アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

谷釜尋徳によると、
江戸時代、女性の旅人は、一日平均で31.4kmの距離を歩いています。(ちなみに庶民男性は34.9km)。彼女たち18組の平均年齢は、40歳前後です。
彼女らは、数か月にわたり、連日30km歩いているのですね。
現代人(特に私には)になかなか同感できない運動量ですね。

質問は、この距離を歩ける、というのは
1、江戸時代の女性は総じて健脚だのでしょうか?
2、あるいは旅行ができる女子は健脚だったのでしょうか?

A 回答 (6件)

現代でも、トレランというのか、東京の高尾山を歩いていると、男も女も、バンバンと走っている人に会います。

 私など、歩いていてもへばりそうなのに、20代30代に見える人が、走ってます。 もしかすると20歳にならない人も混じっているのかもしれないです。
個人差は体力、走力、脚力にもあるので、だれでも走れるわけではないのは確かですが、山道を30kmも走る人が今もいることは確かです。
https://yamap.com/activities/19975855
https://digital.asahi.com/articles/ASQCZ7JYLQCXU …
https://moshicom.com/80600/
https://its-there.com/trail_rokko-702.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/12/02 11:47

移動手段がほぼ脚しかないわけですから、子供の頃から現代のアスリートに近い運動を日常的にやっているわけです。

自然に健脚になるのは当然でしょう。

今でも、知り合いに10~15キロくらいなら電車やバスを使わずに歩いて移動する人が居ます。そのヒトなら毎日ではないかもしれませんが江戸時代並みに歩いていることになりそうです。
別の知り合いには、20キロくらいの通勤を毎朝早起きして歩くという人も居ます。慣れればなんてことない。そう申しておりますから、現代人も最初は辛いかもしれませんが、慣れれば江戸時代並みの歩いても平気になれるのでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
日常が鍛錬だったのですね。<子供の頃から現代のアスリートに近い運動を>をなのですね。

お礼日時:2023/12/01 16:53

庶民女性、特に田舎の農家の女性は健脚でした。

昭和40年代頃でも、そうでした。今の若い人は知らないかもしれませんが、都内でよく見かけた、地方からやって来る野菜行商をする農家の女性たちは、物凄く大きな重い荷物を背負って旅をしていました。もちろん昭和なので基本は電車を使いますが、そもそも背負っている荷物の重さが半端ではなく、都会の普通のサラリーマンでは重くて持てないような重量でした。70kg位が普通で、120kgなど、もっと重い荷物を背負う女性もいました。それを軽々と背負って町中を一日中歩き回っていたのです。

女性行商人
https://www.jiji.com/jc/d2?p=mos10002-01526271&d …
「おばちゃんたちの野菜行商」証言や歴史つづる 千葉からピーク時9000人
https://mainichi.jp/articles/20190604/k00/00m/04 …

江戸時代ともなれば電車がないわけですから、必然的に歩行量が圧倒的に多くなります。商家や町人の女性などは、宿場から宿場へ荷物を運んで貰う仕組みができていたので、自分では荷物を持ちませんでした。しかし農家の女性は、何かの用事で隣村や城下町に出かける場合でも、そんなところに余計なお金を使えませんから、自分で荷物を持って移動していました。もちろん昭和の行商女性のような重い荷物ということはなく、軽い荷物でしたから、その分、負荷は少なくなるので、かなりの距離を移動できたはずです。

また江戸市中の場合、男性の記録が殆どですが、40代くらいの町人なら往復15km程度の距離は普通に3~4時間程度で行き来していました。これは江戸末期や明治初期の記録などからも確認できます。40代くらいの町人女性が同年代男性の7割程度の距離しか歩けないとしても、3~4時間で10~11km程度は歩けますから、一日9~12時間歩き続ければ30km以上の距離は歩くことが可能と推定できます。

従って、江戸時代の女性は総じて健脚だったと言えます。特に女性の8割近くを占めていた地方の農民女性は確実に健脚だったと言えます。しかし、公家や武家の女性はそれほどでもなく、現代人に近い人が多かったでしょう。旅行ができる女性と言うよりも、頻繁に長距離移動をしなければ生活できない、歩き慣れた庶民女性ほど健脚だったと言えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<頻繁に長距離移動をしなければ生活できない、歩き慣れた庶民女性ほど健脚だった>のですね。
生活が掛かっており、交通手段がない時代には。

お礼日時:2023/12/01 08:44

江戸時代だけでなく、おそらく1950年くらいまでは、日本人の多くは身体が丈夫だったと想像します。

 とにかく、1930年くらいまでなら靴を履くことも少ない生活で、鉄道やバスを利用することもなく、馬を移動手段にすることもなく、自分の身体を使って生活していたのです。
男性でも、遠距離に移動する人ばかりでなく、町内、村内、隣村、周辺の田畑で働くか、自宅の中で働くことが多かった人の方が6,7割にはなっていたでしょう。男も、女も、一日の移動距離、歩行数はせいぜい2万歩、10数キロ程度にならない日がほぼ毎日でしょう。 しかし、身体は丈夫なので、所用などがあれば、30キロではなく、40キロでも、多くの人は歩けたのだと思います。
伊豆の踊子は小説ですが、天城7里に費した7時間(朝8時-午後3時)から、茶店の1時聞、木賃宿の1時間、入沿と昼食の時間を差し引くと4時聞で、湯ケ島と天城峠を通っていいます。(28キロメートル)÷4時間は、時速7km
になり、相当の健脚です。
江戸時代に限らず、人間の身体は結構すごいのでしょう。
ダメになったのは、日本でいえば、高度成長期以降、便利に生活できるようになった以降でしょう。
ちなみに近世後期を調べた方がいらっしゃいます。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/taiikushi/2 …
「1、江戸時代の女性は総じて健脚だのでしょ」の回答画像3
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速の御回答ありがとございました。
<自分の身体を使って生活していた>ですね。
仕事にせよ家事にせよ、体・脚が丈夫でなくちゃ。

お礼日時:2023/12/01 11:32

>1、江戸時代の女性は総じて健脚だのでしょうか?



歩くしか交通手段がなかったのですから、女性に限らず江戸時代の人は健脚です。というより現在人が弱くなりすぎているという方が正しいでしょう。

なお、人口の8割は農民です。当然隣町に品物を買いに行くのにも何里も歩く必要がありました。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<歩くしか交通手段がなかった>のですね。隣町へも。
<現在人が弱くなりすぎている>のですね。

お礼日時:2023/12/01 08:34

江戸時代の女性は総じて健脚ではないでしょう。


「入り鉄砲に出女」といって女性が江戸から出るのは関所で厳しい。
大奥などの女性は城から出られない。(高級武士の奥女中も出歩けない)
概ね貧乏な町人の女性も旅行など出られない。(「伊勢参り」など神社参りなど大金がかかる)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
女性が運動する機会が少ないのですね。
<女性が江戸から出るのは関所で厳しい。>
<神社参りなど大金がかかる>

お礼日時:2023/12/01 06:45

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A