1つだけ過去を変えられるとしたら?

お世話になっております。私は今年東京芸大に落ち二浪目に入ります。といっても浪人生の様に予備校に一年通ったわけではなく入試直前を受講しただけです。金が無かったというのがまず理由なのですがそれ以前に私は人前で絵を描くのが苦手なようです。出来上がりを見られるのはいいのですがエスキースや描いている最中を見られるのがかなり羞恥的なのです。講師の方にご教授していただけるのは刺激になる事この上ないのですし絵や生徒への情熱もかんぜられるのですがやはりなんとも自分が出せなくなるのです。先生を気にして私が他人の絵を描いている様なのです。
話は変わりますが東京芸大とその他の芸美大の違いについて吟味しそこで知りえた事は『作品になっていること』『アイデンティティーを持った絵になること』だと確信いたしました。もちろん大学に入って得ることはそれ以上のものでしょうが。その確信の結果、あとはそれを実行に移し作品を自分の絵として鍛錬せるということになるのですが、そこで先ほどの予備校の壁にぶち当たるのです。金なしそして予備校の空気に息つまる。私は画家になりたく思いますし自分の絵を絵で終わらせずに感情を持った作品に高めたいと思っています。そこで質問なのですがこの私が絵画を勉強し自分の絵を極める為芸大を目指し予備校に通うことは、私が思っている以上に大きな物が得られるのでしょうか?またそうではなく私美大に通うことも考えています。しかし私は東京芸大以外の芸大美大に作品的魅力を感じた事がないです。大学で学ぶのは自分なのでどこの大学であれ自分次第だということは分かってるのですがどうなのでしょうか?質問になっていなくまとめきれない部分があるのはご了承ください;芸大・美大生、出身者の方に是非お言葉をいただけたらと思います!また東京芸大で学んだ方がおられましたら芸大・油画・作品についての考えももらいたいです。よろしくお願いします

A 回答 (5件)

『東京芸大以外の芸大美大に作品的魅力を感じたことがない』



………、、

あなたは既に芸術を学閥で捉えているのですね。

そんなあなたに芸術を語る資格はありません。

絵はどうぞご自由にお描きください。

大学なんて出ていなくても素晴らしい画家はたくさんいらっしゃいますので。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

すいません、文字数800字に収まらなかったため省かしていただいたのですが、『東京芸大以外の芸大美大の〈卒業制作や、またその芸術大学の教師など〉のに作品に作品的的魅力を感じたことがない』と書いておりました。ただ、あまり差異はないのですが。

>あなたは既に芸術を学閥で捉えているのですね。
いいえ、芸術はいたって自然の中にあると存じ上げております。ただ私の中で大学と言うところの、大学での塊というものが存在するのは現状であるとは、
浪人生ながらにかんぜるところであります。だからこそ、大学での生活をされた方にご教授いただきたいと思ったのであり、学閥で捉えているのではありません。しかし、これを言わないとすればどこの大学でもいいと言うことに結論が無理強いされるにいたります。

>そんなあなたに芸術を語る資格はありません。
私は芸術を語る事はありません。芸術は言葉になることは不可能であります。しかし、言葉で表現することはそれに反するところではありません。それには資格も要りません。

>大学なんて出ていなくても素晴らしい画家はたくさんいらっしゃいますので。
^^その通りだと思います。私が知りたい部分はここのようです。ただ、私の最近の志すところは芸術を極めることと、もう一つ、教師になることにあるため、
大学はそれにも重要な場所にあたるようでなのです。

回答参考になりうれしく思います。またのご意見よろしければお待ちしております。

お礼日時:2006/03/12 22:33

東京芸大生とその他の美術系大学生の作品の魅力の違いについては


fuckin-lovegunさんの、芸術・美術の捉え方次第という気もしますが
ただ一応ムサ美出身の自分としては
東京芸大はやはり別格という意識は正直どこかにあります。(;^_^A
事実どうしても東京芸大以外行きたくないという受験生は昔からいますし
卒業後の成功者の割合も、他の私大に比べて比較的多いなんて話も聞いています。
(入るのに苦労する分だけ、芸術に対する情熱も強いってことでしょうか)
また学部にもよるでしょうが、ある程度の学力が合格基準に反映される美術系私大では
それほど絵の実力が高くなくても、学力でカバーできる部分があるのに対して
確実に絵の実力がないと入れない東京芸大は、あの大学にこだわる
受験生の気持ちも分かる気がします。
美術の先生になるにしても、確かに東京芸大卒というのは有利でしょう。

(ここからはちょっと厳しめに)
とは言え、東京芸大の試験だって所詮は絵画の基礎的なデッサン力や構成力があるかどうかを計るだけのシロモノです。
そして、予備校はただそれを身につける為だけの場所です。
(要するに、時間内に大学が要求する基準の「正解」を仕上げる技を身につけるための合格者養成所ってことです)
経済的に予備校に通うのが難しいことには同情しますが、人前で描くのが苦手などという段階でつまずいているなんて
お話にもなりません。
fuckin-lovegunさんの大学から何かを得たいとか、予備校の空気に詰まるなんて話は
いかにも受験生らしくて微笑ましいですが、論外です。

だいたい大学受験ぐらいで二浪ってことは、fuckin-lovegunさんはその程度ってことなんですよ。
(ちなみに当方は三浪)

つまらないこと言ってないで、まず合格できるような正解作品を仕上げられる練習をしてください。
fuckin-lovegunさんが、価値のある自分の作品が作れる人・芸術を語る視力を持てる人になれるかどうかなんて、まだまだずっとずっと先の話。
もっと自分の足下を見るように。
がんばれ受験生。

この回答への補足

すみません書ききれずにここに続かさせていただきます。

>だいたい大学受験ぐらいで二浪ってことは、fuckin-lovegunさんはその程度ってこと…
 その程度って??私は何浪で入ろうと関係ないと思いますよ。塾に行かず仕事をしつつ受験だけして入る方だっていますしね。浪の数で人を見るのは危ういような。
>つまらないこと言ってないで、まず合格できるような正解作品を仕上げられる練習をしてください。
 それはそうですね黙って絵を描くのがすべてに最善のようです^^;ただつまら無いことではないと思います。それに合格できるような正解作品を仕上げるというのは、それこそ描き方的な危険なことだと思います。正解って、そんなのないのが作品ですよね^^
>fuckin-lovegunさんが、価値のある自分の作品が作れる人・芸術を語る視力を持てる人になれるかどうかなんて、まだまだずっとずっと先の話。もっと自分の足下を見るように…
  はい、確かに先の話です。しかしだからこそ足元をみて絵は描いてはいけないと思います。大学に入るには足元を見れば入れると思いますが、それは大学のための絵で、自分の絵ではありません。
芸術は語ることはできないとは、存じ上げております。しかし、芸術を語る視力とは?無くても芸術は恐る恐るでも語らなければいけないとも思っています。

今の私の受験生時代に、受験生が受験生にならないような絵を描きたいと思います。私が受験生の枠を外れて、私的に表現できた時こそがその時であると再度認識させられました。

細かい点にまでご指摘、叱咤、また激励していただきありがとうございます。参考になり本当にうれしく思います!

補足日時:2006/03/13 23:57
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!!

>東京芸大はやはり別格という意識は正直どこかに…
ん~別格というか絵になってますよね。
>卒業後の成功者の割合も、他の私大に比べて比較的多いなんて話も…
>入るのに苦労する分だけ、芸術に対する情熱も強いってこと…
 私は、成功者については気にしてはいません。どの大学をでた人も出ていない人も作品としての絵を描いている方は好きです。それには成功の境って無いと思います。
学力については無論。絵を学力でカバーするような大学は受けたくありませんでした。
>美術の先生になるにしても、確かに東京芸大卒というのは有利…
そうなんですか?!でもすいません;有利だとかはあまり考えないようにしたいです。
>とは言え、東京芸大の試験だって所詮は絵画の基礎的なデッサン力や構成力があるかどうかを計るだけのシロモノ…
 そうですね、半分同意見です。ただ、東京芸大の試験が基礎的なものを見るのだとはちょっと言いかねます。やはり基礎以上に考えや作品としての魅力を見ていると思います。「予備校はただそれを身につける為だけの場所です。要するに、時間内に大学が要求する基準の「正解」を仕上げる技を身につけるための合格者養成所ってことです」の予備校の存在については同じ考えです。
だからこそ、自分は今作品としての魅力や、面白い発想が足りないなと思っているのですが。
>経済的に予備校に通うのが難しいことには同情しますが、人前で描くのが苦手などという段階でつまずいているなんてお話にも…
 せみません前述でも言ったのですが文字制限があったため多数稚拙な文になってしまいまして;苦手というのは、普通画家が予備校のような大人数の前で絵を描くことが無いように、
私も絵は人前で描くものではないと思うからなのです。現に、小さい頃から今まで絵を描いてきたのは一人の時でありますし、それが自分も絵も自然な状態だと感じます
>fuckin-lovegunさんの大学から何かを得たいとか、予備校の空気に詰まるなんて話はいかにも受験生らしくて微笑ましいですが、論外です。
 ん~これは逆でしょう。受験生は予備校にすぐなれてますよ。大学から何かを得たい、とは言ってないんですが大学を経験された方の抽象的な言葉などを聞きたかったんですよね。

お礼日時:2006/03/13 23:56

こんにちは、私は悲しくも画家の道は挫折した身ですが。



芸大が美大と違うと素直に感じたならばそれを目指すのが筋です。これは人生において重要なことです。
それが今後の生き方のコンパスになると思います。

文章を読むところによるとあなたには霊的な確信があるようですね。私は結局のところそれが無ければダメだと思いますが。
もう少し視点をかえて分析するのもいいかもしれません、芸大で行なうことは、絵の道というような安易な選択の結果ではないのです。

実のところ今を生きるという過程のほうが重要です、現代ではどのような美学が根を張っているのか?20世紀はどのような美術体系にもとづいていたのか?

絵画というのはおおよそ社会との関わりをおそらくどの職業より濃密にしていく行為だと思います。画家は誰よりもその時代に生きているということが重要だと思います。

過去の作家もそうでしたし、また現代の作家もそうであるのですから。

おっと、質問に答えていませんね。結局のところあなたが作りたいのは作品であり、受験というものはは作品を求めていません。

未完成の下書き(大きな意味での)を求めていると思ってください。

それを見て教授は作品の製作過程を読み取り、まだ卵であるあなたの未来の可能性を読み取るのです。

ですから、受験は未完成で当たり前だと考えてください、あなたにとって未完成の作品を人に見せるのは辛いでしょうが、受験は完成作品を見たいのではありません、過程そのものなによりが重要なのです。

むしろ、私は完成というものは起きることの無いカタストロフではないかと思っていますが。

この回答への補足

↓字数制限のため下の続きとさせていただきます↓

>結局のところあなたが作りたいのは作品であり、受験というものはは作品を求めていません。未完成の下書き(大きな意味での)を求めていると思ってください。それを見て教授は作品の製作過程を読み取り、まだ卵であるあなたの未来の可能性を読み取るのです。ですから、受験は未完成で当たり前だと考えてください、あなたにとって未完成の作品を人に見せるのは辛いでしょうが、受験は完成作品を見たいのではありません、過程そのものなによりが重要なのです。
すみません、また言葉の意味の相違でありまして、作品というのは「完成した」という意味で使っているのではなく「その人の絵的な魅力を持った」という意味の「作品」です。(活字+文字数制限がありまして言葉足らずをお許しください)なのでhinoki45さんの「受験は完成作品を見たいのではありません、過程そのものなによりが重要なのです」というのは常に留意しておりますし、いま一度考えさせられてしまいました。
 >むしろ、私は完成というものは起きることの無いカタストロフではないかと思っていますが。
 そうですね。完全などありえず、しかし完全を目指す。芸術は常に矛盾の風が吹いてますね^^
画家の道は挫折したとありますが、
hinoki45さんの言葉からはすべての物事に対する考えや、芸術的な視点をもって生きていらっしゃるように感じました。そしてそれ以上に話が面白いです(笑いの面白さではないです)。それは生きることを吟味しているように思い、それが生きることにとても大切なことなのだとも感じました。
質問していながら私の言葉は暴力的かつ反抗的になっていたりしてしまうのですが、
それは芸術に対するものであると思って欲しいです。
本当に参考以上の言葉をいただいたように思います。
ありがとうございました!

補足日時:2006/03/14 00:39
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!
>芸大が美大と違うと素直に感じたならばそれを目指すのが筋です。これは人生において重要なことです。
それが今後の生き方のコンパスになると思います。
 そうですね。強い、分厚いお言葉に感じます。
>文章を読むところによるとあなたには霊的な確信があるようですね。私は結局のところそれが無ければダメだと思いますが。
 霊的なのかは図りかねるのですが、身で感じるところでは確信しております。これが無ければダメと言っていただけるのは妙な気さえするのですが、ありがたく思います。
>もう少し視点をかえて分析するのもいいかもしれません、芸大で行なうことは、絵の道というような安易な選択の結果ではないのです。実のところ今を生きるという過程のほうが重要です、現代ではどのような美学が根を張っているのか?20世紀はどのような美術体系にもとづいていたのか?絵画というのはおおよそ社会との関わりをおそらくどの職業より濃密にしていく行為だと思います。画家は誰よりもその時代に生きているということが重要だと思います。過去の作家もそうでしたし、また現代の作家もそうであるのですから。
 本当にその通りだと思います。絵は自分の鏡であり、その時代の光と影であると。それを念頭において自重し、今を、身に感じ、受け入れ、吟味し、疑い、生きています。生きるていることを描いています。
>おっと、質問に答えていませんね。
いえ!芸術の質問に答えていただけるものはこのような抽象的な言葉であっていいと思います。

お礼日時:2006/03/14 00:38

 人前で絵を描くのって恥ずかしいですよね~。

その気持ちよく分かります。そして美術予備校の独特の空気に息がつまるのも分かります。
 私は高3時代に約1ヶ月ほど地方の予備校に通い、地方国立大学の美術科に進学しました。それからまた思うところあって大学2年生から今までの約1年間同じ予備校に通いました。それでもいまだに描いているところを後ろから先生に見られると手の動きが止まってしまいます。恥ずかしい、というよりは気が散る、という感覚に近い気もしますが、とにかく苦手です。
 でもまあそれ自体はしばらく通い続ければある程度慣れてしまうことなので、羞恥心については気にする必要はないと思います。
 また金銭面に関しても、そこまで絵に対する思いがあればなんとかできると思います。
 で、絵画を勉強し自分の絵を極める為芸大を目指し予備校に通うことで大きなものが得られるか、ということですが、ひとことで言ってしまえば「あなた次第」ということだと思います。いい加減に答えているわけではなく本当にそう思います。
 fuckin-lovegunさんが今までにどれだけたくさんの絵を描いてきたのか、そしてみてきたのかを私は知りません。もし今まで自分でやってきて、これからも自分の力で邁進的に探求を続けられるのならば、必ずしも予備校に通わなければ行けないということはないと思います。芸大に行くためには予備校に行かなくてはダメだ。というのはあくまで一般論にすぎません。
 ただし、私にとっては予備校は単なる受験勉強のための訓練校ではありません。
私はデッサンを重ねることで描くということの多くの壁にぶつかり、また多くの鍵をみつけることができました。これからの自分の作品のための鍵です。探求の入り口のようなものです。それはもしかしたら「大学に受かる」という目的で通っていたら見つけられなかったかもしれません。予備校で完成した作品を作ることは私には無理でしたが、それでも大きな物を得ることができたと考えています。もちろん根性さえあれば(そして制作スペースがあれば)独力でそれをやることも可能だったと今は思っています(私には根性がありませんでした)。
 fuckin-lovegunさんは今何を作りたいと思っていますか?予備校にしろ芸大にしろ、やっていることは「描くこと」です。描いている時間以外が違うだけです。そのうえで、自分にとって必要なものを判断してください。
 お互い頑張りましょう。

 ちなみに。
先日東京芸大の卒業制作展をみてきましたが、ちょっと失望しました。その失望は、上野の国立西洋美術館に並んでいる作品と比較してのものですので、レベルの高い失望には違いないのですが。
 
 

この回答への補足

↓お礼の言葉の続きを書かせていただきました↓

>fuckin-lovegunさんが今までにどれだけたくさんの絵を描いてきたのか、そしてみてきたのかを私は知りません。もし今まで自分でやってきて、これからも自分の力で邁進的に探求を続けられるのならば、必ずしも予備校に通わなければ行けないということはないと思います。芸大に行くためには予備校に行かなくてはダメだ。というのはあくまで一般論にすぎません。ただし、私にとっては予備校は単なる受験勉強のための訓練校ではありません。私はデッサンを重ねることで描くということの多くの壁にぶつかり、また多くの鍵をみつけることができました。これからの自分の作品のための鍵です。探求の入り口のようなものです。それはもしかしたら「大学に受かる」という目的で通っていたら見つけられなかったかもしれません。予備校で完成した作品を作ることは私には無理でしたが、それでも大きな物を得ることができたと考えています。もちろん根性さえあれば(そして制作スペースがあれば)独力でそれをやることも可能だったと今は思っています(私には根性がありませんでした)。
 全くの同意見です!家や、その他で描けるのなら予備校はそこまで考えにありません。しかし家で描くことができず、もちろんそのほかで描くアトリエなどもありませんので、予備校を選択肢に入れざるを得ないのであります;
>fuckin-lovegunさんは今何を作りたいと思っていますか?予備校にしろ芸大にしろ、やっていることは「描くこと」です。描いている時間以外が違うだけです。そのうえで、自分にとって必要なものを判断してください。お互い頑張りましょう。
 ありがとうございます。描くこと考えること生きることを大切にしています。

この度は回答していただきとても参考になりうれしく思います!
わたくし、質問者としては失礼極まりなかったり、
一々のご回答に対して言葉を書かいていたりと不快に感じさせしまいました。しかし、回答していただいたご好意に対して言葉を返すのが礼儀であるとも感じますので描かせていただいたしだいであります。
ありがとうございました!

補足日時:2006/03/14 01:02
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この回答へのお礼

ご回答、本当にありがとうございます!

>人前で絵を描くのって恥ずかしいですよね~。その気持ちよく分かります。そして美術予備校の独特の空気に息がつまるのも分かります~後ろから先生に見られると手の動きが止まってしまいます。恥ずかしい、というよりは気が散る、という感覚に近い気もしますが、とにかく苦手です。でもまあそれ自体はしばらく通い続ければある程度慣れてしまうことなので、羞恥心については気にする必要はないと思います。
 そうですね、気が散るというのも一理ありますね。慣れるのも分かります。ただ、慣れることが良いことだとは思えません。受験をするにはいいことなのでしょうが。。。
>また金銭面に関しても、そこまで絵に対する思いがあればなんとかできると思います。
そうですね。絵を描きたくてもし予備校に通うのであれば、お金の工面はどうにかしてでも作らなければと思います。
>で、絵画を勉強し自分の絵を極める為芸大を目指し予備校に通うことで大きなものが得られるか、ということですが、ひとことで言ってしまえば「あなた次第」ということだと思います。いい加減に答えているわけではなく本当にそう思います。
やはりそうですよね。ちょっと予備校には懐疑的なもので端的な質問をしたんですが…、何事も自分次第ですね。

お礼日時:2006/03/14 01:02

昔の私を見ているようでした(笑)



・予備校に一年通ったわけではなく入試直前を受講した⇒美術が自分の道だとある時天啓が降りた
・私は人前で絵を描くのが苦手 ⇒絵に集中しておらず、無意識に外部に気がいっている
・エスキースや描いている最中を見られるのがかなり羞恥的 ⇒実力がなく自信がないため羞恥を感じる(私は自信家でしたが)
・自分が出せなくなる ⇒自分のやり方、心地よい環境にこだわりがあり発揮できない。落ち着かない

芸大の意義や芸術論は各人の考え方がありますので、それは触れませんが、書かれた現状ををみると、自分の将来をある方向に自ら限定してしまい、つぶしが利かない人間にしてしまう可能性があります。これはあなたがというより、私の若いときを思い出して、そうだということです。

いや芸術家になるんだ、達成する自信があるんだ、苦しくてもがんばるんだ、という強き信念と確固たる決意があるならそれでもいいのですが、そういう強い人間なら(ぶち当たるとか、自分がだせないとか、芸術や入試"以前"のささいな問題を)、迷ってここで聞かないでしょう。

ある意味、理想主義、完璧主義、へりくつ&あまのじゃく(社会をそのまま一般の目で見ない)なところがあるのだと思います。
わたしは3年目に私立にいきましたが、その後社会にでて(私の希望は画家ではなかったので)、しばらく働くうちに、美術系は理想でも高貴なものでもクリエイティブでもなんでもなく、単なる社会の"1業界"でしかないことをつきつけられました。

わたしはそれなりに収入を上げたいとか、海外に出たいという別の願望が沸いてきていたのですが、幸い10年前からコンピュータ・インターネットの時代になり、私の中にITに関する素質があることに気がついたので、わたしは美術系クリエイティブ系の世界に自らおさらばしました。

現在質問者さんが、美術をめざすその熱意・願望が高まっていると思いますので、それは追求すべきだとおもいます。すばらしいことです。

ただ、自分の中の完ぺき主義や自分のやり方にしばられ、実力が出ず(縛っているのは実は自分の精神なのですが。だから自意識過剰といわれます)、他の道や選択肢もあることが見えなくなったり、他人と融合し交わることできなくなると、自分の人生にさらに足かせを自分で嵌めてしまい、30代を超えたあたりで悲惨な人生になる可能性もあることを、どこかで覚えておくといいと思います。

昨日、故池田満寿夫氏が芸大受験に3回失敗し、ノートに「辛い、辛い…」とかきづつりつつも、会社勤めもできない自分の性格も承知していたことをインタビューで述べていました。
そして学生に「絵をめざすということは、食えないこと。貧乏になることを、受け止める覚悟がないといけない」と言っていましたが、そうなのかもしれません。

この回答への補足

↓お礼の続きとさせていただきます↓

>わたしは3年目に私立にいきましたが、その後社会にでて(私の希望は画家ではなかったので)、しばらく働くうちに、美術系は理想でも高貴なものでもクリエイティブでもなんでもなく、単なる社会の"1業界"…
もちろんそうかもしれません。しかしだからこそ、芸術を見ることはなにを見ているのかを追及することが私の生きることに相当するのでしょう。
>わたしはそれなりに収入を上げたいとか、海外に出たいという別の願望が沸いてきていたのですが、幸い10年前からコンピュータ・インターネットの時代になり、私の中にITに関する素質があることに気がついたので、わたしは美術系クリエイティブ系の世界に自ら…
jayoosanさんの才能、はそこにあったのでしょう。私も芸術以外では「成功」する自信があります。
しかしまぁ、芸術には成功なんて言葉も収入なんて言葉も軽く打破されるのです。だからこそ私は芸術を見るのです。
>現在質問者さんが、美術をめざすその熱意・願望が高まっていると思いますので、それは追求すべきだとおもいます。すばらしいことです。ただ、~自分の人生にさらに足かせを自分で嵌めてしまい、30代を超えたあたりで悲惨な人生になる可能性もあることを、どこかで覚えておくと…
 はいありがとうございます。が私の芸術を志す思いは熱意願望ではございません、言葉で形容しがたい何かです。私は私の性格を常に分かっておりますし、それに他の選択肢がいくらでも目の前にあることを常に感じております。30代で悲惨な人生とは?自分を見つめ人間を見つめ、芸術や今を見つめていれば悲惨な人生なんて考えや言葉は塵や埃と同然です。それには何歳という年齢なんて関係ないでしょう。生きていることに関して、果たして年齢を口に出すことは詭弁すぎるのでは!!
>昨日、故池田満寿夫氏が芸大受験に3回失敗し、ノートに「辛い、辛い…」とかきづつりつつも、会社勤めもできない自分の性格も~と言っていましたが、そうなのかも…
 池田満寿夫氏が芸大に入学されていないことは氏の著書で読んだ記憶があります。「絵をめざすということは、食えないこと。貧乏になることを、受け止める覚悟がないといけない」本当にその通りであると思っています。だからこそ現代の受験や予備校の存在に懐疑的なのであります。

このたびは本当に参考になりまして、ありがとうございます!
経験を積まれた方の言葉・お話は常に考えさせられることばかりであります。
是非またのお言葉をお待ちしています。

補足日時:2006/03/14 15:00
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!
>美術が自分の道だとある時天啓が…
 かどうかは分かりません。ただ私は美術を初めたきっかけがいかんせん不純すぎたのです。
>絵に集中しておらず、無意識に外部に気が…
 無意識ではなく常に外部を気にしていると意識していますよ
>実力がなく自信がないため羞恥を感じる(私は自信家…
 これは確かにそうでしょう。ただ、実力とはなんでしょう?人前で発揮できるのが実力でしょうか?というかそれ以前に、美術は実力という言葉とは無縁なように思います。羞恥を感じるのは人に創造を見られることになら常にあります。これは個人的なことかもしれませんが
>自分のやり方、心地よい環境にこだわりがあり発揮でき…
 はい。その通りです。創造する環境にはこだわりは必要です。しかし受験生には無縁の産物でしょうが…
>芸大の意義や芸術論は各人の考え方がありますので、それは触れませんが、書かれた現状ををみると、自分の将来をある方向に自ら限定してしまい、つぶしが利かない人間にしてしまう可能性が…
いえ、私は限定する性格でもありませんので大丈夫です。が私が芸術に拘っていますのは、拘るだけのものが芸術に存在していることにあります。
>いや芸術家になるんだ、達成する自信があるんだ、苦しくてもがんばるんだ、という強き信念と確固たる決意があるならそれでもいいのですが、そういう強い人間なら~迷ってここで聞かないで…
 それもそうです(笑)しかし先ほども言ったのですが不純な考えのもと美術に足を踏み入れた私には、それ以上に私の芸術に対する私自身への疑いによってそのささいな問題がえもいえぬ問題になっている次第であります。そして、ここで質問と題させて頂いておりますが、実際はそうではないものなのです
>ある意味、理想主義、完璧主義、へりくつ&あまのじゃく(社会をそのまま一般の目で見ない)なところがある…
 まさにその通りです!ただ多々語弊はございます。理想主義というよりも永久理想主義といいますか、完璧主義者というよりも永久完璧主義といいますか。
へりくつ・あまのじゃくはその通りでございます。しかし、かくしてこれが無くては芸術を行うことができるでしょうか?受け入れることをしつつも懐疑心はなくてはいけません。これこそ確固たる信念にございます。

お礼日時:2006/03/14 14:54

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