
日本では古代より、どんな権力者も実質的な権力は握っても、名目上の権威は天皇に保持させてきました。中には、自ら天皇になろうとした権力者もあったかもしれませんが実現はしませんでした。中国では革命思想のためか何度も朝廷が代わりましたし、フランスでは革命で王政がなくなってしまいました。日本のように、古代から現代まで一系の天皇がその権威を保持し続けた国は珍しいのですか?また、日本の天皇制が中国やフランスのようにならなかったのは、どうしてですか。言い換えれば、なぜ日本以外の国では「今日から俺が新しい王さまだ。神様だ。」ということがまかり通ったのに、日本では通らなかったのですか。日本の風土と関係があるのでしょうか。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
歴史上、諸外国には名目上の王をおいて実権を他のものが長期に握るということは、ありました。
近い所では、朝鮮王朝は、その状態で約500年続きました。日本が、大宝律令以来でも1300年以上天皇制がつづいたのは、最大の天皇制の危機だった鎌倉幕府が、天皇制の権威を利用した、征夷大将軍という官職で、創立されたからだと思います。以後、この制度が踏襲されていくわけです。
国家が国民を統治するとき、何にその権限を頼るかというのは、重大な問題です。現代日本は、その根拠を、憲法で「主権の存する日本国民の総意」と、しています。同じく旧天皇制は、神から授かった権利と主張しています。歴史上の権力者は、この天皇の権威を利用して、自分の権力を正統化したのだと思います。
この制度が、長く続いたのは、大陸から離れた島国だったことが大きいと思います。天皇の権威と無関係な支配者が入ってこなかったからだと思います。
大河ドラマでは頼朝は朝廷から官位をもらった義経を罰しようとしますが、結局、最後には自分が征夷大将軍をいただくのですから、自己矛盾してますね。ありがとうこざいました。
No.5
- 回答日時:
日本以外の王朝で神と王とが合体したのは稀です。
というより皆無かもしれません。
神権拝受説もそこまでは主張していません。
最初神を祭る司祭者であったのが、権力を握るに従い権力者たらんとした事もありましたが国民的同調を得るに至らなかった事は、天皇親政の動きや企てがことごとく失敗に終わった例よりあきらかです。
そして実際の権力者から単なる権威の象徴としての存在の役割を押しつけられた以後は元の司祭者に戻ったので存続は続いたのです。
この間、島国である事が幸いし外国の侵略が無かったことも大きな原因でした。
所が近代になって明治以後天皇と神の合体が起こり数次の戦争に勝利してその神格化が顕著になったのです。
そして太平洋戦争の敗戦と天皇の人間宣言という事態をむかえました。
しかし現在国民の高齢化で国民のかなりの部分は神人合体の時代の教育を受けてきた人々で占められています。
国民の意識は揺れ動きつつ過去の記憶が残っているのです。
このような歴史の下でまだまだ天皇制は生き続けると思います。
天皇の人間宣言には宗教と政治の分離という大事な意味があったのですね。単にマッカサーと昭和天皇が背比べをして写真をとっただけかと思っていました。みなさまに色々教えていただきとても勉強になりました。ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
大宝律令(正確には養老律令)には、天皇の権限は規定されていますが、「天皇の地位」については規定がありません。
したがって、天皇は律令=法を超越した存在でした。元来、天皇は国家の祭祀(神事)を司る司祭者でした。その点で、世俗を超越した、神的存在であったといえます。天皇崇拝の根源には、この天皇=神的存在という意識があるといえます。政治的権威のみでなく、宗教的権威も兼ね備えているわけです。
したがって、天皇(制)を排する、という行為は前時代の者にとっては、神聖なる存在を冒涜する行為として心的規制(タブー)があったといえます。逆に言えば「神(罰)を恐れぬ者のみ、あるいは別の神を信じる者のみが天皇(制)を破壊できた」ということになるでしょうか。
この点では、#1さんご指摘のように、ローマ法王のような世俗を超越した存在といえます。(キリスト教国にしても、国王・皇帝は廃してもも、あるいは別の法王は擁立したことはあっても、「今から俺がローマ法王だ」と宣言した政治権力者はいないと思いますが? イギリス国教会は別かな?)
ゆえに、歴代の権力者は天皇(制)に手をつけることのよって、日本人の中に存在する天皇への畏怖の念による反発・離反をあびるリスクよりも、実権の無い政治的には無害な存在にすることで、もっぱらその権威を利用したといえます。#2さんご指摘のGHQも、廃止による国民の反発が占領統治の障害になることを恐れたことが、存続に決する要因の一つでした。
こうしてみると現在の象徴天皇制は、実に「日本的な」制度であるといえます。(実際、日本の歴史の中で天皇が政治的実権をふるった、絶対君主として振舞った時期は非常に限られています。そして、そのような時代は大体が、内乱や対外戦争など不安定な時代にあたります)
蛇足ですが、私見では、大日本帝国憲法の誤謬は、天皇の「神性」と広範な「天皇大権」を、ともに憲法に明文化したこと=祭政一致、および「統帥権の独立」によって軍部を「法の規制」外に置く道を開いたことにあるとみています。薩長政府にとっては(特に陸軍を握る長州閥にとっては)この方が都合が良かったんでしょう。
確かに、俺が法王だ、と言っても誰もついてこない気がします。NHK番組で言ってたと思うのですが、出雲というのは大和朝廷によって、神格的な権威だけ残されたらしいです。これが本当なら、出雲に与えた生き方を、現天皇家も歩むことになったということですね。ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
日本は天然の要塞というべき海に四方を囲まれて、外部民族からの侵略をうけることがなかったからだと思います。
全く異なる文化を持つ民族に支配されれば、それまでの国の王様である天皇制は廃止の対象であった可能性が高かったでしょう。そう考えると第2次大戦敗北が危なかったですかね。実際、第二次大戦後のGHQ日本統治では、天皇制の存続を検討したそうです。
ps。ヨーロッパには、英国、スペイン、ベルギー他で王制が残っていますね。でも日本のように古代~現在までの継続ではないかも。南アメリカにも高度な文化があって王制あったけどヨーロッパの植民地政策によって王制は破壊されましたよね。そうした意味で日本はヨーロッパかも遠く、中国の侵略もかわし幸運な国だったのかもしれません。
歴史に、たられば、は禁物と言いますが、もしGHQが天皇制を廃止していたら、どうなっていたのでしょうか。私には検討もつきません。ご回答ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
> 古代から現代まで一系の天皇がその権威を保持し続けた国は珍しいのですか?
シバの女王に由来を持つエチオピアがそうでしたが、近年王政が廃止されましたので、今では他に無いでしょうね。
> 日本の天皇制が中国やフランスのようにならなかったのは、どうしてですか。言い換えれば、なぜ日本以外の国では「今日から俺が新しい王さまだ。神様だ。」ということがまかり通ったのに、日本では通らなかったのですか。
天皇は諸外国の王(または皇帝)のような絶対君主ではなかったからでしょう。
例えればローマ法王のように、世俗の権力は持たず権威のみであったから歴代の権力者は自己の正当化のため皇室の権威を利用したのだと思います。
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