煩悩(ぼんのう)ってどういう意味ですか?
辞書で調べても難しくて理解できません。
具体的に、わかりやすく教えてください。よろしくお願いします。

アンサープラス

「煩悩」とは心身にまといつき心をかきみだす、一切の妄念・欲望。

といった意味があるようですね。
詳しくはこちらに掲載されておりますので参考までにご覧ください。

[wikipedia 煩悩]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A9%E6%82%A9

A 回答 (4件)

 


  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
 
  煩悩とは、わずらわしく、悩みになることだ、ということになります。しかし、そんなに煩わしく悩む、困ったことなのかというと、日常の用法では、ちょっとニュアンスが違います。ここは、仏教のお坊様に出てもらって、具体的な使い方の説明をしましょう。
 
  仏教では、覚りを開くため、修行する人が、元々「坊様」だった訳です。従って、元の仏教の「戒め」では、修行者は、例えば女性となれなれしく口をきいてはならないとか、女性の姿もまともに見てはならないなどとなっていました。女性の美しさなどは、「迷い」の元だというのです。
 
  しかし、坊様がすべてそうではないでしょうが、すけべな坊様もいる訳で、道で通りがかりの、和服の美人を見て、ほわ、と口を開けて見とれ、なんちゅう、綺麗なべっぴんさんや、いや目の毒じゃ、これも「煩悩、煩悩」などと云いながら、女性の後ろ姿を見送ったりします。別に和服でなく、洋装でも構わないのです。また、坊様も、そんな女を見るとすぐ見とれるような人は珍しいでしょうが、やはり、坊様も男ですから、美人と道ですれ違うと、ふと、心が動くこともあるのです。
 
  あるいは、仏教では、イスラム教と同様、精神の安定や、日常の心の状態を興奮させたり、おかしくする飲み物などは禁じています。例えば、麻薬などは無論駄目ですし、煙草やお酒も駄目なはずです。しかし、日本の坊様は、何時頃からか、「般若湯(はんにゃとう)」と称して、酒を店で買って飲んでいたりします。坊様が、良い酒を味わいながら飲みつつ、何という味わい、この酔い心地、さすがに銘酒は違う。極楽じゃ。しかし、考えてみれば、これも「煩悩、煩悩……仏様よ、お許しあれ、南無阿弥陀仏、いやもう一杯、何ともうまい」などと云っていると、どこが、煩い、悩みの煩悩か分からないでしょう。
 
  また仏教では、生き物のいのちを大切にせよと教え、殺生を禁じ、従って、動物の肉は無論、鳥の肉も、魚も食べてはならないことになっているのですが、それも何のことかです。酒のさかなに、コイのあらいを食べつつ、いい気分になって来て、坊様が、いや、浮き世もまた楽しいぞよ、酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ……などと歌っていると、「生臭坊主」ということになるのですが、以上は極端に戯画化しているので、日本では、昔から、坊様が、妻帯し、子供がおり、酒は飲み、魚も食べ、それで別に社会から糾弾などされていません。
 
  大酒を飲み、酔っぱらって、寺の本堂で乱交パーティを開くような坊様は、それは別に坊様でなくとも、普通の人でも社会から糾弾されます。
 
  仏教の坊様にとっては、女性と触れたり、メイクラヴすること、酒を飲んだり魚を食べたりすることは、仏教の教えに反することで、こういう「欲望」を、修行の妨げになる「煩悩」と呼ぶのですが、煩悩というのは、多くの坊様の日常生活から云うと、自然なことのようです。
 
  もう一つ、坊様ではありませんが、一般に、「子煩悩」という言葉があります。これは、別に、子供が煩わしく悩みの種で、何かの邪魔になるのかと云えば、そうではなく、子供が可愛く、何時も子供のことを考え、細かいことにも、子どものためにと、あれこれ気も身も使う親のことを、こう呼びます。別に、子どもが、何かの「妨げ」になっているのではないのです。親にしてみれば、ふと、思うと、「ああ、おれは、何と子どものことばかり思っているのか。これも煩悩か」などとなります。
 
  「煩悩」というのは、仏教の教えとか、人間の生き方はいかにあるか、などということの前では、何か安楽な、気持ちよい、楽しい方にばかり気が向くようで、困ったことだという考えもある他方、「自然な欲求」「自然な望みのおもむく方向」であって、煩悩だが、しかし、これもまた良しなどというものです。
 
  これは、仏教の教義として、煩悩に迷う人の姿こそ、すなわち、仏の姿に他ならないという考えもあるのです。
 
  煙草をやめないと、肺ガン確実と云われていて、それでも吸いたいという人の場合、煩悩とは云いません。また、大学受験中なのに、異性のことに意識が向いて勉強に集中できない高校生も、それを煩悩とは云いません。(ただし、高校生の親が、寺の住職だったりして、子どもに、そんな煩悩は振り払え、と説教するかも知れません)。
 
  煩悩というのは、本来の仏教の教えでは、たいへん厳しい、覚りの道にあって、克服せねばならない誘惑や欲望だったのですが、「煩悩すなわち仏」というような考えは、人間は自然に振るまい、自然に生きるのがやはり一番であるという考え方でしょう。
 
  肺ガン寸前の喫煙者や、受験勉強に必死な高校生にとっては、喫煙や、恋愛は、自然のままを楽しもうなどということではないのです。
 
  人間は、欲望が強すぎると、色々不都合なことが起こることが、或る程度分かっているともいえます。分からない人、自制がきかない人は、酒に溺れて身を滅ぼすとか、守銭奴になって、世人の顰蹙を買うなどとなり、そういう人自身は、煩悩も何もないでしょう。しかし、そういう人を横目で見ていると、酒を飲み、恋愛をし、ギャンブルで小銭を失い、自堕落な生活を少々しても、歯止めがかかっていて、ああ、これが煩悩というものか……で片が付きます。
 
  「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、確か古い歌の言葉ですが、そういう心境の「分かっている」のが、煩悩だと分かっているということで、度を超さなければ、やめる必要もない訳です。本格的な修行をしている坊様にとっては、厳しいことでまた別ですが、普通には、煩悩はまた楽しいことなのです。本来しない方がよい、というのをするのは何とも楽しいことなのでしょう。
 
  世界中の文化がそうだとは分かりませんが、日本は、煩悩を楽しむ文化です。
 
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もの凄く簡単に言うと、人間の欲そのものです。


食欲、睡眠欲、性欲など、108つあるとされています。
それらの欲によって人間の感情は動かされ、時には悩み
苦しむこともあるし、喜び楽しむ心も持ちます。

蛇足ですが、除夜の鐘が108つ鳴るのは、それら108つ
すべての煩悩を払いおとして、新たな心で新しい年を
迎えるためとされています。
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 人間のもっている性分・気性のことです。

苦しみの原因でもあります。
 仏道修行を妨げる、欲として説明されています。
 人間が本来生命に具有している貪瞋痴(とんじんち)の三毒、あるいは慢疑を加えた五悪心の作用というものがあります。しかも仏法の上から現代という時代をみると、今は末法といって、劫濁(時代・社会そのものの乱れ)、煩悩濁(苦しみの原因となる貪瞋痴などの迷い)、衆生濁(人間の心身両面 にわたる汚れ)、見濁(思想の狂いや迷乱)、命濁(生命自体の濁りや・短命)の五濁が強大となって、いたるところで争乱や殺りくが絶えまなく行われる時(闘諍堅固)と予言されています。
 たしかに人命軽視や刹那的欲望による犯罪、そして自己中心の風潮は現代社会の病巣として深刻な問題となっています。これらの社会問題が貪瞋痴の三毒という単に理性のみで解決できない生命の奥深い迷いから起っているわけですから表面 的な道徳教育や、倫理の訓話などで解決できるほど単純なものではありません。現に人殺しはいけない、暴力はいけない、親不孝はいけないと誰でも知っています。それでもなおかつこれらを犯してしまう事実は、もはや知識や教育の次元を越えて、人間生命の奥底から揺り動かす真実にして力のある仏法によらねばならないことを物語っています。
 如何でしょうか?
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元々は仏教用語なのですが。

。。

大まかに言うと
『人間誰もが持っている「欲」で、何かを成し遂げようとする際に邪魔になるもの』
って感じですかね。

例えば、勉強しなくちゃならないのにテレビが気になるとか、ダイエット中なのに美味しいモノが食べたくなるとか。。。

「これさえ考えなければ」と思っても頭に浮かんでくるモノですかね。

難しい話は下記のページを御覧下さい。。m(__)m

余談:
僕自信は煩悩の固まりですな。(笑)

参考URL:http://www.galilei.ne.jp/daisyoin/page5_19.html
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Q性行為は煩悩なのか

昨日、ここで煩悩について聞いた者です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6974398.html

煩悩の定義についてはNo3でお聞きいたしました。
そこで煩悩についてもう少し整理してみたいと思いました。

煩悩といえば直ぐに思い浮かべるのが性的なことです。
しかし、子作りのSEXなどは正常な営みといえます。
よって、現状はこれは煩悩ではないと考えています。
 
それ以外の健全な性行為は煩悩でないのでしょうか。
例えば次の2つが挙げられます。
1 アイドルなどに入れ込みブロマイドなどを集める
2 自慰行為をする

あるいは、これが日常生活(智慧の1つでいいのでしょうか)を
妨げるようになると煩悩になるでいいのでしょうか。

Aベストアンサー

「自分さえ」満足に至れば結果オーライとする?煩悩は
いうなれば「虚無存在に対する不安」を紛らわせるもの。
煩悩の対極は「人気者」になって い る こと。

出世は「共生関係」を構築し培うこと。
難しく考えなくても、男なら女を、女なら男を喜ばせれば健全ですしいいことで。

それがわからないなら独立精神とか自立心とか自己探求しなきゃならなくなります。
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年配の知人に
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ただ知人がインターネットに対して負の感情を持っているだけなのでしょうか?

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Aベストアンサー

辞書で調べる→手間がかかる→印象に残りやすい
ネットで調べる→簡単に結果が出てくる→印象に残らない

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ちなみに、私は調べ物をするときはネットで調べています。
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【宗教】仏教は「煩悩を捨てよ」と教えますがなぜ煩悩を捨てないといけないのでしょうか?

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Aベストアンサー

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此木以 不材 得 終 其天年
   二  一 レ 二   一

の 「 得 終 」
     レ

のところです。

Aベストアンサー

 此ノ木ハ材タラザルヲ以ッテ其ノ天年ヲ終フルヲ得タリ。
=此ノ木ハ以ッテ材タラズ、其ノ天年ヲ終フルコトヲ得。

 荘子の文章ですね。少し大きい漢和辞典ならば、古訓としてたくさんの読みが載っていますが、本当に古い読みなので理解しがたいものも多いです。今私が愛用している学研の「漢和大辞典」には{終}の古訓が、ヲハリ、ヲフ、ツヒニ、キハマル、シヌ、トモシ、ヲハルなどと載っています。
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 此ノ木ハ材タラザルヲ以ッテ其ノ天年ヲ終フルヲ得タリ。
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Q煩悩(ぼんのう)

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教えて下さい、お願いします

Aベストアンサー

>煩悩(ぼんのう)



人間として活きて行く時に目標・希望・欲と現状・現実・与件との乖離があり、それを埋めよう近付こうとするのが努力・精進・研鑽とすれば、届かぬと諦め切れず悔やみ妬む迷い・悩み・未練が煩悩。

プラス面では、意欲・執念になり、マイナス面ではストレス・自暴自棄にも成る。
自助自立と自己責任でプラスにして行くのが人間の知恵・進歩の源泉です・・・
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Q煩悩とは。

煩悩とは、悟りたいとか迷いを脱したいという求めでさえもそれにあたるのでしょうか?
悟りたいとか救われたいというのは煩悩にあたるのでしょうか。

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煩悩とは。
○先ず、「煩悩」とはがわからないと何がなにやらになってしまいますね。
例えていいますと、苗を畑に植え放置すると雑草だらけになりますね。雑草の中に苗が埋もれてしまいますが、この例えでは雑草が煩悩なのですね。苗は煩悩にはなりませんよ。
つまり、心には様々な考えが去来します。その中で良き考えを育てることが苗を育てることと同じということなのですね。良き苗を植えても雑草のような煩悩は次から次に出てきますから、良き苗は放置されるわけですね。ここで言う雑草はというのは、ほとんどが肉体から来る欲求を抑えられないということなのですね。例えば、早く帰って悟りの本でも読もうと思っても,駅の近くに赤提灯があり、ふらふらととなるわけですね。つまり良き苗を植えたとしても育たないのですね。
「悟りたいとか迷いを脱したいという求め」は良き苗ですから、雑草にはなりえないですね。
個人の心が向上する方向の考え、発願ですね。これは良き苗、あるいは良き種ですから、煩悩ではないのです。良き種や苗が育たないような考えが煩悩なのですね。
誰しも生きていますから煩悩は次から次へとわいてくるものです。いくら勉強が熱心でもお腹が減れば食べないと死んでしまいますね。当然しっかり食べて運動して、勉強に励めばいいんですが、
食べることが大好きになりそちらのほうに行ってしまっては勉強できませんね。運動もそうですよね。適度な運動は大切ですが運動ばかりしていては勉強どころではありませんね。何をいっているかわかるでしょうか。生きること自体が煩悩なのですね。それをうまくコントロールしながら精神的目標を実現していくことが悟りの道なのですね。
「煩悩」とはがつかめましたでしょうか?

煩悩とは。
○先ず、「煩悩」とはがわからないと何がなにやらになってしまいますね。
例えていいますと、苗を畑に植え放置すると雑草だらけになりますね。雑草の中に苗が埋もれてしまいますが、この例えでは雑草が煩悩なのですね。苗は煩悩にはなりませんよ。
つまり、心には様々な考えが去来します。その中で良き考えを育てることが苗を育てることと同じということなのですね。良き苗を植えても雑草のような煩悩は次から次に出てきますから、良き苗は放置されるわけですね。ここで言う雑草はというのは、ほとんど...続きを読む

QIsometric 辞書で引いても意味が解りません。

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Aベストアンサー

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Aベストアンサー

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Q宅建の言葉の意味を具体的に教えて下さい。

宅建の勉強をしているのですが、言葉で意味が分からないところがあります。
ネットでも調べてみたのですが、情報が見つかりませんでした。

(1)自ら売主とは?
売主:物件を売ろうとしている、その物件の主(所有者)

A)媒介
売主=[物件を依頼]⇒宅建業者=[買主を探す]⇒買主
この場合は、依頼をしてきた売主がいるのに、宅建業者が自ら売主になる?

B)建売
宅建業者(売主)=[買主を探す]⇒買主
この場合は、宅建業者が所有者なので、物件の売主は自分ということで自ら売主というのは分かります。


2)自己所有でない物件とは?
自己の所有に属しない物件ということですが、何のことか分かりません。
上記Aの場合は売主が所有しているので、媒介の場合は「自ら売主制限」に当てはまるということで、
Bの場合は、宅建業者が所有者なので、建売の場合は「自ら売主制限」に当てはまらないということでしょうか。

Aベストアンサー

「宅建業者」と言っても、賃貸物件専門の業者から建売りをする(建築販売の)不動産業者まで、さまざまです。
ですから、必ずしも「売買」するとは、限りません。
「資格試験」を受けるのであれば、せめて必要な法律用語辞典などは買い、手元に置きましょう。

「媒介」とは、「仲介する」ことと同じ意味で問題ないでしょう。

「自己所有でない物件」とは、そのままの意味です。
宅建業者(=不動産屋)の所有していない物件という意味です。


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