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三歳一ヶ月の男の子をもつ母親です。まだ一人っ子です。
「三つ子の魂百まで」ということわざがありますよね。
夫が言うには、三歳までは犬や猫と同じだから、言って聞かなければたたく。親が子供になめられないようにしなければならない、のだそうです。
でもわたしは、それには大反対。三歳までに、自分が親から深く愛されているということを実感・体感することこそ重要であると考えています。
怒られることへの恐怖から、悪いことをしない、のではなく、自らの良心にしたがって良いと思うことをしてほしい。その良心の形成に親が助けを与えていくのが、本来あるべき姿勢であると思うのですが…
実際、父親がいない昼間、公園で小さな子を押して泣かせたり、年が上の子に対しても、「おまえ」呼ばわり。
父親と母親の間でストレスも感じているだろうなと思うと、申し訳ないというか…心配です。
保育園には、今年度中に入園の書類を提出して、できるだけ早く入園できるようにと考えています。

A 回答 (13件中1~10件)

hirojiさんはこのことについてご主人とよく話し合われましたか?


hirojiさんがご主人の考えが間違ってると思われるならやはりとことん
ご主人と話し合うべきだと思いますよ。間違ってることは指摘しないと
本人はそれが間違ってると思ってないわけだし。
私だったらこどもが叩かれるとこなんて黙って見てられないです。
親がこどもからなめられる、なめられないって、力関係じゃなくて、
尊敬される親か軽蔑される親かってことじゃないですか?
すぐに手をあげる父親、自分には優しいけど父親にはさからえない母親
上の文だけの判断で申し訳ないけど、立派に将来なめられる親に見えますけど。
それから、父親が厳しいから自分は優しくっていうのもわかりますけど、
小さいな子を押したりするのはきちんと叱らなきゃだめですよ。
ストレスを感じてるから他の子になにをしてもいいというのは言い訳です。
他の子に対してストレス発散するほどストレスを感じてるんだったら
ストレスをとりのぞいてあげるように動いてあげないと、保育園に入ったって
問題解決にはなりませんよ。公園が保育園に変わっただけで同じことでしょう。
いますよ。保育園でストレス発散してるこども。そういう子はお友達に
嫌われるし、親からもあ~あの親じゃ子供がこうなるのもしょうがないわね
・・。という見方をされてます。結局こどもがかわいそう。
厳しい言い方になって申し訳ないですが、ご主人の考え方を正すのはhirojiさん
しかいないんだからがんばって下さい。

この回答への補足

夫とはあまり話し合いができてないですね。仕事の疲れだとかストレスだとかで、不機嫌なときも多いし、そうでなければ自分のことがしたいタイプの人です。子供が寝た後など、話をしても面倒そうで、すぐ切り上げたがります。

公園でのことですが、怒っています。「わたしだけは優しくしてあげよう」などとは考えていません。厳しく意見して下さって感謝します。

補足日時:2001/11/21 11:35
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2001/11/21 11:35

拝啓、hirojiさん


私は3人の子がいるパーパパパです

パパだけでなくママも一緒ですが、
怖いときも、優しいときも、両面必要ですゼ
また、パパにはパパの、ママにはママのジャンルがあり、
お互いに叱るときも、褒めるときも自然と役割のような感じで
分担されてきます
とくに褒めるときは思いっきり褒めてあげましょうネ
でも、パパ、ママ、一緒に叱るのだけはダメですヨ
これをやりますと、子供は逃げ場を失いますから・・・
ママが叱っていたら、パパが子供の逃げ場になってあげます
また、パパならママが救いの手を差し出してあげてください
こうすることにより、段々と子供は子供なりに分かってくるのです
パパもママも目を吊り上げてしまっては、子供は萎縮してしまいますゼ
とくに精神的にネ
確かにパパは特別に怒ったら怖いということは教えておいてもいいでしょう
子供にとって、怖い人は必ず必要ですから
貧乏くじを引いたつもりで、鬼さんになりましょう(雷かな?)
必ず・・・逃げ道だけは忘れずに確保してあげてネ

でも、まだ3歳でしょ?
うーん、可愛いときですゼ
少々、悪がきさんの方がいいと思いますけれど・・・
もう少し成長されれば、自ずと分かってきます
心配なさらないでください
どこの子供さんもそんなもんですよ
そのくらいの元気があってこそgoodです

ちなみに我が家では、パパである私は色々な顔を子供たちに対して
もっています
怪獣パパゴンであったり
パパゴリラであったり
豹パパであったり
へんなパパであったり?
ゆかいなおじさんパパであったり
絵が好きなパパであったり
プラレール作成パパであったり
ギターを弾くパパであったり
猛烈に怖いおばけパパであたり
質問パパ
回答パパ・・・
いろんなパパであります
ママもまたしかりですが・・・

楽しむ時は親子で思いっきり楽しみます
小さな子供さんがイタズラをするのは
イタズラに対する罪悪感なんて欠片もありません
親の気を引くことしか考えていないことが多いようですゼ
お忘れなく
パーパパパでした
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
励まされます。

お礼日時:2001/11/21 11:33

虐待とか体罰とか云々言う前に、親子の信頼関係としつけについて、夫婦がどのように共通理解した上で行動しているか、ではないでしょうか。



まず質問タイトルについて。父親は恐いもの、母親は恐くないもの、などという認識を子どもが持ってしまったら、確かに小さな子どもは、自分の行動基準を、「目の前に恐い人がいるかどうか」だけで決めてしまいます。「やってよいことか悪いことか」という判断力は養われません。

むしろ私に言わせれば、父親にも母親にも、恐さは必要だと思っています。同じ状況で、同じように叱る両親に育てられて、初めて子どもは、
・人間としての行動の善悪、
・相手に対して、どういう態度を取ると、相手はどんな気持ちになるのか、
ということを覚えていきます。ただし、ある程度の役割分担は必要であり、叱ったりくどくどと説教をしたり、で、子どもの逃げ場をふさいでばかりだと、子どもはパニックを起こしかねません。間を置いて、どちらかがフォローする体制も必要です。

子どもになめられないようにするのではなく、人(親)に対してなめた態度は許されないことである、というのを教えることが、親の務めであります。その手段として、手をあげなければならないかどうかは、状況によりけりです。

私の子も3歳です。母親から耳掃除をされたとき、嫌がってもがいていましたが、しまいには母親を蹴飛ばし始めました。母親が逃げると、なおも追ってきて、執拗に、全力で蹴ってきます。半分パニック状態ではありますが、こんな状態の子に、「いいかい、人を蹴るというのはね…」などと話したところで、どうにもなりません。遠慮なく私はたたいて押さえつけ、一通り泣かせてから、抱っこしてゆっくり話して聞かせました。たたいていたときの私を、娘はさぞ恐いと思ったことでしょうが。

今述べた例は、間違っているかもしれませんが、夫婦での共通理解の上での行動です。私が疑問に思っているのは、hirojiさんの質問文の後半。公園で小さな子を押して泣かせたり、「おまえ」呼ばわりしているあなたの子について、「ストレスを感じているんだろうな」というとらえ方で終わっているとすれば、それこそ大間違いです。

そんなことは、その場であなた自身のお子さんをこっぴどく叱った上で、一人で考えていればよろしい。(まあ、そうしているとは思いますが)「その場」での指導こそが、親には科せられていますからね。

言い足りないところ、いっぱいありますが、あとは、これまでの回答の方々とほぼ一緒でございます。

この回答への補足

夫との話し合い自体十分にできてないですね。仕事で疲れたとか、自分の用事が先決で、応じてくれない。というか、こっちが話しても聞き流す感じ。面倒だ、というのが伝わってきます。

公園でのことですが、「その場」で怒ってます。どうしてしたのかを聞いて、「おともだちに謝って」と言います。わたしから見ていて、一緒に遊びたいのを上手く表現できないみたいだ、と思えば「一緒に遊ぼって言ってみたら?」と促したりします。

補足日時:2001/11/21 11:12
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2001/11/21 11:11

犬や猫と同じって・・・。

何のために「親子の会話」があるんでしょうね。
ほかの方もすでにおっしゃってますが、たとえペットのしつけとしても、
たたいてしつけなんてしません。というか、してはいけません。
「親が子になめられる」っていうのも・・・。だからって叩くんですか?
もしかして、旦那様も叩かれて育ってこられたのですか?
そうすると、自分も叩く親になるって、本で読んだことがあります。
言って聞かなければ、分かるまで・理解できるまで話してあげるのが
親なんじゃないでしょうか?
学校生活が始まるまでは、家庭の中が唯一の「集団生活の場」ですよね。
悪い事をしたらその場で怒る。判るまで叱る。
それが一番必要なんじゃないですか?
手をあげたって、将来的にそれが自分に返ってくるだけだと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2001/11/21 11:10

体罰はしませんが、叩くことはありますね。


叩くことと体罰は同じようにも見えます。
傍から見たら体罰でしょう。
しかし子どもから見たときに体罰でなければ、それは体罰とはいえないと思います。
このように書くと私は、体罰容認派のように受け取られるでしょうが、親の屁理屈から発する体罰には大反対です。
私が叩く行為をするのは、子どもの意識を転換させるためです。
細かな説明は後回しにして、我が家の現状を説明すれば。
子どもが叩かれることを要求します。
叩かれることはイヤだけど、叩かれないと覚えられないこともある、どうしても覚えたい時には体で覚えなければならないときがある。
こどもがそれを自覚できるように育ててきました。
だから、叱って叩くのではありません。教えてから叩きます。
叩くといっても年に何回あるかどうかです。生死に関わるような善悪は時として体が反応しなければ対応できないこともあります。
そのためにだけ、体で覚えてもらうためだけに叩きます。

それでは叩かない時の子育てはどうしているかというと、私の本業は子育てです。
専業主夫というわけではありません。自営業の木工屋です。毎日忙しく仕事をしています。
でも、この仕事は子育てのために必要な手段だと認識しています。
私の存在そのものの目的が「子供を立派な親に育てる」に集約されているのです。
自分の存在は子供のためにあるといったほうがわかりやすいかもしれません。
ですから、我が家の環境はすべてにおいて子育て優先です。
東京でサラリーマンだったころがウソのような自然の暮らしをしています。
地方都市の里山のふもとに暮らし、山から生活の糧を得、自然の恵みを生かす術を子どもに伝えるべく、日々親である私が率先して苦労をする。
なおかつ、現代の文化的な生活水準を維持し、さらに最先端の科学技術についての教養を子どもたちに与えられるように日々学習する。
私は子どもには決してウソはつきません。だから子どもたちはお父さんというものはうそをつかないものだと信じています。だからこそ、躾の厳しさにも素直に従ってくれます。私の躾が誰のためにされているのかを理解してくれているからです。
だからこそ叩くこともできます。
「お父さん、悪いことしちゃったから叩いて」
時としてこういわれることもあります。しかしこのようなときには叩く必要がないことはすでに述べました。
何をしたのか聞き、その善悪を一緒になって考え、自分のとった行動が他者にどのような影響を与えたかをじっくりとお互いに考えます。
親子でともに学ぶのです。親は躾の役割を任されてはいますが、しつける資格はありません。
そのような技術を持ち合わせていないのですから。
技術もないのに親の特権だと言い張って子どもをしつけることは親の自己満足に過ぎません。
子育てにマニュアルはありません。一人一人に違う対応を迫られます。
我が家には三人の娘がおり、三様の子育ての必要性を感じて日々学習しています。
その先生は子どもです。子どもの様子を見て子育てを学習しています。
子どもも親の姿を見て学習します。子どもになってほしい大人に、自らなろうと努力しています。
エネルギー危機が訪れ、経済恐慌が吹き荒れるかもしれません。そうなった時でも平気な顔をして生き抜けるだけの術を身に付けさせるために、今の私がその術を一生懸命修得しています。
そして生活の中に何食わぬ顔をして溶け込ませています。だから、我が子は小学校一年生と三年生でありながら、薪で風呂も沸かせるし、飯も焚けます。
重度障害者とコミュニケーションをとって遊び、身の回りのものを採って食べます。
教えたわけではありません。見せているだけです。
躾とはそういうものだと思います。
信用されないから、恐怖心が生まれます。
私が子どもを叩くとあえて言った意味がわかっていただけたでしょうか。
叩かなくとも言葉でもかまわないのです、単なるきっかけにしか過ぎないので。
罰などいらないと思います。罰を科すだけの資格が親にはありません。
毎日子どもと主に学び、一足速く学び取った生きる知恵を子どもに教授することが親の役目だと思っています。
これまでも、そしてこれからも。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2001/11/21 11:07

自身や他人の命に関わる、或いは大怪我をしそうなことをした場合;


例えば、赤信号の交通量の多い道路に飛び出そうとしたときや、窓からコップを投げ落とそうとしたとき、そういったときには、時間を空けずに、その場で尻を叩くのも仕方がないかもしれません。これは怒っているのではなく、叱る必要があることだからです。
けれども、そういった事情以外においては、基本的に手を上げるべきものではありません。間を空けずに言葉で叱ってくださいネ。怒ってはいけませんヨ。
逆に、こうすればお父さんが喜ぶ、お母さんが喜ぶといったことを知らしめるために、誉めることの方が重要なことです。
その結果、子供が親をナメルと考えるとすれば、器が小さすぎるということになりますネ。どれほど自分に自信がないかということですから‥
hirojiさんのご家庭の状況では‥父親の態度や考えが変わらないのであれば、早めに保育園に入れてあげることがよいのかもしれませんネ。
三つ子の魂百まで
のとおり、とんでもない子供に、また、将来お子さんの子供(つまり、未来の孫)が虐待を受ける原因ともなりかねませんからネ。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2001/11/21 11:05

>言って聞かなければたたく。

親が子供になめられないように
力関係が逆転すればなめられます(こっちのほうが怖いかも)

叩くこと全てを否定しませんが、怒って叩くのは反対です。

知人の旦那さんは叩く場所を手の甲とお尻に決めているそうです。
で、叩く前にまず叩く場所を手のひらでさすってから叩くそうですが、この一呼吸が「怒り」を「叱る」に変えるそうです。
手の甲を叩くときは「○○ちゃんは良い子だけれど、この手が悪い子」と言いながら、お尻を叩くときは肩に抱き上げて「○○ちゃんはいつも良い子なんだけれど、メ!」と言いながら叩くそうです。

同じ叩くにしても微笑ましく感じるのは私だけでしょうか?
親もまた未熟であることに気づき、子供と一緒に成長していきたいものですね。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2001/11/21 11:03

 何もかもがムカツク。

申し訳ないけど。動物を叩いて「しつけ」なんて言ってる人がまだいるんだ。
 そんな犬を見たことがある。飼い主を好きでも尊敬してもいなかった。ただ、怖いから機嫌を損ねないないようにしていただけ。飼い主は偉そうに犬に命令していたけど犬は嫌々従っていただけで、ある日リードが外れたときに一目散に逃げていってそして二度と帰ってこなかった。
 叩かれたことの一度もない犬をたくさん見たけど、常に主人を上と認めて喜んでもらおうと一生懸命な犬はいくらでもいた。私の犬も、私を見れば目を輝かせて何も言わなくても喜んで私の後をついてきた。
 でも、私も一度犬を叩いたことがある。間違いだった。犬は悪くなかったけど必死で謝ってきた。でも、犬が悪いことをしたときはその場で叩けという昔の本の通り叩いた。その後信用してもらうのがどれだけ大変だったか。
 でも最期まで何気なくでも手を振り上げたときにでさえ、たま~にびくっとして見上げる癖は直らなかった。たった一度、叩いただけだったんだけど、今でも涙が出る。
 犬猫と同じなら、一度作った傷を修復するのがどんなに大変か、失った信頼を取り戻すのがどれだけ神経を使うことか知ればいい。その信頼の絆だけがこちらを尊敬させる唯一の綱なのに。
 犬の話をしたけど、人間も同じでしょう。叩くことが必要なときもあると思う。でも、3歳までってそれは逆じゃないかな。もう物事の道理がわかっているのに大変なことをやらかした時には必要なときもあるかもしれない。でも、言うことを聞かなかったから叩く、では暴力をふるわれているのと同じ。暴力をふるわれて、その人を信用したり尊敬したりする?私なら、いつかやり返してやるってどろどろしたものを溜めるだけ。ぞっとするような父親ですね。親から子供は絶対に逃げられない。だから手っ取り早く叩くっていうのはやめてほしい。
 小さい頃は何が悪くていいかもわかっていないはず。発達心理学では、そういう社会的な通念や思いやりが備わるのは6,7歳からだっていうし。
 その人も、もしかして小さい頃、言うことを聞かなかったからって殴られていたのかな?
 叱るのと、怒るのは違うし、甘やかすのと可愛がるのも違うと思うけど。まあお役に立てない感情的な意見ですが。

この回答への補足

夫は昔犬を飼っていたことがあるらしく、持論に自信があるのかもしれません。
それと、夫はやはり小さい頃、蹴られたり叩かれたりしたようですね。今でも自分の父親のことは嫌っています。

補足日時:2001/11/21 10:54
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2001/11/21 10:53

別に「こうあるべき」というのは、ないんじゃないでしょうか。


僕にも子供がいますが、叩くときは叩きます。0歳の子供にだって手を上げます。
そうでもしないと、うちの子供達は、自分が悪いことをしているという実感があまりないようなので。
ただ、妻は基本的に子供を叩きません。
それで夫婦のバランスがうまくつりあっているのか、と僕と妻との間ではお互いに納得しています。
叩く程度、頻度によりますが、叩いたほうがいいかなと思うときは叩けばいいし、それほどでもないかなと思うときは口で注意するに留める、といったさじ加減でいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2001/11/21 10:38

>怒られることへの恐怖から、悪いことをしない、のではなく、自らの良心にした>がって良いと思うことをしてほしい。

その良心の形成に親が助けを与えていくの>が、本来あるべき姿勢であると思うのですが…

理想かな?それは。いやいいんですよ。そう思うならば。
しかし考えてみてください。人をなぜ傷つけてはいけないか?
すべて理屈で済ませられますか?自らの良心?
人間の子供ほど残酷なものはなくいですよ。
良心の形成をどうやってやるのですか?
人を傷つけることについて
理屈で説明できる部分もありますが、すべてではないです。
すべて説明できる自信ありますか?自分と親しか人間関係がない
子供に。そこでもう一歩踏み込んで考えてください。
その説明にはかなり複雑な論理展開を必要とします。
その結果どうなるか?子供はすごい屁理屈をいう子に育つときがあります。

手を上げること一般は反対です。
しかし、感情でしかることが許されるのは親の特権でもあると思います。

友人で教師をしている親がいます。
教師ゆえに自分の子も生徒と同じように体罰なく、理屈で説明します。
その子には感情でしかってくれる人がいないんです。
家でも外でも同じようにしかられるのです。
故に、すごい屁理屈を言います。
親がいう小難しいことを、自分も真似るんです。
ちょうどお子さんが自分に対する父親の影響が出ているのと同じですね。

私はむやみに手を上げることは反対です。大きな声というのも立派な
威嚇なんだそうですけどね。
しかし父親にはしっかりしかってもらうことでよいのではないですか?
母親が後は理屈でしかることを覚えさせてやれば。

個人的には二人の役割ができていてよい関係かなと思いますけど。

へたくそな説明ですいません。

この回答への補足

理想でしょうね、確かに。でも理詰めで教え込もうと思っているわけじゃないんですよ。感情でぶつかることのほうがほとんどです。「大好きー!」にしても「こらー!」にしても。

補足日時:2001/11/21 10:13
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2001/11/21 10:29

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