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江戸時代以前の一般の人はどうやって時刻を知ったのでしょうか?
時代劇を見ていたりするとよく、何刻に何処何処で待ち合わせ、とか言っていますが、一刻って確か2時間くらいですよね。一刻毎にお寺の鐘がなるとして、それを基準に大体プラスマイナス1時間くらいの誤差で生活していたのでしょうか?それとももう少し精度の高い方法で時刻を知る方法があったのでしょうか?
ご存知の方、ぜひ教えてください。

A 回答 (4件)

追加です。


実際に江戸の人が不定時法のなかで暮らした、それを現在に追体験した(だけでなく、腕時計用に不定時法の文字盤まで用意した)記事が以下の本にあります。文庫ですので、結構簡単に見つかると思いますよ。

『大江戸生活体験事情』講談社文庫(い10-19)
石川英輔 ・田中優子著、(533円+税)
ISBN 4-06-273390-0 C-CODE 0195 NDC 382.1
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
そういえばテレビか本かどっちだったか忘れましたが不定時法の時計を作った江戸末期の職人の話(セイコーの創業者?)をそのために超えなければならなかった諸々の技術的ハードルの話とともに聞いた記憶があります。
ご紹介いただいた本、おもしろそうですね。一度読んでみようと思っています。

お礼日時:2005/05/23 13:21

#2の方もおっしゃっているように、江戸時代は不定時法で時間を計っていました。

一分一秒も正確に、というのは、定時法の、それも異なる土地の間で、となると標準時が出来てからのことですね。ヨーロッパも日本も、1890年代までは標準時が定められていませんから。
さて、江戸時代に一般の人が時刻を知った方法は、一つは時の鐘ですが、もう一つは、太陽の位置です。
不定時法が日の出(の少し前)を明け六ツ、日没(の少し後)を暮れ六ツとして、それぞれを6等分するという方式のため、いつの季節であっても、太陽の位置と時刻がほぼ一致していたわけです。
#2の方が日時計を例に出されましたが、まさに日時計は春夏秋冬、正確に不定時を指し示すわけです(修正の必要は、原則としてありません)。時の鐘を打つためには、機械的な時刻の測定も必要で、毎日毎日時刻が変わってしまっては、これはこれで完全な不定時法にすると不便きわまりない。そういうわけで、実際の不定時法では一年を24に分けた節気ごとに時間を設定していました。つまり、日の出、日の入りの時間に関わりなく、約15日の間は、同じ時間を使用する、ということです。
ややまとまりを欠いた記述になってしまいましたが、ある刻を知るためには時の鐘があり、時計なしで人が大まかな時間を知るためには、太陽の位置がありました(それを最大限に利用できるのが不定時法です)。
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当時の人は、時間に正確さを求めていなかったようです。


寺の鐘も、そもそも不正確でした。
時計が当時では非常に高価だった事と、不定時法で夏と冬では時間の長さが違っていましたから。
当時は日の出から日の入りまでを6等分して1刻としていたので、夏は長く冬は短い時間が1刻でした。
逆に、夜の1刻は夏は短く冬は長い物でした。

なお、比較的安価に正確に時刻を知る物として日時計がありました。
ただしこれもその土地における正午だけは正確ですが、夏冬の時間の修正はかなり複雑でした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
一刻の長さが一定でないなんて、それはそれで自然のリズムが生活に刻み込まれていて素敵ですね。

お礼日時:2005/05/23 13:15

たしか一時(30分)ごとに半鐘?を鳴らしていたと思います。


時間は水が多段式になった箱の中を流れ落ちていく際の水位で計ります。
(平安時代あたりから使われていました)
それに昔は今ほど時間に追われてあくせくしてなかったですし多少の遅刻はお互い様というか当たり前だったのでは?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/05/23 13:13

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