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ベンサムの有名な言葉に「最大多数の最大幸福」がありますが具体的にはどういう意味でしょうか?

私は大学入試のセンター試験で倫理を選択していた時にこの言葉を知りました。
この言葉が意味するところは少数の人が不幸になろうとも、
その行いで大半の人が幸福になるのであればそれが社会的
に一番いいと言っているのでしょうか?
しかしこの意味だとあまり「教育的」でないので教科書には載りにくいような…。

本当のところどういった意味なのでしょうか?

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A 回答 (8件)

ベンサムは、人と人の間には利害の衝突があり、全ての人が幸福になることはありえないので、少数の犠牲があってもできるだけ多数の人が幸福になることが全体の幸福であると考えました。

つまり、理想論としてではなく、現実問題としての幸福論を唱えたわけです。
しかし後に、少数者が多数者に抑圧される危険性や、少数者の犠牲者が被る不幸が大きい場合は全体の幸福が減少してしまうことに気付き、晩年になって定義をこのように変えました。

「その社会の成員の最大幸福。すなわち、出来ることならば彼ら全員の最大幸福。また、多数者のより大きな幸福のために少数者の幸福の一部を犠牲にすることが不可避であり、彼ら全員に等しい幸福を分け与えることが物理的に不可能な場合は、彼らのうちの最大多数の最大幸福。」

つまり、まず理想を掲げ、それが無理なら従来の「最大多数の最大幸福」がベターだよ、とすることで、より完全な定義にしたのです。

・・・という内容が、参考URLに書かれてありますので、詳しくはそちらをどうぞ。

参考URL:http://tcc.umin.ac.jp/~kodama/bentham/bentham12o …
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直接の哲学回答で無いのですが、いまいち理解できない方もあるかと思いますので補足としてアドバイスさせて戴きたく考えます。



日本国内における朝鮮人の扱いに関する行政・教育指導は、”少数者保護政策”といっても良いと考えます。 それは戦後になってからのファシズムに対する否定と反省でもあり、近代日本化という同化政策にたいする批判を考慮した政策であったとも考える事ができます。

個人的な意見を申しますと、その内容には逆差別があり大衆(子供を含む)に対する権力機構が”事実逆転”をさせた宣伝・指導を行う事で、故に愚衆政策であると同時に、特に地方においては国内の習慣的な封建的権力統治の擁護に役立った政策であったと考えております。

朝鮮戦争以来の米国間接統治の意向は、国内(特に地方)の行政・教育機関にとって都合がよかったのです。 つまり大衆は愚かであるが由、自分達の行いは正当化されると考えました。 特に日教組にとっては大衆の愚かさと不純さを示す事は権力行使の荒れた適用を許容される口実になったのです。 ここで言う大衆の不純さとは、大衆とは多様性であるという現実を拒否し、嘗ての古い権力統治に慣らされた悪弊がある事を示す事によって、容易に権力側の不正が擁護されたのです。 一方でこの事は

最大多数にとって不幸とはならなかった

という現実があります。 ここでもそうですが”朝鮮人擁護”が当然の正義でありコレを否定した発言は「人種差別である」と考える日本人が実に多い訳です。 朝鮮人差別はあるかもしれませんが、これを「人種差別」にしたがるクセは米国人に「訴え易い」からでしょう。

であると同時に一部の日本人の「基本的な法的被害」に向かってツバを吐く道徳形勢が育成された事実もあるのです。 ”拉致問題”は顕著な問題でしょう。 あれは1980年代には出回っていた”根拠のあいまいなお話”でしかなかったのです。 あくまでも一部の人たちの不幸にして押し付けられた問題でした。

最大多数の最大幸福とは、近代科学の発展と人口増加にともなって発生した”最大の錯誤”であるが故、政治的口実として利用され易いのです。 日本人の”和”の精神もこの範囲でしょう。 そこには錯誤と虚偽があります。 最大多数の最大幸福という安易な口実に、我々は容易に載せられるべきではないのです。 政治・経済問題の具体的な矛盾を一部の人達に押し付けて済ませる精神が普及すればNO1さんの言われる様な共産主義体制の凶悪な権力の統治に加担協力する人達ばかりの世の中になり、ますます統治の悪辣さが加速します。

御質問者の適切な質問文に同調します。 日本語が上手でなくてすみません、御容赦下さい。
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立法者の任務は国家における幸福の総量を出来るだけ増加すること。


というふうにベンサムは考えました。
そもそも
Jeremy Bentham(1748-1832)
とは、18世紀の人で、道徳や法律ということを一生懸命考えたわけで、その
対極には、キリスト教や王政などの封建社会の価値観があったわけです。

とにかく、功利主義といわれるベンサムさんの基本は、
(1)何でも数値化しよう
(2)大きいことはいいことだ
(3)とりあえず個人は人数でとらえたほうが平等だ

ということで、
個人が享受する快楽の量×個人の数
=全体としての社会の快楽の総計
=「幸福」(happiness
と定義したのですね。
それだけの話で、それ以上でもありません。

>少数の人が不幸になろうとも、
>その行いで大半の人が幸福になるのであればそれが社会的
>に一番いいと言っているのでしょうか?

そういう意味でなくて、全員に快楽を与えるのは不可能だと経験知から推測
しているにすぎません。
この言葉は。道徳のテーゼではなく
「立法の精神」を語っていることを忘れてはいけません。
つまり、法律のA案B案C案があって、それが施行されたとき、最も多くの
人が幸福になる法律が「正しい法律」だと彼は言いきったということです。
もちろんD案があってそれがより多くの人を幸福にするならそっちがいい。

きわめてあたりまえのことを言っています。
それまでは、王様利益のために法律は作られていたわけで、国で生み出された
最も美しい陶器は国王に謙譲されるべきだ。
なんてのが、それまでの常識だったわけです。
国王の宮殿に富が集約されていたら国家の富は安全にまもられている。
それを知って国民は幸福に思えよ。
こういう社会だったわけです。
でも、幸福なのが王侯貴族では不十分で国民が1人でも多く幸福になるのが
法律の役目だと言ったのは、これは偉い。画期的なことなのです。


彼は快楽の種類を30種類くらい細かく分類していますが、これは当時の
デカルトが情念を幾何学的に分類したり、ロックは、複合観念を単純観念に
分割し分類するという企てを試行していた。ベンサムはそれらを更に推し進めて、
個々の感覚を数量化しようとしたわけです。
微積分の世界ですね。

功利主義の3大原則があります。

1 全ての個人を平等に一単位として扱う。
「何人も一人と数え、一人以上とは数えない。」
全体の快楽の総量の増加=善
2 立法者の任務は国家における幸福の総量を出来るだけ増加すること。
「最大多数の最大幸福( the greatest happiness of the greatest number)」=「功利性の原理( the principle of utility)」
3 快楽そのものを与えることは出来ないから、快楽そのものではなく、快楽の手段(=貨幣)を人々に与えること。
「貨幣は苦痛や快楽の量を測る手段である。」

これは経済学や法学の黎明期の理論というか仮説にすぎないわけで、功利主義はさまざまな
批判を受けているわけです。批判のなかから社会主義も生まれてくるわけで
これは民主主義の黎明期のテーゼにすぎません。
実際その後のパレート効率性や有名なナッシュ均衡などの理論によって集団の幸福論には
さまざまな制約と法則性があることがわかってきます。
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私も詳しくは知らないのですが、別に悪い意味で使ってるわけではないのですよ。


ベンサムさんがいた前の時代は、人間が幸福になるためにはむしろ、国民は自分の権力を一部引渡し、王様などが政治で国を統治していくことで、結果としてけんかが起きず、全体の平和につながると言う考えだったわけです。
でも、産業革命やフランス革命、アメリカ独立などでだんだんそういうことを考えなくても幸せに生きられるような社会になってきたわけです。一部の人が(貴族とか)裕福な暮らしをして政治で国民を統制していかなくても、皆に財産などを法の下に公平に分配をすればうまくいく時代に変わってきたわけです。しかし、それをいきなり前面に押し出せば、今までの考えを根拠無しにひっくり返すことになりかねません。そこでベンサムさんがきちんとした理論に基づいて、「皆が自分の利益を追求して傷つけ合うよりは、なるべくたくさんの人が幸福になるような経済の分配などを、法の下に行なえば、一番皆が幸せになるはずだ」と言う意味で作った理論なわけです。確かに質問者さんがいうような問題が起こる危険をこの理論は秘めていますが、その当時は画期的な理論だったわけです。これで幸せだと感じられる人間が増えたはずですから。
それに今だって結構この理論は使えると思いますよ?そんなに人のことばっかり気遣ってもうっとうしがられるような世の中ですから。皆十分に幸せな世の中になったのですから、もう少し自分の幸福だけ考えていても罰は当たらないし、逆に自分から人に幸福を渡してしまったら、逆に不幸な人が増えるだけかもしれませんしね。物事は本当に一面だけで捉えられませんから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
bo-sukeさんのご意見はもっともだとは思いますが、彼は「最大幸福」と言っていますよね?
「最大」の幸福を求めるとは軋轢を生むことにはならないのでしょうか?

お礼日時:2005/11/15 09:40

ちょっと補足というか蛇足というか覚え書き。



#3の方の意見は「ロールズの正義律」として知られていて、すでに可成りの研究が進んでいます。
参考に↓にwikiのページを張っておきます。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
補足もありがたいのですが、私はベンサムが真にどういう意味でこの言葉を残したのかがしりたいです。

お礼日時:2005/11/15 09:34

ベンサムという人は知りませんが、どんな偉い人の言葉でも常に正しいことばかりではありません。


ベンサムさんの意図していることが私には不明なので、あくまでこの言葉から受ける印象に基づいた私見を少々。

「最大多数の最大幸福」によって、「少数の不幸」が発生し、それが「最大多数の幸福」を徐々に幻想に近づけていることは今のパレスチナやイラク情勢によって明らかです。
そもそも他人を犠牲にしてまで【最大の】幸福を求めること自体が根本的な誤りです。

「最大多数の【そこそこ】幸福」を目指すべきであって、「最小少数の最大不幸」が生じないような叡智に目覚めることこそ、真の意味での「最大多数の最大幸福」につながるのだという単純な原理を理解できないほど、今の人類は病んでいる(あるいは進化が停滞している)ようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/15 09:31

> この言葉が意味するところは少数の人が不幸になろうとも、


> その行いで大半の人が幸福になるのであればそれが社会的
> に一番いいと言っているのでしょうか?

その通りです。
もう少し言うと、この少数の人に補償を行うことで全体の効用を上げることができると考えています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、少数の人に補償を行うのであれば有用の考えですね。

お礼日時:2005/11/15 09:28

北朝鮮の政治体制と日本の政治体制を比較すると「最大多数の最大幸福」の意味がわかるでしょう。

どちらが客観的に幸福といえるかですね。
「最大多数の最大幸福」とはそのような意味です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2005/11/15 09:25

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ふと頭をよぎったのですが、、
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Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
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Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
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という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

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 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

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 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
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Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
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しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
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QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
Word2000を使っているものです。
ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
分かりにくいですが,
「これを修正します。」
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「これをこれからす。」
となってしまいます。
他の文書では平気です。
何か解決する方法があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
キーボードに[Insert]というキーがあると思いますので、1度押してみてください。

Qカントの考える自由

カントは義務に基づいた行為(道徳性をもった行為)をしなければならないとした。
もし義務を果たせなかったとしても
「果たすべきだったのに果たせなかった」と良心の呵責を感じる。
そしてそのとき自分は義務に従うことができたという自由を自覚する。
人間としてどういう風に行為すべきかと神剣に道徳法則に直面して
初めて自由の存在を知る。

・「義務に従うことができたという自由を自覚する。」

・「道徳法則に直面して初めて自由の存在を知る。」

この「自由」の意味がよくわかりません。道徳法則という束縛(?)の中で
自由を知るとはどういうことなんでしょうか?

Aベストアンサー

「自由」という言葉を辞書で引いてみると
1.自分の思い通りにできること
2.拘束がないこと
大きく分けて、このふたつの意味があげられていると思います。

一般に、自分がしたいからする、というのは、自由意志に基づく行動である、と考えられています。
けれども、ほんとうにそうなのか。
感情や気分というものは、そのときどきの情況に左右されるのではないか。

さっきまで出かけようと思っていたのに、雨が降っているのに気がついたとたん、出かけたくなくなってしまう。
ある本を読もうと思っていたのに、友だちから「良くなかったよ」と聞かされたとたん、読む気が失せてしまう。
日常ではよくあることです。

カントは、道徳的な行為の規則を作ろうと考えていました。
いつ、いかなるときであっても、世界中の誰でも従わざるを得ない、そのような規則です。

普段ならそれでよくても、道徳的な行為しようとするときに、こうした「自分が~したい」という気持ちは邪魔になります。
ですからカントは「性向に依存したもの」として退けたのです。

一方、しなければならないからする、というのは、どうでしょう。

明日試験だから、勉強しなければならない。
約束してしまったから、行かなければならない。
ここにはどこにも自由など存在しません。
こうした自分以外の要請から起こす行為を、カントは「他律」としてやはり退けます。
道徳的な規則の根拠を、こうした他からの強制に求めるのは間違いである、と考えたのです。

ならば、どのような規則ならば、誰もがすすんで従うことができるのか。
すすんで従うことが、喜びになるような規則は存在するのか。

人間と動物を分けるものは何か、というと、それは理性である、とカントは考えました。
動物は本能に支配されて生きている。
けれども人間は、理性を持つことで、本能から自由になっている。
カントのいう「自由」の中味はそれです。
自らの内側にある理性に従って生きることこそが、人間だけに与えられた自由である、と。

本能や欲望や欲求に惑わされず、理性の声に耳を傾ける。すると、自分が何をしなければならないか、ということが、おのずと明らかになってくるはずだ。
これが、カントの言う「義務」なのです。

どのような行動を自分がとらなければならないのか。
何をしなければならないのか。

このように自分に問いかけることによって初めて、人間は本能や欲望や欲求から自由になることができ、しなければならない、と、自分の理性が命じる行動をとることこそが、真に自由になることである、とカントは考えたのです。

こうしたことは『人倫の形而上学の基礎づけ』(岩波文庫その他)
という本の中にあります。
カントの中では比較的読みやすい本ですので、もっと詳しいことがお知りになりたければ、ご一読ください。

「自由」という言葉を辞書で引いてみると
1.自分の思い通りにできること
2.拘束がないこと
大きく分けて、このふたつの意味があげられていると思います。

一般に、自分がしたいからする、というのは、自由意志に基づく行動である、と考えられています。
けれども、ほんとうにそうなのか。
感情や気分というものは、そのときどきの情況に左右されるのではないか。

さっきまで出かけようと思っていたのに、雨が降っているのに気がついたとたん、出かけたくなくなってしまう。
ある本を読もうと思っ...続きを読む

Q国民の三大義務と三大権利について

むかしむかし中学で習ったのですが忘れてしまいました。三大義務と三大権利教えて下さい。ちなみに選挙権が入っているのはどちらでしたか?

Aベストアンサー

三大義務は勤労、納税、子供に教育を受けさせることで、三大権利は生存権、教育を受ける権利、参政権です。
選挙権は「権利」になります。(義務だったら、投票率があそこまで低くなることはないかと…)。

参考アドレスも掲載しておきます。

参考URL:http://www.city.miura.kanagawa.jp/index/download/007385;000001.pdf

Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134

Q「未必の故意」とはどのようなことをいうのでしょうか?

「未必の故意」とはどのようなことをいうのでしょうか?
できれば、具体的に教えてください。
あと、法律用語辞典なんかが載っているようなURLがありましたら教えてください。

Aベストアンサー

masatoshi-mさんの回答を少々噛み砕きましょう。
>未必の故意について知りたい
 ということですから、刑法上の説明でよいと思います。

 「故意・過失」という言葉を聞いたことがあると思います。「未必の故意」について理解するには、故意と過失について理解する必要があります。
1 故意
  「自分の行為が犯罪にあたることを知りながら、これを容認してその行為に出 る意思」を言います。
  簡単に言えば、「盗もうと思って盗む・殺そうと思って殺す」ことです。悪い ことと判っていて、なおその行為を行うこと(犯罪を犯す意思)ですね。
2 過失
  「注意を欠いたため、(犯罪となる)結果の発生を予見しないこと」を言いま す。平たく言えば「不注意」ですね。 故意との違いは、「自分の行為が犯罪で あることを判っているか」(認識)「犯罪となる行為を行ってもいいと思ってい るか」(認容)という点で、両方ともない場合が本来の過失です。
  「殺そうとは思っていなかったが、殴ったら死んでしまった」(過失致死)と か、「周りをよく確かめないでゴルフクラブを振ったら、近くにいた人に当たっ て怪我をさせてしまった」(過失傷害)という場合がそうです。
  刑法では、故意犯を罰することを原則としていますので、刑法上に「過失犯を 罰する」旨の規定がないと過失犯は罰せられません。過失が罰せられるには
     注意義務違反の有無・予見可能性・因果関係・期待可能性
 などが必要ですが、これは長くなるので割愛します。

3 未必の故意
  殺人を例に取れば、「このナイフで相手を刺せば、相手は死ぬかもしれない。 でも、死ぬなら死んでもいいや。と思って人を刺した場合」などが端的な例で  す。 この場合、「死ぬかもしれない」と人が死ぬ結果になることを予測しなが ら(認識)、「それでもいいや」と思って(認容)人を刺すのですから、相手が 死亡すれば「殺人罪」に問われます。「殺してやろう」と思っていない(積極的 に結果の発生を意欲していない)から、「未必の故意」なわけです。
  1で説明した「故意」があったと認められるわけです。

  「認容」するかしないかが大きな違いで、「死ぬかもしれない」とは思いなが ら、「まさかそんなことになるはずはない」と考え(認容しない)、その行為を 行った場合は「認識ある過失」といって、「過失」とされます。

と、こんなところでどうでしょうか。舌足らずですみません。
 法律用語のURLはわかりません。 私の知識は、もっぱら書籍によります。
  
  

masatoshi-mさんの回答を少々噛み砕きましょう。
>未必の故意について知りたい
 ということですから、刑法上の説明でよいと思います。

 「故意・過失」という言葉を聞いたことがあると思います。「未必の故意」について理解するには、故意と過失について理解する必要があります。
1 故意
  「自分の行為が犯罪にあたることを知りながら、これを容認してその行為に出 る意思」を言います。
  簡単に言えば、「盗もうと思って盗む・殺そうと思って殺す」ことです。悪い ことと判っていて、なおそ...続きを読む

Q人間の3大欲とはなに?

この質問は このジャンルでふさわしいのかどうかちょっと迷ったのですが・・・。

人間の 3大欲といわれるものがありましたよね。
あれは 食欲と 後はなんでしたでしょう?

また その「人間の3大欲」という言葉は
誰が 言い出したのでしょうか?

Aベストアンサー

人間の三大欲望は
食欲 睡眠欲 性欲 です。
食欲は,物を食べ,エネルギーにする事。
睡眠欲は,睡眠をとり,脳を休ませること。
性欲は,トイレで用をたしたり,エッチをしたり,する事
この3つはある程度は我慢が出来ますが,人間が生きていくためには必ず必要なことです。欲望というより,必要不可欠なことです。
でも、このことを言った人はわかりません。昔からの言い伝えではないでしょうか?

似たような語で,「衣・食・住」これは、生活の上のことです。

Q「今日も今日とて」の意味を教えて下さい

「今日も今日とて」の意味を教えて下さい。
前後の文章から、単純に「今日も」という事かなと思ったのですが、「今日とて」がひっかかります。
「今日」は「キョウ」でいいんですよね?

宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

同じ意味の重ね合わせで、強調してるのです。

「今日も」、今まで通りなんだ、
「今日とて」明日になれば変わるかも希望をもっていたとしても、「今日とて」変わらない。という事ですね。

音を踏んで、何も変わらない事を強調表現しているのです。


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