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もう一度 と もう一回 はどう違いますか

A 回答 (8件)

「もう一度」とは自分自身の決意がそこに伴うときに使います。


「もう一回」は、ある経過をたどってものごとが完了するときの言い方になります。

なわとび100回挑戦していて、90回目で失敗したら、もう一回という手間が入ります。
5回目の失敗なら、5はすぐに取り戻せるので、もう一度となります。
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度と回


度はアナログの時系列での位置を表す。
回はどちらかといえばデジタルでのカウント数。
アナログでは時系列表示に多くのスペース、容量が必要、内容に関しては多くを割けない、デジタルは逆になります。
基本的に同じなら、一回戦は使いますが、一度戦はおそらく聞いたことありません、二度とない、も二回とないはほとんど聞きません。
度重なる→内容が同じ(または内容には言及していない)で、時が異なる、回を重ねる→大枠で表現は同じだが、内容(詳細)はその度に異なる。
なーんだ、コピペ丸投げの回答ですか?。
>専門家は、多くの違いを指摘していますが、ウノミにはしないほうがよさそうです
専門家ではない?、引用は?どうでしょう。
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「度」と「回」


 基本的には同じと考えて構わないでしょう。
「もう一度」と「もう一回」もほぼ同様です。

 違いをあげるとすると、慣用句的なものは、ほとんどが「度」になります。
  一度に押し寄せた/仏の顔も三度まで/三度の飯/二度としません

 たぶん、「度」のほうが由緒正しい日本語なんだろう。だから古くからある慣用句は軒並み「度」。「度」が書き言葉的で「回」が話し言葉的なのもそのせいでしょう。

 専門家は、多くの違いを指摘していますが、ウノミにはしないほうがよさそうです。
 詳しくは下記をご参照ください。
【「度」か「回」か 1〜3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2587. …
 以下は一部の抜粋(重言)。

================================
7. 結論
 新聞記事から採取した用例を参考に、共起する数詞や行為の性質との関係を出現頻度の観点から、行為(出来事)を数える助数詞「回」と「度」の意味と用法を比較した。
 「回」と「度」は、かなり広い範囲で置き換えが可能で、基本的に「回」と「度」の意味と用法は重なる部分が多いが、置き換えが自由にできない例もある。「回」から「度」への置き換えが困難な例の目立った特徴として、

 ①接頭辞「第」「全」を付与して数える場合
 ②共起する数詞が小数及び0(ゼロ)の場合
 ③規定された時間枠(期間)の中で規則的に継続・反復するものの頻度数をいう場合
 ④行為の連続、行為の合計、分割を数える場合
 ⑤次回の行為が予測可能な場合
 
が挙げられる。

 ③④⑤の「回」と「度」でそれぞれ頻繁に数えられる行為の比較をすると、「回」は規則的に継続・反復する性質の強い行為の頻度や行為の合計数・分割数を数えるのに積極的に用いられる助数詞であり、一方、「度」は、定期的に継続・反復されなかったり、次回の行為を予測するのが困難な行為、あるいは予め行為の数が分かっていない場合に用いられる助数詞である。「度」が10以上の数詞とあまり共起しないのは、「度」が規則的・継続的に反復される動作を積極的には意味分類していない助数詞だからだと考えられる。慣用表現やことわざの「2度(*回)あることは3度(*回)ある」「3度(*回)目の正直」も、単なる言語習慣だという以上に、「度」の意味が反映されていることが分かる。
================================

 ①~⑤のうち、素直に同意できるのは、①だけかな。
「第3度」とはたしかに言わない。「全3度」もおかしい。これは「回数」と「度数」の違いじゃないか、って気もする。いやその、「回数」と「度数」の違いが何かうまく説明はできませんが。
〈「度」が10以上の数詞とあまり共起しないのは、「度」が規則的・継続的に反復される動作を積極的には意味分類していない助数詞だから〉なのだろうか。よくわからない。いえ、文章の意味がわからないと書きたいわけではない。決してわかりやすくはないけど。単に語呂の問題じゃないかって気もする。
 慣用表現やことわざに「度」が多いのは、そういう言葉ができた頃には「度」の使用頻度が高かったからだと思う。現在は「回」の使用頻度が高くなった、ってだけのことでは。
「度」と「回」を比べると、「度」のほうが書き言葉的で「回」のほうが話し言葉的(だった)。根拠を示せと言われると困るけど。おそらく、元々は「度」のほうが一般的だった。それがどこかで逆転して、「回」のほうが一般的になった。
 さらにややこしいのは、場合によっては「度」のほうが話し言葉的なニュアンスさえあること。典型的なのは【1】のコメント欄に書いた下記の例。
  このたびの新製品
  今回の新製品
  今度の新製品
 イチバン話し言葉的なのは「今度」だろう。なんか幼稚な印象すらある。「今度の会議」になると、幼稚を通り越して「今回の会議」なのか「次回の会議」なのかわからなくなる(笑)。

「度」が不定期的で「回」が継続・反復的というのもどうだろう。
(以下略)
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補足


後に続く言葉を想定して考えれば
例 もう一回試合をさせてください
  もう一度試合をする機会(チャンス)をください
ただし、実際に厳密に使い分けている人がどれだけいるかは、別問題です。
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「もう」は不要、一回と、一度で何が違うか。


二度とない、という表現はあります、二回とない、は使われません。
野球なんかで、一回戦、はあります、一度戦、とは言いません。
上記から想像できるのは、「度」は機会・チャンス、「回」は試行・トライ。
>もう一度 と もう一回
これだけでは、大きな違いがないだけです。
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もう一度のほうが重い感じがする

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同じ意味合いですが、


もう一度は自分発信で重め
もう一回は相手発信で軽め
に使われる事が多いかな。
もう一回を丁寧に言うともう一度になると思うよ。
♪ヽ(´▽`)/
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漢字が違うだけで同じ意味

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https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/menu7_folder/symposium/pdf/8/10.pdf
因みに、わたしは(若くはありませんが)書き言葉でも使っています。
とはいえ、子供の頃は使っていなかったように記憶している。

#6です。

誠に申し訳ありません。
辞書記述をすっかり読んでいなかったため、誤った回答をしてしまいました。(大辞林でも、「歌わない です」の形を認めています)
お詫び申し上げると共に、全面的に訂正させていただきます。


「です」は、昭和初期ぐらいまでは、名詞・体言に接続するのが基本だという考え方から、「歌わないです」ではなく「歌わないものです」のような表現が一般的だったようです。
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 いくら何でも、そんな古めかしい言い方に戻れるものかという否定派は今もあります。ところがここでまた、「素晴らしかったです」「よかったです」を、「素晴らしかったでしょう」「良かったでしょう」と、「う」をつければスラスラ通じてしまいます。こんな話がこのサイトでも続けられてきました。
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こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
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「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
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皆さんが触れられていない点で、私が重要だと思うのは、「です」にも2種類ある、という考え方です。
これは、たぶん私の学生時代(ン十年前です)から言語学のほうではそうだったと思うのですが、確証はありません。私はずっとそう考えてきました。
今回、改めて国語辞書の記述を見、辞書の付録の「助動詞活用表」などを見て、「です」が一つしかない(「丁寧な断定」という用法)ことにちょっと驚いたくらいです。まあ、国文法の分析が言語学(少し前の「日本語学」)と違うのはよくあることですが。

かんたんに言えば、「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」と、「形容詞+です」の「です(2)」は違うものだ、という分析です。(「形容動詞」を「ナ形容詞」と言い換えるのは、今回はやめておきます。)

上に書いたとおり、「です(1)」のほうは、「だ」の丁寧な形、です。「断定」(この用語は好きではありませんが)の助動詞で、丁寧さによって形が分化します。
   学生 だ/です   まじめ だ/です

それに対して、「です(2)」のほうは、「だ」とは対立しません。
   美しいです (×美しいだ)
この「です(2)」は、「断定」の機能を持たず、「美しい」という、すでに「断定」の機能を持った言い切りの形に「丁寧さ」を加えているだけです。つまり、「断定」の助動詞ではなく、「丁寧」の助動詞です。(動詞文の「ます」に対応します)

また、「です(1)」は活用を持ち、「でした/でしたら」という形になります。
   学生でした   紅葉の名所でしたら、例えば、、、
(「でしょう」を活用形とは考えません。「だろう/でしょう」は一語の助動詞と考えます。)

それに対して、「です(2)」は活用を持ちません。
   ×美しいでした (美しかったです)  ×美しいでしたら (美しかったら)

(ここで、「美しいなら」の「なら」を、「だ」の活用と見るか、という問題も関係するかもしれませんが、まあ、これは「なら」をどう考えるかという、もっと複雑な問題になります。私は、「だ」と「なら」は、少なくとも現代語では、別物と考えます。)

ということで、多少の言い訳を必要としながらも、形容詞文の丁寧体として、「美しいです」は一つの位置を与えられるわけですが、さて、それがなぜ「不自然/不安定」に感じられるのか、1131tobiさんによれば「厳密には誤用」と言われてしまうのか、です。

ちょっと話の流れを変えます。
日本語の文の分析法として、文を「命題+モダリティ」という形で考えるということがあり、かなり一般的になっています。(国語学では「叙述+陳述」という、似た考え方が昔からあります。)

これによれば、文の終わりには、話者(書き手)の、その文の内容に対する「断定」や「推量」など、話者の「意志」、あるいは聞き手に対する「命令」や「勧誘」、「確認」「質問」などの、ある種の「態度」が現れる、とされます。
これは、用言のいわゆる「活用形」や助動詞によって表されるわけです。「ね」や「よ」などの終助詞もモダリティを表すとされます。

ここで問題になるのは、「丁寧さ」というのはモダリティなのか、ということで、どうも文法の中の位置づけが微妙なものです。
前からの呼び方では「文体」の一つの要素なのでしょうが、それは文を文として成り立たせる必須の要素、つまり「文法」の一部なのか。

で、私の考えでは、「形容詞+です」の不安定さは、この、「丁寧さ」が文を終結させるためのモダリティとしては不十分だ、というところにあるのではないか、となります。

「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」は、「断定の助動詞」に丁寧さが加わったもので、立派な(文を終結させる「力」を持った)モダリティですが、
   学生/まじめ です(断定+丁寧)
「形容詞+です」の「です(2)」のほうは、「丁寧さ」だけの機能しかないので、
   美しい(断定?)+です(丁寧)
という形が、文の終わり方としてどうも安定しない、と感じられるのではないか。

「美しいです」が不自然だという人も、「美しいですか/ね/よ」などにすると安定するように感じる、というのはなぜか。これに対するうまい説明は今のところないように思うのですが、どうでしょうか。(単に私が知らないだけかも)
終助詞「か/ね/よ」が文終結のモダリティとしての機能を持つからだ、と考えるとうまく説明できます。
   美しい+です(丁寧)+ね/よ/か(確認/主張/質問など)
もちろん、「でしょう」をつけても、「でしょう」の持つ「推量(あるいは確認)」というモダリティによって文として安定します。
   (たぶん)美しいでしょう。
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これは、世代が違ってもあまり変わらないようで、今の若い人も「形容詞+です」には何らかの不安定さを感じるようですが、どうでしょうか。
「「ね」や「よ」をつければ自然だから、変じゃないよ」というのは、上に述べたように「形容詞+です」の弁護にはなりません。

以上、私の考えをざっと述べてきましたが、ただ、「モダリティ」という概念は、研究者によってかなり幅があって、不用意に使われすぎている感があります。この概念そのものの検討が必要であり、いろいろ行われているようですが、私は不勉強でよく知りません。
(さらに、「文が終わる」とはどういうことなのか、「文成立の要件」となると、もう、根本的な議論になり、わけがわからなくなります。「文とは何か」ですから。)

この「形容詞+です」の不安定さ加減は、話し言葉では語調によって文の自然さが変わってくるので、微妙です。

   「どうですか?」「いやあ、なかなかがんばってますねえ。面白いです!」

などと、ある種の強調を込めた言い方をすると、それなりに自然な文として成り立つように(私には)思われます。
(語調が(文終結の)モダリティの機能を肩代わりする? 語調が文の意味を変えることは、「ある。」「ある?」など、ごくふつうのことです。単に「歩く。」と言うと描写あるいは意志に過ぎませんが、「(さっさと)歩く!」とある語調で言うと「命令」になります。)

なお、「話しことば」と「書きことば」で、後者のほうが「正式な」ことば、「正しい文法」の基準になるようなものと考えることは、私はしません。

言語学の考え方では、話しことばのほうが言語として自然な形であって、書きことばはそれに何らかの人為的な手が加わっているものだと考えます。(明治期の「言文一致運動」などを考えればよくわかることだと思います。)
言語の音韻や文法は、人間の意図とは別に、それこそ「自然言語」であって、自ずから文法の体系ができあがっていき、また変化をするものだと考えます。

「書きことばの文法」というのは、「規範文法」への傾斜を持ちやすく、「素晴らしい言語文化・言語芸術」がその後ろ盾になります。そうすると、言語としての本来の自由さ・内発的なエネルギーが失われてしまいます。それでも、話しことばはそんなことにかまわず、本来、内部にあった動きがどんどん現れてくるのだろうと思います。
それに対して、より以前の文法を持った世代がいろいろ抵抗感を持つことは、当然のことですが、それはまあ、時代の流れということで。

上に述べた私の考えは、「形容詞+です」に関しては、「単に新たな変化の一つで、そちらへ(いやでもおうでも)動いていかざるをえないもの」というのではなくて、文の作り方として少し無理があり、世代が変われば移っていくものとはかんたんに言えない、という見方です。
あと50年もしたら、どうなっているのでしょうか。あまり変わらず、「ね」や「か」をつけて使われ続けているのでしょうか。(「動詞+ないです」のほうも、興味深い現象ですが、これはまた別の話だと思います。)

もう一つ、「国語審議会」が認めた、という話ですが、「これからの敬語」自体が国語審議会の答申の一つ、ということなのではありませんか?(今、「これからの敬語」のアドレスをコピーしようとしたのですが、なんと「メンテナンス中」だそうです!)

長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

saburoo

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやす...続きを読む

Q「今一度」と「もう一度」の違いって??

こんばんは!

突然ですが、「今一度」と「もう一度」の意味はどう違うんでしょうか?
私は、「もう一度」は、単にもう一回、という意味。
「今一度」は、今あらためて、立ち止まって考え直すような…うまく言えませんがそんなニュアンスがあると思っていました。

しかし、今知人にその意味の違いをはっきり説明しろと言われ、「はっきりとは答えられないな~」と思って、ネットの国語辞典で調べると、「今一度」はヒットしないんです…(調べ方が悪いのかも><)。
紙の辞書で調べたいところなんですが、今手元にないんです。

どなたか、わかる方ご説明していただけませんか??


*明日使用する資料に使いたいので、できれば早めに教えて頂けるとありがたいです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 「また一度」では時間の前後性も、その行為者の誰彼や、前後の状態の如何にも関係なく、ただ「行為や現象の繰り返しや事柄の重なり・再発(アゲイン)」に用いられるが、その点「今一度」の方は時間的な再現性、従って自然的な変化の程度での「叶う限りでの再現(プレイバック)」のトーンが強く、他方「もう一度」の方はその時間性よりも、行為者や前後の状態の同一性をもう一回追加するという「行為者の意思や当事者の自発性(ワンス・モア)」の側面が強調されているのではないでしょうか。

「夢よ、もう一度(いちど)」では、まさにワンス・モアであり、そこには漠然とした願望だけでなく、更に一回追加しようという自発性や行為意思が忍んでいる。
「夢よ、今一度(ひとたび)」となると、当人の意思というよりも漠然とした希望や他からのチャンス到来を当てにする他力本位なニュアンスが混じりこんでいる感じがする。
「夢よ、また一度」となると、一度ならず二度三度でも有り得るような、あるいは当事者が変わってもかまわないような、繰り返しの意味がハッキリしてくる。

結局、「…いちど」と一番に親和性があるのは「もういちど」ではないでしょうか。
「今ひとつ」「イマイチ」「今一歩」など、自発的側面より希望やその裏返しの不満といった他力性のトーンがあって、「いまいちど」といっても当人の意思が薄い感じで「いまひとたび」という願望色のある言い方が相応しい気がします。

 「また一度」では時間の前後性も、その行為者の誰彼や、前後の状態の如何にも関係なく、ただ「行為や現象の繰り返しや事柄の重なり・再発(アゲイン)」に用いられるが、その点「今一度」の方は時間的な再現性、従って自然的な変化の程度での「叶う限りでの再現(プレイバック)」のトーンが強く、他方「もう一度」の方はその時間性よりも、行為者や前後の状態の同一性をもう一回追加するという「行為者の意思や当事者の自発性(ワンス・モア)」の側面が強調されているのではないでしょうか。

「夢よ、もう一度(...続きを読む

Q広辞苑で説明文の下に たてもじで 「という語。 「上。 「寧にいう語。とか があるんですがこれって何

広辞苑で説明文の下に
たてもじで
「という語。
「上。
「寧にいう語。とか
があるんですがこれって何ですか?

Aベストアンサー

スペースを節約するために、文章を折り返していることを示しています。
カギの向きで、前行の続きか、次行の続きかを区別できます。

Qこの言葉って何て言うんでしたっけ??? 運動をできた日を記録しているんですが、ある一定以上の質量をで

この言葉って何て言うんでしたっけ???

運動をできた日を記録しているんですが、ある一定以上の質量をできた日があればそれ以前にできなかった日も特例の免除のような形で運動をできたものとしています

それでその時の理由を書くんですが、その際にいつもは繰越と書くんですが繰越は言葉の定義としておかしいと思いますし、繰り上げ・繰り下げも正しいのか分かりません
免除・特例も理由じゃなく結果な気がしますし…

何という言葉が適当だと思われますか???

Aベストアンサー

毎日の絶対義務ではなく、一定期間内での一定量の義務ということですね、日毎の変動は不問。
でも、それよりも融通の利かないやり方?。
プロ野球勝敗で、貯金なんて言葉聞きますね、前日の貯金があるから今日はなしで行こう・・なんてね。
一言で代替できる言葉はありません、規定量以上を貯金として扱う、とそれを取り崩しての、みなし規定があれば、可能と言うことになります。
逆もあります、マイナス貯金は、後日の規定量以上を充当できる、みなし規定。
何が何でも・・・と言うなら、運動量記録のみなし運用(運動量のみなし運用記録)とでも?、でも逆にこの表現から質問内容の実態は想像できません。

Q「知りたいです」と「知りたいと思います」の前に、「名詞+を」それとも「名詞+が」が正しいのでしょうか

日本語を勉強中の中国人です。「知りたいです」と「知りたいと思います」の前に、「名詞+を」が正しいでしょうか。それとも「名詞+が」が正しいのでしょうか。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

を も が も正しくて、意味も同じです。

知りたい は 他動詞 + 助動詞 の形ですが、助動詞 たい は 形容詞型 の活用をします。

「名詞」を他動詞の目的語と考えれば助詞 を が付きます。

助動詞 たい が形容詞型の活用をすることから、知りたい を一つの形容詞と考えると「名詞」は主語になり、助詞 が が付きます。

「名詞」がどうしたのかと聞かれれば、「名詞」が知りたいのだ というニュアンスです。こちらの方が「名詞」を若干強調した言い方になります。

Qまた「台」について(「58秒台」の意味)

日本語を勉強中の中国人です。先日「16時台」の意味についてお伺いしました。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10693009.html

今日また「58秒台」というわからない表現をNHKニュースで目にしたのですが、どういう意味なのか教えていただけませんか。画像を添付いたします。「台」のこのような使い方はまだよく理解できておりません。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

この場合の「58秒台」は、「58秒00~58秒99」のことです。
7月に「59秒28」の日本新記録をマークして、次は「59秒を切る=58秒台」を狙うということ。

「50秒台」の場合は、「50秒~59秒」か、「50秒00~50秒99」かは、話の内容によりけりです。

為替レートで「1USドル=110円台」という場合は、110円00銭~110円99銭だったりします。
キャベツが「1個=110円台」という場合は、110円~119円だったりします。

要するに、「大体の範囲」が「どのくらい大まかか細かいか」は、話の内容や状況によるということです。


大辞林 第三版
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%B0-90713
だい【台】
二 ( 接尾 )
助数詞。
② 数量の大体の範囲を示すのに用いる。例えば「千円台」は一〇〇〇円から一九九九円まで。 「百番台の成績」 「九時台の列車」

Q文中の「列挙する」は自然でしょうか

日本語を勉強中の中国人です。下記の「列挙する」という日本語の使い方は自然でしょうか。いくつかのパスワードの設定ルール(8桁以上、同じ数字やアルファベットはだめなど)についてお客様にご紹介する時に使いたいと思います。

パスワードの命名方法について下記に(列挙いたします)。

「あげさせていただきます」でもよろしいでしょうか。特に( )に使える動詞がたくさん知りたいと思います。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

質問文の訂正点
・「パスワードの設定ルール」→「パスワードの設定」
・「ご紹介する」→「案内する」
・「命名方法」→「設定方法」
・「列挙します」→「示(しめ)します」「挙(あ)げます」「記(しる)します」

また、全体としては、
「パスワードの設定方法については下記をご参照ください」
の言い方もいいですね。

Q「海や山などに行く」

「や」
[並助]名詞、名詞に準じる語に付く。事物を並列・列挙する意を表す。「赤や黒や青が混ざり合っている」「海や山などに行く」「甘いのや辛いのがある」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/220994/meaning/m1u/%E3%82%84/
「わたしは夏休みに、海や山に行く」は、どちらにも行く、という意味だと思います。(ややこしくなるので大辞泉の例文から、あえて「など」を省いています)

では、「あなたは夏休みに、海や山に行きますか?」と尋ねられた場合はどうでしょうか。
どちらか一方に行くなら、「はい」「いいえ」の2択でなんと答えますか。
感覚的には「はい」で良さそうに思うのですが、ちょっと自信がありません。
正しくはどうなんですかね。
あるいは、みなさんはどう思いますか。
理由とともにご回答いただければ有難いです。
ふと思いついた疑問ですので、お気軽に。

Aベストアンサー

ご質問の場合は、可能な選択肢を表しているのであって、実際どれを選択するかはまだ決まってはいません。朝はご飯やパンや麺類を食べる。/食べますか?
「お礼」に書かれたように、可能性が全く無いならば選択肢にも入れませんが、所詮可能性の話である事は変わらないので、ついでに入れておいても害は無いだろうと思います。
同じ理由で、1つでも実効可能性の高い選択肢があれば、「はい、食べますよ」という答えになるのだろうと思います。
「や」は確かに並列ですが、名詞の1つ1つは分離されて選ばれる位置に置かれますが、このことは、同じ並列でも「と」とは異なる特徴です。
「海と山に行きますか」と問われ、金槌であれば答えは当然「いいえ」になりますね。

Q受身・使役について聞きたいです

使役の場合

窓を開けて花に水をやる

他人にやらせる場合はどう表記すればいいの?

弟に、窓を開けて花に水をやらせる?  

受身の場合

Aがドアを外して運んだ。

ドアがAに外されて運ばれた?

それとも、ドアがAに外して運ばれた?

Aベストアンサー

質問者さん、
#13、#14さんへの応答許可願います。

(#13)
1.
>「弟に、窓を開けて花に水をやらせる」
「弟に窓を開けて花に水をやらせる」

これではたとえ「読点」があってもあいまいです。
「やらせる」で終わっているからでしょう。
「窓を開けて」の部分が十分に明瞭になっていません。

なるほど、それはある一面では正しいですね。

「(私は)弟に窓を開けて花に水をやるように言いました」

という文はすんなり耳に入るのですが、

「(私は)弟に、窓を開けて花に水をやらせる」

のように表現するシチュエーションが極めて少ないためなのでしょう。
ただ、たとえば、

「(私は)弟に、窓を開けて花に水をやらせる。これが私の日課です」

のような文脈であれば違和感は無いはずです。
つまり、こうしたシチュエーションを想定しさえすれば良いだけの話です。

2.
>「弟に窓を開けて花に水をやるように言いました」

と、この場合は「読点」がなくても分かります。
使役を使わず「ように」でまとめていることと「言いました」とあることから、「弟に」がこれを言った相手であることが分かります。そして、この中間部分が、言った内容だと分かります。

『「読点」がなくても』分かるのは、このように言うシチュエーションが容易に想像できるからです。
『使役を使わず「ように」でまとめていることと「言いました」とあることから』分かるわけじゃありません。
それを言うなら1の場合も、「やらせる」とあることから、「弟に」これをやらせた相手であることがわからないとおかしいでしょう。
中間部分がやった内容だと分かりづらいのは、単に、先述いたしましたように、このように表現するシチュエーションが稀だから、という理由にすぎないのです。
まさか、「ように」が無いから分からなくなるわけじゃないはず。

さらに言うなら、『この場合は「読点」がなくても分かります。』とおっしゃっておられますが、それはあくまで、そういうシチュエーションのほうが想像しやすいからにすぎません。

「弟(のため)に窓を開けて、花に水をやるように言いました」

という意味にだって十分なりますよね。
ただ、こちらのように解釈できるシチュエーションが稀であるため、それに気づかないだけです。
『使役を使わず「ように」でまとめていることと「言いました」とあることから』というのは後付けの理由にすぎない、ということにお気づきになってください。

(#14)
3.
>使役・受身はそれぞれの動詞に入れて、きちんと言えます。

ですから、それが間違いだとはひとことも言ってないですよね?
ただ、冗漫になる、と言っている。
あなたは日本語学習者に対して冗漫な日本語表現を推奨しているのですか?

4.
>日本人のなかには、はしょって、最後だけにする人がいるかもしれませんが、それは文脈に頼った悪文です。

まったく逆です。
シチュエーションに応じ、省略できるものは省略し、簡略化できるものは簡略に表現するのが文脈を活かした自然な文を形成するのです。

質問者さん、
#13、#14さんへの応答許可願います。

(#13)
1.
>「弟に、窓を開けて花に水をやらせる」
「弟に窓を開けて花に水をやらせる」

これではたとえ「読点」があってもあいまいです。
「やらせる」で終わっているからでしょう。
「窓を開けて」の部分が十分に明瞭になっていません。

なるほど、それはある一面では正しいですね。

「(私は)弟に窓を開けて花に水をやるように言いました」

という文はすんなり耳に入るのですが、

「(私は)弟に、窓を開けて花に水をやらせる」

のよ...続きを読む


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