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モンロー主義の拡大と変質について教えてください。

A 回答 (2件)

拡大はしても、変質はしていないと思います。



モンロー主義は孤立主義といわれていますが、モンロー主義は「アメリカ大陸はアメリカ合衆国の縄張りである。」という主張です。つまり、「欧州列強はアメリカ大陸に手を出すな。アメリカ合衆国はアメリカ大陸以外に手は出さない。」ということです。それは、アメリカ先住民掃討完了を意味する「フロンティア消滅宣言」があった1890年までは、アメリカ合衆国はアメリカ先住民掃討に精一杯でアメリカ大陸以外に進出する余裕がなかったからです。

そして、アメリカ合衆国は1890年ごろから太平洋への進出を進め始めます。1898年の米西戦争でモンロー主義は事実上破棄されます。

つまり、モンロー主義は「アメリカ大陸はアメリカ合衆国の縄張りである。」でしたが、先住民掃討が完了してからは「アメリカ合衆国の縄張りはアメリカ大陸だけではない。」ということになり、グアム、フィリピン、ハワイを縄張りにし、アジア、中東へも縄張りを広げようとしています。

モンロー主義の変質を論じるより、アメリカ合衆国の覇権主義は一貫していると考える方が理論的かと思います。
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モンロー主義の出発点は、米国5代目大統領ジェームズ・モンローの教書演説ですね。


彼の任期は1817年~1825年なので、ちょうと欧州におけるナポレオン戦争と、その余波による中南米の植民地独立運動の時代ですね。
この時代は、ナポレオン戦争で欧州各国が本国側に気を取られ、植民地の支配を堅持する余力がありませんでした。
さらに、米国独立戦争の勝利で中南米の植民地も独立運動が盛んでした。
そういった時代背景をとらえ、ジェームズ・モンローは所謂「モンロー主義=孤立主義」を掲げました。

その内容ですが、端的に言えば「米国に敵対行為をしない限り、我関せず」の姿勢ですね。
では、どういった行為が米国に対する敵対行為となるかですが、これはアメリカ大陸各国の主権国家に対して、欧州各国の関与を拒否する姿勢です。
モンロー当時は、中南米は独立戦争のまっただ中です。
独立戦争に関しては、あくまでも中立を守る立場を取りました。
しかし、心情的には植民地側であったろうと想像できます。
なぜなら、対外的な経済活動(貿易)をするうえでは政治的に未成熟な元・植民地と行う方が有利な条件で結べるからです。
これは、海外に植民地を持たない米国にとってはかなり重要なことであったろうと思います。
ただ、だからといって積極的に独立戦争に係わると、米国に飛び火しかねません。また、当時の米国は発展途上であり、飛んできた火の粉を払えるだけの国力はまだ無かったろうと思われます。
以上から、「主権国家となった米大陸の国に対して欧州が干渉しない限り、中立を守る」がモンローの唱えた内容だと思います。

ただ、後代になると拡大解釈され、アメリカ大陸における政治的な優越性を主張するために使われるようになりました。
その最もたるのが第26代大統領セオドア・ルーズベルトが唱えた、「ラテンアメリカ諸国があやまった行為を犯した場合には、米国だけが介入できる」とう主張ですね。
これは、モンロー主義の拡大解釈といえます。
しかし、20世紀の米国はこの主張に基づいてベネズエラやキューバなどの国々への政治的介入をしています。
そして、それは時には内政干渉だとして非難される場合も多々ありますね。

日本などでは、「孤立主義」という命題だけが一人歩きして「市営モンロー主義」などと称して各自治体でもてはやされていた見たいですね。
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