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「ここに手が二つある。
外的事物が少なくとも二つある。
よって、外的世界は存在する。」

抜けている前提があるかもしれませんが、これがムーアが行った外的世界の証明でだいたい間違いないと思います。しかし:

(1)なぜ外的事物を二つ証明することで外的世界を証明したことになるのか?
(2)手そのものの存在をどうやって知るのか?(懐疑論とどう向かい合っているのか)

上記の二つが理解できず、またムーアの証明が持つ哲学的威力を理解できません。宜しくお願いいたします。

A 回答 (1件)

推測ですが



>なぜ外的事物を二つ証明することで外的世界を証明したことになるのか?

二つは関係ないと思います。
なんでもいいんです。
講演の際に目の前のテーブルにあったボトルでも、自分の足を持ち上げてでも。


私の推測では内的世界とは同化した状態で、同一であるので認識できない。
「ここに腕がある」と言えるってことは、認識したってことで、外的世界になり、言えたことで外的世界の存在を証明したことになるとしたのだと思います。

「ここに本当に腕があるのかどうかかなり怪しい。本当は無いんじゃにか。腕を挙げたと思っているだけで、本当は腕すらないんじゃないか」となると、外的世界は曖昧になります。
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この回答へのお礼

返答ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/28 03:53

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