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塩田剛三という方の技は、真実なのでしょうか?私は詳しいことはわかりませんが、あんなに小柄の人間がもし総合格闘技(階級無差別)などに出場した場合、果たして通用するものなのでしょうか?
私は格闘技を10年ほどやっていますが、体重は格闘技において非常に重要な要素です。同じ技量の選手で30キロの体重差があれば、あらゆる技が効かなくなるのは常識。
この方の映像を見ると単に相手が投げられてやっている気がしてしょうがありません・・・・これは本物なのか?・・・

A 回答 (34件中21~30件)

『嘘やまやかしではなくて、真実を知りたかったということです。

塩田先生のお弟子さんが吹き飛ばされるのを見て、彼らは本当に真剣に塩田先生を攻撃してやろう、あわよくばみんなでいっせいにボコボコにしてやるといった感じではなく~~』

分かってます。真実を知りたいんですよね、それは分かっております。

補足です。7人ぐらいの弟子が先生を押さえ込もうとし、それを交わし続け、投げ続け、という映像が有名ですが、完全に押さえ込まれてしまって動けなくなった事もあるそうです。その映像もあるとかないとか。
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 皆さん塩田先生が総合格闘技に出たら、勝てないだろうと仰っています。

そりゃそうでしょう。私もそのように思います。ヒョードルにはとても勝てません。
 剣道、柔道、空手道、合気道などが、なぜ道なのか、なぜ武道といわれるのか、考えて見ればすぐわかることです。
 それらは喧嘩の仕方を教えているのではありません。
 「礼に始まり、礼に終わる武道」なんですね。
 塩田先生はそういう武道の専門家で、実力も本物の武道家には違いないと思います。
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塩田先生が、全盛期に今の総合のリングに上った場合どうなるか。


結論から言って、通用しないと思います。
全盛期当時に通用した理由は、一つに格闘技界全体のレベルが低かったからだと思います。
当時は、総合という場もなく、他流派に異種格闘技戦をしようとする人など、あまり多くなかったでしょう。トップレベルの人はそういうことは望みませんでした。中途半端なレベルに人が、そういうことをしていたと思います。
また、当時は総合という概念がなかったので、ノールールに近い戦いでのテクニックなど研究されていませんでした。ですので、一つの競技だけの人なら、その競技を研究しておいて、勝つことも可能だったのでしょう。
塩田先生は、そうやって勝てたにすぎないと思います。今では勝てないと思います。

そして、塩田先生の老後は決してそこまで強くなかったと思います。
達人の存在意義は、限定された条件の中で技をかけられることです。
真剣勝負で勝てることではないと思います。ですので、あの映像は、半分やらせです。
投げられるために向かっています。演武ですから。
しかし、そういう条件の中で、本当に投げています。それはそれですごくすばらしいことです。
ケネディのボディーガードがやられたのも真剣勝負ではありません。
座技呼吸法という合気道の力比べです。関節は極めてません。正座もろくにできない外国人には、案外簡単にかかる気もしますが、それでもあの体格差を跳ね返すのはすばらしいと思います。

その意味で本物ではなく、また本物です。

この回答への補足

さまざまな方の回答を読んでいて、私が思うに、やはり塩田先生は格闘技の天才ではなく、合気道という一種「芸術」の天才であった。ということになると思います。今は様々な選手が様々なバックグラウンドからPRIDEなりK1なりに出場し、すばらしい攻防を見せてくれているわけですが、日本古来の「武道」という少し小さな枠組みで考えると、「合気道」という流派では間違いなく塩田剛三は一流であり、強かった。しかしそれは武道の中の合気道という枠組みの中でのことであって、ルールが無いに等しい、ごちゃ混ぜの総合格闘技などにおいては、塩田剛三というブランドは意味を成さない。ということに行き着くような気がします。合気道の細かい技術の話になると様々な意見が出てくると思いますが、大体の意見としてはこのようなものであると思います。

補足日時:2006/12/27 00:38
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Gです。

 補足質問を読ませてもらいました。

>なるとそれは結局「知っているか、知らないか」ということに行き着くのでしょうか。

そういうことなのです。 須藤元気氏はそれを追及した、と言えるでしょうね。 私の好きなタイプです。 よくアナウンサーが「やりにくい相手ですね」と須藤氏だけにでなくコメントを言いますが、やりにくい、と感じるのはそれだけ「知らない」と言う事にもなるわけです。

時代劇でよく相手に向かって「うっ、貴殿は示現流をなさるな」なんていうせりふを聞きますが、示現流だと分かられてしまうほどおかしなことが起こってはいけないですね。 (もっとも、そう思わせるために示現流の構えをするのは面白いと思いますが)

だからこそ、武道では門外不出が常識なわけです。 また、チェス・将棋・碁のように何重・何段階もの先を見たゲームプランとでも言うか、戦い方をしなくてはならないと言うことになり、結局はかなりの頭おれ脳も持たなくてはならないと言うことになるわけです。

よって、リバーストレーニングと言って「決め技」に持っていくまでの行程を逆方向から流れを作ることで、その決め技に持っていける状況を何十も自分に作り出すことが出来るようにするわけです。 つまり、誘導、誘いを5段階前から作り上げていく、と言う事になるわけです。

この段階が多くなればなるほど相手にはその流れが見えないわけですから結局決め技に「誘導」させられてしまい「後の祭り」になってしまうわけです。

>古来からの伝統的な技や動きと、現代の総合格闘技における新しい技や動き、いったいどちらを優先的に、というか重点的に教えていけばよいのか、昔の先生はこのような技を稽古した。しかし今はこの技が主流にあってしかも有効的だ。というような状況が多々あるかと思いますが、Ganbatteruyoさんはどのように現場で教えておられるのか、教えていただきたいと思います。

根本的な理解が日本ではうまく教えていないように思われて仕方がないと思います。

日本の武道の多くに「技」と言われるものがありますね。 空手の場合でしたら、立ち技、突き技、打ち技、蹴り技・受け技などがそうです。 そしてそのすべてに名前がついていますね。 三戦立ち、手刀打ち、追い突き、回し蹴り、下段払い受けと言うようなものです。 残念ながら、これらに技と言う表現を使っている為に大きな「誤解」が起きてしまったのです。

技、と言われているから、「使う技」と言うように誤解されているわけです。 そしてさらに悪いことに、それらを習っている弟子たち、そしてさらにそれらを教えている先輩たち、さらにそれらに対して何も感じない自称師範たち、は全くこれらの「技」に疑惑を感じていないのですね。 あくまでも、技として教えているのです。 言い換えると、誰も、なんで前屈立ち、騎馬立ちなどの「立ち方」を習わなくてはならないのか疑問に思わない、のです。 思わせない、と言って法が良いかもしれませんね。 また、自称師範たちも実は教えてもらっていなかったのかもしれません。

空手をやっておられなければわからないかもしれませんが、前屈立ちというたち方を覚えなくては空手をやっているとはいえません。 しかし、なぜこの立ち方を知らなくてはならないのか、全く教えてくれないのです。 この教えてくれないことがすでに60年もたってしまったのですね。 ですから、たち方は教えるけど使うことはない、使うのは方をやる時だけ。 もっと顕著なのは手刀です。 試合でも使いません。 貫き手なんかもっとひどいですね。 誰も教えてくれないのです。 形(かたち)以外は。

私が教えることは昔からのやり方です。 寄ってこれらの「技」はすべて教えます。 教えなくては次が教えられないからなのです。 日本ではこの「次」の部分がなくなってしまっているのです。

数字を教わりますね。 ひらがなを教わりますね。 漢字もアルファベットも。 なぜですか。 これらを覚えてそれで良い、と言う事はないですね。 「技」は武道の数字、漢字、アルファベットだと言うことを教えてくれていないのです。 型は算数や単語です。 ですから、型の試合は、どれだけうまく「アルファベット全部や単語を言えるか」という事を試合にしているとしかいえないのです。 だから、実戦には使えない、と言う事なのです。

これらの技がどれだけすばらしいものであるかは「教える為の土台作り」だと言うことをしっかり理解していれば「次なる習得」が始まり、結局、有無を言わせない実力として空手・武道が使えるようになるわけです。

小手返し、腕ひしぎ十字固めなど一般的にすら知られている業がなぜ空手道場で教えてくれないのでしょう。 小手返しをする為に「正拳突き」がなければ小手返しの「小」も始まりません。 引き手を知らなければ十字固めもうまく決まらないでしょう。

私たちは40-50ほどの「技」から275000ほどの武道要因を教えます。 負けないために必要なすべての本当の意味での技は275000ほどある、と言うわけです。

伝統武道のすばらしさと「強さ」がすべて組み込まれているわけです。 アルファベットをいえるだけではしゃべれないのです。 しかし、しゃべれるように教えてくれなければしゃべれるようにはならないのと同じですね。 武道の真髄とはちゃんと存在するのです。

そして、その真髄は教わらなくては自分のものにはならないのです。 教えられない自称師範では無理だと言うことなのですね。 武道とは流れのごとく、とよく言われますが、常に向上を求めるものであるからこそ、下流に行けば行くほどとめることの出来ない強さを持つことになるわけです。 上流で小川が池にはまってしまって射るのが日本の多くの自称武道家であり自称武道なわけです。 向上を続ける格闘技に形だけの自称武道は勝てません。 合気道の多くが空手と同じ道を歩いてしまっているわけです。 護身術にすら使えないのです。 

また書いてください。

この回答への補足

再度の丁寧な回答ありがとうございます。相手に知られないこと、門外不出の本当の意味が初めてわかりました。私は柔道を何年もやっているのに、その言葉の意味すら考えませんでした・・。実は私も須藤元気選手のトリッキーな動きや哲学的な考え方など大いに感心するところはあります。彼は「自分が嫌な時、モチベーションが上がらない時は練習を一切しない」ということを言っていて、とても驚きました。あれだけのトップファイターなのに、気が乗らないときは練習しない、しかもそれが何週間も・・・そんなことを私が学生時代に口にでもしたらコーチや先輩に張り倒されるのがオチですが、彼はすごく発想が自由というか、自分に正直というか、いい加減そうに見えて、裏を返せばどうすれば相手に勝てるのかを真剣かつ冷静に考えているからこそ、休みを取って、体と脳に休息を与え、その奇想天外な技や攻略法を生み出しているのかな・・と私は勝手に想像しております。
「武道とは流れのごとく」の教え、非常に参考になります。私は学生時代、常に勝つことを目標に、技を磨くことを追求し続けておりました。しかし社会人になって教わる立場から教える立場へ変わることで「型」の教えや、礼ひとつ取っても意味があると今になって再認識しております。が、やはり試合には勝たなくてはいけない、勝たせなくてはいけない、なんだかんだいっても、子供たちに成績を残さなくては、この道場には人が集まらなくなってしまう。などど考えることもありつつ・・・手っ取り早く勝てる技・トレーニングなどを重点的に教えてしまうこともあります。アルファベットを通り越して、一気にハリウッド映画を見せるといった教え方。子供にもよく「型なんかうまくなっても、弱い人は弱いよ」などと聞かれることもあり、まぁ実際そういうところもあるにはあるのですが・・・この問いは多分合気道や空手の型などにも言える事かと思われますが、Ganbatteruyoさんの言うように土台作りの意味としての型ということには私も賛成なのですが、それは本当に「基本中の基本」ということであって、人間の筋肉・骨格は千差万別なように、その後は自分自身の「型」を自分で作っていかなければ発展していきません。「構えあって構えなし」がある意味正解である気はします。結局何を基準にし、何のために武道を教えていくのか?ということに行き着いてしまうわけですが・・・最後に「40-50ほどの「技」から275000ほどの武道要因」というのは、具体的にはどのような考えなのでしょうか?

補足日時:2006/12/26 23:48
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投げられてやっているというより、そうしないと怪我をするか、激痛で跳び上がっているかだと思います。

その点については嘘ではないでしょう。

>どこかの格闘技試合に参戦して、圧倒的な技で勝利しているような、誰が見ても納得できる証が私は欲しいのです。これは私個人だけの意見ではないような気もします。

合気道は平和を重視する為、無理だと思います。そもそも「格闘技」では勝ち目ないでしょう。格闘技選手が合気道道場に赴き、失礼にならないようにお手合わせを請う (教えを請うような気持ちで) 形なら、可能かもしれません。もちろん、道場は本部の道場を選びましょう。最高峰の先生が居られるでしょうから。武術ではないし試合もない。この特異な武道の実力をぜひとも拝見したいですね。

この回答への補足

合気道に関して、私はあまり詳しくはありませんが、「平和を重視する」「攻撃はしない」という教え、確かに非常に高尚なお考えかと思われます。しかしこれをもっと掘り下げて考えていくと、その武道が何のために存在しているかという、根源のお話になりますので、ここでの答えは出ないと思われます。ただ私が思ったのは、嘘やまやかしではなくて、真実を知りたかったということです。塩田先生のお弟子さんが吹き飛ばされるのを見て、彼らは本当に真剣に塩田先生を攻撃してやろう、あわよくばみんなでいっせいにボコボコにしてやるといった感じではなく、とりあえず胴着の袖を「捕まえ」ようとして、コロッと投げられている。と見えたのです。というかそう見えたのは「実際そうであったから」と思わざるを得ません。あの怪しい黒胴着の合気道のおじいさんが総合の選手にKOされていたのは真実ですし、私にはあの総合選手が真剣に攻撃していたと見えました。ただそれだけのことです。

補足日時:2006/12/26 23:55
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アメリカで使える伝統空手と護身術を教えている者です。



まず断っておきますが、下に書くことと塩田先生の技量を批判する者では決してありません。

しかし、物事すべてに通用することがひとつあります。 そしてそのことは今回のご質問にも大きく影響することにもなるのです。

それは、時代と言うものが「知らなかったことが武器となりまたそれが向上の元になる」と言う事なのです。 わざと武器と言う名前を使いましたが、それは、「勝ち負け」に影響するもの、と言う意味です。 車にしろ、アメリカの車は「すごかった」のです。 零戦はすごかったのです。 もう少しヒントですね。 ライト兄弟の飛行機はすごかったのです。 ベルの電話機はすごかったのです。 アメリカのテレビはすごかったのです。 ソニーのトランジスターラジオはすごかったのです。

そして、グレーシー柔術もすごかったのです。 桜庭氏もすごかったのです。

お分かりでしょうか。 なぜ「武器」と言う表現を私がしたのを。

持っている武器を知らない相手は武器が使えるのです。 その武器のことを知っている相手には聞かない、といえば分かってもらえますね。 日本の世界一の武蔵や大和は世界一の「武器」だったのですね。 しかし、武器としては使えないまま撃沈されてしまいました。 世界一じゃなかったからですか? いいえ、アメリカ軍がすべて知ってしまっていたからなのです。 弱点はもちろん、航路と作戦を知ってしまっていたのです。

ケネディー氏のボディーガードはなぜやられたのでしょうか。 ボクシングをしてやられたのでしょうか。 柔道着を来て同じマットで同じルールの下で戦ったのでしょうか。

グレーシーがもう勝てないのはなぜでしょうか。 格闘技が何でもありでなくてはならないと言う「常識」が全くない(今もほとんどない)状況でそれに近づけたトレーニングをグレーシーがやっていたからなのです。 相手が勝てない状況を作りながら、相手の知らない(防御方法も知らない)技を習得していてどうやって相手が勝つことが出来ると言うのでしょうか。 

これを、漠然といっている文章が、「技量が同じであればxxxが強い・大きい・重いのであれば、、、、、」と言う表現をしているわけです。

今の時代に、特にアメリカのボディーガードが手首への関節技は決してかかりません。 なぜなら、もうすでにこの技を知っていてそれに対する防御実力を備えていなければ「近接ボディーガード」の役は出来ない、からであり、アメリカ人でさえこれらの攻撃技は心得ている人が大変多くいるからですね。

つまり、「あの時代」の塩田師の技の存在を無視していないのが今の時代なのです。 ですから、いまの時代の「戦える」人間であれば(格闘技家と言う肩書きがなくても)、あの時代の技は「効かない」と言って良いと思います。

しかし、再度書きますが、だからと言って塩田先生がだめだ、と言う事では決してないということはお分かりですね。

ゼロ戦を今もって来てセスナを戦闘用に改良したものでも多分勝つことは出来るでしょう。 そしてその戦闘用と言う事はゼロ戦に勝つ為の仕様が成されているということなのです。 戦う人間を「塩田先生に勝つ為の仕様」が施されていれば勝てる、と言う事なのです。

つまりは、実力を持ち教えることの出来る指導員と素質を伸ばせる余裕がある人間が「合流」すれば良い、と言うことであり、なぜ私がここまで、「教えることの出来る指導員を養成する必要があるとする常識」を広めようとしているか、お分かりですね。

武道に終わりなし、と言う事が今回のご質問への回答の一部になるわけですね。

そして、なぜ、武道に先手なし、と言う道場訓があるのか。 先に手を出すな、卑怯だ、喧嘩をするな、なんていう表面だけの意味では決してないですね。 これも今回のご質問の精神的・体力的の両方の「先手」がすなわち「相手に負ける」と言うことであり、それすなわち「勝ちたいと言う自分に負ける」わけなのです。 体ごとかかって来ない(先手なし、ですね)相手に対してかなりの不利を感じるのがあの時代だったわけです。 これを知らなければ、この観念は今でも使えると言うことであり、使える護身術は50キロもない女性でも戦闘技術を持ったSWATでもじゅうぶん使状況を作り上げていくことが出来るわけです。 

合気道を例に取ると、「和を作れない状況では」負けるのです。 先手を見せずに作り出すすばやいパンチやキックに「後の先」でしか反応できない合気道では一発で殺されることになってしまうのです。 現代の合気道の弱点とも言えると事です。 しかし、これに気がついている合気道かと合気道指導者は「先先の先」の重要性を前に持ってくるわけです。 合気道が実戦に使えるようになるにはかなりの年月が必要とする、と言う理由がここにあるわけです。 そして、狭い意味での、また、護身術として使えるように教えていないにもかかわらず合気道は護身術として使えるぞと言うのは過信としか現実的に見えないと評価されても仕方ないことなのです。

ですから、護身術について「べらべら喋り捲りインターネットでサイトを作る」自称護身術専門家は護身術について何も分かっていないと言うことになるわけです。 アメリカの一部で、私は時期が早すぎると主張していますが観念的には同意していることですが、これらのサイトを法的にシャットダウンさせようともしているわけです。 「戦術」を漏らしている無能な自称指導員は犯罪者をトレーニングしていると言うことに全く気がついていないわけです。 

>同じ技量の選手で30キロの体重差があれば、あらゆる技が効かなくなるのは常識。

確かに方程式ではそうでしょう。 しかし、同じ技量を持つことは不可能という事を知っていただければ、必ず、「効く」技が存在するか存在させることが出来るのです。 これは、武道に終わりなし、につながるわけですが、50キロの女性が130キロの男に「勝てる事を証明できている」ということからして「いつかは必ずチャンピョンは負ける」のです。 

これが試合相手の研究と自分の弱点の徹底的な改良とが自分を伸ばす訓練の補助になるわけです。 ですから、この二つの項目をやるかやらないかで「同じ技量か以下に見えても勝てる自分」を作っていくことになり、何万人と言う格闘技プロはやらなくては「飯は食っていけない」と言う事になるのを十分知っているわけです。 そして、警察官であろうと女性であろうと自分をどんな武器からでも身を守ることが出来るわけです。

言い換えると、桜庭氏打倒専門に訓練する人はそれだけ桜庭氏に勝てる可能性を高められると言うことであり、桜庭氏自身もそれを越した実力をつけて行かなくてはならないと言う試練があるわけです。 「打倒Sakuraba」への参加者はすべての桜庭氏の弱点を狙ってくるわけです。 ですから、自分の弱点を知る、と言う事がどれだけ重要なことなのかお分かりですね。 そして、それを見つける指導員・トレーナーの価値というものが高くなってきた時代でもある、と言う事なのです。

桜庭氏を追いかける人間は桜庭氏だけを考えれば良いわけです。 しかし、桜庭氏は追いかけてくるすべての人間の「自分の弱点をつぶそうとする攻撃方法(2段も3段も先を見た攻撃方法)」に対しての「防御策」を練らなくてはならないととてつもない重荷をしょっていることになるわけです。

(上に桜庭氏の例を持ってきたのは単なる私の回答へのイラストの為のものであり批判したり見下げていると言うことはないことはどうか理解していただきたいと思います)

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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この回答へのお礼

実体験からの貴重なご回答ありがとうございます。確かに塩田先生の技に関して、アメリカのボディーガードは知らなかった、だから簡単に技がかかった。常に格闘技は進化する「武道に終わりなし」というご意見には大いに感服いたしました。と、なるとそれは結局「知っているか、知らないか」ということに行き着くのでしょうか。グレーシー柔術然り、桜庭選手然り、情報を知っていることは物事の勝ち負けに関して大きなファクターとなる。言われてみればそのとおりだと思います。柔道の始祖嘉納治五郎先生も、かつて大柄なロシア軍人をいとも簡単に投げ飛ばしたという話を聞いたことがありますが、もしそのロシア人が柔道なる「未知の格闘技」を知っていたならば、この小柄な老人に投げられることは無かったでしょう・・・。やはり私の考えは間違っていなかったような気はいたします。
再度ご質問しますが、このように進化する格闘技の世界でそれを教えていくことについて(私自身も人に教える立場にいますが)、古来からの伝統的な技や動きと、現代の総合格闘技における新しい技や動き、いったいどちらを優先的に、というか重点的に教えていけばよいのか、昔の先生はこのような技を稽古した。しかし今はこの技が主流にあってしかも有効的だ。というような状況が多々あるかと思いますが、Ganbatteruyoさんはどのように現場で教えておられるのか、教えていただきたいと思います。

お礼日時:2006/12/24 23:10

合気道に関しては正直、私には高度すぎて動き自体を


分析できるレベルではないですが身体全体で動いたり
2軸と言って下半身の力(股関節)の力などを使って技を
かけていれば30キロの体重さなど、あまり影響はないと思います。

30キロの差で技がきかなくなるのは、あくまで力だけで技を
使っている場合です。
身体全体の使い方、そして合気道は力ではなく相手の動きに
同調しているのでそのぶん相手の重心を崩しやすいですし
体重差は関係ないと私は思います。
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動画が挙げられていますが、合気道批判には向きません。

この人は動きが悪い。突き蹴りの出を感じ取れていない様子ですし、達人ではなさそうです。自称達人かなにかではないでしょうか。なぜか「ずるい」って声まで入ってますし、宗教化してる感じも・・・。そもそも合気道の胴着って黒色ではないのでは?
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この回答へのお礼

たしかに言われてみれば、怪しいおじいさんという感じですね。しかしただ一つ言える事は「このおじいさんは偽合気道家で、本物はこうなんだよ」と胸を張ってどこかの格闘技試合に参戦して、圧倒的な技で勝利しているような、誰が見ても納得できる証が私は欲しいのです。これは私個人だけの意見ではないような気もします。いろいろな格闘技の諸流派がありますが、本当に男一匹(女性でも)でリングに上がって、ぶん投げるなり、間接を極めるなり、KOできる合気道の選手を見せて欲しいと思います。でなければいつまでも疑心暗鬼の念が消えることは無いと思われます。諸条件があってうんぬん・・とゴネて、結局闘わないのでは、やはり説得力がありません。

お礼日時:2006/12/24 22:30

確かに体重差があればかなり有利でしょう。


しかし、関節は体重に関係なく存在します。実際に「膝カックン」は子供でも大人にかけられるでしょう?
出来ないのは押さえ込みや投げ技などです。相撲と同じルールなら小柄でも勝機はありますが、技はかなり制限されるのでは無いでしょうか。
格闘技をなさっているなら、関節技を受け方の知らない素人にかけたらどうなるかはご存知でしょう。どんな映像でも本物が素人にかけない理由の一つはその為です。
第二の理由は、実際に素人に技をかけた場合の反応は地味です。小手返しも一回転などしません。膝を折って後ろに崩れるか、ブチッと音がして終りです。しかしそれでは技を見せるパフォーマンスになりません。
あくまでもパフォーマンスだから受身も大きく見せているのです。
つまり、技は本物だけど受身はパフォーマンスと言えると思います。
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>同じ技量の選手で30キロの体重差があれば、あらゆる技が効かなくなるのは常識。



技量が同程度なら、体格差がものを言うのは当然です。
勿論、体格が同程度であれば技量の差がものを言います。
塩田師が賞賛される理由は、技量差で体格差を「ある程度」カバーできたからでしょう。
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