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(1)この歌において、作者はなぜ泣いてるんでしょうか? 何があったのでしょうか?
東海の 小島の磯の 白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

(2)この歌でもなぜ泣いてるんでしょうか? そして、「一握の砂を示しし人」というのは誰で、何のために砂を指差しているのですか?
頬につたふ
なみだのごはず
一握の 砂を示しし 人を忘れず

(3)この歌で、作者がさらさらと砂の感触を確かめているのはなぜでしょうか?
いのちなき 砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指の あひだより落つ

3首とも同じ背景の下に書かれたものだと思うので、答えは同じかもしれません。つまり(1)(2)(3)それぞれ別々に答えを頂く必要はないかもしれません。

回答者さんの中には、「受け取り方は読者の自由だから、こんな質問は愚問である」という方もいらっしゃることと思います。
しかし私はその意見に対し、次のような考えを持っています。

私は、文学にせよ美術にせよ、鑑賞の仕方は2通りあると思います。

A:その作品の中だけで完結した世界だと思って、その世界を楽しむ方法。
B:作者の生涯や、作品が生まれた背景などを理解し、その上で鑑賞する方法

Bの鑑賞法のほうが優れている、と考えているわけではありません。むしろAの面白さが好きです。
でもこれら3首については、既にいろいろ想像をめぐらしてAの鑑賞法を楽しみましたので、今度は是非Bの鑑賞法で鑑賞したいのです。だから作品の背景を知りたいのです。
しかしいろいろ検索をかけてみたのですが、この3首の解説が見当たりません。
どうかお願いいたします。

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A 回答 (3件)

質問者様は出来れば文献をお求めなのはわかっているのですが、


No.1様と同様、私も特にその必要はないのではないかと思っています。
いろいろな鑑賞法があっていいし、またいろいろに読めるからこそ作品に広がりが出てくる、
ということもわきまえた上で申しますが、Bのような鑑賞法に必ずしもこだわらなくてもいいのかなと。

以下、徒手空拳で私見を述べます。参考に資するところがあればお慰みです。

「東海の」は、やはり世界地図を広げての小島=日本。
その名もない磯のわずかばかりの白砂(少なくとも、広い砂浜の砂ではない)。
あるいは浅薄、未熟という意味での磯。
白砂は純白、高邁な志のアナロジーかもしれません。

啄木の時代は立身出世の時代、高い理想を抱いた時代だと思うのですが、
それだけに挫折感もはなはだしい。
ちっぽけな日本の名もない一角で、文学者として名を上げるどころか、いまだ日々の生活に苦しんでいる。
そういう心の背景のうちに歌われたのではないでしょうか。

ところで先日、「蟹」は横文字、英語のことであるという意見を聞いて面白いと思いました。
正岡子規にも、若き夏目君(のちの漱石)を戯れに、
「鴃舌を学び蟹文を草す」げきぜつをまなびかいぶんをそうす
と評したと高島俊男氏の「漱石の夏やすみ(房総紀行 木屑録)」に出てきます。

啄木の「飛行機」という詩は、
肺病やみの母親と二人で暮す給仕づとめの少年が、たまさかの休日に、
「ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ……」とうたわれ、
それが青空を高く飛ぶ飛行機と対照されています。
(飛行機は当時の最新テクノロジーでしょう。また、よく落ちたと聞きます)

さて、なぜ泣くか、なんですが、
少しきびしい言い方かもしれませんが、これが啄木の弱さだと思うんです。文学としての弱さ。
だってこれはセンチメンタルに過ぎません。自分を額縁に入れて憐れみ、ひとの同情を引く涙なんです。
本当のかなしみ、存在をかけたようなかなしみではないと思うんです。
当時は今よりはよほど感情の起伏が激しく、人はやたらに泣いた、ということはあるかもしれませんが。
そして涙することへの共感、「大衆性」によって読み次がれてきたということもあるでしょうが。

長くなりました。先を急ぎます。
砂、さらさらとした砂はそれだけで「かなしい」ですね。
指のあいだからさらさら流れ落ちる砂は、皮膚感覚としての快さと、心のないむなしさを感じさせます。
そしてそれは何かの暗示、連想へ結びつくかもしれないし、そうしないでもいいのかもしれません。
ただ、これは「一握の砂」巻頭の連作(たぶん)10首の一つですから、その読みあわせによって、
編者は読者に想起することを希望しているのかもしれません。

以上、管見を書き散らしてしまいました。ご寛恕願えればと思います。
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この回答へのお礼

長文回答ありがとうございます。
何だか、回答者さんの頭の中では、完全な啄木像が出来上がっているみたいですね。啄木の作品だけでなく伝記などもお読みになってきたのだろうと思います。大袈裟ですが、ちょっとした伝記小説を読んだ気分になりました。
「さらさらとした砂はそれだけでかなしい」というのは非常に面白いし、まったくその通りだと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/14 20:45

本日図書館でこの質問があったのを思い出して二十年ぶりに石川啄木関連本の上田博著 石川啄木全歌鑑賞という本で数首読んでみましたところ、最初の歌は明治41年6月24日「暇ナ時」に作られたそうです。


クイズを時間をかけて解いていたところ、他者から答を言われて楽しみが無くなった気がしたので数首で止めました。私の中の啄木が崩れる気がしたので。
私はAの方が良いかと思っておりますが、どうしてもなら図書館などで調べられたらいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。紹介していただいた本、やっと見つけることができました。

お礼日時:2006/12/14 20:41

ご指摘の三首は、明治四十一年(作者二十二歳ごろ)に作られた、「一握の砂(刊行は四十三年)」所収の歌です。


手持ちの二冊の本には、三首が作られた当時の状況について次のように書かれていました。多少、改編あり。引用文中の( )内は回答者の注記・解釈。

・「四十一年といえば、北海道から小説家を志して上京してきた作者が、創作に失敗し、本郷の下宿で悶々の日々を送っていたころである。したがって、彼の心中には、(中略)追憶的感情が生まれていった~」(「現代短歌」學燈文庫、以下1)
・これらの歌に詠まれた「流離漂泊の感情は、これらの経験(故郷の渋民村を追われ、北海道を転々とし、そして上京後の挫折)をひっくるめて奏でられている」
これらの作品は「上京後まだ定職なく妻子等をまだ北海道に残したままで、創作活動にも行き詰まりを感じて焦燥と披露に困憊していた頃の作で、(歌に詠まれた)孤独と漂泊は作歌時の心さながらであった」
(「教科書にでてくる短歌の鑑賞」東京美術、以下2)

また、上記二書は、「東海」「小島の磯」「砂浜」を函館大森海岸とする説を紹介しつつ、「鑑賞のうえからすれば、そういう問題は一応専門家にまかしておいていい(鑑賞上不必要な詮索である)」(1)、「「東海」は「東の海」くらいに軽くとる。函館の大森の海岸だと考証家は言うが、北海道が「東海の小島」、いや日本がそれであってよいのである。歌は北海道から上京してから後の作だが、その境(境遇)に今いるものとしてつくっている」(2)

以上から、やはり具体的な個々の出来事やきっかけがあっての「涙」や「感傷」ではなく、実生活の不安や芸術上の挫折による失意と絶望にうちひしがれた、孤独で自意識過剰な若い魂の、状況を超えたところにある独白ととるのが定説のようです。
よって、御説(鑑賞に関するAB二つの態度)に全面的に共感、感服しつつも、これらの作品に関しては、Aの態度で臨まれた方がいいのではないかと思います。

なお、私は持っていないのですが、學燈文庫の中の「石川啄木」(岩城徳之)は、安価(多分、五百円前後)で便利、しかも信用のおける本のようです。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございます。
また、3冊の本を紹介していただき、ありがたく思っております。チェックしてみます。
鑑賞本でさえも「Aの鑑賞法」で臨んでいるものが多いようですね。中には「Bの鑑賞法を受け付けない短歌」も存在するということなのでしょうか。

実はいろいろ調べながら、自分なりにBの鑑賞法で当てずっぽうの解釈をつけてみたことがあります。余計な詮索ではありますが。

啄木が20代半ばのとき、待望の男の子が生まれますが、生後たった24日で死んでいます。
啄木は、一瞬にして自分の手から離れてしまったわが子のいのちを、強く握りしめても指の隙間からこぼれおちていく「砂」に見立てたのではないかと。

いのちなき 砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指の あひだより落つ

そうやって、何度も何度もこぼれおちていく砂の感触を確かめることで、啄木はいのちの儚さを嘆いていたのかもしれない、という一つの解釈です。

「ひとにぎりの砂」が死んだわが子のことだと仮定すると、

頬につたふ
なみだのごはず
一握の 砂を示しし 人を忘れず

における「一握の砂を示しし人」は、「愛児の死をなぐさめに来てくれた友人」あたりかなあ、とか。
生後24日で死んだしまったわが子を、「いったい何のために生まれてきたのか」と嘆いている夫婦いて、そこにやってきた友人がそっと、「ひとにぎりの砂にだって意味がある。彼が生まれてきたことは決して無意味ではなかったのだ」と教えてくれた、という解釈。

ちょっと無理がある気もします。

これは完全な当てずっぽうでして、実はこれら3首が長男の死の後に詠まれたものかどうかもよく判らないんですが、ちょっと牽強付会というやつでしょうか。

お礼日時:2006/09/04 19:28

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Q啄木の「東海の小島の磯」はどこですか?

啄木の有名な歌、
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
が詠われた場所はどこでしょうか?
東海地方に遊びにいったときに詠んだ歌でしょうか?


よろしくお願いします。

Aベストアンサー

中国・インド・韓国からみた日本をさした意味で「東海地方」ではないとの解釈があります。
以前自伝小説を読んだときの記憶では、北海道のある市で詠まれたのでは?


「東海の小島」の在りか

参考URL:http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/hakodate.html

Q近藤芳美さん

授業で近藤芳美さんの「たちまちに君の姿を霧とざし ある楽章をわれは思ひき」という和歌を習いました。
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 従って「寂しげ」「悲しげ」は当たっていないでしょう。どういう言葉が当たるかわかりませんが、生命の充実感、つまり明るく昂揚感のある楽章が心に湧いて来ていると思います。ただ時代は戦争に向かっているわけですから、単なる明るさでなく緊張感のようなものもあるかと思います。

Q石川啄木の『たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず』について。

石川啄木の
「たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」
という短歌の意味と背景?について詳しく教えてください。

おねがいします!!

Aベストアンサー

そのままです。
軽い気持ちで(あるいは、ふざけて)お母さんをおんぶしてみたら、あまりにもお母さんが軽いので、泣いてしまって三歩も歩けなかった

ただしこれは創作です。
啄木の性格はほかに譲るとして、有名な
「働けど働けどなほわが暮らし楽にならざりじっと手を見る」
なども「あんたが節約すればこんなことには~!」と私などは思ってしまいます。
また啄木から借金をされた金田一家の故・春彦氏(国語学者)は、彼について「石川というのは石川五右衛門の子孫かなにかと思っていた」というエピソードが残っています。

Q斉藤史さんの短歌の意味を教えて下さい。

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という、短歌の意味を教えていただけますでしょうか?
特に、白い帆というもの事体が指し示しているものや、岡と海賊がどういう意図で登場したか?といった基本的な部分を知りたいです。

お分かりになる範囲で結構ですので、どうぞよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

この歌は、昭和15年発表の『魚歌』に収録されているものです。戦時中の子どもの遊びを見て、それを詠んだものかなと思います。小高い丘の上で、白い布をマントのようにひらひらはためかせている状況が目に浮かびました。布がはためいて、ばたばたいっている音が海賊の歌のように聞こえるさまを表現したのかと思います。

斉藤史さんの幼馴染の青年将校が二・二六事件の首謀者の一人として処刑され、軍人であった父親は5年の禁固刑を受けている状況を考えると、白い布は死装束を連想させる気もしますが、暗い時代だからこそ天真爛漫な遊びが、逆に象徴的に感じます。

Q石川啄木の短歌について・・・

石川啄木の短歌「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」と「しらしらと水かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな」の意味を教えてください。お願いします

Aベストアンサー

【不来方のお城の草に寝ころびて
        空に吸はれし十五の心】

15歳のころ、不来方城の草原に寝転で空を見ていて
私の心は吸い込まれそうだった。


盛岡城は別名不来方(こずかた)城といいます。
啄木は盛岡で中学校(盛岡尋常中学校)時代をすごしました。
学校を抜け出し不来方城の草原で寝転んで
空を見ていたころを懐かしんでいる歌ですね。
啄木は与謝野晶子の歌集「みだれ髪」に影響を受け、
16歳に中学校をやめて、この後上京します。


しらしらと水かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな

釧路の海の水面は月の明かりでしらしらと輝いています。
夜の冬の釧路の海には千鳥はいない静寂があります。

啄木は明治40年(1907)生活の行き詰まりから北海道に渡ります。
北海道の函館、札幌、小樽、釧路と漂白生活をすごしました。
76日間の釧路時代に歌った歌でしょう。

注:私は【千鳥なく】を千鳥は夜はいない(なく)と解釈します。
夜は千鳥はいないと思います。

参考URL:http://member.nifty.ne.jp/namur/takuboku/takuboku.htm,http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/kankou/b/b03-003.html

【不来方のお城の草に寝ころびて
        空に吸はれし十五の心】

15歳のころ、不来方城の草原に寝転で空を見ていて
私の心は吸い込まれそうだった。


盛岡城は別名不来方(こずかた)城といいます。
啄木は盛岡で中学校(盛岡尋常中学校)時代をすごしました。
学校を抜け出し不来方城の草原で寝転んで
空を見ていたころを懐かしんでいる歌ですね。
啄木は与謝野晶子の歌集「みだれ髪」に影響を受け、
16歳に中学校をやめて、この後上京します。


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Q斎藤茂吉さんの歌で

20年以上前、中学時代に俳句や短歌、詩などがのった国語の副読本がありました。この中に斎藤茂吉さんの歌(俳句?よくわかりません)で、お母さんが危篤になり夜汽車だったと思うのですが駆けつけるまでの苦しい乱れる心のうちを順順にうたったものがあり、その当時とても感動しました。大人になって探しているのですが見つけられません。内容もうろ覚えでぜひもう一度あの感動を味わいたいのです。ご存知の方、教えてください。
断片的ですがこんな感じでした。
何とかかんとか、とおだのかわず天にきこゆる
たらちねの母は死にたもうなり、何とかかんとか
ぜひお願いします。

Aベストアンサー

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ
のど赤き玄鳥 ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
現身のわが血脈 のやや細り墓地にしんしんと雪つもる見ゆ
墓はらを白足袋はきて行けるひと遠く小さくなりにけるかも

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~PB5H-OOTK/pages/S/saitoumokiti.html

Q「働けど働けど・・」どういう心境で詠んだのか?

「働けど働けど我が暮らし楽にならざり じっと手を見る」
石川啄木の言葉ですが、どのような心境・環境で詠んだのでしょうか?

参考になるHPでも結構です。
ご返答よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%95%84%E6%9C%A8
ここで見てみました。
「はたらけど・・・」は1910年12月発行の「一握の砂」に載っていますので、その前後の記述を見ますと、
あの有名なローマ字日記(妻にばれないように風俗通いをローマ字で日記につけていた。が、妻はローマ字が読めたらしい)が1909年の出来事です。
その後、正規の仕事を色々していたようです。
が、まともに働いてたった一年~二年のようですね。就職をしたのが1909年3月とあります。
一握の砂は1910年ですが、この作品はそれ以前に暖められていたかもしれませんし、
それを考えると、ちょうど忙しく仕事をし始めた時期なんじゃないですかね?
五月病とかその辺に見えます。
まー簡単に言うとたかが一年で仕事が嫌になり愚痴を書いた感じなんじゃないですかね?
その辺の若い兄ちゃんと大差ないように思えます。
この辺の背景がわかっていればそんな共感は得なかった気がします。

Q血液などの検査結果は何日で出る?

血液検査などの検査結果は、1週間以内で出るとは思うのですが、最近通い始めたところでは、毎回「2週間後に来てください」と言います。「1週間でもいいかな。」と言い直す時がありますが、結果が出てるはずなのに2週間後に結果を聞きにきてくれということを不思議に思います。
どのような理由が考えられますか?

Aベストアンサー

以前病院で勤めていたので 参考になればと思いお話させていただきます。

まず 質問の検査結果は何日で出るか?ですが
検査項目によって結果が出る日数が異なります。
基本的な項目などでしたら数十分ででますし
項目によっては一週間かかるものもあれば二週間かかるものもあります。

また 病院によって異なると思うのですが
その病院で血液を採取して 同じ病院で検査できるところもあれば
その病院で血液を採取しても 検査する機械がないため別の機械がある病院で検査をして 後日その病院に結果が届くという場合もあります。

それから 本来ならば一週間で結果が出るような検査でも
土日祝を挟んだりする場合は長めに言う場合もあります。
結果を聞くだけで患者さんに何度も足を運んでもらうのも悪いですしね。

お役に立てれば嬉しいです。

QWORD ある縦線が消せない

入手した文書ファイルを編集しています。A4縦の中央で左端から
左余白の終わるあたりに縦線があり(|←こんなの)、これは
罫線でないようで消すことができません。
いろいろワードのサイトQ&Aで調べていますが、それらしき
回答はみつかりません。
なんのための縦線かわかりませんが、ちょうどホッチキスを
あてる部分のような気がします。
以上の説明でわかりづらいでしょうが、ご存知のかたがいらっしゃい
ましたらよろしくお願いします。

Aベストアンサー

No.3です。
一番簡単なのは、その縦線が出ている行を右クリックすると、コンテキストメニューから「挿入(削除)を反映」や「挿入(削除)を元に戻す」を選択できます。
表示→ツールバーから「チェック/コメント」ツールバーを表示すると、「変更の承諾」ボタン、「変更/削除コメントを元に戻す」ボタンから操作できます。
あ、当方Office2002使用なので、2003などでの操作は異なるかもしれません…。

Q石川啄木の詩の解釈について

今、石川啄木の「悲しき玩具」を読んでいますが、なかなか難しくて分からない状態です。文章自体の意味は特に問題ないのですが、啄木が何を思って、何時、これを書いたのでしょうか?また、作者が読者に何を伝えたいのですか?

教えていただける方がいらっしゃるなら宜しくお願いします。

1.「遊びに出でて子供かへらず、
   取り出して走らせて見る玩具(おもちや)の機関車。」

2.「本を買ひたし、本を買ひたしと、
   あてつけのつもりではなけれど、
      妻に言ひてみる。」

* この詩では、啄木が生活に経済的に苦労していたので、本を買う余裕もなくて、妻にあえてそれ言えなかったように思いますが。。もし、そうであれば、啄木が自分の妻を恐れていたか、また、お互いの仲良さを見せているのか。

お願いします。

Aベストアンサー

課題ですか?
「悲しき玩具」は啄木が26歳で当時難病だった結核で死ぬ2年前から前年ぐらいまでの一年半ほどの間に書かれた短歌をまとめた物です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%95%84%E6%9C%A8
↑ウィキペディアですが一応参考になると思うので年表のような物を作って遊んでみてはいかがでしょう。啄木の人生の中でいつの時代なのか、何を思っていたのか想像しやすくなると思います。

啄木は19歳から24歳で東京朝日新聞の校正係の職を得るまでの間に、代用教員二回、新聞記者二回、事務員、歌人、小説家、ライター、借金、をして妻子と失職した父母の生活を背負っていました。

悲しき玩具はこちらで読めますので、一つ二つだけではなく全部を通して読めばストーリーのような物が浮かんできます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/815_20544.html

1.昼間に自宅で療養して寝ている、 子供はどこか元気に遊びに出たまま帰らない、子供を思い浮かべながらおもちゃの汽車を観ている内に遊ぶでもなくなんとはなしにいじっている自分の所在なさ、将来に対する不安を感じさせる中途半端な時間です。なお啄木の男の子は生まれてすぐ死んでいますので、この頃は女の子しかいないはずです。

2.当てつけのつもりでもないのについ口に出してしまう。そんな自分のさがというか、文学や論壇への情熱のやっかいさ。そして妻へのすまない気持ち。

旅を思ふ夫(をっと)の心!
叱(しか)り、泣く、妻子(つまこ)の心!
朝の食卓!

この歌がすぐ後に続いています。
「叱り」はお金のことかもしれないのですが、体の状態を言っているのかもしれない。まもなく死んでしまうという時に旅を考えている自分、リアルに生を考えている妻、現実そのものである子供。

ひる寝せし児の枕辺(まくらべ)に
人形を買ひ来てかざり、
 ひとり楽しむ。

庭のそとを白き犬ゆけり。
 ふりむきて、
 犬を飼はむと妻にはかれる。

(はかれる→意見を聞く)

「作者が伝えたいもの」というのは必ずあるわけではないと思うのです。身の回りの事実や心の動きを写真やスケッチのように書き記した物から読む者が何かを感じられたら良いのではないでしょうか。

課題ですか?
「悲しき玩具」は啄木が26歳で当時難病だった結核で死ぬ2年前から前年ぐらいまでの一年半ほどの間に書かれた短歌をまとめた物です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%95%84%E6%9C%A8
↑ウィキペディアですが一応参考になると思うので年表のような物を作って遊んでみてはいかがでしょう。啄木の人生の中でいつの時代なのか、何を思っていたのか想像しやすくなると思います。

啄木は19歳から24歳で東京朝日新聞の校正係の職を得るまでの間に、代用教員二回、新聞記者二回、事務員...続きを読む


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