もあるようです。また密告も奨励され、犯罪を密告した者には罪を免除されると共に褒美が与えられました。

五人組という制度もあり、初めはキリシタンや浪人の取締りが目的でしたが、後には法令の遵守、相互監察による犯罪の予防・取締りにもおおきな役割をはたしました。
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江戸時代はものすごく厳罰主義で、些細なことでもすぐに重罪として扱われるので、ものすごく治安は良かった。


さしたることで無くてもすぐに捕まえて佐渡の金山のような所。誰も行きたいと思わないような所に囚人として連れて行って過酷な作業を強いられるし、牢に入ることになれば過酷な日々が待っていて、殆ど生きて出てくることはできない。
こうしたことから、みんな役人に目をつけられないように注意して生活を続けていたからだ。
当然、時代劇に出てくるような狼藉者など滅多にいない。
時代劇は話しをおもしろくするために、脚本家が作っているでたらめな話ばかりなので、実態とは全くかけ離れたものだ。
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