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食にせよ芸術にせよ、違いがわかる=ものとものの境界がはっきりとしること=肥えることは
基本的によいことだと思いますか??

I:皆様は肥えたことにより今まで見えなかったものがわか
るようになり楽しみが深まったのはありますか?


II:違いがわかるようになると、普通の人が同じような味に感じるものの違いが分かるために本当に
すばらしいに出会えたときの感動がすごく大きくなったり、
楽しみのツボが増えたりしても
今まで普通に楽しめたものがまずく感じるように陥るならば
肥えても肥えなくとも
幸福度はイコールになると思われますが
あなたならどちらを択びますか??

仮にうまいものをしょっちゅう食べていても
すばらしい芸術に日常頻繁に触れていても
肥えないのならそちらを択びますか?? 

A 回答 (4件)

私は『目が肥える』という事は良い事だと思っています。


それは日常生活にも深く係わっているからです。

私自身ある工芸に係わっており、人からは作家と呼ばれています。
特定の分野のものは作る工程から分かりますので目が効き、
良し悪しの判断が容易につきます。
中には素人に毛が生えたような方がとんでもない値段をつけて売っているものもあるのですが、
目が肥えていない人は値段だけで判断し簡単に‘騙されて’買ってしまうという現象が実際にあるのです。
そんな例を目の当たりにすると目が肥えていないって悲しい事だとしみじみ思います。
目線を変えれば、私も知らず知らずの内に同じ事をしているという可能性が大です。

値段が判断基準の一番になったり故意に作り出された情報に踊らされない為には、
自分の目を鍛えるしかないと思っています。

ですから機会があったらそれを逃さず良いものに触れると言う事を大事にしています。
やはり良いものを知らずして悪いものを見分ける事は出来ません。

これからもジャンルを問わず‘肥える’努力をしたいと思っています。
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I.いくつかありますね。



II.「本当にすばらしいものに出会えたときの感動」が、「違いが分からないときに普通に感じていた楽しみ」より遥かに大きいですから、そちらのほうを取ります。

かりに「本当にすばらしいもの」が10年に一度しか体験できなくて、それ以外はつまらなくてどうしようもないものに囲まれていても、その10年に一度の経験をもつほうが幸せだと思います。

実際、今まで生きてきて、あの感動に出会えてよかった、これは一生の財産だと思う芸術体験がいくつかあります。
うーん、数えてみるとホントに10年に一度ぐらいの割ですね(笑。
そしてその経験の前にはその分野についてそれなりの勉強を積み重ねています(凝り性なので)。その勉強がなければ同じ対象に接したとしても、やはりあれほどの感動はなかったと思います。
予備知識なしで接していたら、人生の宝を一つ取り落としてしまっていただろうと、本気で思います。


>仮にうまいものをしょっちゅう食べていても
>すばらしい芸術に日常頻繁に触れていても
>肥えないのならそちらを択びますか??

美味しいものをたくさん食べても太らないという意味なら歓迎しますが(笑、
「目が肥え」たり「舌が肥え」たりしないという意味ですよね?
それならお断り。とてもつまらない人生だと思います。
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>基本的によいことだと思いますか??


一長一短、人それぞれと思います。

>I:楽しみが深まったのはありますか?
対象を好きなものに限れば、楽しみは深まっています。
ブランデー、版画、ジャズ…。
対象が嫌いなものなら、楽しめません。というか、わかりたくないものを無理やりわかろうとしても楽しくないです。
たばこ(喫煙者に嫌悪感を抱くのは筋違いと思い、勉強しました、が…)
「肥える」というのは直感で良いものがわかるということだと解釈します。
まだ、私は麻雀で捨て牌から相手の手を読めるところまでいっていませんが、それができれば楽しいだろうな、って思います。

>II:肥えても肥えていなくても幸福度はイコールになると思われますがあなたならどちらを択びますか??
肥えているほうです。
自分の知識が高まること自体は誰もがうれしく思うのではないでしょうか?それは幸福なことではないですか?
それと、普通に楽しめたことが楽しめない状況に陥るときがあるかもしれませんが、さらに進むとどちらも楽しめるようになるもんですよ。
子供時代にやってた遊びなんか、大学生が恥ずかしくてできるか!と思っていても、自分の子供が同じことをやってたりすると思わず笑みがこぼれるものじゃありませんか?
私としては失明して悪いものすら見れなくなることを不幸と考えているので、いいものだけではなく悪いものを見ても幸せです。

>仮にうまいものをしょっちゅう食べていても
>すばらしい芸術に日常頻繁に触れていても
>肥えない
これって、知識が高まったのに気がつかないってことなら、逆に他人から見て不幸だと考えます。
普通に暮らしていて、毎日白まんまに納豆だけってな食生活していても人間とは(いや、日本人とは、かも)何らかの変化を求めるものです。米の銘柄を変えてみたり、ひきわりから丸に切り替えたり…。味が変わらないと感じるなら、同じことがわかったのだからそれはそれで肥えているのです。どこのスーパーが安くて新鮮とかわかるだけでも幸福です。
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I.誰しも、そういう物は必ずあるはずです。


知識を得て、経験を重ね、理解を深めれば、どんな物でも必ず違う視点から見ることが出来るようになります。

II.しかし、その反面、手品のネタバレや解き方を覚えた知恵の輪と同じように、識ることによってその物事と対面した時に受ける印象は、純真無垢な子供が受ける印象とは異なり、感動や喜びなどは希薄な物となります。

以上を踏まえ、とりあえず「識る前」と「識った後」での幸福度は、イコールにはならないと思うんですが。
どんな物でも、「予備知識の無い初回時」に匹敵する幸福度なんて無いでしょう。
あえてどちらかを選べと言うなら、何も識らない方を選びます。
初めて見る絶景と、100回見てプチ情報やベストアングルを知り尽くした絶景のどっちが良いかって話でしょ?

最後三行分の質問は意味不明。
三食カレーでもOKって言う人間でも、ホントに毎日全く同じレシピのカレーが続けば、どんなに美味くたって1ヶ月もたないでしょ。
「うめー!!!!」って思うのは初日だけですよ。
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