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信仰はないものの、うっかり全て信じてしまい平然といる師匠がいます。

勝手にその方を尊敬したり賛美することを禁じられています(←不干渉、無視のごとく、笑泣)。特別な扱いをされることを嫌っているようです。

でも師と同じレベルにはまだなれません。無理な可能性の方が高い。

勝手に信じているのだから「可愛そうな私」ではないものの、イザという時に救ってはくれない師に、何を弟子(私)は期待しているのでしょう。

師が異性であったので恋愛感情と取り違えているのかもしれません。では恋愛と師弟愛では違いがあるものですか?

師に喜ばれる「良い弟子」とはどんな弟子でしょう?

A 回答 (17件中11~17件)

うーん大学生になりたい。


大学で何を勉強したいの?
ただ私みたいにマージャンやパチンコであけくれた
ような事をしてほしくないですね
今大学みたいなひらべったい教養は必要ないでしょう
いるのは資格、そしてその人の器だと思います

ボランテイアするのも良し、外国を見るのも良し
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この回答へのお礼

katyan1さん。夢をくじかないで下さいよ~。大学生って色々忙しいんですね(?)。近くに大学があって学園祭にも行きますが、堂々と通いたいだけかもしれないです。広い敷地に若い活気が溢れてて…図書館や学食に憧れます。動機不純でもほっといてください!。

取りたい資格は英語とシスアドなんかで、理系の勉強にも英語が必要でしょうか?数学もダメなのに(泣)

私は海外で現地採用で働きましたよ。英語なんか適当でもいけたんですから、要はコネですね。壁を作らないことも良かったようです(←安月給と重労働を気にしなければ)。ある意味ボランティアしてきたようなもの。でもチップが入るからそれで生活に困らなかったです。日本もチップがあればいいのに!

お礼日時:2006/03/11 15:44

>「いい弟子」という存在、師に喜ばれようとする弟の存在はアプリオリ的に存在しえません。

師は弟のことを見る必要はないからです。

>いいや、存在すると思いますよ。

失礼と自己の誤りに気づいた後悔の念に基づいてお詫び申し上げます。すいません。No.1ですが、私もこの考えには至りませんでした。・・・そうですね。たとえ同じ分野で至らなくとも、いやだからこそ互いに存在しあえることもあるのですね・・・。
これを見てナンカ少し生きる希望が芽生えました。私事ですみませんが。
お礼を言わせてください。どうもありがとうございました。多分哲学の師弟関係なのでしょうか、がんばってくださいね。
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この回答へのお礼

bo-sukeさん。滅相もございませ~ん。こちらこそこの質問が無事反映され、皆さんに励まされ、楽しく勉強になったのは何を隠そうbo-sukeさんのお陰なんですから。

あれだけの文章量であの内容を短時間で打てるなんて!! 頭の回転が凄い早い方だと関心、羨ましく思っています。

哲学者って経験よりも感性の鋭さだと思います。私は経験主義者でしたから、考える時間なくて内容がなかったのです。今はこうして文字の交流が出来ることはありがたいな、そして時にすごい効果を生むと師も言ってました。

bo-sukeさんも憧れの師がいて、共感してくれたんですよね?福沢諭吉さんが歩いていると馬に乗った農夫に出会い、農夫が急いで降りておじぎをした(農民は馬に乗ってはいけなかった)ら、諭吉さんも大急ぎで走りより、怒って嫌がる農夫を抱えて馬上に戻したそう。

…そんな師匠でしたから開眼させれました。こんな世界観の人もいるんだなって。だから私もbo-sukeさんを怒らなければいけない!怒る理由が解らないけど、怒らなければ私が師匠に怒られる!


「て~~~い!」



師匠が何をしているのか未だ不明です。

お礼日時:2006/03/11 13:22

こんにちは。


miko-desiさんの文章は、
いつもめちゃくちゃ面白いですね。
のびのびしてて・・・。
ちょっと、子路(孔子の弟子の)をおもいだしてしまいました。
なにも自分の複製みたいな子ばかりが可愛いわけじゃない。

師に喜ばれるあなたは、
そのまんまの、あなたではないでしょうか。

恋愛もそうなんじゃないかなー。

対等って、お互いが自分自身でいられるってことだと思います。

でもそれじゃ、何を目指したらいいかわかんなくなるのかなー。
なにか目指さなくちゃいけないのかなー。

回答になってないですね。
お勧めの本を挙げてみます。
野口三千三『原初生命体としての人間』
やわらかで、進化の階段を上らない本です。

この回答への補足

hir_o_miさんのお目にとまりますように。

無知と間違いを訂正します。「子路=しろ」なんですね、ちょっと調べただけですが、何でも暴れん坊で可愛い?お弟子さんだったようです。孫悟空みたいなキャラなのかな?…私と似てるってことではないんですよね。そんな暴れませんし;

孔子さんのこと殆ど知識がなくて、お陰で興味が湧いてきました。さすが儒教ですからお弟子さんが多かったのですね。中島敦「弟子」読んでみようと思ってます。

補足日時:2006/03/14 04:51
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この回答へのお礼

hir_o_miさん。ご回答?ありがとうございます。

「あらら~そんなお世辞言っても何も出ないわよ!?」
「え?そんな…出ないんですか?何も?」
「出ないわよ!!」
「そんな…出さないなら言うんじゃなかった。チッ」



…すいません失礼しました(←真顔)…、いちいち哲学にオチつけなきゃいけないんですか!!(←逆ギレ)

いえ、本当に失礼しました。コロちゃん♪可愛いですね。
師は必ずオチやらネタを忍ばせていました。そういうものの弟子で、孔子さんと比べたら恐れ多く失礼になるやもしれません。マギー四郎さんの弟子が近そうです。

>自分の複製みたいな子ばかりが可愛いわけじゃない。

そうかな、そうかな、救われるようなお言葉です。対等と同類は若干違いますよね。

>なにか目指さなくちゃいけないのかなー。

無謀なんですが、大学生になりたいです(←高校中退、しかも赤点ばかりだった)。勉強が急に好きになったんです、どうやって勉強するか今真剣に考えているところです(冷笑)。

『原初生命体としての人間』私のツボをよくご存知でいらっしゃいます。お勧めありがとうございます。生命体は責めたいです。進化し続ける為にも♪

お礼日時:2006/03/11 00:54

器なんてはじめから大きい人なんていない。


自分というのは大きく変わるもの。もし、これが私
だというなら、その時点で止まっている。
みんなわからないと思う。

砕かれ、そしていろいろな自分の壁を捨てて初めて
大きくなると思う。心開いて声(?)を聞いてごらん
自分のしたいこと、自分がしなければならないこと
色々わかると思うよ。一杯経験を積んでね
間違ってもいい。間違いと気づいて大きくなると思う
よ。また間違えたと思えばスタートに戻ればいい。
間違ってもそこでまた何か新しいこと吸収出来るからね

一度時間があるなら世界のベストセラー聖書を読んでください
(私は教会に行きましょう。なんていいません)
あたらしいものが開けてくるかもね。
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この回答へのお礼

katyanさん。お世話になります。ありがとうございます。

なるほどそうですね、人を疑うなら自分も疑えです。それでスッキリしました。

自分が間違っても、壁を捨てて色んな立場で考えてくれ、そこで得られるものがあると「失敗こそは成功の素」と新たな世界のスタートになるかも、私も人にそうなりたい。頑張ります!!「器」が大きいとはそういう人なのかもしれない。

ベストセラーは気になります。「星の王子様」は持ってます。深い哲学が隠された名薯です。後カーリー・ジ・ブランの「預言者」も読もうと思ってます。聖書も図書館でかりれるかな?是非読破してみましょう♪

お礼日時:2006/03/10 08:37

師に喜ばれる弟子とは?


師を乗り越え、師を必要としなくても人生を切り開けることが出来る弟子。
あなたが師を見ている以上、同じレベルにはならないでしょうね。

安心感こそが「救い」なのです。
 この安心感とはなんぞや?どのような状態にあっても心が安心している状態が本当の平安だと思いますが
             (失礼お許しください)
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この回答へのお礼

katyanさん。ご回答ありがとうございます。お恥ずかしながら私は迷惑かけたり失礼をよくするそうです(悪気なし、自覚なし)。

多くの困難(敵)を倒すよりも自分を克服した者が勇者なのだという。固定観念で自分が変われる可能性をなくしてしまうのは損なこともありますね。

自分がないのが問題です。自分が分かりません。自分さえ知りません。

師という理想はあっても全然アテにならないし(爆)、遠い師よりも近い友!為されぬ善より、される偽善(お節介)によっぽどストレス解消されているから大切にしなければ。

>どのような状態であっても安心している状態

安心感についてNo2のお礼でも書いてますので読んで下さい。安心感って「~してくれなかった」ことより「~してくれた」って(引きずり出してでも)沢山気付いていくことかも。未熟さと鈍さを克服したいです。でも反比例して存在してしまうもののような気もする。

私は器が小さいですね。疲れることはしたくないって甘えなんです。いけませんか?いけませんね。頑張ります!!頑張れそう?ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/09 11:54

>師に喜ばれる「良い弟子」とは


師の教えを実現する人ではないでしょうか。
人によっては師の教えを広める人かも知れませんし、師を物心両面から支える人かも知れません。しかし、他者に何かを教えようとする人ならば、他人がその教えを体現してくれる事に喜びを覚えるものです。

>信じるものは救われるか?
何かを信じている間は精神的な安定感を得ます。それが自分で選んだ信仰対象であれば確実に、です。(他者からの押し付けや他人の真似では疑いがよぎる場合があります。その場合、何も信じていないほうがマシなぐらいの不安に苛まれる場合もあるでしょう)
人は元来不安なる者(古今東西の占いの豊富さを見れば分かります)、その不安を一時的にでも取り除く事ができれば、人は安心します。その安心感こそが「救い」なのです。(主に死の不安を除くのが宗教です)
ですので「信じる者は救われている」のだと思います。

さて、miko-desiさまのお師匠様はどのような分野の方か、は文面からは分かりませんが「特別な扱いをされるのを嫌っている」(らしい)との事から、自分はまだ修行中で自分の道すら明らかでないのに他人を導くなどできない、と思っているのかも知れません。(あくまでも想像ですが)「名選手、必ずしも名コーチならず」と言いますよ。人を教えるとか導くといった才能は別物だと思います。miko-desiさまのお師匠様もそうお考えかも知れませんよ。

>恋愛と師弟愛では違いがある
恋愛は成就するまでが輝きですが、師弟愛は理解が深まる度に輝きが増します。恋愛は変わらない事を求めますが、師弟愛は成長して変化する事を目的とします。

>イザという時に救ってはくれない師
そのお師匠様が超能力者ならイザという時の救いを求める事もできるでしょうが、同じ人間であればそんな都合の良い救いを求めるのは無理ですよね。
でもmiko-desiさまが、その師を見て自分の進むべき道が見えるならそれも救いだと思います。

>何を弟子(私)は期待しているのでしょう
もし「私だけの師になって欲しい」or「私だけを弟子にして」とお望みなら恋愛感情に近いかも知れません。「師のようになりたい」と強く思うなら師弟愛だと思われます。(まぁ異性との事ですから一概には言えませんが)

回答っぽくなくってスイマセン。でも最後に一言
「良い師には良い弟子が集います」
類は友を呼ぶ、朱に交われば赤くなる、どちらも真実ですが弟子を見れば師の質も知れるものです。
師にとって恥ずかしくない弟子になれれば、間違いなく良い弟子でしょう。

参考になれば幸いです。

この回答への補足

frisk_blue_loveさん。ありがとうございます。暖かい回答になってます。

frisk_blue_loveさんの人柄か霊感か?で既に見ぬかれていたのだろうと思ってます。自分を失わないよう、自分が恥ずかしくならない生きかたをすればいいのですよね。

>安心感こそが「救い」なのです。
   甘えるのは自分に不安だからですね。まだ信心も実践力も師の理解も足りないな。

「さま」は優劣、勝敗無視、最初から品位も何もない私に至極勿体ないので「~さん」か「ミコ(欧米風)」とかでお願いします。

師匠は物知りで謎が多くて、フーテンの寅さんのような自由を愛し悩めない体質の方なようです。弟子も…似てしまうのか。

こちらこそまだしっかり理解出来ているかで、ちゃんとしたお礼を書けなくて、もっと時間を置いてからお礼したいなと思い補足にいれました。ありがとうございます。

補足日時:2006/03/07 12:49
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この回答へのお礼

「私に気を使わずにしてくれるのなら、その好意が嬉しい☆同情より対等が私のビタミン。」とは師の言葉で、師の品位は数十段上、俗物でない謙虚な姿勢なのですが、私の場合は馬鹿を隠すのに対等なフリする品位のなさから来てます。大上段って大冗談だ!?楽しそう(違)。frisk_blue_loveさんに勝手に好意的なのですよ。


>何かを信じている間は精神的な安定感を得ます。

何も信じれないと動けなくなるし、お終いだとも言う。信じることは、裏切られること、騙されていることを否定して疑うべきことを疑わないで背を向ける惰性。信じてやるから恩義を返せのような言い掛かりであるかも。だから信じることは無責任な居心地良さがあります。死まで無責任でいいなら私の良心は無駄になるだろうか?自分についても他人に勝手に都合良く信じられたら困ると思う。


>師に喜ばれる弟子…師の教えを実現する人ではないでしょうか。…師弟愛は理解が深まる度に輝きが増します。…成長して変化する事を目的とします。

自分が報われることばかり考えて(何も)成長してなかった。師が詐欺師であったらもっと欺瞞なサービスもするだろう。騙されてみたかったりする。その方が早く飽きれる、執着を減らせるから。

失礼なこと書いて、まとまらない愚痴ばかりのお礼になってしまったよう。すみません。参考になりました。ありがとう。

お礼日時:2006/03/09 09:48

はじめの文章が良くわかりませんが、


その辺りの話しをするとすれば・・・。
師とは仰ぎ見る物でいいのではないですか。
キリストを人が人としてのあり方の見本とするように。
キリストは勝手に信仰されました。キリスト自身は、来たければ来ればいい、ぐらいの感じだったと聞いています。
大事なのは、「裏切られた、と思ってはいけない」ということです。仰ぎ見るのは、あなたが頂上に行くための目印にしたいからです。頂上が勝手にこっちに歩み寄ってくることを期待してはいけないのではないでしょうか。
つまりあなたは、自らの向上の手本として期待しているのです。
それは、あなたのほうが正しくその手本を読まなければならないということにもなります。あなたの「自発性のある信仰」は赦されるはずです。あなたの「依存する信仰(つまり他人に向けて賛美することは勝手にあなたと師の関係を結びつける宣言ですからだめでしょう。相手に見返りを期待するのもいけないでしょう。)」は赦されないわけです。

また恋愛感情と師弟愛感情には似た所があります。
それは「憧れ」です。相手のいい部分が増幅されて見えてしまい、悪い点に気づかない現象です。いい方向に働くことも、悪い方向に働くこともあります。
しかし恋愛と師弟愛には決定的な差があります。
それは恋愛が円満な相互依存関係を構築しようと試みるのに対し、師弟愛は一方的であり、そして依存関係にはならないというところです。互いに独立しながら、弟が師を真似て成長する。師は気が向いた時に助けてやる。恋愛だと互いに助け合いますし、むしろ恋愛の場合は相手に精神的に近づこうとはしません。相手には「自分の神」であってほしいわけですから、目標にはしないわけです。
そしてこの定義において、話を進めることを赦していただけるなら、「いい弟子」という存在、師に喜ばれようとする弟の存在はアプリオリ的に存在しえません。師は弟のことを見る必要はないからです。必要以上に見ればそれは恋愛感情でしょう。
弟子は勝手に師についていけばいいのです。それを拒まれなければそれ以上を望む者ではないし、望んだらそれは師弟ではなく恋愛です。あなたは自身の向上を望んでいないことになります。拒まれた場合は自分の中でヒソカに目標とすべきです。
そして師に学ぶというのは、師の行いを良く見て、それを真似、どういう意図があったのか、最終的には自分で理解することであるはずです。

まとめますと、あなたがもっているそれは、「憧れ」であり、それは師弟感情にも恋愛感情にもなりえるでしょう。それをどうするのかは、あなたの決定にゆだねられているし、また相手の意向にも依存しているということです。
・・・なんかえらそうなこと書いてありますが、こう考えます。

この回答への補足

bo-sukeさん。お世話になります。自虐的な投稿で、削除依頼までしてしまって今も後悔しているのですが、もう残ってしまいそうです~。喜ぶべきか、喜ぶべきですね!

沢山考えてくれてありがとうございます。回答を頂けるなんて本当勿体ないです。それにとっても偉そうに書いて頂き(微笑)正直嬉しいです。ありがとう、ありがとう。

師匠は置いといて(爆)自分のことが大事ですので、bo-sukeさんの考えを拝借して考えられそうです。少し時間を頂きます。

補足日時:2006/03/06 14:36
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この回答へのお礼

>あなたがもっているそれは、「憧れ」であり、それは師弟感情にも恋愛感情にもなりえるでしょう。それをどうするのかは、あなたの決定にゆだねられているし、また相手の意向にも依存しているということです。

師は星のよう。暗闇と過去の光が干渉し合う。
暗闇に飽きないから醒めない夢を見ているんだ。おてんとう様の下で目を開け進めばいいのは解っているのに。


>「いい弟子」という存在、師に喜ばれようとする弟の存在はアプリオリ的に存在しえません。師は弟のことを見る必要はないからです。

いいや、存在すると思いますよ。私の「無知の知」ターヘルアナトミア的解釈は師匠も絶賛でした?。教本にはない得がたい情報で思いっきり間違ってて!新鮮だったらしいです。弟子も師の頭を刺激してあげるぐらいなら、まぁその程度ですが、先天的必要にはなれるよ。独立精神の遺伝子は増やせないからさ、ある意味奇跡だったんですが…。


>自らの向上の手本として期待しているのです。それは、あなたのほうが正しくその手本を読まなければならないということにもなります。

そうです。やはり欲しいのは自分の中に確信を持つことを期待してたと思います。見返りを期待したりも、逢いたい時に告げることぐらい出来たらいいのにという恋愛感情もあります。残念ながら私にその資格がないのだから、愛するだけで満足しなければ。何も裏切られてはいないのだから。精神的に近くなれたら、それこそ夢のよう。感謝しまくって(自分にも)寂しくなれないですよね。しかし、あまり見習いたくない手本は見習わなくてもいいと思うな(スマン)。組織立った信仰でないのが救いです。

恋愛は手段が目的で、師弟愛は目標の理解となりますか。また良ければ意見下さい。ありがとう。

お礼日時:2006/03/09 01:55

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