アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 あるスポーツ得意の筋肉モリモリの男性に「君はすごいねえ」と言ったら、「いやー、僕なんか全然ダメですよ。5年やってまだ県レベルで入賞したことないのですから。」という返答が返ってきました。
 同じような人に聞くと「僕はもう年ですから」と言っていました。
 これは謙虚なのか、マイナス思考なのか、ぎりぎりのところだと思います。
 謙虚は美徳で、マイナス思考はせっかく伸びる力を抑えてしまいます。
 まったく正反対なのに、表現は近いですね。
 謙虚すぎると、傲慢だとも言えます。

 別の例を挙げますと、ある商人は「きたないところですみません」といい、別の商人は「うちは日本一です」と言ったとします。
 謙虚なのか、マイナス思考なのか、傲慢なのか、わかりません。
 謙虚は美徳ですが、マイナス思考や傲慢は美徳とは言われません。
 しかし、表現ではわかりません。
 
 ではその人の心の中なのか、とも思うのですが、自分が同じような発現をしたとしても、「謙虚なのか、マイナス思考なのか、傲慢なのか」ははっきりとはわからない場合も多いと思います。

 何か明確な区別の方法、区別する指標といったものはあるのでしょうか?

A 回答 (4件)

傲慢とは、ある点においてすごいということが誰の目から見ても


ほぼ明らかなのに、そのことに対して「きみはすごいね」と賞賛すると
「いやいや、県レベルではない」などといって、本当は自分の心の底では賞賛を求めているくせにあえて否定してみせるようなことです。
県レベルのすぐ下くらいの位置にはいる、ということを表面化でアピールもしています。傲慢の場合、聞いていて何となく不快になるので分かります。
すごいね、といわれて素直に「ああそうですか、ありがとうございます」と言えば傲慢にはなりません。

マイナス思考、とは言い換えれば卑屈になるということでしょう。
自分からへりくだって見せることで、他者に迎合しているのです。卑屈になって、自分を売り込む。これは、傲慢とは異なります。
卑屈は、相手に気に入られようとする行為ですから。

「僕はもう年ですから」、というのは確かに微妙ですね。謙虚は、まず聞いていて不快には
ならないと思うし、心のそこで「俺を認めて欲しい」という訴えのようなものがない、というものだと思います。自分の力を否定しながら、
全身から「オレはすごいんだぞ」と言うような雰囲気をにじませているようなことがない場合が謙虚だと思います。
ある人が傲慢なのか、謙虚なのか、卑屈なのか、言葉の上だけでは、判断は難しい場合もあるでしょう。その人の目とか表情、態度によりけり
だと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

 う~ん、見事な説明ですね。
 すごくよくわかります。
 ご回答者さんの悟性の高みを感じます。

 「傲慢の場合、聞いていて何となく不快になるので分かります。
 マイナス思考、とは言い換えれば卑屈になるということでしょう。
 卑屈は、相手に気に入られようとする行為です。
 謙虚は、まず聞いていて不快にはならないと思う。」

 このように身近に言葉でパッと表せるというのは相当高いの認識力だと思います。

 感服いたしました。

 そしてありがとうございました。
 心より感謝申し上げます。 

お礼日時:2006/12/16 15:59

再びNo2です。

返礼ありがとうございます。

私の文章の難解さとは別格なのですが
Mr.謙虚。のガンジーさんの詩集いいですよ。
(当たり前。当然!私は基本的に文法からして、脳の構造からして?間違い多し)
http://www3.ocn.ne.jp/~yokok/Gandhi00.htm

その中から抜粋
「私は私自身を愚かな人間であると見なしている。
・・・
個人の能力には限界がある。
   全ての仕事を引き受けられると自分自身を過信した瞬間
   神はその思い上がりを謙虚にすべくそこにある
   私自身のことを言えば私には
   乳児の世話をし、その育つのを手助けすることをもするに十分な謙虚さが与えられている。」

言葉はとてもとても、その他の詩もどれもこれも深いので
難解なようで、
「育む」ことは尊敬に値する人物だから、優劣だからでなく、
全ての人が誰に対しても行える普遍であるものだ。
それを無くして、自分だけが成長したり、育まれて上がれないものだ。
という風に私なりの解釈です。

「謙虚」は、あまりにも偉くなるとやり難いから(多分)
ちっとも偉くなくても、かなりどんくさくても
自分に何が欠けているのかを自覚中であった方がやり易い態度。
だといい・・な。

マイナス思考と謙虚の違いは「~のおかげ」という態度か
「~のせいで」という解釈の計り方の違いでしょうか。

謙虚と欺瞞の違いは真逆。
謙虚な態度は奔放とか無謀で、
欺瞞は臆病心から発するもののような気もしています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 再度ありがとうございます。
 ガンジーの生き方はすばらしいですね。
 学ぶところがたくさんあります。
 
 よきご回答ありがとうございます。
 心より感謝申し上げます。

お礼日時:2006/12/18 12:24

謙虚はある程度自己評価も高くないと出来ませんよね。


今の自分に満足し切ってしまっても変化する楽しみがなくなりますし、
好奇心旺盛であるならなおのこと謙虚は相手を(立場や経験に関係無く)取り込む作業として自然にやっちゃうこともあると思います。

欺瞞は逆に周囲からでなく自己評価が低いのをマスキングさせる目的が潜在的にあると思います。
周囲に対しての効果も期待しますが、
誰でも自分を過剰に期待して、自分でガッカリなんか、
しょっちゅうですし(個人差の幅はありますけど。)

自己評価が高くても調和親和のバランスを保つのに
謙虚がマイナス思考ととられても必要性を感じる場合、
それは辛くなくて前向きで好意的なものから発するもので
自分も欠点をさらけ出す事で許されるという図式も成立するし、
謙虚が出来るのは、欠点を美徳と感じるほどに
自覚出来ているという指標なのに違いありません。

本当にマイナス思考だと自覚中のようで
自分を「変化」を楽しむ余裕がなくなって、
自分の欠点をいくらさらけ出しても
一向に徳な経験値や許して受容れられた安堵には感じられなくなるでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 私には難しすぎて少し理解困難なところがありました。
 ご回答心から感謝申し上げます。

 何か良い本などあればご紹介いただけますでしょうか?

 

お礼日時:2006/12/15 09:45

こんにちは。


日本では多くの人が、「社交辞令」としてある程度の「謙虚なフリ」をするクセを持って
いるように思います。「謙虚なフリ」が、美徳なのかどうか、疑問なのですが・・。

>「君はすごいねえ」
  ↓
>「いやー、僕なんか全然ダメですよ。・・・。」
>「僕はもう年ですから」

:これ、本当に謙虚だと思いますか。
本当に「自分はすごい」と思っていることを隠すために謙虚なフリをしている場合も
あります。この場合、質問者様のおっしゃる通り、「傲慢」とも言えると思います。
あるいは、賞賛される喜びに慣れることに抵抗して(賞賛される喜びを「喪失」する
「不安・恐怖・悲しみ」を避けるために)謙虚なフリをしている場合もあります。

本当に「謙虚な人」は、人の賞賛・好意・誠意を、素直に受け取ると思います。
この場合、「褒めていただいてうれしく思います。ありがとうございます。」と応えるのが
「謙虚」なのではないかと思います。
せっかく自分に向けられた賞賛(+それに伴う喜び)を、全く受け取ろうとしないのは
(謙虚なフリをしすぎるのは)、自分を否定し、さらに人が発した賞賛の言葉をも否定する、
ということです。これは、実は、自分にも他人にも、失礼ではないかと思います。

本当に自信を持っていて、正しく自分を評価している人は、マイナス思考ばかりでもなく、
傲慢なばかりでもないと思うのですが、常にマイナス思考にもならず傲慢にもならない、
というのは、とても難しいことだと思います。
たいていの人は、謙虚なときもあり、マイナス思考になってしまうときもあり、傲慢な
部分も持っているのではないかと思います。

人の言動が「謙虚」に見えるか「マイナス思考」に見えるか「傲慢」に見えるかは、
見る人の価値観にもよりますし、見る人の精神状態にもよりますから、明確に区別する
ことはできないように思います。
区別して、好ましくない要素を排除しようとするより、なるべく自分も相手も気持ちよく
過ごせるように心がけ、それでも相手が気分を害したときは、その時の相手の気持ちを
真摯に受け止めるようにしたほうがよいのではないかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 すばらしいご回答ですね。
 智慧、礼節、社会訓練、悟性の高みを感じました。
 ありがとうございます。
 また今度質問するようなときがありましたら、ぜひご回答いただきたいと思います。
 心より感謝申し上げます。

 一つ追加ですが、
 謙虚は人徳だと思います。
 マイナス思考、傲慢は、直すべきだと思います。
 他人が見てどうであるかは問題ではなく、その人の心の中で、徳を積んでいるのか、あるいは罪を重ねているのか、ということが問題だと思います。
 自分の心の中を判断する基準があればいいのですが。

お礼日時:2006/12/14 21:01

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!