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私は愛国心を教える教育はおかしい、不自然だと思いました。なぜいま教育を改正するのか・・・正直あまり良いイメージを持つことができませんでした。
毎日日本で生まれてから生活していますが、日本のよさを見つけることができませんでした。そこで「日本のよさがわからないのですが教えてください。」とOKWaveで質問をしたところたくさんの回答をいただきました。それを読んで日本が好きになりました。※回答者の方がたにこの場を借りて再度お礼を申し上げます。
私の周りの若者も日本の良さを判らない人が多いと思います。日本に生まれてよかったなと心から感謝して、日本に貢献したいと思い生活している人が何人いるのでしょうか?限りなく少ないと思います。日本を想う気持ちがなければ日本をもっといい国にしようという気持ちは生まれてこないのではないでしょうか?それはただ政府のいいなりになるということでは決してありません。
このまま自虐的な教育を行い続ければ日本人は日本に生まれたことに誇りを感じることができないのではないでしょうか、それは残念なことであると思います。
だから私は愛国心教育はこれからの日本に必要なものなのだと気づきました。しかし「愛国心」という言葉に消極的なイメージがつきまといがちですがそれはなぜでしょうか?そして愛国心をどのように教えるのがあなたはベストな方法だと思われますか?
※いただいた回答は論文のテーマ「愛国心教育のありかた」に引用させていただきます。(論文のテーマを変更しました。)参照:「日本のよさがわからないのですが教えてください。」

A 回答 (13件中1~10件)

私は、普通の人よりも少々愛国心が強い人です。


とは言え、国家の為に命を捧げる事などあり得ない、希薄な愛国心ですけど。
それでも「普通の人」よりも愛国心は強いでしょうね。
そもそも「愛」とは、存在はするが実体はありません。
人の数だけ存在するのではないでしょうか。
なので、新教育基本法に愛国心の考えを盛り込んだ事には
「反対」ではありませんが、ある種の「恥ずかしさ」を感じます。
他国からこの騒動を見たら写るのでしょうね。
こんな基本的な事を国が言わなければならないほど
自分の国に誇りが持てない人ばかりなのか?と。
ま、実際そうなんですけどね。

愛国心が自然に湧いてくる感情だと申している人が居ますが
私から見れば少し違うかと感じています。。
枯れた井戸から水が湧いては来ません。
(少々、オシム語録を意識してます。笑)
それと同じで今の日本の愛国の井戸は枯れ果てているに
近い状態だと思っています。
人は生まれて色々な物を経験し学び、形作られ
それらが、自分の中の常識となって行きます。
血や肌や目の色がどうであれ、アメリカに生まれ育ったら、
中国やイスラム圏に生まれ育ったら
そこで経験し学んだ事が常識として生きているのです。
本当に何も学びも体験もしていないのに
自然に湧き出る愛国心など、ありはしません。
国によって考え方は異なるかもしれませんが
深い意味など考えずともとりあえず、国家や国旗と言ったシンボル等に
敬意を持って接する。その姿を見て育ちますから。

そこで、政府として再び泉が湧き出る様に井戸を掘ろうと
思ったのでしょうが、私からすれば、掘るところを間違えていると思います。
なぜ、間違えていると思うのか、それは過去の事実や経験を無視して
闇雲に掘ろうとしているからです。
闇雲=適当。それじゃ、掘っても、なかなか水は出てくれないでしょ。
何故、井戸の水が枯れたのか、根本的な原因を見つめると共に
昔は何故、水が出ていたのか具体的な考え方の元、
掘らないと意味がないでしょ。

私なりに何故、愛国心が無い国になってしまったのか考えると、
日本には数千年という歴史がありました。
親から子に代々受け継がれて、日本人の根幹の精神が象られていた。
しかしある時を境に、それらを捨てて日本は変わりました。
それは「敗戦」です。戦時、日本は日本なりの正義に置いて戦いました。
それが苦しい戦いでも。命をかけて守ろうとしましたが、
結果、力と力の戦に日本は力及ばず陥落しました。
信じ戦った物が力によって負けた事によるイデオロギーの崩壊を
意味して居たと思います。それに加え戦勝国により、日本の行動は
全て悪であったと力づくで認めされられたと言っても良いと思います。
当時の日本も主張すれど、勝者と敗者の力の差から結果は決まっていた。
そして教育や国家のあり方をアメリカから教えられました。
それらの全てが単純なる悪意に満ちた物ではありませんでした。
ですが、この時から日本と言う国が180度変わったのです。
「信じた事は間違いだった」もう忘れて次の為に頑張れば良い。
そう思った日本人は、心のどこかに違和感があっても全て忘れ
頑張り高度経済成長を遂げ豊かになりました。
そして世代が受け継がれ、全て忘れた事によって
今の日本の豊かさが元からあるような錯覚に陥っています。

「今の」日本の歴史はおよそ60年しかありません。
織田信長といった武将は物語として知っていても
大多数の人々がたった60年前の歴史事実を知りません。
60年の歴史しか無い国に愛国心を持てと言われても
現実問題として難しいと思います。
特に60年の後半部分の世代は、ある種の苦を知らず、
宗教や道徳と言った教えではなく、お金や道具と言った
物質的な価値観によって出来ています。
物質的な価値観と敬愛という価値観はある種、対極に位置します。
(本当は対極ではなく相互していると思いますが)
物質的な事ではどうにもならない苦楽やそれに込める魂。
そういった出来事を経るから、そこに感情が湧くのです。
本当に愛国心を皆がもてるように、再び井戸を掘りたいと思うなら
歴史の忘れ物。
そこから目を背けず思い出す事から始める必要があります。
教育基本法に愛国心を盛り込む前に、国が戦後の政治のあり方に
目を背けず間違いであった事は間違いであったと認め方針を打ち出すこと。
そこから再出発しない限り愛国心など湧くはずも無いと思います。

まぁ、物質崇拝社会も、続けられる間は幸せな事だと思いますが。
それらが今、崩れ始めている象徴ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ごていねいな回答ありがとうございました。

>新教育基本法に愛国心の考えを盛り込んだ事には
「反対」ではありませんが、ある種の「恥ずかしさ」を感じます。
おっしゃるとうりですね、物質崇拝社会は敬愛の価値観を鈍らせてしまうのですね。
参考になりました、ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/28 16:07

私は戦後教育を受けてきた人間ですが、長い間次の呪縛にとりつかれていました。


1.親孝行しなさい  → OK
2.友達を大切にしなさい → OK
3.地域社会に貢献しなさい → OK
4.日本に貢献しなさい → NG
5.世界に貢献しなさい → OK

これって異常じゃないですか。
また、常套句として耳にする言葉に、
『国を愛することを教えると、他国を敵視するようになる』があります。
言い換えてみましょう。
『家族を愛することを教えると、他人を敵視するようになる』
無茶苦茶ですね。この理論は破綻してますよ。

なお、私は『愛国心教育』は正攻法だとは思っていません。
病気に例えるなら、『治療』ではなく『痛み止め』でしょう。痛み止めを飲まなければならないほど学校教育がすさんでいる事の裏返しです。

本来、『日本大嫌い、政府大嫌い、日の丸大嫌い、天皇大嫌い』教師たちが、『子供の権利』を声高々に唱えながら『自分の考えを押し付ける』ような事をしなければ、こんな法律自体不要だったのでは。
とはいえ、この様な教師たちの首をスパッと切ることもできないので、とりあえず痛み止めで我慢・・・だと思います。
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この回答へのお礼

>『日本大嫌い、政府大嫌い、日の丸大嫌い、天皇大嫌い』教師たちが、『子供の権利』を声高々に唱えながら『自分の考えを押し付ける』ような事をしなければ、こんな法律自体不要だったのでは。

教師のありかたもまた愛国心教育に関して重要になってきそうですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/28 16:28

愛国教育と言う事で言えば、戦前の日本の教育や現在近隣諸国で行われている教育が、国家体制と言う意味での国を愛させる(?)理想的な方法でしょう。


自虐教育といわれる今の戦後教育は、当初は先生方がはっきりと「日本は悪い事をした、しかしこれからは理想の道を行くのだ」と言うメッセージを伝え、それに沿って当時の世代の企業戦士たちは日本の為にという気持ちで、海外生活でも国内でも必死に働いて経済成長を支えました(それを国=役人が台無しにしてしまったのですが・・・)。
その後、「悪いことはしていない」と言いたがる人たちが、教育現場でその時代に触れるの忌避させる「指導」を行い、受験には出ないという学ぶ側の事情あって、現在の様にネットで「初めて知った」と言う歪な状況が生まれてきました。
家族を愛し、属する組織を愛し、住む地域を愛し、生まれた「くに」(政府国家でなく)を愛するのは自発的なものであり、夫々の長が強制すべきものではありません。
もし父親が「親を」社長が「会社を」愛するするのを強制したら変ですよね、少なくとも扶養なり待遇なりで自分の責任を果たして初めて要求はして可笑しくない程度のものでしょう。
愛は自発的なものであり、それを得る方法は自分を高めて相手に意思表示して行くか、嘘を積み重ねて相手に錯覚させるかになります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
私の意見は父親が「親を」社長が「会社を」愛するするのを強制したら変だと思います。その意見に賛成です。しかし父親の性格が子どもにとっていいものだと映らず、好きになれない場合は父親が子どもに好かれるようにするべきなのではないでしょうか?すなわち子どもに好かれるように努力するべきではないでしょうか?
他の方がおっしゃっていましたがたしかに“心”を教育するのは危険ですし、するべきではないと私も思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/28 16:27

「日本のよさがわからないのですが教えてください。

」では偉そうな回答をしてしまい、失礼しました。

さて、ご質問の件ですが、よくある誤解は「愛国心」は「心」で終わっている単語なので、
「心の教育」→「思想信条の自由の侵害」という思考の流れになってしまうことです。これは短絡的な考えです。
私は愛国心教育は、国際儀礼上の理由と、国防上の理由から必要だと思います。いずれも「心」ではなく、「形」を教える教育です。

国際儀礼上の教育では、国旗掲揚時、国旗降納時、国歌斉唱(吹奏)時などの行動様式
(起立、脱帽、気をつけ、国旗注目、歩いていても停止など)、国旗の扱い方(掲揚方法、複数の国旗の掲揚方法、
日没後・雨天の取り扱い方など)を教えるべきです。これは国内のみならず、外国に行ったときにも必須です。
また、国内で母国を否定する言論はもとより自由ですが、外国で母国を否定する言論はしてはいけません。これも国際儀礼です。
こうした「形」を教えるべきです。

国防上の理由からの愛国心教育とは、万が一、戦争になった場合、日頃の思想に関わりなく、誰もが国を守らなければなりません。
思想の自由も平和があってこそですから。これは、全国民が武装するという意味ではなく、直接戦闘している軍隊への
理解・協力も十分国防力になります。兵器の近代化などハード面だけでなく、国民の国防に対する理解度、
協力度などソフト面の充実も国防力の一つだと思います。そういう意味でも、いくら近代兵器が充実し、
国防予算が世界トップクラスであっても、愛国心が弱い国民だと思われると、敵に隙を見せることになり、敵を利する結果になります。

愛国心に限らず、教育とは実は「形」を教え込むことです。「心」までは教えられないし、教えてはいけないでしょう。
もちろん担当教師の人間的魅力による「心の影響」は大いにありえますが、カリキュラムとして「心」を教えるのは危険です。
当然サヨク教育、自虐教育も同様です。要は、公教育において、教師自身の個人的思想を教える必要はないし、教えてはいけないのです。

思うに、「愛国心」が危険視されるのは、以上の理由のうち「国防上の理由」のみ取り上げられることが多いので、
「愛国心」→「戦争準備」→(戦争には自衛戦争もあるのに)「侵略準備」→「危険」、となるのではないでしょうか。

私の先に述べた愛国心教育の必要性からすると、「愛国心教育」というネーミングではなく「国際教育」とか
「国際人教育」というようなネーミングにすれば、誤解は少なくなるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

>カリキュラムとして「心」を教えるのは危険です。
当然サヨク教育、自虐教育も同様です。要は、公教育において、教師自身の個人的思想を教える必要はないし、教えてはいけないのです。

たしかに愛国“心”を教えることは危険ですね。また教師のありかたが直接愛国心教育に関わってきそうですね。参考になりました。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/28 16:19

>消極的なイメージ


多くの日本人が「愛国心教育」ときくと戦前の「神である天皇陛下を頂点とする日本は世界で最も優れた国」であり、「神の国・日本の為に生きて死ぬのが国民としての正しい道」であるという教育を連想してしまうからだと思います。
政府が主導する「愛国心教育」というものにうさんくさい物や拒否感を感じてしまうのだと思います。

一方で戦後、愛国心教育をさほどしなくてもやってこれたのは、日本がほぼ単一民族で国境線がわりと明確な島国だからじゃないでしょうか。
たとえばお隣の韓国やイスラエルのようにいつ国境線が破られるかわからない国や多民族国家のアメリカや中国では国民に自国のアイデンティティを常に意識させていなければ、国家としての形が保てません。
アメリカではなにかというと国旗が出てきてそれに忠誠を表しますし、イスラエルでは男女問わず兵役義務があります。

以前中国の少数民族が多く住む地方を旅行した時に、少数民族のガイドさんが「今でも200年も前の部族戦争の影響でA族とB族の間で婚姻が成立することはほとんどない。ほかにもC族とD族は隣同士の村なのに言葉が全然違う。こんなに多様な国民を一つにしたというだけで毛沢東はものすごい人だと思う」と言っていたのが印象にのこっています。

私は今後の「愛国心教育」が四季のある日本の美しい国土から生まれた様々な文化、風俗習慣、芸術、風土などを教える時間だといいなと思います。
そういう美しいものや優しいもの、すぐれた技術などがあるということを知れば、自然に国を愛する心が生まれるんじゃないかなと思っています。

もっとも、経済や紛争もグローバル化している世界でのこれからの愛国心教育は、「自国を誇りに思い、自国に貢献する」ではなく、「自国を誇りに思い、自国、そして世界に貢献する」というスタンスが理想なのではと思います。
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この回答へのお礼

>「自国を誇りに思い、自国に貢献する」ではなく、「自国を誇りに思い、自国、そして世界に貢献する」というスタンスが理想なのではと思います。
私も真の国際人は自国を誇りに思い、自国、そして世界に貢献する人であってほしいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/28 16:14

>日本を愛する=軍国主義 という発想はなぜ生まれたのか教えていただけますか?


 愛国心と軍事力には密接な関係があるからです。軍隊をスポーツなどの団体競技に例えると、愛国心はチームワークです。個人個人がばらばらなチームよりも、チームワークの良いチームのほうが当然強くなります。
 したがって古今東西、愛国心は軍事力増強・戦意高揚に利用されてきました。日本もその例外ではありません。それが、愛国心=軍国主義を連想してしまう原因です。
 特に日本の場合その狭い国土のせいか、共同体意識が強い傾向があります。そこで「愛国心なき者は日本国民に非ず」と愛国心を強要し、もって国力(軍事力)増強を図りました。愛国心を否定して村八分にされることを恐れ、誰も暴走する日本に異を唱えられなくなってしまったのです。こうした記憶が、日本人をして”愛国心”という言葉に拒否反応を起こさしめるに至った原因と言っていいでしょう。
 しかし戦時中の経験をもって愛国心を危険視するのは間違っています。愛国心というのはあくまで土台なのです。その土台の上に築いたものが間違っていたからといって、土台が悪いわけではありません。かえって土台が悪ければ、その上にどんなに立派なものを建てても長持ちしないし、容易にグラついてしまいます。
 確かに愛国心は強要するべきものではありませんので、改めて愛国心を”教育”することに関して違和感や危惧を感じる気持ちはわからないではありません。それでもあえて安倍総理が愛国心を教育基本法改正の一つの柱として掲げたのは、今の日本をより良くするためにはこうした土台をしっかりさせなければならないという思いからではないでしょうか。
 教え方としては、歴史(日本史)の教育の中で日本が世界に誇れる出来事や文化を教えること。自虐史観などとよく言われますが、日本の悪いところばかり強調するのではなく、良いところもどんどん教えるべきです。
 また、小学生の授業科目に道徳を復活させること(記憶違いでなければ今の小学生には道徳という科目はないらしい)。
 押し付けるのではなく、自然と道徳心とともに愛国心を持てる環境を作ってあげることが必要だと思います。
 
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この回答へのお礼

軍国主義と愛国心について教えてくださってありがとうございました。

>教え方としては、歴史(日本史)の教育の中で日本が世界に誇れる出来事や文化を教えること。自虐史観などとよく言われますが、日本の悪いところばかり強調するのではなく、良いところもどんどん教えるべきです。
たしかに私も中・高生時代に日本のよいところを教わった記憶がありません、日本はなにも良いことをしたことがないのか?決してそんなことはないと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/28 16:11

「愛国心」とは「国を愛する心」と読めます。


その「国」という言葉の裏に政府という影が見え隠れするように思えるのと、
どうしても戦前教育の愛国心の幻影がつきまとう様な気がします。
ここは「愛国心」ではなく「祖国愛」とでも言った方が「愛」が強調されていいのではないかと思います。

次に
「愛」とはなにかという点についての論議が明快ではないように思えます。
大学の哲学の講義で「愛」とは、その対象(物あるいは人など)の「ためを思う心」だと習いました。
友達を愛する、わが子を愛する、親を愛する、恋人を愛する・・・・・などから始まって
家族を愛し、隣人を愛し、地域を愛する・・・・
そこから拡がって、祖国を愛する、地球を愛する・・ということにつながると思います。

身近な友達が友達が道を間違っていたら、やはり友達のためを思って忠告するのは友情でしょうし、
子供の教育しかり、地域の自治や環境問題だってより良き社会を目指すことが地域を愛することに繋がるのではないかと考えます。

昨今の政治家や官僚・地方公務員の不祥事は、祖国愛とか地域愛に勤しむべき職業の人間が
愛のない背任的な行いであるが故に厳しく糾弾されると思うのです。

教育に関しては教え込むのではなく、誰もが持っている愛という心に
ついて身近なところから検証していけばもっと理解が深まると思います。
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この回答へのお礼

愛という心・・考えさせられました。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/26 19:42

なぜ消極的なイメージがつきまとうのか?


それは、「愛国心」を表に出して活動された方々が、どういう活動をされたかという事に尽きるのだと思います。
多くの方が反発されるのは、未だに「愛国心」をネタに他人の育った環境を見下し、その人までを見下す人のいることでしょう。
自分が「愛国心」をもっていると自信をもって言われる人は、他人を侮辱し、その人の親まで含む環境まで侮辱する人が沢山おられるからでしょう。
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この回答へのお礼

たしかに愛国心を持つと、傲慢になりがちですね。その調節が難しいものですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/26 19:40

「愛国心」って言葉を出すと抵抗を感じるってのは、つまりは


今までそれに反する教育を受けてきたからではないでしょうか。
私も言葉自体にこだわる必要は無いと思います。

ちょっと脱線しましょう。
昨今は墓参りに行くことが減ったり、先祖を敬う考えに希薄化がおきていると思いませんか?家庭の中でも個人主義、他人に迷惑さえかけなければ何しても良いじゃんと言う考え方。
「価値観の違いだ」という言葉で、全てを正当化しようとする若者。

家長がこれらの現状を見て、これではダメだ・・・何とかしなければ。
と、考えたら危険思想になるのでしょうか?
が、しかしある言葉をもって一方的に押し付けられるとおそらく
反発の気持ちも生まれてしまうでしょう。
ですから、「教えるものではなく自然に生まれるもの」ではあるものの
「自然に生まれるように(愛国心を)教えていく」という形が良いのかなと思います。
具体的には・・・昔は周りの環境や親の背中が自然に教えてくれていた
物でしょうから、今それをきたいしようもないですしねぇ。
政府が掲げて、どこまでできるものか私も興味は持っています。

この回答への補足

具体的には・・・昔は周りの環境や親の背中が自然に教えてくれていた
物でしょうから、今それをきたいしようもないですしねぇ。
昔の環境や親の背中が自然に教えてくれた・・そんな事実を私は知りもしませんでした。政府が強制的(?)に教えていたのだと思っていました。
私(若者)には昔は環境が自然と教えてくれたという話は想像しにくいものなのですが、例をあげて教えてくださるとありがたいです。

補足日時:2006/12/23 13:11
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私の考えです。


愛国心など特に教える必要はないと思います。
その代わり、あるテーマにたいして、「今」と「昔」の日本の良い所、悪いところと、外国の良い所と悪い所を教えて、そして、良い所をどう伸ばし、悪い所はどう直せば良いか、皆に考えさせたら良いと思います。
質問された方が言われるように、日本は良い所が多くあります。また回答者が言われる様に悪い所もあります。
今までは、日本を愛することが、そのまま軍国主義に繋がる事を恐れて、日本の悪いところは教えても良い所を教えなかったのが可笑しいのです。
私がもとシンガポールにいた時、現地の新聞で日本に旅行した人達の、親切で正直な日本人がいかに多いか、いかに安全なのかと言う投書を何度も見ました。
また時々、この「教えてgoo」にも出るように、英国のBBCと米国の大学での世界で行った世論調査で、日本が世界中で一番信頼できる国だと言う結果も出ています。
だから今までの自虐的な見方でなく、外国と比べながら、日本の実情を公平に教えるだけで良いと思います。
それでもし愛国心が生まれれぱ良し、生まれなければ、どうすれば良いか政治家が考えれば良いと思います。
要は日本のことを公平に教えることに尽きると思います。

この回答への補足

勉強不足で申し訳ありません。「日本を愛することが、そのまま軍国主義に繋がる事を恐れて、日本の悪いところは教えても良い所を教えなかったのが可笑しいのです。」
日本を愛する=軍国主義 という発想はなぜ生まれたのか教えていただけますか?
私も外国へ行き、日本が日本人が大好きな外国の方に何人もお会いしました。正直なぜそこまで?と思うこともありましたが、自分が日本人がために当たり前に行なっていた日本のよさに気付くことができなかったのかと思います。個人的な意見になってしまいますが、コンビニやお店での日本人の接客は世界一だと思います。
お返事お待ちしています。

補足日時:2006/12/23 13:03
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