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 一部の人によれば、ドイツに十分勝機があったとのことですが、あんなに攻め込んでいたにもかかわらず、結局負けてしまったのだから、ドイツとソ連では実力が段違いだったといえると思います。
 少なくともモスクワ攻勢に失敗してからは、まったく勝機なしだったと思いますが、これについて意見をお聞かせください。

A 回答 (11件中1~10件)

 ドイツ軍が負けた原因として、兵站の確保が不十分だったこと、戦略攻撃の手段に欠けていたことが挙げられます。


 ソ連領内はほとんど舗装路が無く、春先の雪解け時期と秋雨の時期は道路が泥沼になってしまい、トラックや馬匹での輸送はほぼ不可能でした。こういうときに頼りになるのは鉄道ですが、ソ連とドイツでは線路の幅が違うので線路を引き直すか貨物を積み替えねばならず、補給の途絶えた部隊は立往生。ソ連軍はその間に防御陣地を構築する時間を稼ぐことができました。
 ソ連はドイツ侵攻後、速やかに工場群をウラル山脈以東に疎開させています。ドイツ軍の戦略爆撃能力の低さはバトルオブブリテンで証明済みですが、ソ連との戦争でもこの工場群を叩くことができず、戦術的には軍団単位でソ連軍を壊滅させる戦果をたびたび挙げたものの、すぐに補充されてしまい、結局物量に押しつぶされてしまいました。
 また、ソ連国土の特徴として、攻めれば攻めるほど国土の幅(=戦線の幅)が広くなり、兵力が分散してしまうことがあります。ドイツ軍はモスクワやスターリングラード、クルスクなどを落とすためにたびたび戦力を一点集中させましたが、薄くなった両翼を突破されて失敗しています。
 モスクワ攻略戦発動前に2ヶ月ほど余計に時間を取られたウクライナ作戦と、1941年冬の大寒波がなければモスクワは占領できたでしょうが、それだけでソ連は降伏しません。疎開した工場から兵器を吐き出して戦争を継続するでしょう。モスクワ占領後、一気呵成にウラル山脈付近まで進撃できればいいですが、兵站の問題で早期占領は無理だと思われます。長期化すればソ連の防御線はますます強固になり、本土には米英の戦略爆撃が加えられ、北アフリカの戦況も苦しくなり・・・と不利になる一方です。そもそもベルサイユ条約で兵器保有を制限されていたドイツは、限りある兵器での短期決戦を旨として戦術を組み立てていたので、ソ連のような広い国土を持つ国との総力戦は想定外でした。
 ですから、ソ連に勝つ見込みはまずなかったと言えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私もソ連に勝つ見込みはまずなかったという見解に同じです

お礼日時:2006/07/04 21:38

終わってみれば、勝てる要素など皆無だったのに、勢いにまかせて進攻


したまぬけなヒトラーとドイツ軍人達・・・。

でも、あの当時(少なくとも20世紀はじめ)の概念からすれば
敵国の軍隊を撃破・壊滅させれば戦争は終了と決まっていました。
「30%以上の兵力を奪えば、自然とその国は戦意を失い講和に応じる」
というのが通例だったのです。
その点でいえば、ドイツはそれ以上もの結果を出したのですが
ところが、ロシアはそんな通例が通じる国じゃなかった。しかも
後のドイツもそうだったように、20世紀の国家間戦争(総力戦)は
そんなことで終わらないということがはっきりしたのです。
そのため、イギリスは執拗な都市爆撃をドイツに行い、冷戦時代に米ソ
は開戦まで至らなかったのです。

41年9月はじめ、キエフ会戦で大勝利を収めたドイツはこれでロシアは
自然崩壊だと思ったのですが、結果は全くの逆。
やむを得ず、レニングラードから戦力を転用し、無理を承知でモスクワ
戦に賭けたというのが実情だったのでしょう。
終わってみれば無謀な戦争だったと言われる始末。
でも、41年の5月当時は、例えればW杯でオーストラリア戦の前の日本
と全く同じぐらい楽観論が支配していたのです。
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皆さんのお答えなかなか参考になりますね。


戦争は攻撃力だけでは勝てません。補給が生命線になります。
さらに地の利や天候等で負けることも多々あります。
当時のナチスでは電撃戦で短期決戦を考えていたのでモスクワを攻略すればソ連を落とせる、と言う認識があったため西部戦線の兵力も全てソ連戦に送り込み生まれたての共産国家のもろさや協調力のなさをついて一気に攻めました。しかし、ソ連兵はソ連と言う国家に対しての忠誠というよりは自国が他国に侵略されると言う屈辱を恥と受け止め死に者狂いで戦いました。実際に戦死者はソ連兵の方が圧倒的に多いです。
映画のスターリングラードも参考になるのではないでしょうか?
私見ですがドイツが攻め込んだ時に冬さえ来なければ十分に勝機はあったと考えます。ドイツ軍の猛攻に当時の政府のトップは首都をモスクワから移転すると言う発言もありましたのでギリギリの線で冬将軍に助けられたと言うのが真相ではないでしょうか?
ちなみに同じ失敗をナポレオンもしています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
ただ、ナポレオンの場合は、モスクワは占領したはずですが・・・。

お礼日時:2006/07/06 19:09

国家支配の骨格が明確になった以降の戦争では、別の国に攻め入って占領を続けるには大変な力の差が必要になりました。


相手の国家が瓦解して民衆が歓迎してくれる場合は別ですが、米国がアフガンやイラクであれだけ苦労しているのはその証左です。
世界史的にはアレキサンダーやジンギスカン、日本史的には南北朝の足利尊氏など、自分の領地を離れて占領移動出来たのは、その土地に支配制度が確立していないからで、日本の戦国時代に狭い国土の中を拡張して行くのに時間がかかったのは、補給線の維持が必要になったからです。
そういった意味では、日露戦争は日本は一杯一杯だったのですが、相手の政情が不穏になっていた事や、英米が肩を持ってくれた事等で、「勝利」の形で和睦出来たという幸運が味方してくれました。
独ソ戦の時の軍事力は日露の時とは比べ物にならない位独優位でしたが、独の方が占領地に兵力を保持する必要があった事と、頼りになる味方がいない事で勝てるどころか和睦する途もなかったと言えるでしょう。
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良く間違えられるのですが、戦闘で勝つ事と戦争に勝つ事は同意義ではありません。



ドイツは局地戦で十分な勝利を収めましたが、戦争に敗れたといえます。

他の回答者の皆さんがご指摘のとうりです。
ドイツには勝利の見込みはなかったと思います。

1.ドイツの国力は短期決戦に耐える位のレベルでしかなかった。  資源的にも人口的にも。
2.短期決戦にはロシアの国土、人口では適合不適であった。
3.冬季の気象条件の影響に対する認識不足。
4.米英のソ連援助の連絡路の切断、妨害に失敗した。
  援助物資の膨大さはトラック数十万台の数字で象 徴されるように武器弾薬も含めてあらゆる面に及び ました。
5.ソ連の人命無視に近い国民性と共産主義統制の厳し さに対する理解不足。

これらの戦略的要素に対して敗北しかなかったのです。 
西洋的な思想と半アジア的思想の戦いだったとおもいます。
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モスクワ戦の後、1942年の夏季攻勢(ブラウ作戦)では再びドイツ軍がソ連軍を圧倒しています。

しかし冬にはスターリングラードで大敗、しかしその後のハリコフ戦では補給線の延びきったソ連軍に痛撃を与え、1943年のツィタデル作戦(クルスク戦)直前にはドイツ軍の戦力はかなり回復していました。ここで折角の戦力を(ソ連軍にも相当の損害を与えながらも)またも消耗してしまい回復不能、翌年夏には逆にバグラチオン作戦により東部戦線は一気に崩壊してしまいます。
要するに、ソ連に比べ一度大損害を出すと回復が難しいのですよ、ドイツ軍は。第二次大戦でのソ連の戦死者は二千万というとんでもない数で、ドイツ軍が東西両戦線で受けた損害の五倍というありさま。これで最終的に勝ってしまったわけで、「実力」というより国の「基礎体力」の問題だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ただ、国の体力を第一に考えて戦争はするものだと思いますが。所詮勝ち目はなかったと思います

お礼日時:2006/07/04 21:37

ドイツは直接的に天候に負けました。


ですが、一番の理由はナメきっていたことにあります。
独ソ戦はバルバロッサ作戦と称された最初の作戦こそ成功するのですが、
最後の詰め=モスクワ攻略戦(タイフーン作戦)に失敗します。
※ナポレオンと同じ結果を迎えたわけです。
電撃作戦の例で冬が来る前にモスクワは落ちると思われたのですが、
結果的に厳しい時期に冬に入り、独軍は消耗します。
翌年の春になり、独軍はモスクワに価値を見出せなくなり、石油を
求めてロシアがとった南下政策と同じルートをカスピ海沿岸部に
侵攻するのですが、スターリングラードで敗戦します。
このときに初めて、独軍はソ連軍に戦略的な意味で負けました。
その後、雌雄を決すべく大戦車戦で有名なクルスクの戦いを経て、
独軍はイタリア方面の連合軍に備えるために独軍はソ連との戦いを
諦めざるを得なくなります。

タイフーン作戦は冬に備えて防寒具などを用意していれば、成功に終わった
ことと思います。そのため、戦史が好きな人たちに言わせれば、勝てた戦いと
いう意見を聞きますね。

独軍兵は士官を除けば、長袖・長ズボンに手袋だけの兵士が多かったようで、
戦うどころか凍死しないようにするのが精一杯で、指がかじかんで銃が
取れないままに撃ち殺されていたと聞いたことがあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ただ、モスクワといいますが、モスクワが落ちても大勢に影響はなかったと思います。

お礼日時:2006/07/04 21:35

ドイツは瞬発力はあるがスタミナが無い


ということではないでしょうか
・資源の差
  ソ連には石油などが産出するがドイツは皆無
・人口の差
  ソ連は2億人、ドイツは5000万人
・支援国の有無
  ソ連にはアメリカ等が最新式の武器を多数支援した
・防寒の差
  ソ連は冬でも戦える軍隊仕様、ドイツは冬になると戦車・飛行機
  が凍り付いて使用不可になった
・国土の大きさ
  ソ連は大きく、どこまで攻めてもきりがない
  やがて補給を確保できなくなった

いろんな条件がつみかさなっていき、
結局はモスクワの手前、スターリングラードで
それが顕在化し、スナミナ切れになったのだと思います
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
どう考えても、勝ち目はないですよね。

お礼日時:2006/07/04 21:34

分析は人様々あるでしょうが、ドイツ軍が負けたのはソ連軍ではなく、冬将軍だと思います、オイルは凍りつき、まともな冬の装備をしていないドイツ軍が敗退するのは当然では、そもそも日本と同じで西と東(イタリアにお付き合いしたアフリカ戦線もあり)、これだけ敵を作れば四面楚歌、結果は当然のように思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
たしかに、西と東に敵を作って勝算はあったのか?と思います。

お礼日時:2006/07/04 21:33

興味があればWWIIを丁寧にシミュレートしたHearts of Iron 2というPCゲームをしてみてください。


勝機はかなりあったと思いますよ。
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