ハマっている「お菓子」を教えて!

豊臣秀吉、毛利元就、康熙帝~偉大といわれる武将は、老人になるとなぜかおかしな行動をとるようなきがします。脳の退化に関係あるのでしょうか?それとも、俺は天から選ばれた偉大なのに、なぜ死ななければならないみたいな勘違いの精神的なものなのでしょうか?

A 回答 (6件)

端的に言うと、「結局、自分がゴミになってしまうこと」への恐怖だと思います。



どんなに権勢を誇っていても、歳を取ると、遠からず自分も死に、焼かれてゴミになることを実感するようになります。その時、それまでの自分の権勢や栄華が大きければ大きいほど、そのことと「ゴミ」とのギャップがあまりにも大きいことに愕然とします。

しかし、死だけは、決して自分の自由にならないし、また、若い頃のように、新たに何かを築こうにも、体力、気力、知力の衰え、そして何よりも「残り時間の不足」を思い知らされます。そして、その恐怖と無力感の前に理性と正常な判断力を失うのだと思います。

また、老人が頑固になるというのは、ちょっと別な原因かと思います(根は同じですが)。老人の頑固は、この世における自己の存在意義を表す方法が、他に見出せなくなるからだと思います。

人は、社会の中で無視されるのではなく、重要な人として評価されたいという根深い欲求を持っていると思います。若い頃は、自分の働きや能力を新しく開発することで、社会の中で自分を認めてもらうことができます。ところが、歳を取ってしまうと、体力、気力、知力が衰え、新しく自分の能力を開発したり、新しい働きを見出したりがだんだん困難になってきます。それでも、人には認められたいので、過去に築いた遺産を頼りに、その価値を人に認めさせようとします。その結果、自分の過去の経験に根ざした考えに固執(新しくアップデートできないので)して、頑固になるのだと思います。

従って、歳を取っても、新しいことに関心を持ち、新しいことを勉強し、新しい試みをやろうとする老人は、頑固ではないと思います。

また、全然違いますが、生き方としての「頑固」というのもあります。合理主義で考えると馬鹿げたことでも、そんなこととは無関係に、あえて「俺はこの道を行く」というものです。これは、人生に対する美意識と関連しますので、若いころから芽があり、年とともに、「頑固美学」に磨きがかかるといった感じです。
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これまで生きてきた、これまで自分が行ってきたことの栄光に対するプライドがあるのではないでしょうか。

たとえ自分の子であれ若い者には言われたなくない、という考えもそれを助長すると思います。
特に、人の下に仕える身分・仕事でなかった人ほどその傾向は強いと思います。長年培われたものなので、簡単には直らないと思います。そうならないために、日頃から人の意見を聞く耳を持って、年を取っても柔軟な頭で判断ができるようになりたいものですね。
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年と共に新しい知識は入らなくなり,古い大脳皮質で判断をします.それで殆どの方は頑固だと云われてしまいます.ただ一生懸命頭使っている

人はまだまだ新しい知識入りますので,頭が柔らかいそうです.
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そのような人はとくに変わった半生を送った人ばかりですよね・・。


精神構造も一般人とは違うように思います。
TVで見たんですけど、昔から気難しい人は余計気難しく、優しい人はより優しくなるそうです。
顕著になってる所はすこ~し子供帰りしてるのかなって思います。
専門家ではないですけど、こんな見解です。
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元々人間は保守的な面があるのに加えて、老人になると新しいことに対応することが出来なくなるからです。

それはたぶん、学習能力が低下することに起因するのでしょう。
また偉大といわれるような人は、自分の経験知識に自信があるため、新たな事象を素直な目で見ることなく、自分の経験知識内でとらえようとするからガンコになるのだと思います。

あくまでこれは一般論で、老人でも柔軟な能力を持っている方もいますし、若いクセに自分の世界に閉じこもって頑固な人もいますけどねー。
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こんにちは。



自論ですが、人は、経験すればするほど、固定概念がうまれる生き物なのではないでしょうか? 一概には言えないと思いますが。 

私は、常に固定概念は持ちたくない、考え方は一つではない・・と考えるものですが、会社で高齢の方を見ているとそう思ったので。

「頑固」という面では、自分の思うとおりにならないと気がすまない、と言う性格からきているのでは?
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