1つだけ過去を変えられるとしたら?

今回の高校の学校ぐるみの単位無視事件で思い出しました。私は昔からの傾向で、目的に直接関係のないことでも欲張ってやろうとしてしまいます。受験に関係ないこともどうもやったほうがいいのではと思ってやらないと気持ち悪いのです。それは他にも当てはまって、どうも回り道や焦点が定まらない結果を招いてしまいます。
結局「欲」が張っているというのが8割がた当てはまっているんでしょうか。

A 回答 (2件)

私も似たようなところはありますが、全てを把握しておかないと不安、という心理でしょう



これはある意味で、他者への信頼性が希薄なことを示しているという解釈も可能ではないかと思います。
一種の強迫神経症的側面も窺えるようです。
結果として貪欲にならざるを得ませんが、全てを把握できるはずもなく取りこぼしが生じ悔む結果になることも多いようです。
無論、それなりに幅は持てるわけですが「広く浅く」に不満が残ることも多いわけで、「狭くとも深い」見識の持ち主には尊敬の念を抱くこともしばしばあります。

他者を信頼することの恐怖感が根底にあると思われますが、
何かひとつをとことん妥協せずにやってみて、そのことに関する自分自身の限界を知るという経験が、ひとつのことを為すためには無駄なことをやっている暇はないのだ、という認識に至らしめることもあるような気がします。
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この回答へのお礼

そうですね。言えていると思います。一つに集中することは必然的に多岐にわたる関心を呼び起こすものだろということを意識しようかと思いました。

お礼日時:2006/10/27 13:58

欲が張っているのでは?とのことですが、確かにその通りだとして、


だとするとその欲のもっと奥にあるものが原因なのではないでしょうか。
私が考えるに、それはなんかしらの不安感だと思います。
すべてを把握しておけば、誰かから突っ込まれたときにアワアワしなくてすむとか、もしくはなんらかの賞賛を求めているとか?
私の職場にもいるんです。
直接の目的じゃないことを延々とやっている人が。でもそのこと自体は周りに迷惑をかけなければいいと思うんです、全然。研究者向きですよね、それって。
ちなみに私の職場の人は自分が探求していることを、こっちに「これはなんでこうなんだろう?」とか、「このデータの大元のソースはどこから来てて、これを構築したのは誰なんだろう?」とか、
そんなの上司も知らないと思うし、今それやらなくてもいいんじゃん?・・・ってことを私に聞いてきたりします。
それにはちょっと困っているのですが・・・。話が逸れました。
周りにそれを押し付けたり、疑問を投げかけたりしなければ全然オッケーだと思うのですが、もしご自身がその性質によって疲れてしまったり、何かデメリットがあるのなら、
木を見過ぎないで森を見ましょうというアドバイスをさせていただきます。
全体像を見たほうがよい時もありますしね。関係ないことにエネルギーを注がず、優先順位をつけて自分の本当にやりたいことや好きなことにエネルギーを注ぐ方がいいと思います。
今おいくつの方かわかりませんが、時が過ぎるのは早いです。エネルギーをいろんなことに分散しすぎて、焦点が定まらないまま年をとってしまうのはいやではありませんか?
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この回答へのお礼

深遠な考察ありがとうございます。不安感あります。めちゃありです。準備を万端にと思ってしまうんですね。どうも裸一貫で行くという姿勢はもてない。
木を見て森をむずというより反対ですね。もっと木を注目しなければならないと感じました。

お礼日時:2006/10/27 13:57

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