ドイツのロマンティック街道沿いの都市には赤煉瓦色の屋根が多く見られます。
北イタリアのミラノ、トリノ、フィレンツエも同様の景観が高い塔やドウオーモに上れば同様の独特の景観がみられます。

しかし中部イタリアのトスカーナ地方やナポリになると赤い屋根は激減します。  ローマでも少ないとおもいます。

このような景観はフランスでは少ないようでパリやモン・サン・ミッシェルの周辺では赤い屋根の集合は見られないようです。
従ってドイツの風習はフランスには伝わっていないように思えます。

このような変化はどうして起こったのでしょう。
法令や宗教などの影響が関係しているのでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

「赤い屋根」への直接の回答ではないので


恐縮なのですが、質問者様の予想通り
>原料とか瓦の製造にも影響
だと思います。

イギリスのコッツウォルズという所は
「ハチミツ色のまち」という素敵なニックネームが
付いていますが、地元のれんがの原料の土のいろが
ベージュ色なんだそうです。

イタリアももしかしたら同じかもしれません。
石が採掘されないところは、レンガを移送してくる
場合が多いですが、地元でとれる場合は同じような
レンガや石を使うでしょうし。

現在のヨーロッパの観光地は景観を細かく管理されていて
今までの環境や家の外観を自由に個人が変えては
いけないところが増えてきています。

イタリアは現在ではかなりのところが個人の持ち家でも
外観を勝手に変えてはいけない法律があるそうですし
フランスのパリでもエッフェル塔の2km以内なら
建物の高さが規制されているとか、シャンゼリゼ大通りの
大きな看板や掲示板、旗などは赤、青、白の色以外は
設置できないそうです。
ドイツの歴史的な都市や街も景観の保護や
小さな家々にも花を飾るような決まりがあるそうです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

煉瓦は製造時の鉄分が酸化されて特有の煉瓦色を呈するのですが構造材でない屋根には自然石や石板を使用する地方もあり、焼成された瓦を使用するのに統一されたように見えるのが不審だったのですが、ご教示で理解できました。

やはり近在から原料を求めるというのが自然で、自然とそうなったのでしょう。

法令が後押ししたのは否めない所でしょうがこれらは完成していた景観の保存のためでしかないのですが、京都の町屋のように現在では法令に頼るしかないのでしょう。

ご指摘有り難うございました。

お礼日時:2006/06/29 12:36

イタリアはよく知らないがドイツは地方の力が強いので町ごとに条例を定めて色を統一してるんですよ。

あと、ドイツの街はたいてい戦争で焼けたあと再建しているので、統一しやすいというのもあります。ローマは百年近い古い建物をそのまま使っていることが多く、本当に崩れるまで建築許可が下りず立て直せないことになっているので、崩れてから建て直しで建築がばらばらになるのはやむをえないのでは。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答有り難うございます。

ドイツは地方自治の強い所というご指摘は納得できます。
ロマンティック街道中には自由都市というものがあり、自治体としての条例などがあるかも知れませんね。

ただ戦災については戦災を受けてない都市もおおくあり、世界遺産に登録されている都市もあるようです。

赤煉瓦色の屋根が景観が美しく、集中しているのが不思議なので原料とか瓦の製造にも影響があるかと質問しました。

お礼日時:2006/06/22 12:14

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qヨーロッパの街並

なぜヨーロッパの街並は、統一されている上に、建築物のデザインが素晴らしいのでしょう?

ビルが一つもなく、赤い屋根が続いていたり、電柱は無い、田舎町も素晴らしい。

中世の街並がそのまま残っていると思うのですが、ここまで素晴らしいのはなぜですか?

Aベストアンサー

 もうすでに皆様から貴重なお答えが書き込まれていますが、もうひとつ、原点に戻った見方が残っているように思います。

 パリなどに見る、最初から企画されデザインされた結果としての、整然とした都市景観については、これまでのご回答の通りだと思いますが、もっと広くヨーロッパ全域で考えてみますと面白いことに思い至ります。

 ひとつは建材のあり方です。過去には粗雑な材木などで葺いていた屋根が、いつしか恒久的な瓦に変わっていったことはよく知られていますが、ヨーロッパのかなり広い地域で、彼らが作り出す瓦は、もともと鉄分を含んだ粘土を原材料にして焼き上げることから、自然に赤系統の焼き色に仕上がります。さらに釉(うわぐすり)もまた同様に赤系統の発色をするものが簡易に手に入ったということもあります。そして大切なことは、当時ではそんな瓦一種類しか生産出来なかったはずだということです。

 このことが、主に中世期に建てられ発展して行ったヨーロッパの都市の、まず屋根に統一性を与えたと思います。つまり、小高いところから見遥かす街の全域がすべて赤っぽい瓦できちんと揃っている、その統一性こそが街の整然さを巧まずして生み出したのだと思います。

 壁材もしかりです。漆喰などは雨風を防ぎ見かけを飾る仕上げ材として広く使われましたが、ギリシャなど南部ヨーロッパに見られる漆喰は、それ自体、真っ白な都市景観を生み出しています。あるいは石材そのもののテクスチャーもまた都市景観に大きく寄与しています。つまり、誰もが、どこでも、当たり前に使っていた建材こそが、都市に統一性をもたらしたのだと思うのです。

 でも、それだけではありません。中世期から近代まで、建築家、大工、石工、こうした職業に就く人々は、ほとんど徒弟制度の元で腕を磨いていたはずです。彼らは、その土地その土地での環境に応じ、手に入りやすい常識的な建材を元にして、家屋の構造や作り方といったものを伝統的に編み出していたはずです。時代とともに徒弟たちは独立して親方になり、さらに自分の徒弟を育てる側に立つ、そうした歴史の中で、彼らはあくまでも伝統的な工法を忠実に踏襲して行ったはずです。

 そんな時代にあっては、丹下健三や、芸術は爆発だと叫んだ岡本太郎などといった先進的な考えを持つ者はまだ異端の徒とみなされたはずです。建材にバリエーションが無く、建築工法に自由度が低かった、そうした時代を想像すれば、都市の景観そのものが、悪く言えばワンパターンに、よく言えば整然とした佇まいを生み出した、そう考えてはどうでしょうか。ついでに書き足せば、電柱が無いのは、単に電柱に使うだけの真っ直ぐな木材が少なかったことによるものだとなにかの本で読んだことがあります。

 そして今日、斬新な建材が満ち溢れ、構造力学も発展し、建築美術に限界という垣根が無くなってしまった、そうした環境の下で、こうした中世期の都市景観を振り返るとき、私たちはそこに、統一性というある種の美を見出すのだと思うのです。異論は多々あることでょう、でも、私にはそう思えるのです。

 しかし、これらはごく一般的な建築での話です。「なぜ建築物のデザインが素晴らしいのでしょう?」というご質問はやや次元が異なるテーマだと思います。わが国でもはるか古代から、豊富な建材である木材による高度な構造を見せる建築物は数多くあります。そして、そこには当時の英知を積み重ねた想像以上に高度な構造力学が見て取れます。

 ヨーロッパでもそれは同じことです。彼らにとっては、やや大規模な建築を考える際に最も身近な建材は御影石、大理石、砂岩など石材でした。互いに接着や緊結をすることが難しい石という建材を自由に用い、高く積み上げ、思いのままの姿に建築するには、そこにやはり独特の構造力学の知識が欠かせなかったはずです。

 そして、そこにやはり、大工や石工とは違う、学理的で美術にも通じた専門職が活躍の場を見出したのだと思います。レオナルド・ダビンチもそうですし、サント・シャペルの聖堂を設計したピエール・ドゥ・モンルイユもしかり、そうした建築家と呼ぶべき人々によって、均整のとれた全体構造とともに、エンタシスや黄金分割などを駆使した完璧なまでのバランス、そしてさらには、石を打つ作業とともに発達した美しい彫刻やレリーフといったものも加えられて、後世に残る荘重な建築美が生み出されたと思うのです。

 ヨーロッパの街々はとても美しい統一性を見せてくれます。しかし、ここまで書きましたように、一般のための建築群と、宗教などに関係する特別な建築物、さらには、やや後世に見られるようになった意識的な都市景観のデザインと徹底、これら3点は、それぞれかならずしもひとつの理念からスタートしたものではないということも面白いことです。

 もうすでに皆様から貴重なお答えが書き込まれていますが、もうひとつ、原点に戻った見方が残っているように思います。

 パリなどに見る、最初から企画されデザインされた結果としての、整然とした都市景観については、これまでのご回答の通りだと思いますが、もっと広くヨーロッパ全域で考えてみますと面白いことに思い至ります。

 ひとつは建材のあり方です。過去には粗雑な材木などで葺いていた屋根が、いつしか恒久的な瓦に変わっていったことはよく知られていますが、ヨーロッパのかなり広い地域で、彼...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング

おすすめ情報