dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

耳垢を掃除しているところを人に見られても、それほど恥ずかしくはありませんが、
鼻くそをほじっているところを人に見られたら、恥ずかしいのはなぜでしょうか。

A 回答 (5件)

恥ずかしいとかおかしいということは、親兄弟や周りの人が自然自然にそのようなことにしてきたのでしょう。


つまり、よいこととしてきたならばその行為はよいことですし、いけないこととしてきたならばいけないことになるのでしょう。
ヘビは怖いと自然に言い聞かせられてきたから、ヘビを見ると怖いとなりますね。
    • good
    • 1

面白いですね、今まで考えたこともありませんでした。


昔、目クソ(めやに)、鼻クソ、耳クソを汚い順に並べたら?という問い
があって、答えは目クソ、耳クソ、鼻クソの順だったと思います。
理由は、鼻クソは大半外部のほこりやすすなどの汚れがメイン。
耳クソは人の垢がメイン、目クソはバクテリアなど病気につながるものが
メインだ、というものだったと思います(間違っていたらごめんなさい)
それは別にして、耳垢は、見た目上大体どんな人でも大差ないものですが
鼻クソは状態がバラエティに富んでいて、みなさん頭の中でそれを知って
いて、しかも汚いというイメージが強く、さらに鼻クソをほじる姿と
顔が実にこっけいだから・・・じゃないでしょうか?

私は人前で耳垢を掃除することも恥ずかしくてできませんけど・・・
    • good
    • 0

面白くて難しいご質問ですね。

しかし>耳垢を掃除しているところを人に見られても は世界のどこかで恥ずかしい行為かもしれません。誰の言葉か忘れましたが「何をもって机となす」という言葉があり、それに拠り所を求めれば次のようなことがいえるでしょうか。見ている人が丸々赤の他人なら私なら恥ずかしいと想いません。「旅の恥は掻き捨て」ですから。>鼻くそをほじっているところを人に見られたら は自分と面識のある人が大前提でしょう。逆に知らない人でも見たほうが恥ずかしいと感じるかも知れません、自分の陰画としてですが。この快感を伴う行為でありながら、鼻は息をするもので、手(指)は作用に使用するものであるという固定観念が突然破られるまたは破る行為は意識の中では本当は恥ずかしいという位置に置くべき行為で無いのに、世の習いがこれを恥ずべき行為としている慣習に逆らえないということです。恋人の前では最悪でしょうが、これも結婚して何年もたてばお互いに恥ずかしいと想うことが無いのは不思議ですね。「オナラ」もそうでしょう。ここで私も再認識するのですが、人間は習慣や歴史にガンジガラメになって暮らしていることに驚くのです。ですから女性が素裸になって町を歩くと罪になりますし、局部の写真を販売すると「猥褻図画販売」で罪になりますが、それで人が傷ついたり死んだするわけではないのですが、「劣情」抱く故に罪になります。つまり常識の域を超えられないということなのです。しかし最近は「ヘアーヌード」写真は取締さえ行われていません。昔なら実刑です。これはどうしてでしょう。実は世間というのは「みんなで渡れば怖くない」のです。ですから地球の気象条件が変化していつも鼻くそがたまるようになりほじっていないと生きてゆけないとなるとこの行為は別に恥ずかしくない行為になります。これは芸術の理解に役立つと想いますがどうでしょう。どうしてかといえば偉大な芸術家は常に世間をみんなで渡らず一人で渡る人なのです。話がそれてしまいました。
    • good
    • 0

人によって違うのではないでしょうか?


堂々と鼻くそをほじって、それを食べる人もよくみかけます。
またトイレに壁がなく、排泄行為を他人に見られても平気という国もありますし。
    • good
    • 0

「汚い行為」だからではないでしょうか。


耳掃除も耳かきでやってる分には気になりませんけど、指突っ込んでたら気になります。

「恥ずかしい」って人に見られたくない行為を見られたときに出る感情でしょうかね。
自身の汚い行為は人に見られたくないから、汚い「鼻くそをほじる行為」はやっぱり恥ずかしいことだと思います。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!