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「自然法」と「自然権」の違いが、いまいちよくわかりません。すっきり単純明快な説明をお願いいたします。

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A 回答 (3件)

>ホッブズの考えでは、自然権=生命、自由、財産のなのではないでしょうか?



正確には、ホッブズの場合は、「生命・自由・財産を保持する権利」=自然権です。生命・自由・財産=自然法です。

で、ホッブズの場合は、世の中の資源は限られているので、各人は自分の自然権を行使すれば、他者の自然権を侵害しなければならないと考えたのです。これが「万人の万人にたいする闘争」というやつです。つまり、ホッブズの場合、自然法と自然権は矛盾するのです。各人が自然権を行使することによって、他者の自然法が侵害されるからです。

そこで、社会契約をむすび、各人が自然権を放棄して、一人の支配者に自然権を委ねるのです。この支配者をリヴァイアサンというのです。つまり、自然法を守るために、自然権を放棄せよというのがホッブズです。
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自然法とは、法律の条文以前に存在する、人間が人間であるがゆえに守られるべき法をいいます。

具体的には、生命、自由、財産です。で、この自然法に反する法律は、無効であるわけです。

自然権とは、自然法のもとに暮らす権利で、これは人間が人間であるがゆえに、天から与えられている譲渡できない権利です。

で、問題なのは、自然法をどのように守るかです。
例えば、ある人が、襲い掛かってきたとします。つまり、自分の生命と自由と財産を奪いにきました。それにたいして、反撃して、自分の生命・自由・財産を守るために戦うのが、「自然権の行使」といいます。この際、襲い掛かってきた人間の命を奪うことは、自然法上やむを得ないわけです。これを正当防衛といいます。

近代国家は、この自然権の行使を「国家」が代行・独占したわけです。つまり、自然権の行使をみんなが行ったら大変なわけです。そこで、警察や軍隊をつくり、国民から自然権の行使を行う権利を取り上げて、その代わり、国家が国民の自然権を一元的に行使することで、自然法を守るという仕組みが出来たのです。

この回答への補足

ホッブズの考えでは、自然権=生命、自由、財産のなのではないでしょうか?

ごちゃごちゃで、違いが全然わかりません。

補足日時:2005/09/09 01:16
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高校で習ったレベルですので お役に立たないと思いますが。



natural low が 人間界にあって、natural rightsがあるという感じでは?

人間界には 国など 無い 状況で それなりの決まりができてきて、その中に 人の権利もあると言うこととイメージしてます。

natural なので 自然というより 「天然」の概念で捉えてます。

この回答への補足

ただ英語で言い換えただけですよね。だから、どう違うのでしょうか?

補足日時:2005/09/09 01:18
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Qルソーの一般意思ってなんですか

ルソーが言った一般意思っていうのはなんですか?
全体意思との違いなども簡単に教えていただけるとうれしいです。
ウィキペディアなどで見たのですが、どうも私には難しすぎてさっぱりわかりませんでした。
なんか高校の政経の授業で一般意思は代表しない、とか
なんかそんなようなことを先生が言っていたような言わなかったような、、、でもうろ覚えなので意味はわかっていません。
素人なのですがわかりやすくおしえていただけないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

なるべく簡単に書きます。
簡単すぎて、不十分な点はあると思いますので、ここらへんをもっとくわしく知りたい、という問題意識がおありでしたら、補足要求してください。

国家というものはどうつくられるべきか、ということをルソーは考えます。
単独で、孤立した個人が集まって作る国家はどういうものが望ましいか。
それは、ひとりひとりが自己の利益を脇に置いて、共同体全体の利益を考えるような、そういう意識をよりどころに結びついたような共同体である。

ひとりひとりの利益を追求するのが「特殊意志」
「特殊意志」を単純に加算していったのが「全体意志」
「一般意志」というのは、社会契約のもとに集まった、共同体の意志です。

そこでは、各個人の意志は「一般意志」にすっぽりと呑みこまれていきます。
ルソーは『社会契約論』でこう言っています。(引用は.「社会契約論」 『世界の名著 36 ルソー』所収)

-----
この社会契約のあらゆる条項は、よく理解されるならば、ただ一つの条項に帰着する。すなわち、各構成員は、自己をそのあらゆる権利とともに共同体全体に譲り渡すということである。それはなぜかというと、まず第一に各人はいっさいを譲り渡すので、万人にとって条件は平等となるからであり、条件が万人に平等であるなら、だれも他人の条件の負担を重くすることに関心をいだかないからである。
-----

重要なのは、「自己をそのあらゆる権利とともに共同体全体に譲り渡す」という点。
個人は社会契約を結ぶ時点で「特殊意志」を捨て、「一般意志」に委ねるのです。

つまり、個人は個人の自由を手放し、共同体の一員となることによって初めて真に自由になれる、とルソーは考えたんです。「特殊意志」を捨てて「一般意志」のもとにみずからを従属させることで。そうすることで、人間は自己のもつ最高の可能性が発揮され、最高の自由を手に入れることができる、と。

なるべく簡単に書きます。
簡単すぎて、不十分な点はあると思いますので、ここらへんをもっとくわしく知りたい、という問題意識がおありでしたら、補足要求してください。

国家というものはどうつくられるべきか、ということをルソーは考えます。
単独で、孤立した個人が集まって作る国家はどういうものが望ましいか。
それは、ひとりひとりが自己の利益を脇に置いて、共同体全体の利益を考えるような、そういう意識をよりどころに結びついたような共同体である。

ひとりひとりの利益を追求するのが「特...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

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封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
「土地をなかだちとしてむすばれた主従関係(しゅじゅうかんけい)にもとづく社会のしくみ。」
のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。

Q慣習法 判例法 が分らず困っております。

政治経済を勉強しているのですが政治の分野で分らない部分があるので質問しようとおもいましたがカテゴリーの中になかったのでこのカテゴリーに質問さして頂きます。


法には自然法と実定法があって
実定法には成分法と不文法があり
不文法には慣習法 と 判例法などがあるようですがこの慣習法と判例法がうまくイメージできません。

ネット検索で「慣習法 例」「判例法 例」で探してもでてきませんし

この2つを自分にもわかるようにできれば具体的な例も交えて教えていただけませんでしょうか?

Aベストアンサー

専門家ではありませんが、法律は嫌いでは無いので今までに読んだ事例を脚色して、例を書きます
・慣習法
『弁護始末記 17』(http://www.npb.go.jp/ja/books/mokuroku/_380301.html)という書籍にでてきたのですが、「こさがり」と言う慣習があります。これは、地方によって意味合いが異なるとはおもいますが、邪魔な草や枝を刈る行為のことです。
さて、ある村に住むAは山林を持っておりました。その山林に隣接する畑をBが所有しており、Bは慣習に従い、畑に接する山林の下草を刈り、枝を取り除いておったのです。しかし、突然の病でBは死亡し、よそから来た娘婿のCが畑を相続したことが問題の発端です。
Cが畑を相続した数年後、Aが山林を見に行くと、畑が山林まで広がっています。AはCに文句を言いましたが、Cは『親父が生きていた時から、俺は毎年この位置まで土地を使用してきた。今まで畑として使わなかったのは、お宅の山にある木が邪魔をして、日が当たらない為だ。ここまでが俺の土地だ!「こさがり」って何なんだよ。イチャモン付けるな』となり、民事訴訟へ発展。色々有って、A側の代理人となった弁護士は『こさがり』についての文献等を提出する事で、「こさがり」という慣習は存在し、民法の時効取得より優先されるとなったのです。

・判例法
米国の司法小説を読むと、判事は『この答弁の根拠は何処かの判例ですか』と問い、弁護士や検事は「××州▲裁判所●●事件です」と答えている場面があります。つまり過去に出された判例を踏襲し、同類の事件に対する判決は同じようにしていくのです。
日本でも殺人事件が起きると、『死刑を求刑する場合には、最高裁判例が適用され・・・と言う事は、今回の事件においては、条件に当てはまらないが、』このような解説等を読んだ事御座いませんか?

専門家ではありませんが、法律は嫌いでは無いので今までに読んだ事例を脚色して、例を書きます
・慣習法
『弁護始末記 17』(http://www.npb.go.jp/ja/books/mokuroku/_380301.html)という書籍にでてきたのですが、「こさがり」と言う慣習があります。これは、地方によって意味合いが異なるとはおもいますが、邪魔な草や枝を刈る行為のことです。
さて、ある村に住むAは山林を持っておりました。その山林に隣接する畑をBが所有しており、Bは慣習に従い、畑に接する山林の下草を刈り、枝を取り除いておった...続きを読む

Q主権国家と国民国家の違いって?

国際政治について勉強しているのですが、この2つの概念の違いがよくわかりません。

何か、概念的な違いはあるのでしょうか?

Aベストアンサー

主権国家というのは、「主権」つまり「政府が自分の力で自分の国を統治し独立的な権利を行使できるような国」のことを意味します。つまり外国に支配されていない、占領されていない、属国になっていない国のことですね。
国民国家というのはnation-stateといって、ネーション=国民が国の基本にある国です。フランス人の共和国であるフランスなどのように、たいていのヨーロッパの国は、国民国家です。しかし帝国のように皇帝などがいろいろな民族や国民を封建的に支配しているような国はあてはまりませんし、バチカンのような「宗教」でなりたっている国もあてはまりません。平安時代や武家社会の日本は、あてはまりません。ソ連も、いろいろな民族の連邦でなりたっていたので、国民国家ではありません。
でも、国民国家でないこうした帝国や封建的国家や連邦国家も、政府が外国の支配を受けていなくて国際社会からみとめられていれば、主権国家といえます。

Q国会と内閣の違いを簡単に教えてください!!

国会・内閣・裁判所って三権分立であるじゃないですか?それで、裁判所と国会は建物もあるし、なんとなくは分かるんですけど、内閣って一体なんなんですか??内閣には国会議事堂や裁判所のような建物とかって無いですよね??(間違ってたら指摘お願いします!)
じゃあ内閣って一体どこにあるんですか?内閣で一番偉い人は首相。つまり今は小泉総理ですよね?じゃあ国会で一番えらい人って誰なんですか?今の僕の意識では国会の中に内閣がある。っていう感じなんですけど、コレって間違ってますか??教えてください!

Aベストアンサー

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指摘する(こちらは決算)ことができます。
このように、お互い独立して仕事をしていますが
自分の担当だからといって自分勝手な行動をとらないようにチェックしあっているのです。
ですから、どこが偉いということはありません。
3つとも同じ地位にあります。
総理大臣は必ず国会議員ですから
「国会の中に内閣がある」というような気もしますが
そうすると、国会議員の中でも偉い人が総理大臣、
つまり国会より内閣の方が偉い!ということになってしまいますから
その認識は正確ではありませんね。

 内閣はどこにあるか?ですが
内閣には総理大臣のもとにたくさんの省庁がありますね。
外務省とか財務省とか、防衛庁もそうです。
その建物の一つ一つが内閣をつくっています。
仕事が膨大で職員の規模も大きいので、
まとめてどこかに置くというわけにはいかないのです。
内閣のまとめ役の総理大臣の城である首相官邸が一番小さかったりします。
紛らわしいですが、内閣府は内閣の一つの機関にすぎませんのでお間違えなく。

 最後に、国会で一番偉い人ですが
やはり衆議院、参議院の議長でしょうね。
議長は野党でも与党でもなく、中立の立場にいます。
議長、副議長になると、党を離れて無所属になるんですよ。
ですから、与党からも野党からも敬われる存在です。
とはいえ、話し合いを重んじるのが議会ですから
偉いからといって何でもできるわけではないですけど。

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指...続きを読む

Qホッブスについて

ホッブスの秩序に対する考え方を教えてください!!あとリバイアサンとは何のことを指すのでしょうか?大至急お願いします!!

Aベストアンサー

ホッブスの思想は、自然状態(国家が成立する以前の束縛及び規制のない状態)
に生きる人間は知性以外は動物と変わらず、しかもなまじ知恵がある事により
欲望を無限大に膨張させ、それにより恒久的に闘争を行なうというもので、
この事を彼は、「万人の万人に対する戦い」、「人間は人間に対して狼である」
と表現しています。 この状態では個々人の差がさほどないため、隙を突けば
最弱が最強に取って代わる事が可能であるため、勝者が決まらず恒久的に闘争
が続く。
 その点ではみな平等でありますが、人々は永久に「孤独、貧困、不快、殺伐
そして短命」という人生を送る事になるとホッブスは言っている。
 そしてホッブスは、この恒久的な闘争を収拾するためには人間相互の契約に
より国家が成立する事が必要であるが、人間の欲望は無限大に膨張するため、
社会を成り立たせている契約を破る者が必然的に現れ、その事によって社会が
維持出来なくなり再び人間は自然状態に逆戻りしてしまう、それを防ぐためには
国家が絶大な「力」を持つしかないという結論を出しています。
 リヴァイアサンとは彼が以上のような事を述べた著書であり、元々は聖書に
登場する、神々すら恐れ逃げるという最強の怪物の事です。 そして、彼は
必要悪である国家権力をリヴァイアサンにたとえ、自然状態をビヒーモス
(同じく聖書に登場する大怪獣)にたとえ、ビヒーモスの出現による国家の
崩壊をふせぐためにはリヴァイアサンを強くする必要があるとしているのです。
 ただし、ホッブスの思想は絶対主義を支えようとするものであり、結局世界を
変えるに至らなかったというのも重要です。

ホッブスの思想は、自然状態(国家が成立する以前の束縛及び規制のない状態)
に生きる人間は知性以外は動物と変わらず、しかもなまじ知恵がある事により
欲望を無限大に膨張させ、それにより恒久的に闘争を行なうというもので、
この事を彼は、「万人の万人に対する戦い」、「人間は人間に対して狼である」
と表現しています。 この状態では個々人の差がさほどないため、隙を突けば
最弱が最強に取って代わる事が可能であるため、勝者が決まらず恒久的に闘争
が続く。
 その点ではみな平等でありますが...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q上院と下院の違いを教えて下さい。

アメリカの選挙の上院と下院の違いが分かりません。
分かりやすく教えて下さい。

また、上院のほうが上なので、良いのでしょうか?

Aベストアンサー

アメリカは連邦国家です。アメリカ合衆国を構成する各州は、日本の都道府県とは異なり、それぞれが「国」なのです。平等な資格を持った州(国)の集合体がアメリカなのです。ですから、合衆国憲法によって連邦政府の専権事項とされている事項と州の権限が明確に否定されている事項以外は、全て州に権限があります(連邦と州の権限が競合し、相反する決定がなわれる場合さえあります)。アメリカ議会は、このような連邦国家の議会なので、連邦を構成する州の代表(各州2名、州は平等)からなる上院と、国民を代表(人口に比例して州選出議員の数には大差)する下院とで構成されているのです。

このように、アメリカ議会の上下両院は全く異なる存立基盤に立脚しているので、原則として同等の権限を持っています。上下両院の議決が一致しない場合は、すり合わせが行われます。

ただ、一般に、外交・軍事については州の代表である上院の、社会福祉・税制などについては民意を代表する下院の議決が重んぜられています。これは議院運営の慣行であって明確な法的根拠はありません。しかし、アメリカでは、母国であるイギリスの伝統を受け継ぎ、議会における慣行は非常に重視されており、議会の慣行は実質的な(文字で書かれていない)憲法といっても過言でない国柄なので、この慣行の安定性は非常に高いものです。

アメリカは連邦国家です。アメリカ合衆国を構成する各州は、日本の都道府県とは異なり、それぞれが「国」なのです。平等な資格を持った州(国)の集合体がアメリカなのです。ですから、合衆国憲法によって連邦政府の専権事項とされている事項と州の権限が明確に否定されている事項以外は、全て州に権限があります(連邦と州の権限が競合し、相反する決定がなわれる場合さえあります)。アメリカ議会は、このような連邦国家の議会なので、連邦を構成する州の代表(各州2名、州は平等)からなる上院と、国民を代表...続きを読む

Q人民主権と国民主権

人民主権と国民主権という言葉がありますが、具体的にどのような相違点があるのでしょうか?私にはどちらも同じに見えてしまい・・・
お手数ですが、お分かりの方お願いします。

Aベストアンサー

一般的には同義ですが、下記のようにあくまで理念面で区別する捉え方があるようです。

まず、「国民主権」の「国民」とは、過去から未来への時間を超えた抽象的な存在としての国民を指します。
この場合、主権は国民個々人に分有されず、総体としての国民に帰属し、国民は直接現実に主権を行使し得ないという見解です。
つまり、実在するAさん・Bさん・Cさん・・・の各々に主権があるのではなく、全体概念としての国民に主権があるのであって、そのような抽象的で政策・統治能力を持たない国民に代わって国民代表機関(議会・政府)が実際に国家権力を担うという考え方です。
従って、国民代表は、国民から独立した自由意思で政策決定できると解する点で、「間接民主制」を民主主義の理念型とする主張と結び付きます。

一方、「人民主権」は、主権が具体的存在としての国民個々人に区別されて帰属するという見解です。
つまり、Aさん・Bさん・Cさん・・・の各々に主権があるから、国民間で利益が相反する問題については、全員が話し合いに参加するという権利を行使した上で、政策決定をするという「直接民主制」を民主主義の理念型とする主張と結び付きます。
この場合は、いちいち国民が全員集合して個別的な政策決定をすることが物理的に不可能な故に、次善策として間接民主制が採用されているのであるから、国民代表は、現実の国民の意思に従わなければならないと考えられています。

以上は、憲法学説上の対比概念にとどまり、先鋭的な論争もないようですが、例えば、環境問題等をめぐって、地域住民が国に対して行政訴訟をした事案について、裁判所が「住民に訴えの利益がない」として却下する場合は、そこに「国民主権」的な論拠があり、他方、住民投票等の住民自治によって解決を図ろうとする主張は、「人民主権」的な概念を基調にしたものと思われます。

一般的には同義ですが、下記のようにあくまで理念面で区別する捉え方があるようです。

まず、「国民主権」の「国民」とは、過去から未来への時間を超えた抽象的な存在としての国民を指します。
この場合、主権は国民個々人に分有されず、総体としての国民に帰属し、国民は直接現実に主権を行使し得ないという見解です。
つまり、実在するAさん・Bさん・Cさん・・・の各々に主権があるのではなく、全体概念としての国民に主権があるのであって、そのような抽象的で政策・統治能力を持たない国民に代わって...続きを読む


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