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本当のところは分からないのですが、ぱっと見て漢字の多さと書き手の性別にある程度関係があるのではないかと感じています。つまり、同じカテゴリーならが男性の書く文章の方が漢字が多いように思えるのです。本当にそういう傾向があるのでしょうか。(統計があるといちばん嬉しいです。)

また、それが本当としたら、どうしてそんな違いが起こるのでしょうか。例えば、「ひにち」を「日にち」と書くか「日々」と書くかなどの漢字を使いたくなる傾向が違うのでしょうか。あるいは「好み」か「嗜好性」か使いたくなる単語が違うのでしょうか。

くだらない質問ですがよろしくお願いします。

A 回答 (6件)

‘それ’のみではないでしょうが、考え方としてうなずける面はあると思います。



男性の思考は、どちらかというと論理的思考が多いと聞きます。逆に女性は、感情的な思考ですね。
論理的なことが上手いので、物を細かく作ることや機械いじりが好きな人は多いです。
また客観的に、物事をつかみやすいといわれますね。
感情的な思考は、ぱっと感じることがすごく長けています。普段と異なる状況の察知や、感性の高さに見られるでしょう。その代わり納得いかないことには感情的に表現し、ストレスでヒステリーを起こしたりという面もあります。

それで文章の話に戻しますが、漢字は~それぞれに意味がある~どらかというと論理的なもの、ひらがなは見たとおりですから感情的なものととらえることができると思います。

そういう意味では男性的、女性的な文章はあると思いますよ。
なんといってもひらがなは、元々女文字として作られだしたものですしね。

ただあくまで傾向でしょうし、難しい漢字を好んで使う人もいると思います。
その人の文章への取り組み方や、性格によってまた異なると思います。その点だけお気をつけください。
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この回答へのお礼

漢字は論理というのは今まで考えたことがありますが、ひらがなが感情というのは新鮮でした。ひらがなは聞いたままーより生の声に近いーつまり感情も含めた表現と考えると「そうかも」と思えてきました。

> 元々女文字として作られだしたものですしね。
これって、女性が作ったのか男性が作ったのか興味がありますね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/25 09:22

非常に興味深い着眼点からのご質問だと思い、数日かけて考えたことを書きました(締め切られていなくてよかったです)。

いささか長文ですがお許し下さい。

まず、私も質問者さんのおっしゃる様に、男性は漢語を、女性はひらがなを多用するのではないか、という仮説に対しては賛成です。そして#2の方がおっしゃっていたことと似ていますが、それは、漢語は論理的思考と、ひらがなは情緒的・感情的表現と結び付くからではないかと思われます。なお、#2の方は「感情的思考」という用語を使用されていましたが、「感情」と「思考」とは全く別もので一緒になることは決してありません。これは下記に説明したことをお読みになれば容易に理解して頂けると思います。

「感情」や「思考」を初めて心理学の領域に持ち込み、これを体系的に説明した学者はユングを置いて他にいないでしょう。ユングについてご存知でしたら下記のパラグラフは読み飛ばして頂いて結構です。

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)は1875年、スイスのケスヴィルに生まれ、25歳の時に人格の病を治す「魂の医者」(精神科医)を志す決意をします。精神分析学の創始者とも言うべきジグムント・フロイトの愛弟子となりますが、意見が対立し、数年で訣別してしまいます。自分自身の精神障害を乗り越えて、その独自の観点から分析心理学(Analytical Psychology)の発展と普及に努めました。従って分析心理学と言えばユング(派)の心理学のことを指します。また、分かり易く「ユング心理学」と記されている場合もありますが、これは同義です。彼は夢診断から得られた心の膨大なデータを基に独創的な深層心理学を発展させ、「集合的(普遍的)無意識」、「元型」、そして「共時性」の発見で心理学界に大きな衝撃を与えました。その代表的な思想以外にも膨大な著作が残されています。1961年、チューリヒにて死去しました。

ユングは人の傾向を見るのに、2つの意識的態度と4つの心理的機能を定義しました。2つの意識的態度とは「外向」と「内向」であり、4つの心理的機能とは「思考」「直観」「感覚」「感情」です(意識的態度は今回のご質問とは関係ありませんので割愛させて頂きます。)。ユングは、人はそれぞれ最も得意な心理的機能を持っていると考え、「思考」「直観」「感覚」「感情」の4つに区別しました。例えば、ある絵画を見た場合でも、人によって起こる反応は異なります。以下例を挙げてみます。

「思考型:この絵は何を意味するのだろう?何派に属するのだろう?などと考える、判断する」
「直観型:全く別の発想を得る、そこから可能性を受け取る」
「感覚型:色や形を的確に把握する、そのまま詳細に受け取る」
「感情型:好きか嫌いか、感じがいいとか悪いとかを決める、判断する」

さらにユングは、「思考」と「感情」を合理的機能、「直観」と「感覚」を非合理的機能と呼んでいます。「思考」「感情」が何らかの判断を下すのに対し、「直観」「感覚」はまず自分のうちに取り入れる機能だからです。「思考」型の人は、それが何ものであるか考え、分類・判断・規定します。「感情」型の人は、それが好きか嫌いかで、判断したり、分類したりします。このように「思考」「感情」共に、ある事象に対し、ある種の方向付けをし、合理的に判断します。逆に言えば、非合理なものをそのまま受け入れるのが苦手です。

一方、「直観」「感覚」型の人は、目の前の事象をそのまま受け取るのが得意です。「直観」型の人は、そこから可能性を受け取ります。そこに付随する、発想を受け取ります。「感覚」型の人は、とにかく、そのままの形状、色彩などを詳細に受け取ります。このように、「直観」「感覚」型の人は、あれこれ考えたり、好き嫌いを判断する前に、ともかくそこにあるものを受け取るようです。但し、その理由を表現することが不得意な傾向にあるようです。

これらの合理的機能は互いに対立するペアをなします。つまり、思考的傾向が強い人は感情が未分化・未発達であり、感情的傾向が強い人は思考が未分化・未発達です。思考型の人は考えを深めるのが得意ですが、感情を表現するのが苦手な傾向にあります。逆に、感情型の人は感情を表現するのが得意ですが、考えを深めるのが苦手な傾向があるようです。これは非合理的機能にもあてはまり、直観的傾向が強い人は感覚が未分化・未発達で、感覚的傾向が強い人は直観が未分化・未発達です。

では、男性が漢語を多用するのはなぜか、ということですが、これは漢語が「思考」と密接に結び付いているからではないかと思われます。例えばこれは私が他のカテで実際に使用した漢語ですが、「包括的な概念」「透明性を担保する」というのがあります。もちろんこれは文脈の中で使用されたものであり、これだけ取り出したのでは何のことかサッパリ分からないと思われます。しかし、これをひらがなで表記しろと言われても不可能です。但しもちろん女性でもこのような表現をされる方はいらっしゃいます。例えば学者の論文などでは、筆者の名前と顔写真が掲載されていても非常に論理的で漢語も多用されている、難解な文章を目にします。ですから誤解のない様に申し上げれば、決して男性全員が漢語を多用し難解な文章を書き、女性全員がひらがなを多用し易しい文章を書くと言うつもりは全くありません。ただ、そういう傾向がある、ということを言いたいのです。

逆に、女性に多い傾向としては、「感情」を重要視しているために、表現が感情的・情緒的になるのではないかと思われます。例えば「ゆったりした」「のんびりした」という表現を漢語にしようとしても無理です。もちろん全ての感情的・情緒的表現がひらがなで表されるとは思っていません。例えば「憂鬱な」「爽快な」というような、漢語の感情的・情緒的表現も存在するからです。しかし、統計を取ったわけではありませんが、やはり感情的・情緒的表現にはひらがなが多いような気がします。

ここからはご質問の趣旨から逸脱してしまうかもしれませんが、まず、最近の傾向としてワープロを多用するようになったため、漢字に変換する必要もない語まで漢字になっている、という指摘をされていた方がいました。これはジェンダーの違いとは全く関係ないことです。

また、私が回答を読んでいて気が付いたことですが、女性回答者の多くは書き出しが「こんにちは」とか「こんばんは」となっていることです。この理由は、おそらく女性はメール感覚で回答しているのではないかと思われます。つまり、質問に対してメールで返信している感覚で回答しているのではないか、ということです。これはつまり質問者と回答者(自分)とが会話のキャッチボールをしているという感覚が根底にあるのではないかと思われます。会話ですから、自説をとうとうと論じ立てて相手を論理でねじ伏せようなどということは全く考えていないでしょう。それよりは相手の言うことに虚心坦懐に耳を傾け、相手の言わんとしていることを汲み取り、それに対して臨機応変に対応していこう、という女性の特長が良く出ているのでは、と思います。

また脱線してしまいますが、女性と男性ではどちらが会話が上手かというと、これはもう圧倒的に女性に軍配が上がります。それは相手の言うことに耳を傾ける力、そこから相手の言わんとしていることを汲み取る力、それに対して適切な言葉を変な間を空けずにタイミングよく発する能力に長けているからだと思っています。

逆に男性回答者の場合はのっけから自説を展開している場合が多いため、挨拶ぬきで「これはこうだ、だからこうだ」という論旨の展開を行う傾向が多いような気がします。

ところで、私が回答を読んでいて、「○歳女性です」などと書かれていなくても、あるいは冒頭の挨拶があってもなくても、この回答は女性が書いたものか男性が書いたものか、読んでいて分かります。それは女性特有の匂いが文章から漂って来るから……ではありません。私の洞察力が鋭いから……でもありません。内容からです。先程、女性の場合は「感情」機能が優れている、ということを書きましたが、女性の場合、相手の立場や感情を汲み取られることが上手な気がします。ですから文章を読んでいても「感情」で説明されていることが多いような気がします。論理的な説明を行って下さった方が全くいらっしゃらないわけではありませんが、むしろ相手の立場や感情を汲み取った上で、感情に訴えるとでもいうような内容が多いような気がします。この意味では素晴らしい論理展開でスカッとするような経験をしたことは私自身はあまりありません。

逆に男性の場合は自説を論理的に展開している傾向が強いような気がします。素晴らしい論理展開でスカッとするような気分を味わえますが、反対に独善的な論理展開をしているのでは、と思わざるを得ない回答に出会うこともあります。

なお、私はどちらが優れているとか、劣っていると言うつもりは全くありません。ただ、あえて言うなら、カテゴリーやトピックスごとにその良い特性が出てくるといいと思います。例えば「恋の悩み・人間関係」は女性の得意とするカテゴリーなのではないでしょうか。ここでとうとうと自説の論理展開をされても反駁したくなってしまいます。しかし、例えば「政治」「経済」では理路整然とした論理展開に出会うと思わず“fabulous!”と叫びたくなります…って冗談です。私はバレンタイン・ロッテ監督ではありませんから。

あとは女性の特徴として、記号(♪や☆)の多用や顔文字の多用があると思います。もっとも最近は携帯メールの普及でこうしたものを男性が使用することも多くなったような気がしますが。

漢語とひらがなのジェンダーとの相関性は、非常に興味深いテーマだと思われますので、統計を取って調査されてみると面白い論文が書けそうな気がしますが、いかがでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

maria_sharapovaさんの御指摘通り、漢字あるいはひらがなでしか表せない論理性や感情を反映する独特の表現が多々ありそうです。その表現に引きずられて他の言葉も漢字になるかひらがなになるか規定されそうですね。

実は、4つの心理的機能ー思考、直観、感覚、感情ーというところを読んでいて、今まで普通に使っていたこれらの言葉意味が何だか曖昧に思えてきました。例えば、思考型vs感情型≒客観的判断vs主観的判断のような単純な図式もありかなと思ったのですが、maria_sharapovaさんの言われる男性の独善的判断(私も男性全体にこういう傾向があると思います。)は強い主観の現れのような気もしてきます。また、優れた発見・発明の根底に直観力があると言われて否定する人はあまりいないと思えるのですが、とすると直感は意識下での思考のことの気もしてきます。単に言葉の定義、あるいはバランスの問題なのだけかも知れませんが。。。このあたり、少し勉強してみようと思います。

この場をお借りして、回答してくださった皆様にもう一度お礼したいと思います。どれもこれも私にとって刺激的な回答で、皆様にポイントを差し上げたいのですがそうも行かず、「感覚的」に決めさせていただくことになりそうです。

お礼日時:2005/10/30 14:14

 それはまあ、紀貫之が......女たちが書くという日記なるものをひとつマロも......と仮名で書いたというかの土佐日記のような例もありますが、そんな当時の慣習が今の時代まで引きずられているとはとても思えません。



 たしかに、男性の文章には漢字が多く、女性の文章にはかなが多い.....ようには感じますね。
 それも、つまるところは、とかく男性は職場で報告書だとか通信文などを書く機会が多いし、たぶん上司から「漢字を正しく使ってもっとピリッとした文章を書け」などとお尻を叩かれているからじゃないか、そして女性もそうした機会が多くなったとはいえ、まだまだそこまで文章をピリッとさせる努力はしていないのではないか......そんな気がします。まして家庭に入ってしまえばなおさらのこと。

 それだけでなく、とかく女性は書き方ひとつを取っても、どこかで女性らしさ.....を意識しているように思いますし、文章でいえば、そうした表現はとかく漢字の使い方次第といったこともあるのでしょう。

 もちろん、その人その人の知的水準だとか語彙の広さとか、社会参加の程度とか、自身の性格だとか、そうしたものでずいぶん違ってはくるのでしょうが。

 わたし自身で言えば、こうしたサイトに書き込みをする際に、なるべく均等に漢字を配して、できるだけ読みやすく分りやすい文章にすることをいつも考えています。ことに自分が経験してきた専門分野のご質問にお答えするのが好きなものですから、そんな場ではとかく、お答えにはなんの関係もない性差というものを極力見せないようにと心掛けています。
 
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この回答へのお礼

漢字の配分を考えておられる方もいらっしゃるのですね。漢字の配分・改行の頻度さらにはフォントの変更(ここでは無理でしょうけど)などで文章の書き手を想像させなくすることは可能かもしれませんね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/25 21:30

■文字としての漢字の使用量


>男性の書く文章の方が漢字が多いように思えるのです。本当にそういう傾向が…

率直なところ、古代より男の漢字、女の仮名といわれてきたこともありますし、既に明らかなのではないでしょうか。
また、漢字使用に限らず改行数、空白の行数の多さも女性に多いように思えます。

少し角度を変えますが、少女漫画は少年漫画にくらべ、白い部分が顕著に多いようです。女性は「黒さ」を嫌っているのではないでしょうか。
少女漫画をキレイだと言う男に出会ったことはありませんが、少年漫画をキタナイと言う女性には何回か出会っています。漢字の多さ(改行の少なさなども)が「黒さ」へつながることも要因としてあげられるような気がしています。
少女漫画は装飾性としては細密、写実性としてはシンプル、少年漫画は大体その逆ですよね。女性は写実的表現において複雑さ、厳密さを求めてはいないようです。

■語彙としての漢字熟語の使用量など
>「好み」か「嗜好性」か使いたくなる単語が違うのでしょうか

一つには、やはり文字としての漢字使用の好みに起因していると思えます。
もう一つは、よく知られている性差、女性は左右脳をつなぐその太い橋梁を利用して、常に単語と感性がペアになって働き、男性は感性が付属せずにその分、論理性のみに脳が多く使われる、ということに関係しているのではないかと思います。専門家ではありませんので単なる推測にすぎませんが、男性は漢語の論理的厳密性に頼っているともいえそうな気がします。単に、男性得意な序列意識からくる競争(文系)の武器なのかもしれません。

■文学統計
>統計があるといちばん嬉しいです。

すみません、具体的なものを答えられません。しかし、文学においても統計手法はいろいろ試みられていますので、論文をあたれば何か出てくると思います^^;

文学上の性差について言及したものであれば、近藤みゆきという人がいくつか論文を書いていたと思います。
(ご参考:↓url、PDFです。古今和歌集の『飽かず』の性差について、心理学がご専門の方にも興味深いと思われる結論があります。)

参考URL:http://klab.ri.aoyama.ac.jp/public/paper/2001032 …
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この回答へのお礼

毎度お世話になります。ご回答ありがとうございました。

これです。空白の量の差です。言われて気がつきました。このあたりの美的感覚の現れでしょうか。

女性の方がなにもない空間を楽しんでいるのかもしれませんね。部屋が散らかっているのって男性の方が多いしというのもこれと関係あるかも。脳梁の太さもあって(?)空間が埋まってしまうと情報過多を感じるのかも。。。逆に男性は細部にこだわって情報は詰め込められるだけ詰め込んである方が安心なのかもしれません。

参考文献もありがとうございました。(古文はとても歯が立ちませんが。。。)「飽かず」の性差面白く読まさせていただきました。(因みに専門は心理学そのものでなくて心理学´ってところですけど。)昔から男性の方がとことんこだわっているのですね。それにしても、国文学でも横書きなんですね。何故?

お礼日時:2005/10/25 10:24

漢字は男文字、仮名は女文字と言われるくらい、仮名は本来女性が作ったという歴史背景があります。



女性がやたらと漢語を使ったら「堅苦しい」とか「理屈っぽい」と敬遠されるので、女性も漢語を避けてきたのかもしれません。

落語「たらちね」で、武家屋敷に奉公してた女性が、くまさんだかはっつぁんに嫁入りして、やたらと漢語を使う。「目に砂が入った」というのを「小砂、眼入して」なんて言う。笑い話にされるくらい、女性と漢語がミスマッチだったのでしょう。

漢字の習得には努力が必要だから、学歴が高いほど良いとされる男性と、学がありすぎては敬遠される女性の社会の価値観の違いもあったでしょう。

佐藤雅美を最初は女性だと思ってて、読んでるうちに「これは男の文章だ」と感じたのは、漢字の多さではなく、形容詞の使い方とか、そんなものからでした。
高村薫の文章は、知らずに読んでたら男性作家だと思ったでしょう。
男でも女でも、わかりやすい文章が一番です。子供用の仮名だけの本は読みにくいですが、中島敦みたいに漢語だらけだと読む気が失せました。
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この回答へのお礼

歴史がどれくらい絡んでくるのかも大切そうですね。

漢字はもともと外来語ですよね。ということはくまさんだかはっつぁんも「小砂、眼入して」とは言わなかったかもしれませんね。ひょっとしたら、男性の方が寡黙で書くときに書き言葉を選ぶのかもしれないという気になってきました。(あ、最初の男性の方が漢字が多いということは立証されてませんね。。。)

私も平野啓一郎の本読めませんでした。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/25 09:37

こんにちは。


面白い事を質問しているなぁーと思い、お邪魔させて頂きました。
男性と女性の漢字の使用頻度、書き方などは性別がというよりも、むしろその人の固有の
知識や個性ではないでしょうか?
簡単な事柄を難しく言い換える書き方で、自分は人にはない個性を活字にして主張しているのだと感じます。
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この回答へのお礼

個人差が大きいと言うのは本当ですね。同じ題材で書かれていても漢字の量(というか空間の多さ)が違ってあれっと思ったら、女性だったり、男性だったりとうことが何度かあったので。今まで漠然と読んでいたのでもう少し注意深く読んでみるとします。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/25 08:13

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