卒論でどうしても触れなければならないのですが、著者の文体等と肌が合わずに困っています。
どうか、土居健郎の「甘え」シリーズについての概要をおしえて下さい。

A 回答 (2件)

わたしは、結構好きです。

とはいうものの、研究者でもないので、要約などが出きるだけの能力もありません。
ただ、「卒論でどうしても触れなければならないのですが、著者の文体等と肌が合わずに困っています。」と質問できる能力というのも「甘え」と関連があります。
同じように質問できる環境にあっても、あるひとは、自分で調べないといけないと思い、難しくとも、「甘えの構造」ぐらいは読むでしょうし、そうでない人がいます。
翻って、日本人の深層を考えたとき、「甘える」「甘えさせる」というもので、人間関係を作りあげたりしているのではないかと土居健郎は考えました。
西洋には、この「甘える」という言葉がないのです。
ここで、回答が得られなかったら、「怨み」という感情が出てきたりするのも、背景に「甘え」があるからです。

どういう卒論なのかによっても、回答も変わってくると思います。

まず、「甘え」とは、幼児期にお母さんに甘えたときのようなものを指すといってもいいかもしれません。甘えているときの一体感を敷衍させたものが、日本人の行動を特徴づけていると言えます。部長は、部下に飲みに連れて行くとき、「甘え」て欲しいと思い、部下は「甘え」ようとすることで、その会社の協調性や盛り上がり、モラールというものを高めます。

こういう感じで書くことならできますが、この回答欄では、書ききれないと思います。特に何が聞きたいのかを絞ってもらえませんか。
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言うまでもなく、土居健郎氏はキリスト教や西欧の宗教文化を土台に論じていますので、それを抜きにはできないでしょう。


概要といっても、それ程目新しいことを論じているとも思えませんし、あなたが臨床心理や精神分析の主張の傍証として扱う以外には、氏の「甘え」シリーズについては、エッセイ集としてのそれとして扱うしかないのではないでしょうか。

要するに、氏は「甘え」というのは、それがあらゆる文化に(つまり日本だけでなく、西洋文化圏においても)普遍的で、精神分析やその臨床実践に応用することが出来ることを主張しているのでしょう。
精神分析療法や、その中で真に治療的であるとはどういうことかを論じる段は、牧師の説教のような印象ですが。

参考にならなかったかもしれません。ごめんなさい。
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Q要約について質問

ある参考書に記載されている文とそれを要約した答えを下記します。それを見た上で私の質問に答えてください。


「クラシックでもホップスでも、音楽というものは、多くの人の心を落ち着かせてくれたり、元気にさせてくれたりするものであり、
生活を豊かにしてくれるものだ。だから、私達は、さりげなく花を飾るときのように、さりげなく生活のなかに音楽を取り入れようとする。」


この文の要約として、参考書には以下のような記載がありました。

→だから以前の文要約;音楽というものは、生活を豊かにしてくれるものだ。
それをさらに短く:音楽は、生活を豊かにしてくれるものだ。

だから以降の文を要約:私たちは、生活の中に音楽を取り入れようとする。
それをさらに短く:私たちは、生活に音楽を取り入れる。


※著者は、要約のコツとして、「主語と述語、主語と述語に加えそれを直接修飾している語のみを残すこと」を挙げています。その前提を頭の中に入れておいた上で私の質問に答えてください。



質問:要約は、文や語句を、「同じ意味内容を表し、且つより短くいいまとめること」ですよね?
例えば、だから以前を要約した文とそれをさらに短くした文について、「音楽というものは」と「音楽は」は同じ内容を表しており、後者は前者を同じ意味内容でより短くいいまとめたということですよね?
だから以降を要約した文とそれをさらに短くした文について、「生活の中に音楽を取り入れようとする」と「生活に音楽を取り入れる」は同じ意味内容を表しており、後者は前者を
より短く要約した文ですよね?

質問2:いや、、まてよ。もしかしたら「生活の中に音楽を取り入れようとする」と「生活に音楽を取り入れる」は
前者は未然系が含まれていて、後者は未然系じゃないから、意味内容は多少異なりますか?でも文脈的に、「取り入れようとする」も「取り入れる」
も結局「取り入れたいとという気持ち」が含まれているから、同じ意味内容を表しているといえますか?

ある参考書に記載されている文とそれを要約した答えを下記します。それを見た上で私の質問に答えてください。


「クラシックでもホップスでも、音楽というものは、多くの人の心を落ち着かせてくれたり、元気にさせてくれたりするものであり、
生活を豊かにしてくれるものだ。だから、私達は、さりげなく花を飾るときのように、さりげなく生活のなかに音楽を取り入れようとする。」


この文の要約として、参考書には以下のような記載がありました。

→だから以前の文要約;音楽というものは、生活を豊かにしてく...続きを読む

Aベストアンサー

> 「同じ意味内容を表し、且つより短くいいまとめること」ですよね?

ちょっと違うと思います。
言葉というのは、基本的に表現が違えば意味も違いますから、短くまとめる前と後で、
全く同じ内容を表すことは一般的にはできません。
そうではなく、文(文章)の中で比較的重要度の低いと考えられる部分をそぎ落とし、
できるだけ全体としての大意・要旨を損なわないように短くまとめるのが要約です。
ですから、細部の意味などは多少変わってもいいのです。

「取り入れようとする」と「取り入れる」は、もちろん表す意味は同じではありません。
しかし、今回の文の趣旨からいえば、その差はさほど重要でないと考えられるので、
できるだけ簡潔な表現にしたいという要請に従って、より短い方を採用しているのです。

なお、例文では既にある文の中から必要な部分だけを残すという形での要約だけを
していますが、さらに字数を減らしたいなら、必要に応じて似たような意味を表す
別の言葉や表現に変えるということをする場合もあります。

「私たちは生活に音楽を取り入れる」
  ↓
「人は生活に音楽を取り込む」
「音楽が生活に取り込まれる」

しかし一般的には、短くすればするほど、また元の表現から遠くなればなるほど、
元の文が持っていた細部のニュアンスは失われます。
ですから、要約というのは一律に正解があるわけではなく、「どこまで短くしたいのか」
ということによって、どれだけ削るかが変わるのです。
字数を極力減らしたいなら、「取り入れようとする」より「取り入れる」の方がよいと
言えますが、そこまで字数を減らす必要がないなら、「取り入れようとする」のまま
の方が、当然、元の文のニュアンスを良く伝えるので良いということになります。

> 「同じ意味内容を表し、且つより短くいいまとめること」ですよね?

ちょっと違うと思います。
言葉というのは、基本的に表現が違えば意味も違いますから、短くまとめる前と後で、
全く同じ内容を表すことは一般的にはできません。
そうではなく、文(文章)の中で比較的重要度の低いと考えられる部分をそぎ落とし、
できるだけ全体としての大意・要旨を損なわないように短くまとめるのが要約です。
ですから、細部の意味などは多少変わってもいいのです。

「取り入れようとする」と「取り入れる」は、もちろん...続きを読む

Q社会学(?)的にシミュレーションして頂ければ幸いです

社会学(?)的にシミュレーションして頂ければ幸いです

先日「東尾エデン」という作品を拝見しました
内容はある存在が
12人に100億を与えて
この日本の再生を図る
と言うもの

然し100億程度だけじゃ
新技術開発するにしても
永続的な景気回復にしても
どうにもならないでしょう
恐らく

だとすると100億を元手に
必要資金をギャンブル性無しに
集める必要があるな!
と、思いました

で、そうこう言っている
今の日本て何だろう?
と、考え始めたのですが

日本が仮に荒廃しているとしたら
それは
「己が罪に無自覚」
この一言に尽きると至りました

では無理からにも罪人に仕立てあげればどうだろう?
のうのうと「私なんかした?」
何て言えないように

こういった経緯を経た結論として
・ヘルプサイン
・不道徳
この2つを見過ごすと罪になる
所得と保有財産に応じて罰金が課せられる

という法案を施行することを考えたのです。
無論史上希に見る悪法なのは理解済みです

でも、悪法ながらも
「道徳って何か
 善行って何か
 人は見た目では推し量れない」
と言うこの3つを
全在住民の表層意思に押し上げられる事だけでも
社会のスパイラルに大きな一石を投じられそうに思えました。


「ヘルプだろうが
 目立つのは駄目なこと」
と言う風潮があると私には思えるのですが
これも一掃されるし
虐めも消えかけるだろうし

先に挙げた100億では足りないと感じさせた事項達
新しい着想に対する援助も
倒産しかけた零細企業の救済も
失業者救済も解決するだろうし

国債なんて一気に減るだろう
と予想しました。

然しその裏で
きつい仕事は誰もしなくなり
起業リスクが少なすぎて無計画な起業が多発し
不健全企業が乱立するだろうし
人の心が下手をすると荒廃するかも
企業側の悲鳴に答える形で
残業とワークシェアリングが
急速に増えるだろう
日本国籍と在住者の内の
富裕層率が極端に減るかも

とかまでは思い巡らせましたが、
然し私などはこの程度のもの

皆様はもっと多くの派生効果を導かれると思いますので
社会学(?で良いのでしょうか?)的見地で
何が起きると予測されるか
どうぞ御教え頂けないでしょうか?

宜しく御願い致します。

社会学(?)的にシミュレーションして頂ければ幸いです

先日「東尾エデン」という作品を拝見しました
内容はある存在が
12人に100億を与えて
この日本の再生を図る
と言うもの

然し100億程度だけじゃ
新技術開発するにしても
永続的な景気回復にしても
どうにもならないでしょう
恐らく

だとすると100億を元手に
必要資金をギャンブル性無しに
集める必要があるな!
と、思いました

で、そうこう言っている
今の日本て何だろう?
と、考え始めたのですが

日本が仮に荒廃しているとしたら
それは
...続きを読む

Aベストアンサー

能力と資本の対立です。大資本家の資産没収後の金の使い方も気になりますね。篭絡手口は約束証書です。その証書が権力を保障すればするほど真に相手に篭絡されていくでしょう。篭絡し、され、堕落した人間は、互いに共鳴して堕落していくものだと思います。逆に自分が大富豪だったら、そうではないと信じたいですね。人の歴史は人殺しの連続です。それが嫌で法律を作ったのです。そこまで来たのですがねえ。まだ何か足りないのかも知れませんね。
田舎者で無学で、意固地な小生を御贔屓下さり、感謝します。

Q本の要約 引用の仕方

本の要約の課題をやっています。

本文から引用する際は、その都度、どこから引用したかを書くようにという指示が出ています。(つまり、要約の最後にまとめて書くのではなく、ということです。)

そこで、そもそも引用とはどこまでのことを言うのか疑問に思ったので質問しています。

要約をするということで、大筋ではその本と要約文は同じ内容になるわけで、同じ事を言いたい部分が出てきてしまうのは当然のことだと思うのですが、本質的には引用をしていなくても、同じ文になってしまったらそれは引用として扱う必要があるんでしょうか?
ただそうであるとすれば、元の文と少しでも違っていれば引用としなくて良いということになってしまいます。それはなんか、ちょっと変えればコピペOKっていうのと同じ気がして納得いきません。

自分は理系なので、ここらへんのことがよくわかりません。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

名詞(氏名、場所、日時、行為名、制度名、行事名など)は、要約でも同じのを使うしかなく、それは引用にはあたらないです。また それらに修飾句をつけたり、動詞句などをつけた文節というものも引用にあたらないことがほとんどです。
要約の対象が小説などで、ある人物の語りの一部をキーワードとして引用する場合はその部分が名詞句、感嘆詞、短い文章でも、引用であることを示すものだと思います。
現代文の要約を進める中で、「すばらしい交渉をしたもののその働きが上司には認められず、外交官事務に追われる日々に戻っていった」のような要約をしたら、原文にもそうした文があったというような場合には、必ずしも引用にはしなくてイイと思います。
原文の重要部分にアンダーラインを引いて、そのマークした部分をコピペしたものでは要約にはならないと思います。「怒りまくった」を「激怒した」と表現を変えて書き直すことを繰り返して「要約です」と提出しても、それは要約としては認められないでしょう。
要約ですから、原文の細部、詳細、別ごと、脇話を思い切りカットし、文学的な表現を簡易で単純な言葉に代え、全体のボリュームを相当に圧縮し、かつ原文の大きな流れを抑え、テーマが分かる文章に構成し直す必要があると思います。 その要約の中で、原文からキーとなる単語、フレーズ、言い回し、落としてはならない「表現の工夫がとくに重要になっている部分」を持ってきたときには、そこを引用であると明示する必要があるのです。
著作権の保護のためではなく、原文の作品の良き理解が出来るようにと、要約の読者のために積極的に示すのが、《引用部文の明示》の目的だと考えてはいかがでしょうか。
理系でいえば、公式とか法則とかで示す《式》を目立つように書いて、………(の公式)と分かるようにしておくことと考えて良いのじゃないかなと思います。

名詞(氏名、場所、日時、行為名、制度名、行事名など)は、要約でも同じのを使うしかなく、それは引用にはあたらないです。また それらに修飾句をつけたり、動詞句などをつけた文節というものも引用にあたらないことがほとんどです。
要約の対象が小説などで、ある人物の語りの一部をキーワードとして引用する場合はその部分が名詞句、感嘆詞、短い文章でも、引用であることを示すものだと思います。
現代文の要約を進める中で、「すばらしい交渉をしたもののその働きが上司には認められず、外交官事務に追われる...続きを読む

Qハザードを出さずに、少ししかよせずに停めるクルマ

タイトルのようなクルマを撲滅したくて・・・

停車したいのなら、それをすぐに伝えて欲しい(ハザード出して欲しい)のですが、
まるで(ハザードを)出す気配はなく、ソレはしばらくユルユルと遅く、左に寄りそうな走行をしたのち、停車とゆう結末です。
それも「それで左に寄せてるつもりなの」くらいの寄せかたで。

私は「なんだよ、止まるのかよー」みたいな気持ちで、運転者の顔を閲覧しながら追いこすのですが、
(もちろん、相手は「そっぽ」を向いているのが大半です。)
特定の場所を探しながらの運転なら、それなりに、先に行かせるとか、あると思うのに。。。

ムカツクだけでは、こっちもヤクザじゃないし、
具体的な何か行動をするわけではないですが、
この「はっきりしない停車」って、交通ルール的には、どうだったのかなぁ、と思い、
(恐縮ながら、私自信、その法律部分を暗記していないもので)
これを機に確認したいと思います。

つまり、
路上で停車する時(後方にクルマが追従している時)、ハザードを出さなくてはならない。
それとも、
ハザードを出す義務はない。
のか、
どちらでしょうか?

タイトルのようなクルマを撲滅したくて・・・

停車したいのなら、それをすぐに伝えて欲しい(ハザード出して欲しい)のですが、
まるで(ハザードを)出す気配はなく、ソレはしばらくユルユルと遅く、左に寄りそうな走行をしたのち、停車とゆう結末です。
それも「それで左に寄せてるつもりなの」くらいの寄せかたで。

私は「なんだよ、止まるのかよー」みたいな気持ちで、運転者の顔を閲覧しながら追いこすのですが、
(もちろん、相手は「そっぽ」を向いているのが大半です。)
特定の場所を探しなが...続きを読む

Aベストアンサー

たしか、停車はハザードを出す必要はなかったとおもいます。
左のウインカーをだして停車が正しかったような・・・。

まぁ、運転レベルはひとそれぞれなんで、悪気のない人が
大多数だと思います。(ただのへたくそ)

Q「物語の要約」と「あらすじ」の違い

そのままなのですが、「物語の要約」と「あらすじ」の違いが分かりません。

どなたか分かる方教えてください☆

Aベストアンサー

こんばんは。「物語の要約」の「要約」が文章などの要点をとりまとめて、短く表現すること、またはとりまとめた言葉や文ということを意味しています。ですので、その物語を要旨をとりまとめて、できる限り短く表現したものだと思います。

それに対して「あらすじ」(粗筋)は読んで字のごとしで「書物や演劇などの内容のあらかた(荒削りな)の筋道」となります。

「あらすじ」の方が、その物語の因果関係や時系列を加えることが必要となる場合もありますので、「物語の要約」よりも詳しくなると思われます。

「桃太郎」を例に取ると「物語の要約」では「桃から生まれた桃太郎が、犬や猿などの家来を従えて鬼退治に出かけて成功する」くらいになるのでしょうか。「あらすじ」では、「ある老夫婦が、川から流れ着いた桃から生まれた子どもを授かる。その子は桃太郎と名付けられて育てられ、青年?になった桃太郎は当時、悪さを横行していた鬼の退治に出ようと決心する。…(以下略)…」のような感じでしょうか。
個人的な主観も入ってますので学問的に違っていた場合はご容赦ください。

Q書籍の著者に払われる印税の確認法

著書に入る印税は
一部例えば100円×部数=総印税額
となると思うのですが、一部についての印税単価は明確ですが、どれだけ売れたかは、出版社は著者にどのようにアカウンタビリティを発揮して説明するのでしょうか?
出版社が売れた冊数をごまかして著者とトラブルになるようなことはないのかという素朴な質問です。

Aベストアンサー

信頼関係、それだけでしょうね。
どの出版社も、検印廃止を契約書に入れていますから。

ただ、本気で調べるのなら
取次ぎ(大手は2社しかない)で
わかるはずです。

なお、現実には、印税そのものが支払われないと言う
トラブルの方が頻発しています。

参考URL:http://www.mystery.or.jp/kaiho/0206/ao.html

Q税法理論で、自分の言葉で書くとはどういうこと?

専門学校で行われる税法のミニテストで理論を書く際、
丸暗記したものをそのまま書いたら、
テストが返却され、「自分の言葉で書いてください」とのコメント書きが付されていました。

そこで、自分の言葉で書いてみたら、
「もっとわかりやすい表現で」や「キーワードが抜けている」とコメントがありました。
丸写ししたほうが減点対象にならないため、良いのではないかとさえ思ってしまいます。

自分の言葉で法律を書くということがよくわかりません。
どのように書いたらいいでしょうか?

Aベストアンサー

税法は拡大解釈されないように、うっとうしいぐらいしつこく主語を繰り返します。

そして「税法理論」は、ともすると同じ論法の「てにをは」を変えただけの、判り難さのレベルの変わらないものが多いのです。

いずれにしても、わかりにくいものには違いないのです。

自分の言葉で法律を説明するとは、なるべく専門用語を使わないで説明すると置き換えてみたらどうでしょうか。

法律を何もしらない「おばあちゃん」が聞いてわかるような文章がいいのではないでしょうか。

丸覚えした専門用語を羅列しただけでは「理解してる」とはいえない、というのが採点者の言いたいことではないでしょうか。

いずれ「税法のプロ」となるのでしょうから、まったく税のぜの字も知らないおじさんに説明することになります。その練習だと思うのも手です。

Q手錠の構造について

手錠をかけられた時に、手首の細い人は、手錠をされ抜ける事はないのですか? 体験された方や。知人で体験された方で話を聞いた事がる方、是非、回答をお願いします。年代と性別もお願いします。

Aベストアンサー

私は体験は有りませんが
あれ構造上、いくらでも小さくできるのです
良く刑事ドラマで、いじっている画面見ないですか、
締める方には、一周してしまうのです
ただ逆に回すのには、鍵がいるだけです
あの歯車の様な、ものが有る範囲でしたら、いくらでも小さく出来ます、
実際にはしませんが、幼稚園児ぐらいの細さでも出来るのではないですか?
ただきつくは掛けないのでたまにすり抜ける人もいるようですが、

Q受検と受験の違い

 妹の学校で出る学年便りを見ていて“受検”という字が気になりました。高校じゅけんは“受験”というイメージがあったからです。先生に問い合わせたところ「公立は受検」で「私立は受験」という返事が返ってきました。

自分で辞書などで調べたところ
 受験は試験を受けることで、大学入試や昇進試験などということでした。ウチのパソコンの漢字変換時に出る単語の意味の違いの注では「漢字検定を受験する」というのもありました。
 受検は検査や査定を受けること。例には、大検や血液検査などが挙げられていました。

 過去ログの検索では「学力検査だからではないか?」という答えがありました。しかし、それでは中学校の先生の回答とも、辞書で調べた結果とも併せて考えてみても納得できません。

どなたかわかる方いましたらお教え願います。

Aベストアンサー

いくつかの高校の「入試要項」(みたいなの)で、
「選抜方法」を見てみると、

公立:学力「検査」
私立:学力「試験」
となっておりました。

が、私立でも
「入学検定料」(受検の振込み用紙)
となっているところもあります。

謎ですね・・・。

Q今の刑事訴訟は、英米流の当事者主義訴訟構造を 採用しておりますが、日本人の体質に合うのか?

この制度では、訴訟はゲームになり、訴訟技術に長けている人間が得をする、という感は否めません。
しかし、日本人は体質的に他の民族よりも因果応報の考えが強いので、日本人の体質にあまり馴染まないのではないでしょうか?
この制度では 求刑より重い判決を判事が出すのは合法ですが 本来の司法の公平性やバランスからはあまり好ましくないはずです。それでも 疑問視する声は少数です。
むしろ 日本人が求めているのは 作り話ですが、時代劇に代表される 大岡越前や遠山の金さんのような名裁きではないでしょうか?
日本でも裁判員制度が始まりましたが、裁判員のスタンスも 検察と被告人の間に立って 公正な裁きをするというよりも 検察側に立って 検察の求刑が適当な量刑なのか審査する という要素の方が強いかと思います。

そこで質問ですが、みなさんは 現在の裁判制度についてどう思いますか?

Aベストアンサー

日本人は体質的に他の民族よりも因果応報の考えが
強いので、日本人の体質にあまり馴染まない
のではないでしょうか?
   ↑
当事者主義では、自分に都合の良いことしか
主張しませんし、競合する人間に対しても
その落ち度などを平然と主張することになります。

そういうことをやると、日本では、あいつは徳が無い
人格に問題がある、となり到って心証を悪くします。

また、そもそも日本語がそういう理論闘争に
適している言語なのか、という問題などが指摘
されています。

例えば、精密な理論を展開するよりも、
情感に訴えた言語の方が、説得力を持ったりしますが、
日本語にはそういうのが多い、という説があります。

もっと本質的なことに遡ります。

善悪の判断は欧米と日本とでは異なります。
一神教たるキリスト教文化圏の
欧米は、普遍的、客観的な正義があるはずであり
その正義に照らして善悪を判断しようとします。
だから、彼らは何百年も、延々と正義論を続ける
ことができるのです。
こういう国では、お互いの主張をぶつけ合い、
その主張を第三者が判断する、という当事者主義が
適合しても不思議はありません。

しかし、日本の善悪は、他者との関係で決まります。
善悪などは時代や立ち位置により変わってくるものだ
と考える傾向が強いのです。
人にどう思われるか、を非常に気にする民族です。

日本人に善悪はない。
あるのは、その行動が美しいかどうかである、
悪い奴といわれるよりも、汚い奴といわれる
方がイヤダ、
潔いのは美しい、イジメは美しくない・・等々。

こういうところが、日本人に当事者主義が適合
しないのでは、という疑問が出てくるわけです。



むしろ 日本人が求めているのは 作り話ですが、
時代劇に代表される 大岡越前や遠山の金さんの
ような名裁きではないでしょうか?
    ↑
それはあるでしょうね。
こういう裁きは不公平ですが、それでも一般庶民は
望むかもしれません。


日本でも裁判員制度が始まりましたが、裁判員のスタンスも
検察と被告人の間に立って 公正な裁きをすると
いうよりも 検察側に立って
検察の求刑が適当な量刑なのか審査する
という要素の方が強いかと思います。
   ↑
これは指摘の通りだと思います。
裁判官ですら、そうだ、と主張する学者、実務家も少なく
ありません。


みなさんは 現在の裁判制度についてどう思いますか?
        ↑
国民に対して、裁判への関心を強める、という
効果が期待できますが、裁判を見世物化する
ことにならないか、懸念されます。

日本人は体質的に他の民族よりも因果応報の考えが
強いので、日本人の体質にあまり馴染まない
のではないでしょうか?
   ↑
当事者主義では、自分に都合の良いことしか
主張しませんし、競合する人間に対しても
その落ち度などを平然と主張することになります。

そういうことをやると、日本では、あいつは徳が無い
人格に問題がある、となり到って心証を悪くします。

また、そもそも日本語がそういう理論闘争に
適している言語なのか、という問題などが指摘
されています。

例えば、精密な理論を展開するよ...続きを読む


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