明治新政府が、東京を首都にしたのは、当時から東京は政治・経済・文化の中心
だったのかと思ったら、そうでもないとか。

皇居を京都から移し、公家の干渉を減らしたかったとか、古い慣習から
離れたかったとか、それで東京を首都にしたと聞きましたが
ほんとうなんでしょうか?

この辺の事情がわかるもの、ありませんかねぇ~?
よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

 diana36さん、こんにちは。


 お求めの情報を得るのに充分かどうかはわかりませんが、私が以前(昨年)読んで結構面白いなと感じた本の書評を見付けたので、参考URLに提示して御紹介しておきますね。

 『江戸が東京になった日』 (著:佐々木 克 講談社選書メチエ 2001年)
   書評は、昨年(2001年)1月21日の毎日新聞朝刊に掲載されたものです。
   (当該書籍の読了直後、リアルタイムに紙面で読んだ記憶が(笑))

 書評にもある通り、「京都から出られれば良かった」という視点から書かれていたような覚えがあります。

 この手の選書でしたら、すぐ絶版、ということはないでしょうから、恐らく、ちょっと大きな書店ならば入手可能でしょう。
 講談社のサイトで確認しましたら、ネット通販も可能なようです。

 無論、他にも色々な視点で書かれた本があると思いますので、あくまで書籍等を探す際の候補のひとつとして御参考にしていただければ幸いです。
 (自信なし、というのは、これ一冊で充分とすべきかどうか……と思うからで、他意はございません(^_^;;)

参考URL:http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2001/0121 …
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この回答へのお礼

書評の中の古代語?古文を見ただけで、買うのは躊躇します。(?)
いやほんとは1500円が高すぎます!
文庫本にならないですかねぇ?
まぁ、大きな本屋さんで立ち読みを試みます。(?)

小泉構造改革も小泉総理が自画自賛するほどには進んでないようだし、
ならば官僚の抵抗を排除するため、国会をどこかに移転する遷都をやったら?
と思って、そういえば明治の先人もそうやったと聞いた記憶がよみがえったので
それを確認したくて質問しました。

アドバイスの上に出てくる「経験者」というのは、遷都の経験者
じゃないですよねぇ?
歴史の教師という感じなんでしょうか、、、?
(まぁ、いいんですが)

親切な回答、ありがとうございました。
大いに助かりました。

お礼日時:2002/03/13 06:18

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公家衆法度と禁中並公家諸法度
の内容と作った理由を一言か二言のような短文で教えて下さい。


公家衆法度
内容 武士の統制
理由 武士が荒れてたから

禁中並公家諸法度
内容 農民のルール決め
理由 農民のルールがなかったから

的な感じでお願いします。
私は理解してないので2つともの説明はあってないですが、書式としては上の例でお願いします!

Aベストアンサー

Erdbeerkegels さん、こんばんわ。


公家衆法度
内容 朝廷内の廷臣や女官の進退について一定の
幕府の干渉が可能になった。
理由 猪熊事件において女官と廷臣の風儀が乱れていたためその矯正のため。



禁中並公家諸法度
内容 天皇や朝廷に対する行動の制約
理由 朝廷や天皇の公家の行動に対する干渉、内部統制を強めるため。

詳細は下記のURLを参照ください。
禁中並公家諸法度
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E4%B8%AD%E4%B8%A6%E5%85%AC%E5%AE%B6%E8%AB%B8%E6%B3%95%E5%BA%A6

公家衆法度五ヵ条
http://kotobank.jp/word/%E5%85%AC%E5%AE%B6%E8%A1%86%E6%B3%95%E5%BA%A6%E4%BA%94%E3%83%B5%E6%9D%A1



猪熊事件

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Qお公家さんの末裔は今、どの様な暮らしをされているのでしょうか?東京在住

お公家さんの末裔は今、どの様な暮らしをされているのでしょうか?東京在住の四条家や京都在住の冷泉家は裕福そうですが、旧五摂家や他の旧公家はどうでしょうか?ご回答よろしくお願い致します。

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Aベストアンサー

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Aベストアンサー

お礼をありがとうございます。

> 時代劇などで農民の女性が結髪しているのは間違いなんですね。
うーん。
「間違い」と言われてしまうと悩んでしまうのですが…。
自分が書いた回答を後から読み直して、「『農民』とひとくちに言っても、名字帯刀を許された大名主や庄屋みたいな農民もいれば、水呑百姓のような農民もいるなぁ。」と考えました。
裕福な、農民といっても小作人に農作業をさせて、自ら農作業をしない(現代の)経営者のような農民の奥方ならば、髪を結う余裕もあっただろうし、その日の食べ物にも困るような百姓ならば、髪を結うような余裕は、時間的にもなかったのではないかな-と。

いろいろ調べているうちに、
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調べれば調べるほど、資料の少なさに驚かされます。
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「絵」などは、特定の地域の特定の階層の人間しか描かれていませんし。

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いろいろ調べている間に、またまた、こんなサイトも見つけましたので、ご参考までに。
http://kouseimir.s97.xrea.com/yokocho/mc358/mc358.html
http://hana.merseine.nu/j/kamigata/kami_frame.htm
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6757/edokesyou03.html
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6757/nendaikesyou.html

お礼をありがとうございます。

> 時代劇などで農民の女性が結髪しているのは間違いなんですね。
うーん。
「間違い」と言われてしまうと悩んでしまうのですが…。
自分が書いた回答を後から読み直して、「『農民』とひとくちに言っても、名字帯刀を許された大名主や庄屋みたいな農民もいれば、水呑百姓のような農民もいるなぁ。」と考えました。
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Aベストアンサー

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