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昨今の礼儀礼節の衰退と凶悪・悪質犯罪との因果関係
ある団体の試験の課題です。

私はこの題名をみてとても戸惑ってしまいました。
昨今、礼儀礼節が衰退していますでしょうか?
私が生きてきた20数年間、世の中が見えてきたといえば大学を卒業した数年間のみでしか分りません。
少し前の世代を生きている方、昨今、礼儀礼節が衰退していますか?
衰退しているとすれば、具体的に教えてください。

ちなみに私は礼儀礼節の衰退(あるとすれば)と凶悪悪質犯罪の因果関係は無いと言うことを論文にしたいと思っています。
なぜなら礼儀礼節がある人でも凶悪犯罪を起こす可能性はあるからです。
人はふとしたきっかけで悪にでも善にもなれると思っています。

A 回答 (7件)

礼儀礼節は間違いなく衰退しています。


戦後、社会や家庭から上下関係が薄れてきたのはお分かりですね。
年長者に対して、親に対して、先生に対して。権威の否定の良し悪し
は別問題としても、敬うことが無くなればその部分の礼儀も消えます。
加えて建て前から本音になり形式が薄れました。形よりも実質です。
コンビニの前に座り込んで礼節もありませんよね。

凶悪・悪質犯罪とはまったく関係ないと断定は出来ないでしょうが、
ほとんど関係は無いと思いますよ。凶悪犯罪は昔からありましたから。
今時、暗殺なんてありませんものね。
礼儀礼節より、現在の凶悪犯罪には外国の影響が大きいと思いますよ。
あちらの人が直接やっている事も多いし(刑務所の収容状況からも明白です)、
日本人のやり様も粗いと言うか力づくになってきましたね。

礼儀礼節など、文字を見ただけで懐かしく感じます。
敬語は使えますか?出来るだけ覚えて使ってくださいね。
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実際に警察白書などをみてみますと、刑法犯認知件数は昭和48年当時は121万件なのに対し、平成16年度中は270万件と犯罪が増えたことは明らかです。


凶悪犯罪・悪質犯罪をどのような定義にするかで変わりますが、仮に警察庁で指定している重要犯罪(殺人、強盗、放火、強姦、略取・誘拐及び強制わいせつをいう。)とするならば、こちらもここ10年で2倍に増えています。

では、なぜ犯罪が増えたのでしょうか。これはやっぱり人の生活が当時とは大幅に変わったことにより、人の遵法に対する意識も薄れていったことだと思います。10年前は携帯電話なんてほとんど無かったのに、今では小学生でも持っている時代です。その当時では考えられなかったことでしょう。

また順法精神の薄れといえば、「これぐらいいいや」とか「私さえよければいいや」的な考えを持った人も増えてきました。
売春が援助交際とオブラートをかけた名前になったり、路上強盗がオヤジ狩りとして流行したりしたのはその顕著な例だと思います。
礼儀礼節の衰退もやはりしかりだと思います。全く関係なくは無いと思います。
最近では、「え、こんなのが社会人なの?」と思わせる人も増えてきました。電話の応対もろくすっぽできない若者も非常に多いです。

私自身、犯罪者と接する機会が多い仕事をしていますが、やっぱり昔と違うのはたいした動機も無いのに犯罪にはしる人が増えてきたということです。
ここでは詳しくはかけませんが、昔からの怨念と怨恨等は無く、一時の感情だけで凶悪犯罪をする人は明らかに増えてきました。
もちろん、昔からも凶悪犯罪を考えられない動機で起こす人はいましたが、数では圧倒的に現代ではないでしょうか?
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ちなみに、警察白書からですが


平成15年度の検挙人数379602人中、外国人は20007人で全体の約5,2%です。ですから数字だけを見ると外国人犯罪がすべてじゃないんです。

ではなぜ外国人犯罪がテレビ等マスコミで注目されているかというと、
1、手口が荒っぽく、今までにない新しい犯罪をする。
2、外国人も増えてきたので、日本人の目からは外国人が同じ顔に見えて個々の特徴がつかみづらく、犯人がなかなか捕まらない。
3、犯罪を犯した後、すぐに帰国すると捜査が困難。(現在の日本の法律では容疑者の段階で帰国を阻止することはできません)
等があげられます。

拘置所等で外人が満杯なのは、増えてきたことももちろんそうですが、お金がなく強制送還できないという点もあげられます。強制送還も基本的には自費なんですが、これが払えない外人が多く(お金があれば犯罪をしませんからね)大使館に払ってもらうか国費による強制送還の手続き待ちというのも原因のようです。

別に#1さんにケチつけるわけではありません。失礼しました。
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礼儀礼節って…教えるものではなく、見せるモノだと思います。


礼儀礼節を言うなら相手が出来るまで見せてやるのが正しいのに、ダメだダメだと言う。

驕りが過ぎるのか、礼儀礼節にうるさい人間ほど人をまともに育てれない気がします。
押し付けた礼儀礼節は敬う気持ちが出ませんからね。
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>昨今の礼儀礼節の衰退と凶悪・悪質犯罪との因果関係


おそらく社会学者に尋ねれば、「ほとんど関係ない」という答えになるでしょう。
「ほとんど」という意味は、まず礼儀や礼節は社会の中の人間関係に属することです。産業社会が成熟し、さらに長期の不況による社会関係の流動性が高まり社会不安が増大している現代社会では、個人レベルでも家族、近隣、職場などの人間関係の緊張度が高まっているといえますし、一方で犯罪総体が増加している(これも統計上厳密に「犯罪」をどう分類し規定するかで違ってはきますが)ということを前提にしますと、
1)社会不安の度合いの高いぎすぎすした社会→ 礼節が軽んじられる(一般論として)
2)経済不安などから犯罪の多い緊張した社会→ 犯罪の総数が多くなれば、その中の凶悪犯罪の比率は高まる(発生した犯罪が結果的に凶悪なものなる機会が増える)
この2つは同時に存在しますから、その意味で関連性は有意ということになります。

しかし一方、貴方が疑念をもつように、犯罪が「凶悪」な犯罪に進展する経緯は個別の理由によるものが大きい(犯罪者の置かれた犯行時の心理情況、経済的困窮などの犯行目的の背景、犯罪までの被害者との関係の経緯、性格、成育歴等々)ので、必ずしも「礼節の衰退=凶悪犯罪の増加」という単純な一般論を唱えるのは無理があるということです。

また、注意が必要なのは、とくにマスコミはよくある犯罪は取り上げず、特異な、あるいは強烈な印象のある(つまりは凶悪な)犯罪を取り上げる傾向があるといえますから、一般に感じられるほど本当に凶悪な犯罪が増えているのかは改めて厳密な検証が必要です。また、情報開示でこれまで隠匿された犯罪が露見しやすくなったなどの時代的背景もあるでしょう。

さらに違った面から「礼節」と「犯罪」の関係を見ますと、例えば裁判所(つまり社会を管理する法権力)は犯罪を繰り返し犯す人を「ぐ犯性がある」といい、「規範意識が低い」として、刑務所に拘束して教育します。その内容はまさに規則正しい「礼儀」を教える(たたき込む)集団生活訓練といったものです。つまり、少なくとも社会を管理する側では「礼儀正しさを教えることは犯罪の発生を抑止する」と考え、それが一般にも社会通念だと思っているといえないでしょうか。ただ、これも本当に正しいか、疑問はありますが。

いくつかの観点から捉えてみました。敢えて結論に集約するのは避けたいと思います。後はご自分の意見を組み立ててください。結論を先に立てるのではなく、あくまで信用できる事実を基礎に実証的に論述することが大事だと思います。我々の世界では、その方法論を「エビデンス・ベースド」といいます。
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参考に


孔子の説いた「礼」の意味と現代の「礼」の意味が
同じかどうかということでしょうね。
孔子の説いた「礼」の意味での礼儀・礼節であれば、当然犯罪は減るはずですね。
「礼」なくば「人」にあらず。ですから「犯罪者」は「礼」なく、「人」に有らずなんでしょうね。
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礼儀・礼節と言うのは広義の文化です。

年長者の権威を一種の社会的な調整機能として内包しています。そして、もともと人の流動性の低い社会(農村が典型的)で構成員の行動を規制していたものです。

高度経済成長期以降、日本人の行動範囲の拡大=流動性の増大はモータリゼーションの流れもあって、歩きや蒸気機関車に依存していた時期とは隔絶しています。
地域の文化的な枠組みの担い手である居住者の行動範囲の拡散と、地域への依存性の低下は、地域社会の構成員の間の関係を限りなく希薄とし、人の行動に影響を与えることが出来なくなっています。

社会的に与えられる慣習としての文化的な規制は、人間の行動に対して一般に思われているより強い強制力をもっています。また、過去から積み上げられた経験的な慣習は、文化を共有する人々の間の社会的な摩擦を軽減する機能をもっています。
礼儀・礼節の衰退とは、別な言い方をすれば過去から積み上げてきた慣習の崩壊です。結果として社会的な摩擦が増大し、またこうした文化・行動規範を自分のものとできなかった、従来の文化的な規制を受けない人々によって目先の欲望に忠実な行動が生まれることになります。

凶悪悪質犯罪と言うと特別な行動のようにイメージされますが、「社会的な不適応」という形でまとめれば、最近の引きこもりや自殺の増大なども同じことが言えると思います。これは個人の資質というよりも社会が構成員に対して文化的に統合出来なくなってることが原因です。

今後も、どこかで長期的な経済的停滞を経験しなければ文化による統合は出来ないでしょうから、自分の行動規範や倫理観を確立した人と出来なかった人で、経済的・社会的な地位や収入に大きな差が広がっていくことが予想されます(仕事をする上で重要な資質ですから)。
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この回答へのお礼

皆さま
ご回答ありがとうございます。
そして御礼が遅くなりまして申し訳ございません。

礼儀礼節は衰退しているのですね・・・。
私は20代ですが、礼儀礼節が無いと思われている世代でしょう。
年配の方が私のことを礼儀礼節が無いと思っているのかもしれません。
ただ礼儀礼節が無いと嘆かれると、逆にそんなに礼儀礼節が大切かと反論してしまいたくなってしまいます。
Renyさんの仰られるとおり、今と昔では生活、経済、が全く違います。
歴史・生活の中で積み上げら得れてきた慣習は文化となりそこに礼儀礼節が出来た。
その文化が変わる(礼儀礼節が衰退する)のもある意味当たり前のことでしょうね。
永遠というものは存在しないのですから。諸行無常なんて言葉は当てはまりますか?

また礼儀礼節があるとすればjamiruさんの仰られるとおり、人に教えられるものでもなく
自分の心の中で自然にわく感情なのだと私も思います。

皆さま、学者さん並の文章力と語威力と思想をお持ちですね・・・。専門家の方もいらっしゃるのでしょうか?
私にはここまで思いつきませんでした。

これからいろいろと考えてみたいと思います。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/10/27 12:16

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