大学で、自由について、哲学のリポートを書くことになりました。
そこで「仏教における自由」を取り上げてみようと思い、仏教用語の「自由」の定義を調べています。
Wikipediaと岩波の仏教辞典で調べてみたところ、言葉の意味は書いてあったのですが、単語そのものの初出がどこなのかはわかりませんでした。
自由について言及している教典や書物をご存知でしたら教えてください。
知人に、龍樹の中論にあるのではと言われたのですが、中論に書いてありますか?
(図書館の貸し出し冊数が決まっているので、なるべく関係ある本だけ借りたいです)
また、仏教における自由について詳しく書いているサイトや書籍がありましたらご紹介ください。
年明けしばらくは図書館で借りることができないので、簡単にでも解説されているサイトがあれば嬉しく思います。
よろしくお願いします。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
かなり長文になり、恐縮です。
浄土真宗の寺の者ですので、どうしても浄土真宗の教義に偏った答えになりますが、ご容赦ください。
質問者様のおっしゃる「自由」は、現代における自由(freedom,liberty)という意味でしょうか。これは、仏教元来の思想の中には存在しない概念です。日本で「自由」が広く言われるようになったのは、西洋思想の中でモンテスキューやルソー等が出現し、それを明治になってから、有識者会議の中で外来語を全て日本語に置き換えるという作業がなされ、彼らの言うfreedomやlibertyを日本語に置き換えるとどれが適切だろうかというところで、「自由」が適用されたに過ぎないのです。
一方、仏教古来の「自由」ということは、基本的に独立自由のことを指しています。
大谷大学の教授の言葉を参考にすると
『仏教も“自由”の語を大切にするが、その意味は異なる。自由の「由」は<よる><もとづく>という意であるから他に由らず、独立して、自存すること、即ち<自らにもとづく><自らによる>ことが“自由”である。晩年のブッダは、弟子達に「自らをよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」と教えられた。我々の行動の判断は、自らに由るよりも、むしろ他の意見や権力によって支配されることが多い。そこには自由がない。だからブッダは「自らによれ」と教えられたのである。』
つまり、人の意見に惑わされないことが、仏教的な意味においての「自由」だと言えます。
※なお、解脱した(悟りをえた)状態のことを指して「自由」と呼ぶ場合もあります。つまり「自由」に対する訳語は複数あるとも考えられます。
さて、独立自由の反意語として縁起が挙がることがあります。縁起とは「全ての事象・物事は何一つそれ自体で成り立つものではなく、無数の関係(縁)によって生じている」ことを表します。つまり、私という存在は絶対的に存在するわけではなく、他の存在との関係上ではじめて私存在が認識されるというわけです。ですから、縁起とは存在という根本的な問いかけに対する答えだと考えられます。
参考URL:http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/223.html
この回答への補足
もしよろしければ、
> 晩年のブッダは、弟子達に「自らをよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」と教えられた。
こちらの教えがどこに書いてあるのかも教えていただけると、とても助かります。(参考資料としたいので)
大変わかりやすいご回答ありがとうございます。
仏教用語の自由と、西洋哲学で言われる自由とを混同し、混乱していたところです。
(授業では西洋哲学の自由についての解説がほとんどだったので)
実は、自由の理論と実践について書かなければいけないので、仏教の自由と、沙門不敬王者論を絡めたリポートを書きたいと思っていました。
> つまり、人の意見に惑わされないことが、仏教的な意味においての「自由」だと言えます。
この部分、非常に参考になりました。
勉強不足のためリポートの資料ひとつ探すのにも苦労しております。ご回答とても助かりました。
URLもとても参考になりました。どうもありがとうございました。
この質問とは関係ないのですが、個人的に親鸞について勉強しているので、浄土真宗の方の回答嬉しく思いました。
今後また質問するかもしれませんが、お手すきの際にはよろしくご教授下さい。
No.9
- 回答日時:
再度の2です。
思い出したので、これだけ追記させてください。
臨済宗の福島慶道さんは鈴木大拙氏の後継者として、アメリカでも仏教を説いていらっしゃる方ですから「フリーダム」と「自由」の違いについて簡潔に説明してらっしゃいました。
http://www.shunjusha.co.jp/book/14/14391.html
学問的・文献学的には何の価値もない話でしょうが、学問があって体験があるのではなく、体験があって学問があるワケですから、まず体験的な概念を抑えておくのは理解を進めるのに大前提になることだと想います。野球を語る前には、野球を知る必要があるからです。
たぶんミャンマーに行かれたご友人は、本物の仏教に精通していらっしゃると想いますが、縁起も、諸行無常も、諸法無我も、今、現在進行形で、我々の心の領域でも起きていることなんです。宇宙で起こっていることは、我々の心の領域でも起こっているんです。
ためしに10分間でも自分の心を観察してみてください。
縁起も、無我も、無常も、すぐにでも確認できると想います。
だからこれを真理、自然法則(ダンマ)と呼ぶんです。
単なる概念ではないんです。
もちろん真理ですから、いろいろな角度から、いろいろな解釈できますが、「今、此処で!」起こっていることで”も”あるんです。
【家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。 心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした】ともあります。
つまり、このように自己のうちで起こっている真理を客観することによって自由な心の成長に繋がるんです。
【修行僧が人のいない空家に入って心を静め真理を正しく観ずるならば、人間を越えた楽しみがおこる】
だから雑念を消し去ろうなんてしなくて良いんです。
むしろ逆で、それを客観することによって、それとは反対の性質の心が成長するんです。
【私は立ち止まることなく、あがくことなく煩悩の激流を渡りました。立ち止まる時には沈み、あがくときには溺れるのです。このようにして立ち止まることなく、あがくことなく渡りました】
またノコギリで切られても怒ってはいけない「鋸喩経」なんてお経もあります。
つまり感情を荒立てないで、理性的に生きることが自由なのではないかと想います。
長々とした素人意見でご迷惑でしょうが、参考になれば幸いです。m(_ _)m
ご回答ありがとうございます。
Syo-yaさんのご回答はとても参考になりました。
リポートの提出が迫っていてじっくりとお返事する余裕がありませんので、取り急ぎお礼のみで失礼いたします。
#後日補足でお返事してから締め切りますのでご容赦ください。
No.8
- 回答日時:
こんにちは。
。すでに#3のご回答など、よいご回答がありますが・・・補足的に。
岩波の仏教辞典をご覧になったならば、触れられていたと思いますが、仏教の言う「自由」は、現代的な自由ではなくて、「解脱(さとり)」のことだと考えて差し支えないと思います。
「思うまま」という意味合いの「自由」は、仏典の場合「自由」よりも「自在」の方が使用頻度がずっと多いと思います。
また、『中論』を挙げておられますが、すべての漢訳原典を見たわけではありませんけど、「自由」という訳語があったかなぁ~(自信ないのですが)ないか、少なくとも目に付くほど頻繁には出てこないです。
ある意味『中論』は「仏教的自由」がどういうものであるのかを示している論書と言えるとは思いますが・・・少なくとも、ご質問者さんの、いま作成されているレポートには関わりはないと思います。
(親鸞聖人をお調べならば、龍樹は重要人物ですが。)
仏教の「さとり」は言葉では表現できないものとされていますが、「とらわれない」「なにものにも執着しない」状態と言われることもよくあります。
自己の内的な自由、涅槃寂静の境地、あるいは「無心」とか「無我」そういうような状態を、妄執を離れた「仏教的自由」と言えるでしょう。(たぶん。)
「不敬王者論」は、「なにものにもとらわれない、執着しない」という(仏教的自由の)境地をまざし、しかも出家して世間一般の習俗に従う必要のない(必要ないはずの)僧侶が、世俗の王の存在にとらわれ、その権威をわざわざ認め敬う必要はない、というのがその論旨だったと思います。
ですから、現代的な感覚で言う「信教・思想・信条の自由」という場合の「自由」とは異なるでしょうね。
慧遠は、出家した僧侶は、世俗社会から離れた「アウトサイダー」でなければならないと考えていたと思います。(それはある意味「正しい思考回路」だと言えると思いますが・・・)
現代的な「自由」を主張したというのではなく、また、いわゆる無政府主義とも異なるでしょうね。
仏教の実践としては、初期仏教では「八正道」、大乗仏教では「六般羅蜜」が基本になると思います。
八正道について(「新大乗」サイトより)
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl …
六般羅蜜に関しては、拙者が以前、書籍を紹介したご質問があります。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1846965
参考になればよいのですが。では。
les-minさん、先日の不敬王者論の参考書籍の紹介に引き続き、今回も(お正月早々に)ご回答ありがとうございます。
> 仏教の言う「自由」は、現代的な自由ではなくて、
そうですね。この自由の理論を勘違いしていたため、実践についても西洋哲学的な考え方で見てしまっていたようです。
また、仏教では解脱が(今回のテーマの)自由にあたる、というのは哲学の先生もおっしゃっていました。
みなさんのアドバイスを参考にして、理論:自灯明・法灯明、実践:八正道、六般羅蜜としてリポートを書こうと思います。
今、ご紹介いただいた仏教の受容と変容を読んでいるところです。不敬王者論も、#3の方のご紹介くださったURLの引用にあたり、ひとつの実践の形として触れられれば良いなあと思っているのですが……。(最低参考書籍数が決まっているので、今読んでいるのを入れられたらという不順な動機ですが)
提出日まであと10日と少ししかないので、必要な書籍を流し読みになってしまいそうですが、ご紹介の六波羅蜜に関する書籍も春休み中には読みたいと思います。仕事持ちの夜間大学生のため勉強時間の捻出に苦慮していましたが、みなさまのアドバイスのお陰で勉強に対するモチベーションがとても高まりました。
また、仏教関係の質問をするかと思いますが、その際はよろしくご教授ください。
No.7
- 回答日時:
#3です。
何度も失礼します。少し言葉が足りなかった気がするので、付け加えさせてください。
縁起、という言葉を使いましたが、縁起、他力本願等の真意については誤解されているところも多いものです。
「○○と××は原因と結果という関係ではなく、
○○や××は独立自存の存在ではありえず、
相互の関係の中ではじめて存在する。」
ということです。
縁起は仏教の基本的教説なので、様々なお経等に記載があります。有名なところでは「阿含経(あごんきょう)」「倶舎論(くしゃろん)」「維摩経(ゆいまきょう)」あたりが挙げられます。
詳細例は省きますが、仏教の様々な概念について、「精神療法的な手段としての仏教修行」の研究と「仏教学」の研究では、アプローチも結論も違った見え方になってきます。そこを混同して論文を作成すると、大学での学問への答えとしては不適格と判断される心配もなきにしもあらずですので、ご注意ください。
ollicomesさんのご回答、大変参考にしております。お忙しいところ何度もご回答いただきありがとうございます。縁起については今回は調べる時間がありませんが、いずれ上げていただいた経典については必ず調べようと思います。
> そこを混同して論文を作成すると、
ご助言ありがとうございます。今回は哲学のリポートということで、そこまで深くは突っ込まれないと思いますが(笑)心に留めておきます。
言い訳がましくなってしまいますが、私は仕事持ちの夜間大学1年生で、学生としてのブランクが5年ほどあるため、資料探しもままならず大変途方に暮れていました。ですが、こちらでollicomesさんはじめとした回答者さんにアドバイスいただき、学ぶ楽しさに目覚めてきました。
また、仏教関係の質問をするかと思いますが、その際はよろしくご教授ください。本当にありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
再度の2です。
>>余談ですが、こちらでよくSyo-yaさんのご回答を拝見し
そうですか、嬉しいですね。
では、サービスしちゃいましょう(^^)
(混乱させるだけかも知れませんが)
>>自由の理論と実践
こちらの少年を見てください。
http://x51.org/x/05/12/0222.php
この少年がやっているのは「ヴィパッサナー瞑想」という、菩提樹の下でお釈迦さまが悟りを開いたときにやっていたと言われている瞑想法です。日本の「坐禅」の原型(と、解釈していいのかな?)に当たるものです。今、これを伝えているのは伝統的な教えをそのまま残していると言われている南伝の上座仏教(テーラワーダ)です。
http://srilankanworld.hp.infoseek.co.jp/buddhism …
仏教の伝来には二つのルートがあり、それぞれは違うんです。
ご存知でしょうが。。。
ためしに、30分でも、坐ってみてください。
足が痛くなれば、体勢を変えたくなります。
何処かが痒くなれば、掻いて、痒みを取り除きたくなります。
必ず、xxに縁って、xxを起こしたくなるんです。
心の領域も、「晩御飯は何を食べようかな」とか
好きな音楽を歌いだしたり、片時もジッとしていないんです。
眼・耳・鼻・舌・身・意のどれかに縁って起こる雑念が止まらないと想います。
URLの少年は、これらを自分の力でコントロールしているんです。
(まあ、半年というのは眉唾だとしてもです)
たとえば、足が痛くなっても、「痛み、痛み・・」と痛みを客観的に観察するという心の使い方をすることに縁って、痛みから離れてしまうんです。手放してしまうんです。
お腹がすいても、「空腹、空腹・・」と客観的に自己観察することに縁って空腹から離れてしまうんです。
これだけのことからも「起こる(生まれる)」という性質を持つものは、同時に「滅する(死ぬ)」という性質を持っていることが解ります。
この世には常住なるものはなく、全てが無常に移ろっているということもわかります。
・・と、この瞑想をすると、我々もお釈迦さまの追体験が出来るんです。
少年の話を極端な例だとしても、たとえば、何処かに足をぶつけて痛くっても、「なに、たいしたことないさ」と想うことで、痛みを乗り越えてしまうという経験は誰にでもあると想います。たった、これだけのことにも因果、縁起、縁滅、諸行無常、諸法無我という真理が含有されているんです。これらの真理を感じることが出来るんです。
これらの真理を客観的に観察する、その心こそが、自律的な心なんです。
これを育てることによって「自ずからに由って生きる」ことが可能になるんです。
それは自分の肉体に関しても同じことです。
我々も、いつかは、死ぬ運命にあるんです。
ですから、何モノにも左右されない、自律的な心を鍛え育てることで、「老・病・死(四苦八苦)」を乗り越えることが出来る、死を恐れない人にとっては死は存在しないに等しいですから、これを「不死」といいますが、つまり自由になることで、仏教の本分であるところの「苦の消滅」に至る・・・というワケです。
で、また、日頃から悪い業(行い:カルマ)を作らないことも大切ですから、「八正道」という道の実践があるんです。
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi3.html
また、坐禅瞑想をすると、理屈ではなく、実際に、本当に頭がスッーーー!としてしまうんです。
「我に帰る」という体験が本当に出来るんです。
「今、此処の自分」というものを強烈に感じ取ることが出来るようになるんです。
「想う」というフィルターを外したようなピリピリとするくらい明晰で、「生きてる!」という生々しい感覚が起こってくるんです。
これは、坐禅、太極拳、武道・・・等々の世界でも体験できることですが。
ですから、健脳法でもあるんです。これはいつか生理学が解明してくれと想いますし、実際に、禅の効用を研究している生理学者もいます。
「ブッダの真理のことば・感興のことば」にも「瞑想」という言葉が多々出てきます。
また他の経典にも「お釈迦さまが、昼食後のそぞろ歩きをしていると・・」なんて表現も出てきます。
これはヴィパッサナー瞑想の「歩く瞑想」のことを指しているのだと想います。
>>提出まで時間があまりないので
「自由」というのは仏教のゴールです(^^)
ゴールに至るということは、そのプロセスに対する理解がなくては無理です(><
仏教の説く「自由」を知るには、仏教の全体像を把握する必要があるからです。
サービスで、できるだけ端折って書いてみましたが(^^)、もちろんもっと深い理解が必要です。
暗中模索で頑張ってみてください。
再度のご回答&サービスどうもありがとうございますm(__)m
実は、仏教関係の授業も取っているため、一応、仏教の歴史についての基礎知識はあります。以前、体験座禅をしたのですが、20分×2セットという短時間にもかかわらずとても大変な思いをしました。何もしないのは苦ではないのですが、何も考えないというのは、私にはとても無理でした。
> これはヴィパッサナー瞑想の「歩く瞑想」
友人が先日ミャンマーで短期出家してきたのですが、歩いているときに歩いているということに意識を集中する瞑想をやった、と言っていました。きっとこれのことですね。
たかが、「自由」という単語ひとつとっても、とても3,000字程度で書ききれるようなテーマではないということはよくわかりました(^^;
まだおっしゃられていること全てを理解することができず、もどかしいですが、もっと勉強して理解を深めたいです。どうもありがとうございました。
また、仏教に関係する質問をすることがあると思いますが、よろしくご教授ください。こちらの回答者のみなさんに見放されないように(笑)しっかりと勉強します。
No.4
- 回答日時:
#3です。
自灯明法灯明の出典は涅槃経です。ただ、わたしも経典の中で現物を見たわけではないので、どの辺りに書かれているかは分かりません。
ただ、涅槃経自体はとてもポピュラーな経典なので、大きな図書館であれば探せると思います。
もしくは、伝通院の中にある「宗教情報センター」でしたら、仏教をはじめあらゆる宗教専門の資料施設ですので、delirium様の研究にも役立つ資料が揃うと思いますよ。URL貼っておきます。
参考URL:http://www.circam.jp/
再度のアドバイスありがとうございます。
幸いなことに大学が仏教関係なので、図書館が開いたら早速涅槃経についての本を借りてみます。URLもありがとうございます。
また、調べたら、大法輪の11月号に、ちょうど自灯明・法灯明他、仏教の基礎用語の特集が載っていましたので、こちらも借りて見ます。
No.2
- 回答日時:
言葉を明確に定義してる経典というのは知らないんですが、仏教思想(原始仏教)は自由になることばかりを説いていると想っても過言ではないと想います。
(大乗仏教ではどうかは知りませんが・・)現存している最古の経典と言われているのが、「スッタニパータ」です。
http://www.j-theravada.net/sakhi/suttanipata.html
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/butten.htm
(他にも岩波文庫から中村元訳で、特に古いとされている経典ばかりが出版されています)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003330 …
たとえば、第三節の「犀の角」 39番目に「鹿が・・」という偈があります
前者のURLでは「独存」、後者のURLでは「自立自由」と訳されています。
つまり仏教で説く自由とは「自律」を指しているんです。
逆に自律していない状態とは、36番目の偈に【交わりをなせば、愛情が生まれる。愛情が生まれれば、苦悩が生まれる。愛情から、苦悩が生まれる・・】とありますように、自分以外の何かに振り回されている、他律的な状態、奴隷的な状態を言います。
「xxに縁って起こる(縁起)」ということは相互依存関係、他律的な支配下にあるということなんです。
「xxに縁って起こっている」ということは、自分が自分のものではないということなんです。
また「生まれる」という性質を持つものは、同時に「滅する」という性質も併せ持っているんです。
だから「無常」「無我」と悟って無執着になり、自分の心の支配者になりなさい、自分を律して安定に導くことだけに精進しなさいという教えばかりです。
他にも、
【愛欲よ、私は汝の本を知っている。愛欲よ、私は汝を想わないであろう】
【水道を作る人は水を導き、矢を作る人は矢を矯め、大工は木材を矯め、慎み深い人は自己をととのえる】
【「私には子が居る、私には財がある」と想って愚かな者は悩む、しかし、すでに自分が自分のものではない。まして、どうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか】
【実に自分は自己の主である。自己は自分の寄る辺である。故に自分を整えよ。商人が良い馬を調教するように】
・・とか、あげたらキリがありませんが、原始経典は「克巳修身」を謳ったものばかりです。
他力本願思想なんて、どこにもありません。
自分で自分を躾ける、自力救済の教えのみです。
これが、つまりは「自由(自ずからに由って)」という漢訳に繋がったのではないかと想います。
「ブッダの真理のことば・感興のことば」も読んでみてください。
Syo-yaさん、とてもわかりやすいご回答どうもありがとうございます。
(余談ですが、こちらでよくSyo-yaさんのご回答を拝見し、感銘を受けておりました)
仏教で説く自由とは、自律・自己救済である、ということですね。
実は、自由の理論と実践について書くリポートなのですが、理論がスッタニパータに書かれている自律と自己救済とすると、実践の部分は、修行(たとえば、六波羅蜜など?)にあたるのでしょうか。
提出まで時間があまりないのでどこまで掘り下げられるかわかりませんが、しっかり読んで調べたいと思います。
「ブッダの真理のことば・感興のことば」もぜひ読みます。
大変参考になるご回答ありがとうございました。
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