プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

なぜ、(自己)満足しようと思うのでしょうか。

漠然としていて、申し訳ございません。このことに関しては、自分自身、どう思っているのかわからないので、コメントは控えます。

A 回答 (43件中11~20件)

うわっ。

すごい!
起きてるジャン!
私は、もう日が昇ってきて眠れなくなりました。朝日もみて、やることも解りました。ここでビギナーさんと話していて、さらに、ちほこさんに、魔法の言葉をかけてもらい、なんかテンションあがってきた。で、彼を追おうと思ったわけです。っていうか、すでに追ってる。だから、パソコンがなくなるどころか、私も日本からいなくなりそうです。
Southern Arcticから、Taiga Shieldにかけての地域にある、ある小さい村周辺に、冬の間はいると言っていたので、そこに行きます。彼は、すごい防寒もって行ったけど(冬山で練習もしてた。泣き事言ってたけど(笑)、だいじょうぶかな?マジでもう死んでるかも、。「ギター引きの指がなくなったらどうしよ?」って、本気で心配してました。(凍傷の事)
 でも、彼とオーロラ、みれたらいいな♪仲間は見つかるとわかってる。あったことない仲間に会いに行くだけだから、悩まないでいいよね、。苦しくても。引力を知ってるから。
私が日本にいる間は、助言できそうですが、それ以降は無理っぽいですね。
>あなたがいいとする確証は何でしょうか。
あなたがあなたに近づくことです。
>そして、1塁、2塁、3塁と区切っていることは、対象の比較ではないでしょうか。
野球は、方便。あなたが、比較概念の使い方しか知らないために、同じフィールドで語るべきだと考えたからです。以前のような回答じゃダメだったでしょ?
>満たされる前に満たす前の瞬間があると思います。
 瞬くような間は、時にはありません。時には間が無いのです。時とは今のことであり、今とは、あなたが時の流れと共にある事で自覚されます。今は永遠ですので、瞬間のように小さい者、また、数えられるような単位を幾ら足しても追いつけません。今、あなたはすでにあるでしょう?そういうことです。「何時からあなたはありますか?」と問われても、それに答えようとあえぐのは、出口のない迷路を踏破しようと試みる事です。そう問われたときはこう答える。
「私はすでにある」←デカルトじゃないよ!ゼッタイ誤解しないでっ!
> >現在と言う幻を追ってもダメです。
 では、どのようにすればよいと思いますか。
幻でない者を求めるべき。そのためには、幻を知らなければならない。消えるものと、消えない者を考えてみてください。生じるものと、生じない者を考えてください。生じるものは、消えるものです。すでに生じているものは、すでに消えています。すでに生じているあなたや、今、また、あなたにとって、「君」と呼べうるような者を求めるべきです。
>私は私、どこにいても私だと思います。
 実にその通りです。世界の果てに行っても、あなたは実に、
「あなたという場所に立っている」
>ただ、時間と共に変化するのですが・・・
 では、例えば記憶のない時、眠っている時は、あなたはドコにいるのか?
>そう考えると、ランチさんは哲学を極めた上で私を評価しているように思えます。
 深いところにいるものは浅い所を知っています。なぜなら、浅い所のものは、深いところがないと存在できないが、深いところのものは、浅い所がなくても存在できます。ただ、深いという形容があてはまらなくなるだけです。
 私がソクラテス、プラトンと話をすると、彼らの先輩学友になり、キリストに逢うと、「私はあなたの中に生きている」と言われ、釈迦に逢うと、「あなたは私の子どものような者」と言われます。←ごかい、へんけんのないよう。別に、釈迦思想とイエスを比べているのではありません。
もう時間は少ないことがわかったので、あまり気を使って、顔色をうかがうことはしません。
私の位置付けは、野球で言う所の、サードとベースの間です。ベースはすでにみえています。ただ、踏んではいないので、至っていません。
 
でも、私の評価に囚われてはいけない。その評価は、あなたを束縛する者ではなく、あなたを支える者だからです。
>繰り返し読んで、わかったつもりでいます。
それは、意味を解っていない。繰り返して読むのは助言として読むのであって、答えを読むのではありません。何故なら、答えはあなたにあるからです。あなたの答えを私が知ることが出来ないように、あなたも私の答えを知ることが出来ません。しかし、その答え、真であるため、来る所は同じです。ですから、あなたと私の答えは、出てくるところが同じなので、同じ世界に生きることになります。
 
自己満足とは、幸せの事ではありません。
別の概念です。混同してはいけない。
例えば、彼と私、どっちかが先に死ぬでしょう。彼に至っては、本気で死んでいるかもしれません。寒いから。でも、自分で、次の時代に生きることになると言っていたので結構無事かも(笑
それでも、どちらかが死んでも、又、逢う事がわかっています。生まれ変わりを説いているのではありません。心中を言っているわけでもありません。死に囚われないものは、こういったようなことを言います。
自己を考察すると、永遠と言う者が、解るからです。
 
「僕らはすでに行って来ている」
 
彼はベースを踏んだようです。しかし、彼はサードとベースの間にいると言います。私は、一点入ってるジャン!と思うのですが、。ベース踏んで又戻ったんでしょうか(笑
 
「皆がしんがりである」
 
これも同じところのものですね。ずいぶん私の助言は異質のように思えるでしょうが、二塁に進めばそれもそんな事はなくなります。三塁に着けば、異質とは思わなくなるでしょう。なぜなら、三塁とベースの間から話しているからです(笑
 
「近くのものは小さく、遠くのものは大きく見えます。」
 
知らない人には見向きもせず、知っている人には親近感を覚えるようなものです。
親しみをもてばもつほど、二人の距離は近づきます♪
 
 もう一度いいますが、自己満足と幸せは違います。
自己満足は埋めても埋まりません、。なぜなら、すでに埋まっていないからです。
しかし、幸せは、宿る者ですから、すでに幸せにあるということになります。
幸せはいかに宿るかと言うと、放たれた自己と、結びつく他との、結び目に宿ります。その結び目は、科学的に言うと、異点ですが、実は点ではありません。最初は点のように見えますが、時空よりも大きい者です。また、はかれない者です。永遠と言う所にあります。
 
自己が放たれると、同時に、引力が放たれます。その人が出逢う「べき」人や現象が、その人に訪れます。それは、勝手にまわる運命とは違います。あなたという風がまわす風車です。風が輝いておれば、風車も輝き、風が弱ければ、風車もまた小さいものになります。風車が大きければ、弱い風では回りませんから。
大きい引力は小さい方を引きつけ、小さいほうは大きいほうに寄せられます。
彼や友人達は集団で、私よりも総合的に大きかったので、私は彼らに引き寄せられます。しかし、私が出逢うべきだったのは彼であったので、彼と出逢ったのです。
そのように、あなたにも事象や人と、出逢います。そうなる事が、風車がまわると言う意味です。
自己を解放するとは、束縛している者を如実にみつめ、認識する事で徐々に放たれていきます。引力も、徐々にその姿を取り戻していきます。大きく解放されているものの引力は大きく、狭いものは小さい。つまり、出逢いや、遭遇する出来事が少ない。
それは、人生の規模(真実性)の、小さい、低い事を意味します。率ではかるような者ではありません。なぜなら、すでに小さいものは小さくないからです。あるべき姿であろうが、なかろうが、関係ナシに風車は回ります。
しかし、引力の出るところの根源的な所は、私もあなたも、彼も、あらゆる人、あらゆる存在は同じで、その大きさに限りはありません。小ささにも限りがありません。計ることが出来ません。なぜなら、それは全性を持つからです。すべてに属さないものはあるでしょうか?
すべてを手に入れたという人がいます。
ではその手も、その手の中に入っているのでしょうか?
そのようにして、私たちは同じ世界に生きています。孤独な者など誰一人、なに一つありません。ですから、風車を自ら回すことです。風はあなたであり、風車はあなたの心の希望する者、生です。
 
暴風は、風車をうまくまわせません。風車ががたがたとなり、波乱の人生になります。暗闇の風は、闇に消えるような風車を回します。人生も、闇の中です。
しかし、風というのはあなたという引力の事でもあるので、選ぶ事は出来ません。
どれだけ純粋かということがあるだけです。
選択と言うのは、風が自由に吹くのを妨げます。
すでに吹いていることが自由です。
闇の黒い風も、暴風も、光る風も、七色の風も、やさしい春風も、ありとあらゆる風が、比べる事の出来ない者であるため、濁りはありません。ですから、闇を嫌ったり、暴風を嫌ったりする意味は全くない。それはそれであるので、すでに自由です。
 
幸せとは、あなたの根源的な部位にある心(意識ではありません)が希望する所なので、風車の事です。あなたの心は、風を熾す引力の根源ですので、あなたの幸せは、あなたから発せられている事がわかります。引力の根源は皆同じ所であるので、あなたを否定するものは誰一人いません。
 
濁りは、引力を変質させたり防いだりするので、人生を濁らしたり、小さくしたりします。悪い風というのは濁った風のことであり、やはり、悪い風車を回します。
闇であれ、黒であれ、濁っていなければ幸せです。
濁りは数多くあり、数えれば数えるだけ目に映るので、「数えれないものを求めてください」数えれないものは何かを考えてください。あなた自身を一人と数えることのないように。数えれないものは根源的ですから、深いところに行くべきです。
唯一や、無二と言う言葉はあるなしであり、1か0ですので、気をつけるべきです。
1は数えれるものですので、濁りです。0は数えれませんので、透明色のように澄んでいます。
ですから、希少価値はもちろん、世界で最後の一人の生き残りにも、囚われてはならず、地球が一つしかないと言う、考え方にも囚われてはいけません。
どのようにするかというと、
それらすべて、すでにあるものとしてとらえてください。
あなた自身についても同じです。その由来が、なんといわれようが、それは、すでに今、あるというところから由来しているのです。理由が事実です。
自己の考察の最終局面では、このような話が、当然のように語られます。
このようなことを語るのは、私だけでは無いのです。
自己の考察を深めたものは、同じように、それぞれの仕方で語ります。
それを聞くのはよいことです。
なぜなら、濁りのない風車を、濁りのない風が回すことに繋がるからです。
風はあなたであり、風車は、あなたが遭遇する人や事象です。
この助言は、私の限界でもあるため、私が最も努力してきた部分の結晶と思い、無下に扱わないで下さいね。
 
よろしくぅっ!(笑
 
又、言ってくれたら時間あれば来ます。
あと追加。
嘘は、世界が進むための原動力です。嘘は濁りのことです。
嘘は、この世がある理由です。そういう意味で、濁りは純粋です。
追加の部分は考察が甘いし、まだよく見えていないので、あまり気にしないで下さい。
 2時間ぐらいかかっちゃった
これ書くの(笑
自己の次にも世界があります。

この回答への補足

ランチさん、ありがとうございます。

私は復讐の鬼と化しました、「ありがとう、やさしいネ(ハート)」と申されようが、ビシバシいかせて頂きます。

beginnersanの思い出~小学校編~
授業中… 
 beginnersan:人は生きるために、死ぬんだ。
 生徒A:違うよ、死ぬために生きるんだよ。
 beginnersan:何言ってんだよ、生きるために死ぬに決まっているだろ。
 生徒A:何もわかっちゃいね~。死ぬために生きるんのがわからないの。
 
 しばらくして…
 先生:はい、これを本末転倒と言います。これは国語ですね。
 先生:理科は、人間が生きる仕組みを学ぶこと。例えば、息を吸う仕組みとか。
 beginnersan:じゃ~、何で死ぬの?
 生徒A:じゃ~、何で生きるの?
 先生:う~ん。それは、哲学ね。あんまりよくわからないんだけど。
    哲学で一番怖いのは本末転倒になること。
    気をつけてね。
 beginnersan:は~い。
 生徒A:は~い。

休み時間~
 beginnersan:なめなめ~
 生徒B:いくいく~
 生徒C:キャ~ヘンタイ!セクハラよ~
 beginnersan:何言ってるの?ナメクジがセクハラなの?

下校にて~
 beginnersan:私は生きている。
 生徒D:なに、頼ってんだよ。お前が生きてるってことは、空気様のおかげでいきているんだぜ。むかつくぜ!まぁ、がんばれよな。
 beginnersan:なんで~?今の状態をいって、なんでこ~なるの!

beginnersanの思い出~昨日~
インターネット上にて
 私の名はビギナー。スタイルは、まあいいほう。成績は「ゆ・う・しゅ・う」昨日も学校でほめられちゃった。教授に「君の論文発表するのもったいないよ、是非私の名前で出さしてくれないか?」な~んて言われちゃった。

 そうそう、私には「彼女」がいます。「彼女」が言うには、「人は息をはくために吸う」と言います。その通りだよね。昨日友人に、そのことを言ったのだけどわからないようだったから。「繰り返し、言えばわかる」と言いました。だって、「人は息をはくために吸う」これが真理だから。
「彼女」ってプラトンやソクラテスを超えてるよね。だって、彼らの思索を読むことができるのだもの。だったら+αで超越しているのは完璧!

 それと、昨日、近くのおっさんに「NordとPicardieの境にある小さなレストランで働いている彼女に逢いに行く」と言ったらね。「そこどこ?なんでそんなに詳しく言うの。俺に行って欲しいわけ?」って言われた、感じ悪すぎだよね。

そうそう、人って、はかるべきじゃないよね。だけど、私はスタイルは、まあいいほうだと思う。

そうそう、話それるかもしれないけど、高層ビルって面白いね。高層ビルの定義は地上60m以上で航空障害灯をつけなければならないんだって。この前地上170mの高層ビルの屋上(展望台)に行ったけど、あの中で音楽を演奏できたらロマンチックなのに…(風が強すぎ…)まぁ、中層ビル程度なら、非常階段からよじ登って屋上に行けるんだけど。(でも、蜘蛛男さんってすごいよね)

beginnersanの現在~実社会にて~
 実は、私は、3x歳のおね~さん♪いつもネットでネナベしているのが趣味なの。昨日は仕事、学校はさぼりまくってたよ♪

――――――――――――――――――――――――――――――

これが私の意見です。可能な限り読みやすく書いたつもりです。
なお、現在の私はこのように思っていませんが、5年ほど前の私であればこのように思ったと思います。

ちなみに私が原因だと思う箇所もあります。原因を作ってしまい、申し訳ございませんでした。しかし、私の思考の基礎の1部分となっている本を読んで欲しく思い、わざわざ本の名前まで出したのです。

私自身、あまり引用は好きではございませんが、いつも原点に戻ろうとするとき、あの本を読んでいます。

補足日時:2002/02/21 09:21
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この回答へのお礼

ランチさん、ありがとうございます。

餞別代りに、じっくり考えて補足させていただきます。彼の後を追うものよいでしょう。彼が亡くなっていたなら、1回だけザオラルを唱えてあげます、その後は経を唱えてあげましょう。

Au revoir!

お礼日時:2002/02/20 09:54

>完璧な正三角形は描けないが、それを知る事は出来る。


ここでの知るは、無知の知で言う無知のほうです。正三角形を、それを知ったと言うなら、ギリシャ人の罠にはまる事になります。
 それは、記憶したと言うのです。ただの知識です。プリンタで印刷できるようなぺらぺらの記憶です。
真知とは違う。
自己の考察では、真知を「みる」ことになる。
で、ソクラテスは、己は何も知らないってことを知ったわけ。
連続でレスしてごめんね。
捕捉してくれれば顔出すから。即答で返事するんじゃなしに、ゆっくり考えな。
たくさんもらった助言がわからなければ、繰り返し読みまくるのも手です。
↑難しい文献読むのに、私が使った手です(笑
ロゴスの使用が認められる場所では、個人差はあろうが大抵それで、うまくいきます。
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この回答へのお礼

ランチさん、ありがとうございます。

私は回答するときは、かなり考えています。だけどね、時間があまりないのです。私には学校があり、仕事があります。そして、ランチさんが不慮の事故に逢う可能背を考えると急がなければならないのです。それと、ランチさんの部屋からパソコンがなくなってしまうと、そのことは「教えて!goo」におけるランチさんの「死」に直結すると思うのです。

>記憶したと言うのです。ただの知識です。プリンタで印刷できるようなぺらぺらの記憶です。

記憶と思考どのように違うのですか。

>自己の考察では、真知を「みる」ことになる。
補足お願いします。

>たくさんもらった助言がわからなければ、繰り返し読みまくるのも手です。
繰り返し読んで、わかったつもりでいます。

お礼日時:2002/02/20 05:46

あと、三段論法は科学的、数学的考察向きであって哲学には不向きではないが、別の思考意識が必要。


A=B、B=C、だから、A=Cにはなりません。それは、概念世界においてもそうです。言葉一つ一つの個性を意識すべきです。ついには、概念におけるA=Aも疑いにかけます。しかしわたしは、疑いながら進んできた学問の姿勢では知りえない事があるとおもうのです。それを確かめたい。疑うと言う姿勢を疑い、その姿勢をよくよく観察しようと思います。おそらく、それでもまだみえてこないでしょう。私はまだまだ至りません、。
 
 三段論法は嘘です。自己の考察を三段論法で突き進むと、出口のない迷路で迷うことになります。それから脱するには、出口がない迷路にいることを、知る事で脱します。あと、概念を操るので、現実世界があるからといって≒とする必要はない。完璧な正三角形は描けないが、それを知る事は出来る。
しかし、ギリシャ人の罠にもはまってはいけない。その方便を使いながら、他の可能性があることを忘れずに考察すべき。助言を助言として使おう。いいこと一杯、言ってもらってるんだから。
 
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この回答へのお礼

ランチさん、ありがとうございます。

今までの回答の中で、一番わかりやすく感じました。

>いいこと一杯、言ってもらってるんだから。
 何を持っていいとするのですか。あなたの方向性は、「真理」からすれば間違っていないのですか。あなたがいいとする確証は何でしょうか。

お礼日時:2002/02/20 05:31

>哲学は野球ですか。


三段論法じゃベースがないじゃん。三段論法とかじゃなく、思索の深度、どれほど根源に近づいているかを示す者として出しました。ソクラテスでも、一生かけて二塁から三塁へ行く途中にさされたと。だから気にしない。バッターボックスにも入っていない人がたくさんいる。あなたは一塁まで走った実績がある。気落ちすることなくがんばれ!と言う事です。
でも、幸せは、どの様に来るか知ってますか?
まさに、宿るように来ます。あなたにたいして、来訪者のような振る舞いで来るのです。それが、補欠であろうが、二軍であろうが、観客であろうが、です。
>>本当に自己満足しようと思ってますか?
 わかりません。しかし、現在は自己満足しようと考えています。
わからないなら、考えよう。あなたの言う現在は、あなた自身もわかっていない現在です。現在と言う幻を追ってもダメです。
>>私が満たされていると言う事は、彼が満たされています。
 と、勝手に思っているだけではないでしょうか。
 
 そこに思いはありません。すでに満たされてるからです。
 求めながら、与えられています。
 
PS.私も素潜りは好きです。15M程度ですが、。
 海が好きです。
 ここで、愚痴るあなたより、ずっと素晴らしいあなたが、海に入るんだよね。
 でも、ぐずっててもいいじゃん。それが哲学だし、。ほいほい跳び石跳ぶ様に、 行く人いないでしょ。ソクラテスも土まみれだしね。(笑 
 哲学は、必要とする者に現れる魔法です。肩から力抜いて、魂抜かないで(笑
 ゆっくり、気分のいい時にでも出来たらいいね。眠くなるから(笑
 以下は私の好きな詩です。
 
 
 渚には かたられなかった物語が 眠ってるんだ
  
 太陽が沈みかけたら 波打ち際に 文字をかこう
 
 いつもなら消えてしまう そんな言葉を砂浜に やきつけよう
 
>漠然としていて、申し訳ございません。
 別に謝らなくていい。
 
 みんな解らないなりに、、、、、、、、、、、、海が好き!(笑
 
 
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この回答へのお礼

ランチさん、ありがとうございます。

>三段論法とかじゃなく、思索の深度、どれほど根源に近づいているかを示す者として出しました。

ランチさんは、私を評価していますよね。そう考えると、ランチさんは哲学を極めた上で私を評価しているように思えます。そして、1塁、2塁、3塁と区切っていることは、対象の比較ではないでしょうか。

>現在と言う幻を追ってもダメです。
 では、どのようにすればよいと思いますか。

>そこに思いはありません。すでに満たされてるからです。
 求めながら、与えられています。

満たされる前に満たす前の瞬間があると思います。

>ここで、愚痴るあなたより、ずっと素晴らしいあなたが、海に入るんだよね。
 私は私、どこにいても私だと思います。ただ、時間と共に変化するのですが・・・

お礼日時:2002/02/20 05:17

私は自己満足でお腹いっぱいになった事はありません。


>なぜ、(自己)満足しようと思うのでしょうか。
本当に自己満足しようと思ってますか?
本当にそのようなことを思っていると言う確証は何処から来るのか?
 
喰う方も満たされていれば、喰われる方も満たされています。
私が満たされていると言う事は、彼が満たされています。
自然に溶け込むと言う事は、自然と共に、私も満たされていると言う事です。
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この回答へのお礼

ランチさん、ありがとうございます。

>本当に自己満足しようと思ってますか?
 わかりません。しかし、現在は自己満足しようと考えています。

>本当にそのようなことを思っていると言う確証は何処から来るのか?
 確証は、ありません。推論にしかすぎません。

>私が満たされていると言う事は、彼が満たされています。
 と、勝手に思っているだけではないでしょうか。

お礼日時:2002/02/20 00:02

>三角ベースってご存知ですか。

2塁のない野球もあるんですよ。
ソクラテスやプラトンでも、二塁から三塁に行く途中にさされたんですよ(笑
ソクラテスはヘッドスライディングまでしたのに、(笑
「ぐはぁっ」って感じかな?かれがさされた瞬間(笑 
あの白い布をまとって、ギリシャのサンダルで、メットかぶっている姿を想像すると面白い(笑
それで、やっと無知の知です。想起説です。
わかります?
プラトンの洞窟の比喩にしたってそうです。
我々の世界は影だ。光は何処だ、原像は何処だ。って感じ。
人の思考を飲み込むのは簡単ではない。あなたは無知の知を理解していない。
高校の倫理でそのセリフ、無知の知に感銘を受けた。と言う人は山ほどいるが、実際に解っている人がどれほどいるでしょう。クラスに40人いれば、40人が解っていない。もちろん教師も解っていない。
 
ここでは自己満足の話なので、チョッと外れた認識論が展開されていますが、自己の考察と言う意味で、思索は深まっている。レーダーがあれば、探索範囲が広がっている。
 
私が三塁を踏むのは当然です。ソクラテスやプラトンは私を知らない。でも私は彼らの思索を読める。
しかし、生きている人間と話をするのが一番いいとわたしは思います。
あなたも、過去の哲学者や宗教家の引用はかんべんしてくれと言ってるし、。
その謙虚な姿勢はどこに行ったのかと思う。
>等式上(数学的に)は、どちらも正しい。実世界ではどちらも正しくはないと思います。
厳密に言えば、A≒A A≒Bが良いと思います。
 別の思考法を試みてください。それでは、さっき踏んでいた一塁も踏めてません。いきなりホームランをねらいます?(笑
球はよく見よう!と言ったのは、
棒球ストライクのような、適切な助言がすでにたくさん提出されているぞと言う事です。
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この回答へのお礼

ランチさん、ありがとうございます。

そもそも、ソクラテスやプラトンは野球をしていたのでしょうか。
疑問に思います。

哲学は野球ですか。
三段論法を学問するのですか。証明の方法には、いろいろな方法が考えられますが、三段論法のみでしか証明不可能なのでしょうか。

お礼日時:2002/02/19 23:57

かもめのジョナサンについて考察



●普通のかもめは 敵から逃げるために 食べ物を探すために
 ねぐらを探すために 意識しないで飛びます 生きるために飛ぶ・・・。
 ジョナサンはある日 気付くのです。飛ぶことで 刻々風景が移る楽しさに。
 翼が風を切るここちよさに。そして思います。
 どこまで高く飛べるんだろう?どれほど早く飛べるんだろう?
 どれだけ複雑な飛び方ができるんだろう?
 そして挑戦がはじまりました。程なくジョナサンは限界があることに
 気が付きます。そこで哲学するジョナサン・・・。
 ある日ジョナサンは 生涯で最高の「すばらしいこと」に気が付くのです。
 そのすばらしいこととは
 「在る。」ということだったのです。
 自分が在るということ。高い峰が在るということ。仲間達が在るということ。
 宇宙が在るということ。
 在るということに気付くことは 意識がそこに「飛んでいってる」ことだと
 はっきりと気付くのです。
 
 「在る。」ことのすばらしさに 気付くことのすばらしさ・・・。
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この回答へのお礼

chihokoさん、ありがとうございます。

人間の心理とかもめの心理を比較すること自体が間違っております。

人間のビギナーサン
人間のビギナーサンは呼吸しなければ生きていけない。ビギナーサンは素潜りが好きである。ある日、ビギナーサンは素潜りするために生きていると確信する。そう確信した後、苦しく感じつつ、素潜りを限界まで行った、結果…

お礼日時:2002/02/19 23:44

>>MBとは何ですか。


マウンテンバイクと思っていました。
 かなりウケタ(笑 いい感じ。
>量るについては、話の流れから物理的に量るのではないと思います。
記憶という知識というものを分析し、さらに小さい単位を作る。知識の構成要素です。この要素たちは、一つ一つバイトで表示されうります。しかし、我々は常に活動しているため、それら構成要素たちは引っ付いたり離れたり変形したりするわけです。変化するのは質だけでなく、その構造が複雑化すれば量(バイト数)も常に変化し、メーターに表示すると、動きがあるだろうと言っているのです。
しかし、最も重大な、しかもそれらの根源的所(おそらく接点、不連続点、異点)は分析できるような相手ではなく、比較概念でははかれない。はかるようなものではない。それは、「今」や、「あなた」や、「私」、「魂」といったようなものです。 
>ランチさんの初めから知っているというのは、何を知っているのですか。
 そこはサード。あなたはまだ二塁をふんでない。以前のような回答を受けたくなければ、自身で考察を進め、二塁に行くべき。あなたの思考は最初から事物と言語がある。ロゴスを駆使してそれらを突破しないと。
ヒント。A=A A=B どちらが正しいか?
適切な助言(私のは適切じゃないけど)をずいぶん頂いているので、それを繰り返し読めばいいと思う。初めて見るもの(意見)は何かわからず混乱するものです。時間がかかります。
あなたの語る所の満腹感については、ただの記憶じゃないですか?
同じようにかんじる満足は異質だと以前の回答でありますよ。私はふむふむと思って読ませていただきました。腕を組みうなって考えよう!両手に花じゃん(笑 
ラッキーだね。
 
>>エデンは地球である
では、地球は楽園なのでしょうか。
 「素敵な宇宙船地球号」という番組を見たことがあります。
かなり素敵な名前だと思います。
地球は、喜怒哀楽園です。←これが親父ギャグ。君のはセクハラ(笑
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この回答へのお礼

ランチさん、ありがとうございます。

話がそれるかもしれませんが、日々私たちが視覚で感じているもの。これは脳内で処理され、実際は想像にしかすぎません。
最近になって、脳内に電極を埋め込み、人工的に認識させたと聞いたことがあります。光景と思考どう違うのでしょうかね。

http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/s …

>そこはサード。あなたはまだ二塁をふんでない。
三角ベースってご存知ですか。2塁のない野球もあるんですよ。

>A=A A=B どちらが正しいか?
等式上(数学的に)は、どちらも正しい。実世界ではどちらも正しくはないと思います。
厳密に言えば、A≒A A≒Bが良いと思います。

>満腹感については、ただの記憶じゃないですか?
そうですね。そのような気がしてきました。また思いついたら、書き込みます。
ご指摘ありがとうございます。

>素敵な宇宙船地球号~
素敵なステッキも素敵だと思いますよ。
私の「エデン」がセクハラだとは心外です。私はホテルだと言っただけです。
ホテルがセクハラを表すのであれば、○国ホテルやハ○アットは廃業モノですね。

お礼日時:2002/02/19 05:01

●空気については わかっていただけたのでしょか?


 もし分ったのなら 満足は二回無いということに 考察を移してください。
 満足が二回ある 満足が思い当たりますか?

 満ち足りたところには 満足という概念は必要ないのです。
 だから「なぜ自己満足しようとするのでしょう?」というあなたの設問は
 あなたの自己に満ち足りない部分があるなかで思考しているからです。

 なぜ思考するか(哲学するか)・・・わたしは幸せになるためです。
 ここに書き込みしているのは ひまつぶしです。
 自己主張しようとか 共通の概念を持ちたいとか さらさら思いません。
 いままで いちども思ったこともありません。
 わたしはいつでも 正しいと信じきって生きていますので。
 たびたび間違うときもありますが そのときは自分で笑ってます。

この回答への補足

>満足が二回ある 満足が思い当たりますか?
 生の楽しみはどうでしょうか?自殺を行うまで「生」に満足していた人間が、絶望し、「自殺」するが未遂で終わり、再び「生」の素晴らしさを知る。というのは、どうでしょうか。

補足日時:2002/02/20 03:11
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この回答へのお礼

chihokoさん、ありがとうございます。

>満足が二回ある 満足が思い当たりますか?
ぱっと思いつくのは、満腹感ですね。

>なぜ思考するか(哲学するか)・・・わたしは幸せになるためです。
何のために、もしくはchihokoさんは何をもって幸せとなるのですか。

>自己主張しようとか 共通の概念を持ちたい~
少し誤解しているように思えます。説明途中でしたので…
いつか誤解を解きたいと思います。

お礼日時:2002/02/19 01:59

おー!なんかいい感じ。

話が通じると気持ちいいね♪やっぱ私のしゃべりはまずかったかなぁ。
>事物が認識できるのは、事物が自己と違うからだと思います。モノを触れることによって、自分の思い通りにならないことを知る。ストレスこそが自と他の区別ではないでしょうか。
 でも、それははじめではないよね。認識が経験からだってすると、最初の経験をするのにも認識が必要でしょう。ストレスを認識しなきゃならないし、自己を認識しなきゃならない。でも、ビギナーさんの言い分だと、自己を認識するのは他からのストレスがあるから、かといって、他を認識するのは自己があるから。つまり、はじめの認識のされようについていかんせん語られていない。
>守備範囲を広げるのは、なんのためですか。
 なにかのため、なにかのためって、いつも。という冒頭の詩がありますが、それですね。ジョナサンの話を参考にすべきです。無目的的行為。行為が即目的。手段が目的。主目的的行動。
あと、ここでは、思索を深めると、守備範囲が、広くなると言う事をいっただけです。何のためとかは言ってません。人それぞれであるでしょうし、私にはその事で達成される目的が、特にあるわけではありません。思索を深めたら、広くなった。
>MBとは何ですか。
メガバイト。
>値段がついてることは、価値が順位付けされていると思いますが…
 ごめんなさい。重量の事です。重さ。
>現実にあるかのように表現するから誤解を生むと思います。
 そんなこと言ってたら小説もよめないじゃん。しかも、一般的にも使えうりますよ。「エデンは地球である」。うん、少しもへんじゃない。エデンは楽園の象徴でしょう。
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この回答へのお礼

ランチさん、ありがとうございます。

>はじめの認識のされようについていかんせん語られていない。
>はじめから知っていなければ、何も知りえないと言う事です。(No.20より)

初めから知っていなければ…とおっしゃっていますが、ランチさんの初めはいつからですか。私の場合は、4歳ごろからだったと思います。覚えている限りですが、そこでは、表現能力は低いながらも、いろいろ感じていたと思います。その時点を考えれば、いきなり認識しているように感じますね。

ランチさんの初めから知っているというのは、何を知っているのですか。

赤んぼうが生まれながらに認識する技術を持っていたと仮定した場合、教育は必要ないと思います。私の場合、幼い頃バイクのクランクを触り火傷した記憶があります。認識は刺激でもあるのかな(厳しいネ)

>ジョナサンの話を参考にすべきです
参考にはできません。なぜなら、生きるために飛び、飛ぶために生きるとありますが、明らかに矛盾しています。ジョナサンは、飛ぶ楽しみを知るために、飛ばなければ生きていけないからです。いつも、このような論議を見ていると、前提条件を考えていないように思えます。

>>MBとは何ですか。
マウンテンバイクと思っていました。

>>値段がついてることは、価値が順位付けされていると思いますが…
量るについては、話の流れから物理的に量るのではないと思います。故意とは思えませんが、論点をずらしているかのように思えます。

>エデンは地球である
では、地球は楽園なのでしょうか。

お礼日時:2002/02/19 01:07

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