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何の罪も無い人が、悲惨な事件や事故に巻き込まれる不条理はあとを絶ちません。世の中には数多くの宗教があります。そして、その数だけ神が存在します。人間を遥かに超越した力を持っている神が、地球上には数多く存在しているのに、なぜ、悲しい出来事が無くならないのですか?

「人生の苦労は、神から与えられた試練だ。」
「不運な目に遭う人は、神を信じていないからだ。」
「実は神には、そんなに大した能力はない。」

上記以外で、出来るだけ短文でお答え下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

悲惨な事件や事故に巻き込まれる



神のせいではなく、人間のせいです。(人間は自由意志を持つものとして創られたため。それが無くなれば単なるロボットになってしまう。)
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人間を遥かに超越した力を持っている神が、地球上には数多く存在している

神は唯一無二です。
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なぜ、悲しい出来事が無くならないのですか?

人間が自由意志を悪用するため。
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この回答へのお礼

善良な市民が、地震などの天災によって亡くなる悲しい出来事が起きるのも、人間が自由意志を悪用するためなのですか?

お礼日時:2011/12/10 02:21

   聖書からの直接的な答えをひとつ挙げるならば以下のようなものがあります。



 (1)伝道の書9章11、12節  「わたしは日の下で引き返して見たのであるが,速い者が競走を,あるいは力のある者が戦いを自分のものにするわけではない。また賢い者が食物を得るのでも,理解のある者が富を得るのでもなく,知識のある者たちが恵みを得るのでもない。なぜなら,時と予見しえない出来事とは彼らすべてに臨むからである。人もまた,自分の時を知らないからである。まさに災いの網に掛かる魚のように,わなに掛かる鳥のように,人の子らも災いの時に,それが突然彼らに襲うときにわなに掛かるのである。」

   
   悲しい出来事の多くが「時と予見し得ない出来事」であると聖書は述べています。つまり、たまたままずい時に、まずい場所に居合わせたということです。
   
   今のところ神は、人間の詳細な物事に直接関与されることはされませんが、近い将来については黙示録21章4節で 「また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」と希望となる情報も与えておられます。
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この回答へのお礼

>近い将来については黙示録21章4節で‥

近い将来とは、いつなのでしょうか。本当に神に力があるのなら、一秒でも早く、人々が抱えている悲しみを消してほしいです。

お礼日時:2011/12/10 02:48

神や仏はこの世に存在しておりません。

人間を含むすべての自然界に於いては、不条理と思われる事がごく当たり前に行われております。宗教は、信じる人間にのみ通用する、その不条理な出来事を少しでも和らげる為の、緩衝材のようなものです。ただ、為政者は意図して利用しがちです。過去は当然の事、現代でも。

あなたの仰る様な不条理な世界は、残念乍らますます拡大するでしょう。それを阻止する為に、あなたを含め多くの人が、考え、行動しなければならないと思います。その時はキット私も加わっているでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。おっしゃる通り、神や仏なんてこの世には存在しておらず、宗教なんて単なる緩衝材であり、気休めにしか過ぎませんよね。人々が悲しい思いをする不条理な世界が少しでも良くなるため、私なりに出来ることを頑張ろうと思います。

お礼日時:2011/10/10 03:40

人生の苦労は、神から与えられた試練だ



まず神は与えられません

不運な目に遭う人は、神を信じていないからだ

まったく関係ありません。

生きている限り、必ずあります。それをどのように
納得して生きるのか?ある人たちは死後を信じ生き
ある人たちは祈ることによって解決しようと思います

苦労といってもいろいろなレベルがありますね
あなたの苦労なら乗り越えましょう。みんな努力してますからね
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>悲惨な事件や事故に巻き込まれる不条理はあとを絶ちません。

なぜ、悲しい出来事が無くならないのですか?

●不条理な関係や悲しい関係を清算していないからではないでしょうか?

●罪には道徳的な観点からの罪、法律上の罪、宗教上の罪、信仰上の罪があると思います。
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この回答へのお礼

幼い子供が悲惨な事件や事故に巻き込まれるのも、不条理な関係や悲しい関係を清算していないからなのですか?

お礼日時:2011/12/10 02:15

> 何の罪も無い人が、悲惨な事件や事故に巻き込まれる不条理はあとを絶ちません。



罪の基準が違うからではないでしょうか?
人間の作った法律や道徳といった観点からは何の罪もなく立派な人に見えても、人間に課せられた真の要件は別のところにあるからだと思います。

例えば、他人に(世俗的な意味での)迷惑をかけることより、自分自身がもがき苦しむこと(不平不満やストレスの多い生活)の方が遥かに罪深いのかもしれません。あるいは、他人のために尽くしていない人生は、それ自体が深い罪なのかもしれません。
表面的には、どんなに善人で幸福を装っていても、その人の腹の中を根拠として裁かれる(結果として人災や天災に巻き込まれる)のだとすれば、意外に辻褄が合うように思います。

宗教といった信じる信じないの問題ではなく、普遍的な自然の摂理というのは、人智を超えたレベルで存在するはずです。
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この回答へのお礼

>その人の腹の中を根拠として裁かれる(結果として人災や天災に巻き込まれる)のだとすれば、意外に辻褄が合うように思います。

幼い子供が事件や事故に巻き込まれるのも、腹の中を根拠として神に裁かれたのですか?

お礼日時:2011/12/10 02:38

>何の罪も無い人が、悲惨な事件や事故に巻き込まれる不条理は・・・



「何の罪も無い人」などいないのでは?

人間は、少なくとも「動植物など、『他の生命を絶ったもの』を摂取して生きている」のですからね。
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この回答へのお礼

たしかに人間は、他の動植物を殺して食べて生きているので、「何の罪も無い人」なんていませんよね。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/10 03:31

神のみぞ知る。



ご質問文の「悲惨」「不条理」「悲しい」という言葉は、人間の感情です。
神は人間を超越しているのですから、人間の感情にいちいち振り回されないのでしょう。
人間ができることは、できうる限り神の領域に達するべく日々研鑽を積むことです。
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この回答へのお礼

>神は人間を超越しているのですから、人間の感情にいちいち振り回されないのでしょう。

人間の感情を理解できない、優しさやデリカシーのカケラも無い神なんて、何の価値も無いと思います。

お礼日時:2011/12/10 02:43

宗教を信じても人間の能力が増えるわけではないから

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この回答へのお礼

たしかに、おっしゃる通りです。

お礼日時:2011/10/19 04:16

「わたしにとっては、天を地に、地を天に変えることすらたやすい。

だが、真に難しいのは、あなたの方のハートを変えることだ」

神の化身とも云われるある聖人の言葉です。
私は特にこの聖人を信仰しているわけだはありませんが、結局人類自身が変わらなければ(気付かなければ)何の解決にもならない(何の意味もない)というのは、確かにその通りだと思います。
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