大人になっても苦手な食べ物、ありますか?

深刻に悩んでいたりはしないのですが。。
会話をしていて、相手の意見に賛同する際や、驚いたときなど、「そうだね。そうなんだ。なるほど!」などと何らかの相槌を打つ、ということは普通にしていることだと思います。
しかし、私の友人で、私や他の人が何を言っても、大体、完全に無視している人がいます。
聞いていないのかしら?と思うと、次に会う時には、こないだ○○って言ってたよね、、という具合にちゃんと聞いている感じです。
聞いているのに、表情ひとつ変えず、目線も全く違う方向を見ていて、「うん」の一言も発さず、コメントなどはゼロ。そういう話の聞き方をする人がいることに多少驚きました。
自分の話をする時は、こちらが興味を持っていようがなかろうが、機関銃のように話していて、こちらの相槌やコメントは一切待っていないので、こちらとしては、ただ笑って聞いている状態ですが、本人は話したことで満足している様子。

思うに、そういう聞き方&話し方をする人は、自分に自信があるから、他人の相槌を必要としていないのではないでしょうか?だから自分も相槌をしない。
私は、会話の雰囲気づくりが気になる方で、相手の相槌も気になるし、自分も「興味を持って聞いてます」という態度に。相手の相槌がないと、不快なのかと心苦しくなり、自分の会話を続けるのが申し訳ない気持ちになって、気が気じゃない。。
最近、自分のやっていることに、疑問を感じてきました。そして友人のように、自信を持った態度で会話するべきか?と思うことも。周りの友人達には私は、聞き上手と言われますが、自分では分かりません。ちなみに、この完全無視の友人は、私を話し上手だと言います。
相槌を打たずに話を聞くという方、相槌を打たない理由を教えて下さい。真剣だからこそですか?

A 回答 (7件)

私は相手や話の内容によって相槌を打ちます。


他愛無い話し内容であれば相槌を打ったり話しを興味のある方へ誘導したりしますが真剣な話しや、内容の趣旨がはっきりしている時は相槌を殆ど打たないので“話しを聞いてるのって”って叱られる事も多いです。
黙っていても話しは全て聞いているので“確かめてご覧”って云うことも多いです。
相槌打つより黙って聞いているほうがより良く内容が解りますし、記憶にも残りやすいです。全て聴いた上で突っ込んだりします。
またプライベートだと相槌を打つこともしますが仕事では相槌は打ちません。
お客様に訪問している時は話の内容がどうであれ聞く聞かないに係わらず相槌は打ちます。
お友達さんは内容をしっかり聞いているのだけは間違いないみたいですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
質問に書いてないので、申し訳なかったのですが、、
今回の話の内容は、とっても他愛の無い、はっきり言ってすぐ忘れてしまうような話です。
最近、ママ友との薄っぺらい話しかしていないので、それに慣れきっているため、感覚が鈍磨しているのは確かです。
私も、以前、真剣な話をしていた時は、相槌というより、ひたすら目線を送って聞いていたものです。

ですので、他愛の無い話の方が相槌が気になるのだ、と今気づきました。
確かに、相槌を打っているよりは、打たない方が理解度も良いし記憶も濃厚というのは分かります。
仕事で相槌を打たないのは良く分かります。
でも、その友人のような、完全無視の態度を仕事上やったら、かなり失礼極まりないのは、絶対だと。。
相槌もそうですが、要は視線が大切かと。
仕事上では、相槌は打たないけど、目線は合わせていますよね。取引先相手に、目線を外して聞くのはあり得ないと思うので。
学校の朝礼なんかでも、下を向いて話を聞いていると怒られたものです。人の話を聞くときは、注目しなさい!などと。。あれは常識ではなかったのかしら??

相槌については、感覚の違いということですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/17 03:08

タイトルに該当しないのでスルーするつもりでしたが、


ほえーっ?と思ったので書き込みします。

相槌ですよね?
横やりを入れたり、
話を茶化したりする訳ではないんですよね?

相槌を打つことが相手の話を遮ることになってしまうと意見を伺い、
少々驚いています。
私は質問者さんと同じ考えなので…。
コミュニケーションの取り方もいろいろあるのだなぁと、
ひとつ勉強になりました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
横槍や茶化したりは全然してません。
ごくごく普通な、『うん』とか『あぁ』とか『へ~』といった言葉です。そんなに一語・一文ずつ入れたりもしていません。。
その友人の会話が一段落ついたところで一言、です。

コミュニケーションの取り方に違いがあることに驚いています。
私が30才(女)、友人は40才(女)なので、年齢的なことも要因かもしれませんが。
最近、年上と接する機会が増え、感じていることです。
関係はずばりママ友。
なので、深刻な話というよりは、ほんとに他愛の無い話なので、余計に相槌がないと空しい気がするのかもしれません。。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/17 02:52

なんとなくですが、理解できました。



>この完全無視の友人は、私を話し上手だと言います。
この辺りに貴方が知りたい答が落ちている気がします。一度、友人と面識のある別の方から情報を集めてください。
おそらく、友人は別の方に対しては相槌を打っている可能性が高いように思います。

つまり、貴方が話し上手であるために相槌を必要と感じないため、無意識のうちにそのようになっているのではないかと思います。

相槌というのは、場の繋ぎ的な要素もあります。
とうとうと脈絡をつないで話を続けられる人はそういないわけで、適時に相槌を打ち、はじめてひとつの会話が成り立ちますよね。

ですから、どちらが変だというのもおかしなものです。貴方は貴方 友人は友人 多少奇異に映ったとしても、話は聞いている様子であればよろしいように思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうなんでしょうか。
私の目には、誰に対しても、同じ態度で話を聞いているように見えますが、話上手に対しては相槌を不要と感じているかもしれません。
今度良く見てみます。

相槌は場の繋ぎ的な要素があるからこそ、必要と思うのですが。
とても親しい仲で、雰囲気づくりを気にする必要も無いくらいであれば、場の繋ぎを気にしませんが、その友人とは、まだまだ距離があるので私は気になります。

最近、話は聞いているということが分かりホッとしましたが、初めは周りから見ても、私が一人で話しているように映っていないかと気になったものです。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/17 02:44

そのお友達は日本人ですか?


外国人は、人の話を聞くとき、日本人のように相槌をうったり、頭をうなずく動作をしない、と聞いたことがあります。
その方は、『西洋かぶれ』である可能性はないですか?

わたしは、他のご回答者のおっしゃる通り、自分の発言の途中で言葉をはさまれるのは嫌いですから、相槌は好きではありません。
すくなくとも、自分は、相手の発言が一段落するまで、相槌をうたないように心がけています。
(『西洋かぶれ』と思われない程度の相槌は致しますが。)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
西洋かぶれの可能性は否定できません。
そう感じることはたまにあります。

外国人にその傾向があるとは知りませんでした。
自己主張の国だからでしょうか?
その友人もかなり自己主張が強く、自分が基準と思っている節があります。
話を聞くときは目線を合わせないけれど、自分の話をする時は、聞き手の目線をガッチリつかんで離さないのは、主張が強いからだと思います。

相槌を邪魔と思われる方は結構いらっしゃるんですね。
今更ながら驚いています。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/17 02:34

私は,あんまり相槌はしないです.


自分が話しているときにあまり相槌をいれてほしくないので,人が話しているときにも相槌(=自分がされていやなこと)をするのを,どうしても躊躇してしまいます.

自分が話しているときは,話が一とおり完結するまでしっかり聞いてほしいです.1文あるいは1語ごとに邪魔されると,ちゃんと真面目に聞いてよ,て思いたくなるときもあります.
なんか,頻繁に相槌をうたれると,相手の人にとっては全く興味のない話を無理やりしてるんではないか,と心配になったりします.(ちょうど,taramonさんの逆ですね.)
というのは,私自身が,興味のない話をされた場合に,全く上の空で聞きながら適当に相槌だけうってごまかすとかすることがあるので.

多分,その友人も,自分の話の途中で相槌を入れられるのが,あまり好きではないので,人の話にも相槌をいれない,てことなんだろうと思います.感覚の違いとしかいいようがないのでしょうか.
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
話が完結するまでは相槌は不要ということですね。
相槌をされると、かえって真面目に聞いていないと思われるのですね。確かに感覚の違いかもしれません。

その友人は、自分の話を聞いてもらうだけで良いという感じです。
聞き手が興味がない場合でも、とてもゆったりと長々と話し続ける友人が不思議なんです。

興味のない話に対して適当に相槌を打っている場合は、私も分かるので、早々と終了します。
上の空で相槌をしているだけでは、雰囲気と態度で何となく分かるんですよね。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/17 02:27

単に感覚の違いじゃないかと。



相槌というのが、声を発すること前提なら、自分の
場合、ほとんど相槌を打ちません。大抵がうなづく
くらい。目線に関しては、状況にもよりますね。
例えば、何かのスケジュールの話をしているときに、
時計とかカレンダーの方を見つめながら聞いてたり
とかはありますよね。あと、何か会話より気になった
ことが目先にある時とかは、あさっての方向を
見ながら聞いてはいる状態とか。

相槌を打ったほうが聞き上手にはなれるので、
聞きたいことがあるときは相槌をうちますが、
個人的には相槌を打たれるのがあまり好きでは
ない(どうしても会話が遮られる感じを受ける)
ので、打たなくなったような気もします。

個人的には真剣だからというより、自分に
とって聞きやすい(話しやすい)テンポにしたい
だけだと思います。

例えば、こういった文章でも改行や空白を
入れるか入れないかで読みやすさが違うと
思うのですが、相槌はこういった改行や空白
なんじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
相槌を打つ際、声を出すか否かでいえば、私の場合、相手の話を邪魔しない程度に声を出します。
目線は、スケジュールや何か見ながらの場合は別ですが、会話より気になるものが目に入っても、それを見ながら聞くというのは失礼かなと思います。
景色とか手の平とか、テレビを見ながら話を聞かれても、所詮聞いていないと思うのですが。

相槌が会話を遮ると思ったことはありませんでした。
でもそういう感覚ってあるのですね。了解です。
質問に書きませんでしたが、その友人との会話というのは、真剣な会話ではなく他愛のない世間話程度なので、余計に相槌が無いと、聞く気がないと感じてしまいます。
真剣な話なら、かえって相槌はなくても目線さえ逸らさなければ良いかもしれません。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/17 01:54

こんばんは。


相槌は『私はあなたの話を聞いてますよ』っていう合図だと思います。
相槌も何もなかったら、聞いてもらってる感がなく、この人に何を話しても意味がない、とか思うのが話し手の感じ方です。
taramonさんがこの方に話をしたときに違和感を感じたように・・・
で、自分の話はひたすら話して終わり。というようでは、ちょっとコミニュケーション不足になりますね・・
話を聴いて相槌を打たないということは、話を聴いていないことと同じだと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
私も相槌を、『私はあなたの話を聞いてますよ』という合図としてとらえていました。
人は、相手の目を見て何らかの反応を示しながら、話を聞く、ということを自然にしていると思っていました。
でなければ、テレビの画面を見ているのと同じだと思うからです。
せめて、目線だけでも合わせてくれれば、聞いてるか否か分かるのですが。。
自分の話をするときは、コチラの反応が明らかに薄くなっていても全く察しないのは羨ましいぐらいです。
コミュニケーション不足の気はします。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/17 01:39

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