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(質問)
「性格」とは何のことを指しているのでしょうか?

(背景)
先日、会社の研修で「自己革新セミナー(※1)」というものを受けました。その中で、次のような構造の図を見かけました。
----------------------
 行動特徴 (最上位)
 役割
 価値観
 性格
 気質
 体質 (最下位)
---------------------
ここで、「性格」や「気質」とは何のことを指しているのだろうと思い講師に質問しましたが、講師もわからないとのことでした。

自分の仕事やこれから歩むべき道に付いて考え、自分の役割は何か、自分の価値観はどこから来ているのかと考えました。(今も考えています。)このような背景があって上記のモデルを見て、「性格って何?」と思ったわけです。

※1 富士ゼロックス総合教育研究所の Positive Mind Inovation というプログラム。
このセミナー自体は交流分析(社会心理学のひとつ?)というものを基礎においているようです。

A 回答 (4件)

こんにちは。


(長いので暇なときにお読み下さい)。

「体質」というのは持って生まれたもので、それに基づいて大雑把な「気質」が決まります。そして、このように持って生まれたものをベースに、生後に成される体験や学習によって形作られたものを「性格」といいます。
我々の「性格・人格」は、生後三歳くらいまでにその基礎が形作られます。「人格形成期」といい、この時期の体験や学習は生涯に渡ってたいへん大きな意味を持ちます。
生まれながらの「体質」や「気質」にも遺伝的な個人差があります。本質的な要素ですが、自分が男に生まれたのか女に生まれたのかは別としても、これはそれほどはっきりとしたものではありません。ですが、「性格」はその多くの部分が生後の学習環境に様々な影響を受けており、それは「価値観」に基づく我々の「行動選択」においても明確に反映します。このモデルは、そのような階層を意味しているのだと思います。

「価値観」とは「行動選択」のためにあります。
「本能的価値観」「個人的価値観」「文化的価値観」の三つがあり、これらは複雑に関係し合っています。
本来、「本能」は価値観とは呼びませんが、これは「お腹が空いた」とか「Hがしたい」など、我々が生物として生きて行くための「反応」であり、生得的に定められた絶対的な「判断基準」です。本質的な価値観であり、我々が行動選択を行なう上で他のふたつと切り離して扱うわけにはゆきませんし、こればかりは拒否することも変更することもできません。そして、「本能的価値観」が先天的なものであるのに対し、残りのふたつは生後の体験・学習によって獲得された「後天的判断基準」ということになります。我々は、このような複数の価値観に基づいて状況に応じた行動を選択しています。

「個人的価値観」や「文化的価値観」は後天的なものであり、変更が可能です。ですが、とはいえ、それも思い通りというゆわけには中々ゆきません。まず第一に、価値観そのものを持ち替えることは可能ですが、ひとたびある価値観を持ってしまったならば、我々はそれに対して逆の結果を選択することは絶対にできません。もし、どうしてもそうしたいと思うのであれば、そのためは何らかの手段で価値観を変更しなければならないはずです。因みに、本能的価値観の方は自分の意思で持ち替えることはできません。
更に、これはご質問の「性格」というものにも大きく関係してくることなのですが、個人的・文化的を問わず、我々の価値観は、その多くの部分が生後三歳までの人格形成期に基礎付けられたものなんです。そして、これも元を正せば、最初は全てが生きてゆくための本能的価値観から出発しているということになります。

「食べ物の好き嫌い」や「異性の好み」といった「個人の好み」は、人格形成期である生後三歳ごろまでの体験に比較的大きな影響を受けると考えられています。また、「ご飯をこぼしてはいけない」とか、「裸で外を歩くものではない」とかいったことも、この頃の両親の躾によって植え付けられることですよね。
このように、我々人間の社会では、性格の基礎が芽生える人格形成期には、好みなどの個人的価値観の獲得や、ある程度の文化的価値観のすり込みも同時に行なわれています。つまり、我々の人格は生まれ持った体質や気質、更には本能といったものをベースに形成されるのですが、既にこの時期には価値観という具体的な行動指針も獲得されているというわけですね。このようなものはほとんどが「深層的・無意識的」な要素を持っていますので、ひっくるめてそれを「性格」いい、それぞれの生後環境の違いによってより明確になったものを「個性」といって良いのではないかと思います。

「自分はどうしてこういうタイプのひとが好みなんだろうか?」
「何故、裸だと恥ずかしいのか?」
不思議に思ったことはありませんか?
「深層的・無意識的」とはこのようなことです。何しろ、生後三歳ごろの体験だというのですから、その理由まできちんと憶えているひとはそうそういないはずですよね。ですから、あたかも自分は生まれたときからそれが嫌いであったように思えてしまいますが、このような「個人差」のあるものは、そのほとんどが生後に獲得されてものであると考えて間違いありません。つまり、自分が嫌いなものは、誰が何と言っても嫌いなんです。
では、後天的でありながら「裸が恥ずかしい」という意識にほとんど個人差がないのはどうしてでしょうか。この社会に生まれ育った我々にとって、深層的にすり込まれた文化的価値観というものが如何に根強いものであるかが十分にお分かり頂けると思います。このようなものが、我々の行動選択において無意識に作用します。
もちろん、価値観とは成長に従ってより高度に、より豊かになるものです。ですが、実はその本質とは性格と同じくらいの位置にあり、そう簡単に手の届くものでははありません。ですから、価値観を持ち替えてやれば、それによって我々は常に有効な行動選択を行なうことはできるはずなんですが、実際には、中々思い通りというわけにはゆかないわけですね。
そして、これまで述べました通り、我々が行動選択に用いる価値観には三種類もあり、それらは複雑に絡み合っています。学校に入り、社会に出て、様々な集団生活を体験するならば、個人的価値観や文化的・社会的価値観がどのように拮抗しているのかといったようことは、これはご説明しなくとも簡単にイメージして頂けると思います。

では、我々はどのようにしてこの三種類の価値観を使い分けているのでしょうか。私は、このセミナーでは、そこに「個人的役割」「社会的役割」という解釈があるのではないかと思います。
「個人的役割」というのもしっくりとしない言葉ですが、言い換えれば自分の「意思」や「目標」です。ですから、「役割」というものを総括するならば、この場合は「行動の理由や目的」、即ち「意義」ということになると思います。
価値観は自分に与えられた状況に対して判断を行ない、それに伴った行動を選択するための基準です。ですから、「役割」とは「意義」であり、より高次なところから価値観を司り、「行動の動機付けを行なうも」ということになりますよね。状況に対する判断、つまり自分の目標や責任が明確にされることによって、そこで初めて適切な行動の選択が可能になります。

個人的な目標を設定するにしても、社会的責任を全うするにしても、何れにしても目標を選択するためには、それに対して正しい価値判断が成されなければなりません。ですから、役割と価値観のどちらが高次であるかは一概に言えませんが、このセミナーが目標達成のための積極的な社会行動に主眼を置いていることに疑う余地はありません。
個性豊かな個人的価値観はたいへん重要なものですし、誰にも迷惑を掛けないのであれば、好きなときに好きなことをし、惰眠をむさぼるのも個人の自由です。ですが、そのような価値観で「受動的な行動選択」ばかりを行なっているのでは、何時まで経っても「自己開発」や「目標達成」などできはしませんよね。第一、目標がありません。
従いまして、ここでは与えられた状況や責任を自覚し、目標を持つことによって価値観を働かせ、それによって、より「能動的な行動選択」を行なうということになるのだと思います。そのためには、それが暮している社会に存在する価値観であると共に、「自分にとってどのような価値があるのか」ということもしっかりと判断できなければなりません。これができなければ、ただ会社から言われたことをやっているだけですから、「能動的な行動選択」とは言えなくなってしまいますよね。

そして最後に、また「性格」ということになりますが、刳り返し述べますが、これは我々がそれぞれに獲得した個性であり、たいへん価値のあるものです。ひとりにひとつしかありませんし、それを活かしてこそ豊かな人生ですよね。
ですがその反面、中々思い通りにはなりません。思い通りにならないだけではなく、それはときとして目標達成や社会行動の妨げになったりすることもありますので、能動的な社会行動を行なうためには、我々はそれに上手く対処する必要があります(この辺りは、セミナーのモデルとは直接関係ありません)。

思い通りにならないものに対処するというのもおかしな話しですが、それには「自分がどのような人間であるのかを知る」というのがたいへん有効な手段になります。
我々は自分の性格や深層的な価値観をコントロールすることはできません。ですが、それによってもたらされた結果から学び、反省するということはできます。これを刳り返すことによって、我々は自分という人間を理解し、その結果を予測することができるようになります。結果が予測できるのならば、対処もまた可能ということですね。
精神カウンセリングはもう少し込み入った方法で行なうそうですが、言ってしまえば誰でも知らず知らずの内にやっていることです。もちろん、病気の治療でもなければ生後三歳の深層記憶まで探り出す必要はありませんが、一歩前に話を進めるならば「自分を知る」という行為を意識的に行なうことですし、もっと積極になるならば「自分を発見する」というのも立派な自己開発になります。

ですが、決して焦ってはなりません。私も口では簡単に言いますが、これはたいへん時間の掛かることです。せっかく良いセミナーを受講なさったのですから、まず目標を持ち、幅広く豊かな価値観を養うと共に、自分というものをしっかりと見詰める努力をして下さい。五年、十年後に、結果は必ず現れます。
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この回答へのお礼

大変丁寧な回答、ありがとうございます。

「性格とは、生まれ持った体質と気質をベースに、生後に成される体験や学習によって形作られたもの」
ということですね。まだ少し漠然としていますが、直感的には理解できた気がします。

> 個人的な目標を設定するにしても、社会的責任を全うするにしても、
> 何れにしても目標を選択するためには、それに対して正しい価値判断
> が成されなければなりません。

私は、「目的」があっての「目標」だと考えているわけですが、この目的なり目標なりを定めるにしても自分の価値判断が果たして適切なのかに疑問を持っています。あくまで私の価値判断は私の心のレンズを通してものを見ているので、レンズが歪んでいれば見えるものも歪んでしまうと考えているからです。第一、「正しい」価値判断というものが存在するのか、という疑問すらあります。みんながそういうからきっと正しいのだろう、くらいあやしいです。そういってしまっては元も子もありませんから、自分の良心に照らし合わせて価値判断を行うことになるのでしょうか。

いずれにしても、自分の目的、目標を定めるのにはまだ時間がかかりそうです。もうすこし「己を知る」ことに時間をかけてみようと思います。

お礼日時:2006/01/10 21:49

「性格」ですが、タイプで分ける類型論と、個々の因子で分け、その組み合わせで判断する特性論とがあるようです。



私は特性論の方に興味があり、主に5因子分析を使っていますが、これは、1.自分への肯定衝動、2.協調性(同情や養育的態度)、3.自己統制性、4.知性、5.情緒安定性 の5つからなります。

5つの因子の下位にいくつかの下位因子がありますが、大きくはこの5つの因子の強弱の組み合わせで、個々のパーソナリティの違いを説明できるようです。

で、この性格というのは、後天的(一卵性双生児でも違う)で、かなり強固(小学生→青年期の追跡調査でも変化が小さい)なようで、自分の持ち味みたいなもののようです。

セミナーの内容は見ていませんので、ズレてるかもしれませんが、自分に合わない価値観や役割を演じようとしても無理がありますので、
自分の性格を他者と異なる持ち味として客観的に理解し、その上に自分らしい価値観を積み上げ、環境を選択し、その中で周囲に貢献できる役割を見定めて努力していく・・・という感じでしょうか?

交流分析についてですが、一般にエゴグラムと言われるものだと思います。上の5因子分析を、肯定衝動→C(子)、協調性→P(親)、自己統制性や知性→A(自我)に置き直し、わかりやすくしたもののようです。

ただしエゴグラムは性格診断の簡易版のため、診断結果の解釈が診断者によって結構違うようで、注意が必要です。

なお、5因子分析をもとにしたキャリアプランのコンサルを行なっている会社もありますので紹介させていただきます(下記)

参考URL:http://www.inter-vision.co.jp/topic/ffs/ffs_syos …
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お尋ねの自己変革プログラムについては,知りませんが,心理学の立場から,一般的なことがらについて少し説明します.



性格やパーソナリティ(人格と訳されることもあります)は,個人個人の行動における個人差(日常的なことばで言えば,個性に近いものです)を説明するものです.両者は,厳密に言えば区別されますが,ここでは同じものとして説明します.

ご覧になった構造の図は,広い意味で性格といった場合に含まれるものがリストアップされています.上位に行くほど,No.1の方も書いておられるように,可視化されたもの,つまり,外から見えるものになります.下位に行くほど外からは見えないものであり,身体的なものであったり,遺伝によって決まる部分が大きいものになります.

気質は,たとえば,興奮しやすいとか,常に冷静であるといった,性格の基本的な部分を指します.価値観や役割(役割は,他者から期待される行動のパターン,つまり,営業職であれば,営業に勤しみ,売り上げを上げるといったようなこと)は,発達の途上で(つまり,年齢が上がるにつれ),身につけていく部分です.そして,それらを総合したものとしての性格が,行動特徴として外に見える形で現れてきます.この行動特徴は,もちろん個人個人が持っているものですが,他者との対人関係の中で現れてくるものですから,相手によって,現れ方は多少とも変わりうるといえます.

価値観や役割の部分は,とくに青年期といわれる発達段階で,自分なりに考え,自分独自の内容を見つけて行くことの影響をかなり受けるものです.ただし,青年期でその答えを見つけたら,それでおしまいというものではなく,その後の人生のさまざまな段階で,いろいろなことに出合う中で,改めて考え直すということも要求されます.

こういう意味で,Interestさんが,“自分の仕事や歩むべき道について考え,自分の役割は何か,自分の価値観はどこから来ているのかと考えました”というところは,とても重要な点について気づかれたと思いますし,セミナーの効果が現れているように思います.自分自身のことだけでなく,社会的な立場や,周囲からの期待も視野に入れて,しかし,自分自身のことをもっとも大切にして,お考えになるとよいと思います.
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
気質は体液の質からくるものだという研究があるのですね。
(参考:http://www.transview.co.jp/books/4901510355/text … )

上位からの行動特徴、役割、価値観と下位からの体質、気質はこれでなんとなくわかったような気がするのですが、この価値観と気質の間にある部分にまだギャップを感じています。質問で示したモデルにこだわるつもりはありませんが、自分の意思決定や行動を大きく左右する「価値観」がどこから来るものか、ここを掘り下げたいという気持ちは変わりません。
私は「価値観」は「経験」と「意味づけ」からできているのではないかと考えています。一般的には(心を研究している研究者には)どう考えられているのか興味があります。

> 自分自身のことだけでなく,社会的な立場や,周囲からの期待も視野に入れて,
> しかし,自分自身のことをもっとも大切にして,お考えになるとよいと思います.

「私」が私であることは、私を取り巻く人々がいて初めて成り立つことだと考えています。その人々に私が何を提供できるだろうかと考えたとき、なにか、自分の土台となるものがはっきりしないというか、空虚な感じがしました。(確固たる信念など持ち合わせていません。)この土台を再構築するために自分の行動の元になる「価値観」を掘り下げようと考えたわけです。

お礼日時:2006/01/09 12:12

これはモデルを見た私の想像です。

正しい認識(理解)かどうか分かりませんが、一仮説としてお考え下さい。
まず、モデルの下位から上位に従って、行動として可視することが容易になっていく、かつ変容可能性が高まっていくことは分かると思います。そのとき、「体質」は生まれながらに持っている個人特性であり、生涯変化しない(または、しにくい)ものであると考えられます。つまり、体質とは埃アレルギーなどのアレルギー反応が現れていない普段は不可視なものであり、変化しにくいものであると考えられます。それでは、「気質」と「性格」を考えてみましょう。基本的に「気質」と「性格」はよく似たものであると感じられます。しかし、そこに差異をつけ、無理やりに分けるならば、「冷たい」や「温かい」、「おっとりしている」、「せっかちだ」のように、自己の意志で変容が比較的困難である場合を「気質」と呼び、「やさしい」、「明るい」、「積極的だ」などという自己の意志で変容が比較的容易である場合を「性格」と呼べるのではないか。
これは私の推測であるため、正しい理解かどうか分かりません。私は交流分析に通じた専門家でもありませんし。。。あくまでも、一つの見方として提示したいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「気質」と「性格」を切り分けるとすれば、自己の意思で変容が比較的困難か容易かでわけると考えたわけですね。これは理解できました。では、この「気質」や「性格」とは何のことを指しているのでしょうか。

お礼日時:2006/01/09 11:14

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