
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
大名は官職名だけで呼ばれます。
島津は薩摩守、毛利は大膳太夫(だいぜんのたいぶ)、水戸家は中納言で、苗字は付けないのが正式な呼び名です。同じ国の守が同じときに2人以上付くときがあります(普通でした)が、そのときも苗字や名前は呼びません。
この呼び方ができるのは大樹(幕府)だけです。
徳川家の記録書(徳川実紀)も幕府の記録なのでこの呼び方です。
大名どうしはその国の略称に「殿」を付けて使用します。薩摩守なら薩州(さっしゅう)殿、出羽守は羽州(うしゅう)殿です。略称のない国はそのまま備前殿と呼びます。
家来からは「殿」と呼ばれました。
家来が他の大名を呼ぶときはその国の呼び方に「様」を付けます。薩摩守様等です。
官職はよく変わり、覚えるのが大変ですが、大名武鑑が毎年発行され、これで覚えるようでした。(江戸初期から幕末まで常に出版され、氏名、役職、官位、家紋、俸禄高、在所、大名の江戸屋敷、行列の際の道具等が記載され、大名行列を見物するためのガイドブック)
No.1
- 回答日時:
老中同志が互いに呼び合うときは讃岐殿、信濃殿といって守の字を略して呼び合い、また老中が将軍に大名を披露するときはそれが国主であろうと安芸、薩摩といったように守の字抜きで披露したようです。
それ以外の大名同士であれば「薩摩守殿、陸奥守殿」と呼ぶこともあったでしょうが、同じ名乗りを何名かが使用している場合もあり「島津殿、伊達殿」というように呼びかたも使い分けていたのではないでしょうか。
旗本同志も、旗本が名乗ることのできる守名乗りは同名が何人もいましたから、時と場合によって苗字で呼んだり、あるいは苗字+名乗りで呼んだりと使い分けていたのではないでしょうか。
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