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世の中、羨望とか僻みとか嫉妬とかマイナスの感情があります。それらが消滅したら人は幸せになれるでしょうか。幸せではないにしろ、なんか納得できるようになりますか。
みんながそれぞれ不幸になれば「なぜ自分だけが!」という思いが全くなくなるからです。

A 回答 (6件)

人間の知能がどう構築されているかはまだまだ謎に満ちていますが、プラスの感情とマイナスの感情は、一つのものが外界に対して反応しているに過ぎません。

マイナスを取り除けば、プラスだけになりますが、それはバランスが崩れた状態になっているだけで機能不全に陥っているだけです。

幸せとは、喜びを感じている状態であり、それは一時的なものです。大概は一定時間後に平常心に戻ります。周りから見て羨ましいという状況は、本人にとっては日常に過ぎません。

もう少し個別に書きますが、それらの対になるのが「幸せ」ではなくレベルが違います。

まず「羨望」は希望があるということですから、マイナスじゃないですね。よってこの際除外します。

「僻み」は他人に構ってもらいたいというポーズですから、これを解消するには、その人にとって影響の大きい人物から構ってもらう必要があります。しかし、この感情がなくなるとなると、権力者にアピールしようという気が起きなくなりますので、対応した行動が起こされない事になり、そのほうが幸せになれるとは必ずしも言えないでしょう。(僻むことで相手の気を引ける可能性がある)

「妬み」は、他人の愛情を自分のものにしたいという欲求ですから、同様に、なくなれば、他人の強い愛情を得ようと言う行動が抑制されます。これも、幸せになれる可能性を減じる恐れがありますね。(妬む事で、特別な関係を維持しようとする)

ただし、感情を野放しにすると理に叶わない行動に駆り立てられますから、理性 (論理) による適切な制御を経ないと、複雑な人間社会の中で幸せを得るのは難しくなります。

キーポイントは、自分にコントロール可能な事象なのか、そうでないのかの見極めです。犯罪等によって達成しようとすると、本人とって大きな不幸をもたらすことになります。
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この回答へのお礼

大きく社会的存在で見るならば、やはりマイナス感情プラス感情一体となった精神作用が必要なんでしょうね。

お礼日時:2006/11/16 08:50

質問がなんなのかちょっと解りづらいです。



人が幸せになるためには、自分が生きている世界とは何なのか良く知り、自分とは何なのか良く知り、自分が素直に心から喜べることを求め、それをして、そうなる結果を出すことが大事だと私は思います。

羨望とか僻みとか嫉妬とかマイナスの感情があり、それらが消滅しても、完全に幸せになることはできないと思います。

しかし、そういう自分でなくなることに自分自身の存在を嬉しく思うのではないでしょうか?

人間は、本来良質を求めます。良質に生きることに尊敬や素晴らしさを感じます。
しかし、自分がそれを実践するとなかなかできません。それは心が悪質だからです。悪質な心は名誉を求めたり、見栄を張ったり、人に対し嫉妬したりします。そういう気持ち、感情、思いが沸き起こるのが人間です。それがあるが故に、良質な生き方も、良質なことをしようとは思いませんし、することができません。

心が良質な人間は、誰がどうであろうと、自分と周りが良質な存在になるために一生懸命生きます。名誉とか、見栄とか張りません。そういう気持ちが起こったとしてもそれに負けることなく、ただ良質を求めます。

良質を味わうということはとても心地良いものです。良い音楽、良い料理、良い人の気持ち、良い声、良い笑顔。
そして、自分が良質なことができれば、もっと嬉しく喜ばしい気持ちになります。
 しかし、良質なことをしようとして、常に良質な結果を出すことは容易ではありません。それに対し、人は苦しみますし、また、良い結果を出さない人間を良く思わない人もいます。良い結果でないことは、不快な結果だからです。

しかし、人の対応や結果だけに捉われることなく、よくよく考えて、良質とは何かの迷いを断ち切り、良質なことを貫いて生きていると、それが必ず、良い結果に繋がります。初めの頃は解らなくても、いつかきっと、そうしていて良かったと思う時がきます。その時に、今までの苦しみは、報われ、自分がしたことが嬉しく思えます。

不幸というものは、自分と周りに原因があります。自分が変ることによって周りに与える苦しみ(ストレス)を減らすことができます。さらに、周りを良い方向に変える力を持ち、実行してそれが実った時、周りもまた、自分に対し苦しみ(ストレス)を与えなくなってきます。
そうした時、皆が幸せになれると私は思っています。

不幸というのは、不幸になるような感情や思いを抱き、それが実行され、されが波及し、不幸になるのと思うのです。

以上、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

土台の人生をこなすことで、煩瑣なマイナス感情を処理しやすくなる気がします。

お礼日時:2006/11/16 08:55

羨望、僻み、嫉妬は誰かと比較して(されて)持つ感情ですから、


消滅したとしても「幸せ」ではないですよね、ただ感情が無くなったというだけのことです。
他人と比較せずに持つ感情、不安てのがありますよね。
病気であったり、収入であったり、加齢だったり色々あると思いますが、それらは消滅すると「幸せ」と言えるかもしれませんね。

つまりは、他人と比較して得た不幸感と幸福感は、対象の相手が消えれば感情も消えてしまいます。
そうでなく自分の力と運で得た幸福と不幸は、一生自分のものということでしょうかね。
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この回答へのお礼

確かに本当の幸せとか充実感のレヴェルとは違った話です。ただ、あまりにマイナスが強いと、本来的な生きる色というのも影響を受けてしまいます。

お礼日時:2006/11/16 08:53

幸せと不幸は表裏一体だと思います。

だから、ある事で誰かが幸せになったら、その裏では必ずその事が原因で不幸を感じる人がいるはずです。だから、幸せという感情が無ければ不幸という感情も存在しないと思います。
でも、現実的に考えて今の社会何をするにしても競争社会ですから、人と必ず比べられて生きて行かなければならないと思います。だから何をするにも1位とビリ・勝ちと負けが存在してしまうのは避けられない事だと思います。そのような社会で負の感情が消える事はないでしょう。
しかし私はあまり悲観的には考えません。なぜなら、逆にそのような社会だからこそプラスの感情を抱く・幸せを感じる機会もあるのだと思うので。
専門家ではないので哲学的な回答ができなくてすいません。
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この回答へのお礼

実社会生活で見ると、やはり単色の感情では生きていけないということなのでしょうね。

お礼日時:2006/11/16 08:51

私は幸せにはなれません。


羨望や妬みや嫉妬があるから未来があるんじゃないでしょうか。「あいつに負けたくない」とか、「あいつが羨ましい」という感情から意欲が生まれると思います。闘争心というのでしょうか。
例えば私(女)には同姓ので憧れる人がいます。愛嬌があって頭も良く、仕事はバリバリこなし、忙しいはずなのに自分磨きにお茶も習ってます。その人に対して私は憧れを持っていますが、『本当に妬みとかないの?』って聞かれたらあるかもしれない。
でも妬んでるからどうとか、嫉妬してるから何とか、そういったことはありません。
質問者さんが提示している感情って、それだけではあまり存在しないんじゃないでしょうか。
愛情や友情や尊敬や憧れなどと一緒になって生まれるものではないかなって思います。

もしマイナスの感情がなくなったら、人間はすごく薄っぺらい動物になるんじゃないでしょうか?
他人に興味がなくなり、常に自分のことばかり。それが幸せといえるか…私は言えません。
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この回答へのお礼

たしかに、マイナス感情があってそれを転化させるというプラス行動があるという仕組みですよね。何事も影と光がある。わかります。味にはすっぱさも甘さも辛さも、どれもひとつではうまい料理はできませんね。

お礼日時:2006/11/16 08:49

そのときは「あいつよりおれのほうが不幸だ!」「おれのほうがあいつよりマシだ!」という不幸の階層化を見出すでしょう。


人間とはそういった、自己と他者の相対化を行うことなしにはいられない存在なのです。
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この回答へのお礼

人間の業みたいなものですか。相対主義が本当に生きるために必要なものなんでしょうかね。

お礼日時:2006/11/16 08:47

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